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沸き立つ水

 あの日から、俺は「できること」を探すようになった。


 体がないのに体を動かす練習をする、みたいな話だ。

 手探り以前に手がないから、まず「手」になるものから探さなきゃいけない。


 最初に狙ったのは、水面の落ち葉だった。

 落ち葉は鬱陶しい。視界を塞ぐし、湿った影みたいに水面に貼りついてくる。

 あれがあると、空も木々も月も、いちいちフィルター越しに見える。

 俺の世界が、さらに狭くなる。


 だから、さざ波を起こす。


(……よし、やるぞ)


 声は出ない。けど、気合いだけは入れる。

 あの泥水にされた時の鬱憤を思い出せ。人の身体の中で好き勝手暴れやがって。


 ふつふつと怒りが湧いてくる。心なしか水底の湧水が勢いをましてきた。


 ちゃぷ。


 水面が震え、落ち葉がわずかに揺れた。動いた。

 動いたけど……遅い。思ったよりずっと遅い。

 落ち葉が「え、ここ私の席ですけど?」みたいな顔をして、微妙にスライドするだけだ。


(いいから動け!)


 気合を入れる。風もないのにさざ波が起こる。行ける。動かせる。

 さざ波を何度も走らせると、落ち葉は少しずつ岸へ寄っていった。

 隅に追いやると、葉っぱ同士が重なって沈んでいく。よし。


 水面の「邪魔」が減ると、視界が少しだけ晴れる。


 二つの月が、水面の揺らぎの向こうで前よりくっきりする。

 木の枝先が、前よりはっきり見える。世界が、ほんの少しだけ「外」に広がった。


 それっぽっちのことが、嬉しい。

 いや、俺が得たのは視界じゃない、「手」だ。

 やっと、俺自身の意思を外に示す手段を得たんだ。


 動かす感覚を掴む為に、ひたすら練習した。

 そのうち、ただ寄せるだけじゃ飽きた。次は、もう少し大きな波。


 水面が「盛り上がる」感覚を、頭の中で組み立てる。人間だった頃の身体感覚には頼れない。

 だからアニメやゲームのエフェクトを思い出す。

「水がぐっと押し上がって、ぽん、と返る」あの感じ。


 ぱしゃ。


 水面が小さく跳ねた。落ち葉がふわっと持ち上がって、少しだけ移動する。


(おお……)


 できる。


 ただ、バランスが難しい。やりすぎると、波が岸で跳ね返って、せっかく寄せた落ち葉が真ん中へ戻ってくる。


(……もう一度)


 だからまたさざ波に戻す。整える。集め直す。

 そういう「掃除→崩れる→掃除」を何度も繰り返して、俺は少しずつ力加減を覚えていった。


 水面だけじゃない。水の中にも「流れ」を作れるはずだと考えた。

 水底の砂利の上、エビと小魚が暮らしているあたりへ意識を押す。そこに水が動くイメージを重ねる。

 水草がゆらっと揺れた。藻がたなびいた。小魚が「なんだ今の?」みたいに向きを変える。


 流れが、できた。


 妙な感覚だった。自分の中に風が吹くみたいで落ち着かないのに、どこか心地いい。

 俺はその流れを、円を描くように回してみた。小さな渦。渦に乗って藻がゆっくり回る。


 暇つぶしじゃない。訓練だ。俺は必死なんだ。


 できることが増えると、やりたくなることも増える。


 ある日、小鳥が来た。水面に降りて、ばしゃばしゃやって、水浴びを始める。

 泥やらホコリやらを俺の中に落としていく。

「鳥は綺麗好きな生き物」なんて言うが、汚れを押し付けられるおれの気持ちが分かるのか?


(おい。ほどほどにしろよ)


 言っても通じない。分かってる。


 ……でも、今はもう違う。俺はやり返せる。


 水面を軽く盛り上げて――ぱしゃっと、小さな水しぶきを跳ねさせた。

 小鳥がびくっと跳ねて、ピィと鳴いて飛び去った。

 その逃げ方があまりに懸命で、俺はちょっとだけ溜飲が下がった。


(そうそう。舐めんな。飲むだけなら許す)


 この水鉄砲、大きい動物にはまるで効かない。

 鹿っぽいのも、イノシシっぽいのも、水をかけたところで「なんだ?」って顔をするだけだ。

 むしろ喜んで余計にばしゃばしゃやる。最悪。


 でも小動物と鳥には効く。粗相をした奴には、ぱしゃ。

 これが俺のルールだ。理解するかどうかは知らない。

 俺が自分の「意思」を投げられるってだけで、少しだけ救われた気になる。


 そしてもう一つ。


 水を綺麗にする方――浄化は、癖になった。

 こっちは出来るのだと気付いてからはアッサリと再現させられた。

 手を洗う。風呂に入る。そういう感覚に近い。

 だから、汚れが気になったら、すぐやる。

 気持ち悪いものが薄れると、頭がすっきりする。視界が澄む。心が軽くなる。


 汚いものを水流で一か所にまとめる、という発想も最初は試した。

 泥の粒子を隅へ寄せる。落ち葉みたいに隔離すればいいと思った。


 でも、水は全部俺なのだ。

 隅へ寄せても、それは俺の隅っこでしかない。

 嫌なものを押し込めた引き出しを、毎日開けて確認するみたいになる。無理に決まってる。


 だから結局、気になった端から浄化。浄化。浄化。


 泥がどこへ行くのか、糞がどうなるのか、死骸の細かい残りがどう分解されるのか――理屈は分からない。

 分からないけど、目の前から消える。気持ち悪さが薄れる。

 おかげで、水は前よりずっと透明になっていった。


 視界がクリアになる。木々の葉脈の揺れまで見える気がする。

 空の色の変化が分かる。星の輝きや二つの月の明るさの違いまで、なんとなく掴める。


 世界が鮮明になっても、俺はどこにも行けず、誰とも意思を通じられない。

 水を綺麗にしても、波を作っても、魚や鳥はそこに俺の意思を感じない。


 ああ。本当に飽き飽きする。


 ※※※※※


 季節が巡った。


 ……そう、この世界にも「季節」という概念があるらしい。四季があった。

 森の匂いが変わる。葉の色が変わる。光の角度が変わる。虫の羽音が増えたり消えたりする。


 冬には雪も降った。

 白いものがふわふわ落ちて、水面に触れた瞬間、溶ける。


 俺の大きさは四畳半程度、深さも大したことがない。

 なのに、水面が丸ごと凍りつきそうな雪景色でも俺の水面はそのままだった。

 水温も、たぶんそんなに変わっていないらしい。

 エビも小魚も鈍らない。冬眠もしない。普通にスイスイ泳ぐ。前より元気な気がする。


(お前ら、なんでそんなに元気なんだよ)


 喋り出したりはしない。でも、こいつらが元気だと、俺の中の何かが少しだけ救われる。

 俺の中で生きてる連中が、ちゃんと生きてる。それだけで、変に安心する。気味が悪い安心だ。


 水の操作も上手くなった。

 最初はさざ波だったのが、今は「バケツでバシャ」くらいの勢いが出る。

 このくらいになると、鹿やイノシシみたいな連中も多少は怯ませることが出来る。

 相変わらず、泉自身が攻撃したきたなんて思いもしていないようだが。


 だが、この程度のことにはもう飽きた。

 俺が欲しいのは、投げっぱなしの水の塊じゃない。

 もっと思い通りに動かせる「手」や「足」の代わりだ。


 ――そうだ、水で体を作って歩いて移動できるようにだってなるかもしれない。


 希望が、胸の奥でちかっと光った。胸がないのに、ちかっと光った。

 俺はそこに注力することにした。


 ※※※※※


 最初は、ただの球体を作るだけで精一杯だった。

 水面から水が盛り上がって、ぷくっと丸くなる。

 水鉄砲を撃ちだす要領で水面から飛び出させると、即座にバシャリ、俺の中に戻った。


(くっそ……)


 丸い形を維持するのが難しい。俺の意識がほんの少し散るだけで、形がほどける。

 それに水面から離れた水を本当に操作できるのか?

 水面から離れたらもう俺の一部ではなくなるのではないか?


(常識で考えるな。風も無いのに動かせるんだ、見えない力がある。俺にはある!)


 まずは形を作る練習。形を保つ練習。

 次は動かす練習。水面から撃ち出した水の形を変える練習。


(動け、動け、丸まれ、お前はさっきまで俺の一部だったはずだ!やってみせろ!)


 ゲームの中のキャラを動かすような感覚で、自分の身体から離れた水を操作する。

 初めて成功した時は、飛沫や水底の葉っぱを噴きあげて盛大に万歳三唱した。


 思い込みは力だ。


 形状の操作の方は、球体が安定してきたら、立方体を試した。

 角を作って平面を保つ。……角が丸くなる。辺がへこむ。柔らかい豆腐みたいになる。


(ああ、クソ。直線って難しい、どっかに定規ねえかなぁ!?)


 次は三角錐。頂点を作る。頂点を保つ。

 頂点がすぐ潰れる。すぐ潰れる。余計なことを考えると崩れた。

 だから無言で集中した。水を睨む。自分を睨む。角。面。頂点。重心。バランス。


 気がつくと、また季節が変わっていた。


 その頃には、球体は安定して保てるようになっていた。

 立方体も、不格好だけど作れる。

 三角錐も、短い時間なら維持できる。


 組み合わせた形も試した。

 球体を二つ繋げる。立方体の上に三角錐を乗せる。くびれを作る。そこで曲げる。


 そしてある日。


 小さくて不格好な「動物型」ができた。

 四本足。胴体。頭。尻尾。

 犬……いや、犬に見えるかどうかはどうでもいい。俺には犬だ。


 それを、動かす。


 水の塊が、成型した形を保ったまま動く。

 よたよたと水面をぎこちなく進み、畔に降り立ったところでバシャリ。


(……おお)


 可能性が、息を吹き返した。


(これは……これを、極めれば)


 フィギュアを作って動かせるんじゃないか?


 頭の中で、昔の棚が蘇った。積みっぱなしの箱。塗装道具。ニッパー。細い筆。削りカス。

 組み上がっていくパーツ。完成した瞬間の達成感。

 ジオラマを作ったり、机の上で戦わせて、勝手にドラマを作って、勝手に盛り上がる――あれ。


 ――俺、ここでも、それができるかもしれない。


 そこからは夢中だった。

 とにかく形。動き。維持。精度。ディテール。関節。バランス。重心。


(うおおお! 俺は人力……じゃない、水力3Dプリンタだ!)


 心の中で叫んだ瞬間、つい水面がちゃぷんと踊った。

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