24.清廉なる祈りを捧ぐ者 ◆★
11話「フォースアウェイクン」/12話「黄金の種と、穢れをもたらすもの」の別視点になります。
あの美しき泉の女神によって、私は異形と化した身体を浄化された。
のみならず、深淵殺しの斧と、身の内に巣食う穢れまでをも祓われた。
”深淵殺し”としての私は、あの日、あの場で死んだ。
――いや、私は生かされたのだ。
あの方に生かされ、何者でもないものとして立ち返った。
私はこれから如何に生きるべきかを突き付けられたのだと考えている。
いつか、あの方にその答えを示さねばなるまい。
それが赦しであれ、断罪であれ、私はあの方の裁定に従う。
森を出て、私は人里を探した。
泉の畔に留まれば留まるほど、あの御方の澄んだ気配に心は満ちる。
けれど同時に――私の身の内に残る黒い影も、そこに照らされて輪郭を濃くする。
いまの私は「救われた」だけだ。赦されたわけではない。
ましてや隣に立てるなどと夢を見るのは、分不相応が過ぎる。
だから一度、あの方の御許を離れる必要があった。
人の気配の感じられない深い森だった。木々の合間を縫い、獣道を避け、川沿いを下って行く。ようやく橋と道を見つけた。
昼をやり過ごし、夜の縁でようやく灯りを見つけた。村というには小さく、旅人の往来も少ない、山裾の集落だった。そこで身を休め、出で立ちを整える。
旅人としての最低限。短剣と外套、ロープ。それから祭壇の材料。皿や杯も、華美にならぬものを選ぶ。
そして、あの御方へ捧げる誓いの証として、薄藍に染めた長布を一枚用意し、サッシュとして身に纏う。
己を飾り立てることに意味はない。
どれほど人の手で美しく整えようと、あの御方の美しさの前では無意味だ。己を偽って装うのは、祈りではなく虚飾になる。
私は、ただ清らかな祈りだけを捧げたい。捧げる側が己を飾れば、祈りに自らの欲が混じる。そのようなもので、あの御方を穢したくはない。
身を整えた後、夜明け前に出た。胸の前で薄藍のサッシュが揺れる。布は軽い。だが巻いた瞬間から、誓いの重さが体温のように肌に貼りつく。
――清らかな泉への信仰の証。
――己の穢れを忘れぬための枷。
森へ戻る道は、行きよりも短く感じた。心が先に走ってしまう。あの御方の声――楽の音のような、清流のような囁き――を、もう一度聞けるのではないかと期待してしまう。
望み過ぎだ、と己を戒める。
それでも胸が熱くなるのを、止められない。
※※※※※
泉は、変わらずそこに在った。
白い靄。湿った土の匂い。苔の呼吸。水草の影。鳥の羽音が、どこか慎ましくなる。森が、ここだけ言葉を落とすような静けさ。私はその境界の手前で足を止め、膝をついた。
息を整える。
ここでは、呼吸ですら汚れに思える時がある。けれど息を止めるのもまた虚飾だ。私は生きている。生きている限り、濁りは混ざる。濁りがあるからこそ、清さを願う。
私は持ってきた木板を組み、簡素な祭壇をつくった。
木の板を組み合わせ、揺れぬように石で支える。皿も杯も木製の質素なもの。どれも、目立たぬように。主張せぬように。祭壇は祈りのための台であって、私の心を飾る舞台ではない。
供え物に選んだのは、プルヌスの実だった。
古くから神の食べ物とされてきた、生命の象徴。種を抜かないまま干しても腐らず、乾かした実は長く保つ。花は美しいが朽ちる。果実も多くは朽ちる。
けれど、これなら――受け取られずとも、穢れを撒き散らさずに済む。祈りが届かなかったとしても、せめて私の行いが穢れを撒き散らさぬように。
その発想自体が、どこかで受容を求めているのではないかと、胸が痛んだ。
それでも、私は選んだ。
「祈り」とは、願いを積み上げることではない。
けれど私はまだ、ほのかな願いを抱いてしまう。
杯に水を汲ませていただくとき、柄杓を持つ指先が震えた。近づく資格が私にあるのか。そう思うだけで、喉の奥が締まる。
私は頭を垂れた。
「泉の龍よ……貴女に祈りを捧げることを、御赦しください……」
言葉は空気に溶けるはずなのに、泉の前では祈りが“形”を持つように感じる。声が水面の薄い膜に触れて、そこに小さな痕を残すような感覚。
「女神よ。どうか永久に清く……心穏やかに……」
祈りの文句は、私の願いでもある。
けれど主語は御方だ。私は私を中心に置かない。置いた途端に、祈りは崩れる。
私は笛を取り出し、指を置いた。音は森へ逃げない。泉へ向かって落ちていく。
水に吸われ、深みに沈み、どこかで返り音になって胸へ戻る。
――波紋が生じた。
雨などないのに、円が重なり、広がり、消える。私の音が届いたのだと、身体が先に理解してしまう。胸の奥が熱くなる。泣きたいのに、泣けば穢れで曇らせてしまいそうで、私は目を閉じた。
姿を見せてくださらなくても。
声を聞かせてくださらなくても。
受け取られたかどうかは、私が決めることではない。私はただ捧げる。捧げることが、私の役目だ。
それでも、枯れた井戸に水が満ちるように胸の奥が潤う。私はその潤いを「報酬」にしたくなかった。だから言い聞かせた。
これは、応えではない。
私が勝手に感じているだけだ。
私は祭壇を整え、供え物を置き、深く頭を垂れ、泉から去った。
振り返らない。名残惜しさを抱えて振り返れば、その名残が欲になる。今一度、あの美しき御姿を見たいなどとは思うべきではないのだ。
※※※※※
――数日後。
祈りの場が荒らされていないか。それだけを確かめるために来た。そう言い訳を用意していた。胸が少し軽くなるのは、その言い訳が必要だと知っているからだ。
祭壇はそのままだった。
――けれど、皿に盛ったはずの実が、消えていた。
鳥か。獣か。風か。いや、違う。荒らされた形跡がない。足跡も、爪痕も、嘴の欠けもない。
実は、杯を満たした水の中に移っていた。
沈んでいるのではない。浸されている、という感じだった。水が実を抱き、包み、守っている。傷一つない。人が立ち入った痕跡もない。
――私は、あの女神の御業だと感じた。
胸の奥が、きゅう、と鳴った。歓喜と恐怖が同じ場所で絡み合う。受け取られたのか。
赦されたのか。いや、赦しではない。そんな都合のいい話があるものか。
それでも、私は呟いてしまう。
「受け入れてくださるのか……穢れたこの身を……私などの祈りを……」
口に出した瞬間、胸が痛んだ。「受け入れてほしい」という願いが言葉の底に混ざっている。
私は祈りに“応え”を求めているのではないか。
私は杯を両手で持ち上げ、額に触れさせた。水は冷たいのに、指先が熱い。
精霊や神は人の食物を口にはしない。供物を捧げるのは祈りの媒体としてだ。
祈りの後、神から還された供物を食することで、応えを受け取ったとする――そういう古い作法がある。
私は迷った。女神が手に取って動かしたものを、私が受け取っていいのか。
受け取って救われた気になれば、私はまた驕りを抱くのではないのか。
結局、私は杯を持ち帰ってしまった。
人里へ戻る途中、私は何度も足を止めた。自分の手が、震えていないか確かめた。
震えていた。恐ろしかった。嬉しかった。どちらも本当だった。
夜、灯りを落とし、私は三つの実のうち一つを口にした。
皮が破れ、果肉が潰れて甘みと酸味のある果汁が溢れ出す。
私は目を閉じ、心の中で祈りを捧げながら、それらを咀嚼し、飲み込む。
――次の瞬間、歯に硬い感触が当たった。
種だ。しかし、その硬質さは普通の種とは思えないものだった。
その種は、ランプの灯を浴びて黄金色の輝きを返してきた。
金属の光沢。作り物ではありえない精緻さ。実の中の種だけが黄金に変じていた。
まるで、世界の法則がそこだけ置き換わったかのように。
紛れもない、奇跡。
私は、息を吸い損ねた。
これは女神の恩寵か。
それとも試しなのか。
私の胸は、祈りで満ちるより早く、罪悪感で濁った。過分だ。私には過ぎる。
穢れを残したこの身が、あの斧と同じような“奇跡”を受け取っていいはずがない。
私は、黄金の種を見つめたまま、膝をついた。
供物に応えを求める心が、どこかにあったのではないか。
――赦して欲しい、救ってほしい。
――そういう欲が、祈りの底に沈んでいたのではないか。
その欲が、この黄金を呼んだのだとしたら。
私は、震える指で黄金の種を掴み、薄藍のサッシュを握りしめた。
この黄金は返さねばならない。
あの清き泉に。
あの御方に。
恩寵であれ、試しであれ、それを私の答えとしよう。
そして、次はプルヌスの実ではないものを捧げる。
木になる実は、あの方への供物として相応しくなかったかもしれない。
泥の中から現れ、水の上で清らかに開くルテアの花はどうか。
穢れなきその花芯は、女神の御座として相応しいのではないか。
だが、手に入れる宛てがない。そもそも泉に向かうまでに萎んでしまう。
ならば、木を削り出しあの花を象ろう。
朽ちず萎まぬ花を造り、あの御方に捧げよう。
※※※※※
夜が明けきる前に、私は再び森へ入った。
掌の中で黄金の種は、冷たく、重い。灯りのない闇でも、その色だけは目に焼きつく。
泉の靄が見えた瞬間、胸が高鳴る。
私は祭壇の前に膝をつき、木皿の上に木彫りの花を捧げる。
「この花を、御身の傍に添えることをお許しください」
拙い作りだと思う。しかし、これが今の自分の精一杯だ。
精進を重ね、いつか相応しいものを捧げるという最初の一歩でもある。
問題はこの後――種をお還しすることだ。
杯を掲げて息を整えた。
穢れを帯びたこの身が、女神から授かったものを返還するなど、不遜だ。
しかし、それでも。
「こちらは私には過分なもの……御身にお還しいたします」
言葉はそれだけでよかった。言い訳を増やせば、私の心が自分のための物語を作り始める。
私は杯を傾け、中に収めた黄金の種を水面へ落とした。
ぽちゃん、と水面に小さな波紋を描き、種は水の底へ沈んでいく。
水面から差し込むゆらゆらとした光を浴びて、黄金色の照り返しが砂地に彩りを与える。
私は額を地に近づけた。
感謝か、懺悔か、それすら判然としないまま、ただ静かに祈った。
泉の水は揺れず、波立たず、あの御方が姿を現すこともなかった。
見限られた、とは思わない。
きっと見ていてくださった。
そして、私の選択を沈黙で受け入れてくださった。
私は祈りと誓いの言葉を水面に捧げた。
「私は貴女に救われたこの命を、貴女の望むことのために捧げたい」
「もしも、私が信ずるに足るとお思いになったなら――どうかこの身に試練をお与えください」
畏れ多くも女神の代行者たろうとするなど、不遜極まりない。
しかし、偽らざる本心だった。
どれだけ時を費やしたとしても構わない。いつか、必ずあの方に報いる。
(”いつか”、か……)
父の遺した言葉を希望の形をした嘘だと思っておきながら、私も今、同じ嘘で自分を立たせている。
だが、希望は嘘か誠かで量れるものではなかったのだ。
希望は目指すべき目標ではなく、背中を押し、足を動かす為の活力だ。
だからこそ、その後押しだけで闇雲に進めば、人は容易く道を踏み外す。
進むべき道を誤らぬよう、己を疑い、常に考えねばならない。
私は立ち上がり、振り返らずに歩き出した。




