28.“伝説”のはじまり 〇◆
森と泉は、今日も平和で俺は泉だった。
水面は鏡のように凪いでいて、木漏れ日を受けてキラキラと光を放っている。
今日も俺は澄み渡っていて綺麗だ。
……いや、本当はそうでもない。
底の方では泥水がうっすらと渦を巻いてる。
濁るたびに即浄化してるから表面上は綺麗に保ててるけど、水底はドロドロだ。
水底のざわめきから逃げるように、水面に身体を創る。
即座に視点が切り替わって、水面に女神が映り込む。
俺の顔は――今日も滅茶苦茶可愛い。そして、例の笑みのままだ。
微笑固定。表情筋の可動域ゼロ。口は開かないお飾り。
なのに声はよくわからんが出る。出るが言葉はまるで通じない。
耳もぶっ壊れていて、言葉を言葉として聞き取れない。
結果、俺は黙って笑ってるだけの美少女フィギュアになる。
例外があるとすれば、ひとつだけ——
『……イズミール』
あの熱っぽい、重たい声。俺に呼びかける祈りの声だ。
あれだけが意味のある言葉として俺に届く、響く。
……今の、幻聴だよな? わからん、浄化。
(やめろ。俺を“いい感じの存在”にするな)
俺が嫌な顔をしたり、反論できないからって、勝手に俺を崇めて拝んで祈ってくるな。
お前、水に口をつけておいて、吐きやがったの忘れてねえぞ。
あ、ヤバい、ムカついた。沸騰しそう。
……ちょっと間欠泉噴きそうになった。我慢、我慢。
――祈り、信仰。
それが増えると、俺が増える。晴れててもだ。
どっからどう増えるかっていうと湧きが増える。
水量が増えるだけなら、まあいい。いや、よくない。
問題は、増えた分の“俺”が、俺のままなのかってことだ。
自分が水だって理解したとき、減ってなくなったら死ぬんじゃないかって怖かった。
雨が降ると気持ち良くなるのは気味が悪いけど、干上がったらたぶん死ぬ。
それよりはマシだと思ってた。
でも、増えてくってどういうことか考えると、それも怖い。
100リットルの俺が110リットルになったら、まだ俺だろう。
じゃあ、1000リットルならどうだ?
今の俺の容積は最初の何十倍もあるが、まだ俺だ……今のところは。
『――イズミール』
「……っ」
反射的に浄化。あ、これ、幻聴じゃなかった。
来る、来た――また湧いちゃう。
また増えた……。
あいつの目は、善意の形をしてる。善意が一番厄介だ。
殴ってこないくせに、こっちの罪悪感や劣等感を掻き立てる。
ちゃんとした人間っぽいとこを俺に見せつけるな。
俺はもう人間じゃなくなっちまったのに。
(やめやめ!)
水面下で泥煙がいくつも立ち昇る。
エビや小魚が右往左往してるのに気付いて、俺は水流を落ち着かせる。
(これより緊急対策会議を行うっ!)
行き詰まった俺が思い付いたのは、前世で散々無駄な時間を使わされ、忌み嫌っていた会議を開くことだ。
何故って? なんかやってる気分を味わいつつ、無駄な時間を費やせるからだ。
※※※※※
『緊急臨時対策検討会議』
議長:俺
書記:俺
参加者:俺、エビ、小魚、水草、虫
議題:どうやって信仰を減らすか。
制約:泉は動けない。言葉は通じない。笑顔固定。瓶ゴミ回収不可。
初手で詰んでる。
でも、詰んだまま座ってたら、さらに詰む。
今のうちに“被害を小さくする”方向に舵を切れ。最悪よりはマシな"次悪"を探せ。
ああ、仕事の癖だ。嫌な癖だ。捨てたいのに捨てられない。
そういうのが、今の俺の核に残ってる……少しだけ、それで安心している自分がいる。
まずは、案を出そう。トンチキなのでもいい。
意外性を出そう、建設的に見えるっぽく取り繕ったやつは大体ゴミなんだが。
――案1:弊社をブッ壊す。
泉の畔に建った木のちっこい社。あれをバキッとやる。
俺の全力鉄砲水で叩き割って押し流す。はい、聖地は無くなりました解散!終了。
……無理。
他人の造形物を壊すのは、なんか嫌だ。
俺はあのメイキングを最後まで見守った。
造形や工作はいまいちなところもある。だが、あれでちゃんと作ってる。
俺はああいうのを見ると、変なところが疼く。
努力を壊すのが苦手だ。自分が努力を踏み潰されてきたからか?
知らん。とにかく嫌だ。
却下。
――案2:水フィギュアで怪物を造って人を脅かす。
水でできたバケモノ。牙とか角とか、いくらでも盛れる。
キモい実例はもう見た、再現だってできる。
あれを森の出口の辺りでドーンと出して、暴れて見せて追い払う。
……敵認定されそうじゃね?
軍とか来る。槍とか弩とかはたぶん俺には効かない。
でも、魔法とかはあるなら分からん、埋め立てとかされたら死ぬ。
それに文明レベルの低い蛮族って、城壁に死骸とか投げ込む外道戦術とか取るよな?
グロはやめろ、グロは。デカい動物の死骸とかマジ無理。嫌だ。怖い。面倒。
却下。
――案3:汚して飲めない、ありがたくない感じにする。
水を濁らせる。ぬるつかせる。匂いをつける。藻でも浮かべる。
これなら「うわ、まずい」ってなって離れるだろ。
……俺が汚れるのは、やだ。
汚れは嫌だ。嫌いだ。俺は泉だ。泉は澄んでいたい。
生活を守るために身銭を切るとか最悪の選択だ。人間のとき、散々やらされてきた。
あと、「うわ、この水キッツ……マズそwww」「きっしょwww腹壊すわ」とか思われるの、マジゆるせない。俺は美味しい。澄んでいて綺麗。これは譲れない。
却下。却下却下却下。
――案4:姿を見せて「あっち行け」ジェスチャー。
今より積極的に出ていって、手を振る。追い払う。しっし。帰れ。祈るな。
……絶対拝まれる。
「女神が! 我々に手を振ってくださった!」「ありがたや!」
「おっぱいデッッッカ!」「一生推します!」「最後尾こっちでーす」
俺が手を振るたびに人数が増える未来しか見えない。
握手会の始まりだ。列の形成。整理券。ダフ屋。転売ヤー。供物の格差。
解釈違いの喧嘩。泣きながら土下座するやつ。怒鳴り散らすやつ。
却下。
――案5:意志疎通をとって凡人アピール。
「俺は大したことない」ってバラす。
中身は普通の人間だ。女神じゃない。水が超絶綺麗で美味しい泉なだけだ。
ありがたがってる奴がいるのは偶然の産物だ。勘違いだ。俺は普通だ。
……ナメられたら、利用されて、搾取される。
生活用水。埋め立て。水路。水車。貯水池。金持ちの道楽別荘のプール。
そういうのにされる。
俺が“ただの水”扱いになって、聖域じゃなくなる。
それは信仰が減るって意味では狙い通りかもしれないけど、別の地獄が始まる。
政治家とかお偉いさんってやつは「凡人=搾取対象」って思ってやがるんだ。
そういうのに俺は詳しい。絶対、ロクなことにならない。
却下。
――案6:地下水になって逃げる。
水底の岩盤をぶち抜いて、地中に潜る。
泉をやめて地下水とか地底湖になる。逃亡。移動。自由。
……岩なんか無理!
俺は液体だ。ドリルじゃない。どうやって岩に穴を開ける。水圧?
水圧ってどう高めるんだ。俺の身体は泉だぞ。泉が腹筋したら岩が割れるのか?
割れねえよ。割れたら怖いわ。
却下。
――案7:腹を括って女神様する。
もうしょうがない。女神として振る舞う。
信仰をバンバン集めて受け入れて、“正しい”形に誘導する。
いや、誰が誘導すんだよ、言葉通じねえし。
しゃしゃり出てきそうなのは木こり野郎だ。あいつは既に社を建てさせた前科持ちだ。
そんで、激重感情を拗らせたクソ厄介オタクだ。
解釈の不一致とか同担拒否とかで刃物を振り回して事件とか起こしそうだ。
だって、あいつどう見ても人殺し用のクソデカ刃物持ってるじゃん。こえーよ。
却下……いや、却下っていうか、これ、今んとこの既定路線じゃねえか。
これを避けるために頭抱えてんだよ。
俺は、胸の奥で舌打ちした。
出した案が、全部却下になった。
仕事でもよくある。
会議で誰かが建設的な意見を出しても、出来ない理由だけは速攻で集まって全部潰れて、そのうち「じゃあ現状維持で」とか言い出すやつが出てきて、全員が嫌な顔しながら頷くやつ。
現状維持――つまり、今のまま、祈りが増えるのを眺める?
無理だ。怖い。俺が、俺じゃなくなる。
いや、でも……言うほど、俺……前と変わってるか?
意外とそんなでもないんじゃないか?
俺は、元社畜で自分のオタク趣味最優先の陰キャで。
ぼっち慣れしてると思ってたけど、この世界は死ぬほど退屈で、話の通じない奴らばかりで。
そういう環境に置かれたら、誰だってちょっとくらいは揺らぐだろ。
俺は水面に指を落とす。水が輪を作る。輪は広がって、消える。
一つだけ広がって消えた波紋を見て思った。
今のところ、俺に”変な声”を届けてくるのは、木こり野郎だけなのだ。
ガチムチ大工どもに祈られた時も、俺は増えた。
だが、奴らの祈りの声は何言ってるか分からなかった。
あの、名前を呼ばれてるって感じがしない。
木こり野郎の奴、俺の名前を大工の奴らには教えなかったらしい。
一丁前に独占欲か、おい。息吸うみたいに激重感情向けてくんな。
それか……あの瓶を持ってるから、あいつの祈りだけが届くのかもしれない。
つまり、あの野郎から瓶ゴミを取り上げれば、マシになるんじゃね?
「その瓶を返せ」くらいなら、ジェスチャーで伝わるだろ。察しろ。
……よし、そうしよう。
あいつが俺のとこに帰ってきたら速攻取り上げる。
泣いて頼んでも許さねえからな。
※※※※※
――帰って来ねえでやんの。
あれから結構経った。
俺は寝ないし疲れない。だからか、時間の経過に無頓着なところがある。
それにしたって、たぶん一季節くらい経った気がする。
奴からの祈りは相変わらず届く。
既読はもう完全に反射で返せるようになった。
これならこれでまぁ良いか……?
むしろ、居座られるより健全な気がする。するよな?
湧き口がなんかちょっと詰まってる感じがするが、気のせいだ。ヨシ。
そんな昼下がり、森の方でざわめきが響いてくる。
不規則で、雑多な人の気配……これは大工どもの時と似てるな?
あいつらが社の補修にでも来たのか? それとも参拝?
ざわめきと振動がどんどん近付いて来る。
いや、近いだけじゃない、多い。増えてる。続いてる。
(は? ちょ、これ、何人いる……?)
俺は咄嗟に身体を創って、社の屋根の上に飛んだ。
ここなら、泉からよりも遠くまで見える。
俺は目を凝らして森の向こうを見通そうとした。
そこに見えたのは。何十人もの人、人、人――
男もいる、女もいる、どっかで見たガチムチも。
手斧やらスコップやらフォークやらを手にしてゾロゾロ。
先頭の奴があんぐり口を開けてこっちを見て――
「――ひぇっ!?」
バシャン、俺は即座に泉に戻った。
(やっば、いま、見られた!? なにあれ、こわ……っ)
――い、一体何が始まるんです?
◆◆◆◆◆
――辺境の森の開拓事業。
それ自体は珍しい話でもなかった。深淵の噂はあちこちで聞こえる。
住処を追われ難民になった者、食い詰めて野盗化した者。
いまの時代、そういう“押し出され方”は日常の延長にある。
だからこそ、新しい土地を拓いてやり直すという誘いは、いつだって人を惹きつけた。
博打の要素は大きいが、当たれば大きい。
発起人は誰か、支援者はついているか、場所はどこか、取り分の条件はどうか。
総合的に見て将来性があるかどうかを判断しなければならない。
見誤れば共倒れだ。
その募集は、その判断に困る内容だった。
予定地は他の町との行き来にも苦労するほど辺鄙で、交易の拠点になる気配もない。
それなのに、支度金も給金も、開拓地の分与や貸与の条件も、やたらと良かった。
辺境は危険が多い。自衛のための武器は自前で用意しろ、と言われる方が一般的だ。
だが、その開拓団には専属の護衛がつくらしい。それも――“深淵殺し”が付く、と。
噂が立った。詐欺だ、囲い込んで搾り取るつもりだ、と。
疑うのは自然だった。だが、支度金が実際に支払われた。
袋を受け取った者は、軽口の勢いを失って中身を数え、息を呑んだ。
銀貨の重みではない。混じった金貨が掌に冷たく、現実味のない光を放った。
現地に赴いてからも、約束通り給金が出た。口約束ではなく、きっちり出た。
日銭が回り、腹が満たされると、人は不安を“先送り”できる。
疑念が消えたわけではない。ただ、疑念より生活が先に来ただけだ。
現地は本当に辺鄙だった。
こんな場所に集落を作って先があるのか、誰もが一度は思う。
だが金が注ぎ込まれ、資材が運ばれ、人が増えた。
不安が“押し流される速度”だけは異様に速かった。
異様なのはそれだけではない。
一部、異様に熱心に働く者たちがいた。大工の一団である。
彼らは息を切らし汗を流しながら、それでも不思議と顔つきが明るかった。
疲れているのに、目だけが冴えている。
彼らは言った。
「この事業は後々“伝説”になる」
誰も理解しなかった。煙たがり、笑い飛ばした。
だが、その笑いが長続きしないのは、彼らの目があまりにも本気だったからだ。
冗談を言っている口元と、手元の所作が噛み合っていない。
木を削る指先が、何かを祈るように慎重だった。
森の入口を切り拓き、当面の仮住まいが建ったあたりで、奇妙な命令が下った。
井戸掘りでも畑作りでもない。森の奥へ向かう道を作れ、と。
伐採目的にも思えない。採掘地でもあるのかと見回しても、そういう様子はない。
ただ深い森の奥へ奥へと分け入るための道づくり。意味が分からない。
しかも、その仕事に対する比重がおかしかった。
人・物・金――ほぼ全投入だった。
「ペッシヌスの旦那は気でも触れなすってんのかね」
「いやいや、この森の奥にきっとお宝があるのさ」
「なんだっていいさ、金さえ払って貰えればね」
そんな軽口を叩き合いながら、道を切り拓いていく。
切り株が増え、土が掘り返され、踏み固められた道が伸びる。
その途中で、例の大工の親方と一団が、軽口の輪に水を差した。
「この先には清く澄んだ泉がある」
「俺たちはそこに社を建てた」
「その泉には女神がいらっしゃる」
「決して無礼を働かないように」
誰もが笑った。冗談だと思った。
だが、彼らは笑っていなかった。
彼らの言う泉が近づいてきた辺りで、開拓団は“神秘”の断片を見た。
ほんのわずかな時間だ。遠目だった。木々の合間から覗く美しい泉。
風が吹いているはずなのに、水面が鏡のように凪いでいる。
その畔に建つ小さな社。
その社の屋根の上に、この世のものとは思えない美女が浮かんでいた。
人ではありえない水色の髪。そこから伸びる宝玉のような枝角。
纏う衣は清流のように揺らめきせせらいでいた。
そして――彼女は微笑を湛えていた。
その微笑をこちらを向けて。
次の瞬間、彼女は一瞬で水になって社に降り注いだ。
目撃は短かったが、短いほど確信だけが残った。
錯覚なら、あそこまで整った形で胸に刺さらない。
「確かにいたんだ……宙に浮かぶ女……まるで天女みたいに笑って……」
「なんて綺麗な泉だ……いや、待て、なんでこの風で波が立ってないんだ」
「雨なんて降ってない。じゃあ、この水はどこから……今のは本当に……?」
「あぁ……俺たちの建てたもんを、お使いになってくださったんだな……」
「“幻想”じゃねえよな……」
声は自然に小さくなった。笑い声の代わりに、息を呑む音が増えた。
そして、誰かが怒鳴った。怒鳴ることで、自分の足元を固めるように。
「おい! お前ら! その泉を決して粗末に扱うんじゃねえぞ!」
大工の一団は、社を建てた時に体験した“神秘”を語った。
今度はもう、笑う者はいなかった。
笑う余地がないほど、現実が静かに形を変えはじめていた。




