◆泉龍への誓い ★
8話「セカンドインプレッション」/9話「サードクローズエンカウンター(第三種接近遭遇)」の別視点になります。
目が覚めたとき、森は夜明けの匂いをしていた。
冷たい土の湿りと、葉の裏に溜まった露の気配。世界樹の森に漂っていたあの腐臭は、ここには欠片ほどもない。
瞼の裏に射し込む光が、ただの光として在る。
痛みも、黒いざらつきも、喉奥に貼りつく泥の味も、いまは――薄い。
私は息を吸った。肺が膨らみ、戻る。
呼吸という行為が、本来こんな感覚だったのだと、遅れて思い出す。
身体には軋みがあり、熱と倦怠感がある。
それでも――生きている。
心臓が打ち、血が巡り、五感がそれを否応なく突きつけてくる。
身を起こす。
体は動いた。肉も、腱も、骨も、私の意思に従ってくれる。
鎧が軋みをあげる。関節部が歪み、動きを阻む。
“深淵殺し”にとって鎧は、浸蝕で崩れていく肉と骨を、人の形に押し留めるための“型”だ。
膨張し捩じれる内側を、金属の檻に閉じ込める。
だが今の鎧は、ただの壊れた殻として私に絡みつくばかりだった。
足が向かうままに歩いた。
昨日、あの水に押し流された先――水の匂いの源へ。
木立が割れて、泉が見えた。
陽光を受けて白く輝く水面――そこに“彼女”の姿はない。
あの月の光と見紛う美しい存在は、幻だったのか。
だが、畔の一角が崩れていた。土が抉れ、砂利がむき出しになっている。
その傷は、私の身体が転がされた“道”の形をして、真っ直ぐこちらへ伸びていた。
薙ぎ倒された草木、濡れた地面。嵐の通り道のような痕跡。
そして――泉に突き立った黒ずんだ棒。斧の柄だ。
あれは夢ではなかった。
泉が立ち上がったことも、私が水に呑まれたことも、私が今、生きてここに在ることも。
歩く。まとわりついた殻が軋んで邪魔をする。
私は、ひしゃげた肩当てを掴んで、ごそりと剥ぎ取り、内側から裂けた籠手を引き抜く。
人間の手がそこにあった。
五本の指。関節。掌の肉。爪。幼い頃の稽古でついた傷痕。私の手だった。
そして、浅黒い皮膚――爛れも鱗もない。煤のような黒でもなくなっていた。
信じられないものを見た。
しかし、それ以上に焦っていた。鼓動が高鳴り、呼吸が浅く速くなる。
残った籠手を外し、身体の自由を取り戻していく。
兜に手をかけた。外れない。金具が歪んでいる。
指に触れた髪は、僅かに湿っていてざわりとした触感を返してくる。
だが、自ら蠢いたりはしない。毛髪として、そこにある。
その感触を確かめながら、泉へ向かって歩く。
鎧の残骸を引きずる音が、やけに大きい。森が静かすぎるのか、私の耳が妙に澄んだのか。
泉の畔まで近づくと、土は大きく削れていたが、水はどこまでも清く澄み渡っていた。
水面が私の姿を映し出す。
黒い髪、浅黒い肌、壊れた鎧と兜――その隙間から覗く黒い瞳。
化け物というより、みすぼらしい敗残の兵のようだった。
兜に手をかける。
金属を掴み、留め具を探し、力を込める。
ぎし、ぎし、と兜が鳴った。
最後に、硬い抵抗がほどけた。
朝の光が、私の顔に触れた。
冷たい空気が頬を撫でていく。それだけで、胸の奥が痛い。
私は水面を覗き込んだ。
そこにいたのは――溶けた怪物ではなかった。
触角も、鱗も、裂けた口も牙もない。
ただ、黒髪と黒い瞳を持つ、傷跡の浮かぶ浅黒い肌の男が映っている。
私は、自分の手を見た。
両手の指を動かした。一本ずつ、確かめるように。握って、開いて、また握る。
……戻ったのか。
いや、戻されたのか。
視線が、泉に浸かった斧へ落ちた。
水の中で、銀の刃が静かに光っている。
そこには黒い血管も、穢れた染みも、あの不気味な脈動も――ない。
喉の奥が、ひきつった。
この泉は――”彼女”は、私だけを浄めたわけではなかった。
あの刃、“深淵殺し”そのものから、黒禍を洗い流していた。
”彼女”は黒禍を、最初からそこに無かったもののように消し去った。
慈悲深いだけの精霊なら、穢れた私を見て眉を曇らせたはずだ。
だが“彼女”は、変わらぬ微笑みを向けた。
嫌悪も恐怖もない。人も穢れもあるがままに見つめ――深淵だけを退ける。
それが、この泉の理なのだ。
いや。
水面に映る自身の顔に目を向けた。
黒い瞳、黒い髪、浅黒い皮膚――完全に元に戻ったわけではない。
両の掌と指を見つめる。
“深淵殺し”として長く刃を振るい、同化し、皮膚ごと引き剥がしてきた。
その塞がることのない傷が、痕として残っている。
銀の輝きを取り戻した斧とは異なり、この身は未だに黒を抱えている。
黒禍は私に深く行き渡り、もはや引き離すことが叶わないのだろう。
だが、それでも――生かされた。
穢れごと、この世から消し去ることも出来たはずなのに。
胸の奥が熱を持った。
怒りでも妬みでもない。別の火だ。
剣を握らせ、足を進ませるために、私がずっと欲しがっていた火。
私は、泉へ向けて膝をついた。
祈りなど捨てたはずだった。捨てて、毒を掴んで、黒へ沈んで、死に向かって進んできた。
だが、今は違う。
私は、あの夜オルセイスで届かなかった場所へ、ようやく言葉を落とす。
「……私に、生きよと――そう言うのですか」
声は掠れていた。喉がまだ焼けている。
それでも言った。言わずにいられなかった。
「恨みを抱いて祈りを捨て、神秘を嘲笑ってきたこの私などに――」
水面は静かだ。風はない。波紋も起こらない。
けれど私は、昨日の奔流を知っている。
この清い水が、穢れた汚泥に染まらぬ強さを持っていることを知っている。
泉は何も応えない。
凪いだ鏡のような水面が、陽の光を私に照り返してくるだけだ。
だが、私は知っている。
”彼女”はここにいる――私が今、生きていることこそ、その証だ。
私自身が諦め、見放していたこの命を、”彼女”は見放すことなく掬い上げた。
――もはや私は、“深淵殺し”ではいられないだろう。
再び毒の刃を握り、命を歪めながら殺すものに成り果てるのは、救いに対する冒涜だ。
だが、深淵を退ける意志まで捨てるつもりはない。
この泉の前にして、私はまだ何者でもない。
だが、“何者でもないもの”としてやり直す機会を与えられたのだ。
「どうか、この命を貴女に捧ぐことを御赦しください」
”彼女”の微笑みが、この穢れ病んだ世界に対する抗いなのだとすれば、私はそれを守るものでありたい。
”彼女”が人を見捨てぬ慈悲を抱き続けているならば、私も人を見捨てぬものであろう。
”彼女”がこの世に深淵の存在を認めぬのならば、私はその意志をこの身で示す。
「この身はただ、貴女のために――」
清き泉は、私の誓いにさざ波一つ立てない。
そこに、あの変わらぬ微笑が重なっているように思えた。
※※※※※
誓いの言葉を口にしても、泉も森も、何も変わらない。
水面は凪いだまま、陽の光を受けて淡く揺れ、私の声だけが空気に残って薄れていく。
元より応えが返ってくることを期待していたわけではない。
奇蹟を当然だと思えるほど、私は傲慢ではない。
昨夜の救いは、私が勝ち得たものではなく。与えられ、拾い上げられたに過ぎない。
それでも、ほんの少しだけ――水面に立つ影を探してしまう。
私はすぐ目を逸らした。望むこと自体が不遜に感じた。
穢れを抱えたままの私が、あの美しきものを望もうなどとは――
今は、まず、生き延びる準備をせねばならない。
体は戻ったようで戻りきってはいない。息を深く吸えば肺の奥が痛み、肋がぎしりと鳴る。
動ける――だが万全ではない。
装備も足りない。食料もない。薬もない。鎧は半分以上が役に立たない鉄屑だ。
武器はある。
浄められ、元の姿を取り戻し、銀の輝きを帯びた私の戦斧。
だが、泉に半ば没したそれを、”彼女”の赦しなく手にするわけにはいかない。
そうなると、使えるのは自裁のための小刀一本のみだ。
拾われた命を無駄にしないよう、慎重を期して行動せねばならない。
畏れ多いという気持ちはあるが、この清らかな場所で一時の休息を取らせて貰うこととした。
私は泉から少し離れた、畔の斜面が直接崩れない場所を選び、落ち葉と枝を集め、簡単な床を作った。
土をならし、湿りを避け、背を預けられる木を背後に置く。
大地は身体から熱を奪い、体力を損なう。黒禍ばかりが脅威ではない。
手は勝手に動く。生き延びるために繰り返した作法が、意識より先に私を動かしていた。
次に、水が必要だ。渇きは人を弱らせる。
ものを食べずとも生きていけるが、水を断てば人は容易く死ぬ。
泉の水には、直接触れるわけにはいかない。
私という穢れを帯びた存在が、泉に触れることは避けるべきだ。
小刀を取り出し、柔らかい木を選ぶ。刃を当て、薄く削り、芯をくり抜く。
柄を作り、浅い椀の形に整え、柄杓にする。粗末だが、用は為す。
出来上がった柄杓を手に、泉の縁まで近づいた。足は水に入れない。
膝も土に深く沈めない。私は低く姿勢を落とし、祈りに似た間を置いた。
水面に柄杓を触れさせ、静かに汲み上げる。透明な水が器に満ちる。
光を受けて、ただの水が宝石みたいに見えた。
私は柄杓を両手で捧げるように持ち、目を伏せた。
祈りではない。確認だ。私は今から、彼女の水を”頂く”。
冷たさが舌を撫で、喉を通り、胸へ落ちる。
それは水である以上に、清さそのものが体内へ流れ込む感覚だった。
――その直後。
身体の内側が、震えた。
最初は小さな違和感だった。胃の奥で、何かが爪を立てるような。
次の瞬間、それは臓腑を抉る鉤になった。
「……っ……!」
声にならない。息が喉で引っかかる。背筋が弓なりに反り、視界が白く弾けた。
胸の内側で、黒いものが暴れている。昨夜、外側から剥がされたはずの穢れが、体内の深い場所でまだ絡みつき、今、取り込まれた清さに焼かれている。
痛みというより、矛盾が引き裂かれている感覚。
“私”の中に巣食っていた“私でないもの”が、居場所を失ってもだえ、喚いている。
私は柄杓を取り落とし、両手で腹を押さえた。指が白くなるほど力を込めても、内側の痛みは手で掴めない。吐き気がせり上がる。喉が痙攣し、唾液すら苦い。
泉を汚してはならない。
その一念だけで、私は必死に体を横へ向けた。膝をつき、土を握り、歯を食いしばる。
視界の端で水面が、静かに揺れているのが見えた。揺れが、私の苦悶と無関係に美しい。
痛みの波がもう一つ来た。
骨を握り潰されるような圧が腹の芯へ落ち、私は砂利の上へ転がりそうになる。呼吸が途切れ、目の前が暗くなった。
――そのとき、気配が落ちた。
風が止んだわけではない。音が消えたわけでもない。
ただ、森が一瞬だけ「見守る」側へ回ったような、不可解な沈黙。
私は顔を上げた。
水面の上に、“彼女”が立っていた。
夢ではない。幻でもない。朝の光の中で、彼女は水の上に「在る」。夜よりも残酷な朝の光が、隠しもせず、逃げ道も与えず、そこに「神秘がいる」という事実だけを突きつけてくる。
――いる。幻ではない。夢でもない。
痛みの最中に現れたせいで、現実の方が歪んでいるのかと疑いかけた。
“彼女”の身体から滴る滴は、水面に触れても波紋を生まない。
やはり、彼女はこの泉の化身なのだ。
彼女は、こちらへ顔を向ける。
声が落ちてきた。
『――~――』
胸の内側が震えた。昨夜と同じ、歌うような、囁くような、波紋が言葉になったみたいな音。
意味は掴めない。だが、私に向けて放たれたものだと確信する。
“彼女”の顔は、変わらぬ微笑みだった。
私の苦悶も、吐き気も、醜い穢れも、すべてを見下ろしてなお、揺れない静けさ。
声がもう一つ降ってくる。
『――~~――~―』
寄せては返す波のような調べ。心が洗われるような幻妙の歌声。
それに応じるように、水が、立ち上がった。
水は螺旋に渦を成しながら水面から柱のように伸び、蛇のようにうねり、その首をこちらに向けた。
奔流が向かってくる。私を吞み込み、押し流すに足る巨大な水の塊が迫る。
水が私の身体を呑み込む。呼吸が奪われ、身体が押し流される。
土と葉の上を転がされ、背中が地面を擦り、視界が空と木々を乱暴に入れ替える。
臓腑の奥で蠢いていた黒いものが、ぎり、と悲鳴を上げる気配だけを残してほどけた。
私は泥の中に膝をつき、ようやく息を吐いた。
水流が引き、私は木の根元で咳き込みながら身を起こした。手が土を掴む。指が震える。だが、もう痛みは臓腑を抉らない。胃の底の冷たい空洞が、水で満たされるように落ち着いていく。
顔を上げる。
顔を上げると、“彼女”は水面に立ったまま、ずっとこちらを見ていた。
見守っている――そうとしか言いようがない微笑のまま。
陽の光が枝角の輪郭をくっきりと縁取り、淡い髪が水面の反射を拾って虹のように揺れる。
鰭のようなひだが、肩口や背に影を落とす。人の形をしているのに、人とは違う。
纏う衣は流れる水そのもの。透き通って肌を透かし見せながらも、陽の光を浴びて輝く小川のよう。
月の光の下で垣間見たのは、儚い幽玄の美だった。
だが、陽光に照らし出された“彼女”は、生命の輝きに満ち溢れていてる。
精霊――という言葉では、足りない。
……龍。
伝承に聞く龍神の特徴と、どこか似ているように思う。
角と鰭、そして水を自在に操り、水底に住まう龍の神。
精霊よりも神に近い存在。泉に舞い降りた龍の化身――それこそが“彼女”なのではないか。
その推測は、私の胸の奥で確信に変わっていく。
私は、足元のふらつきを押さえながら泉へ戻った。
一歩ずつ、慎重に。畔に近づきすぎぬよう距離を測り、そして、膝をついた。
頭を垂れる。
言葉を選ぶ前に、胸の奥から溢れたものが口になった。
「泉の龍よ……御身に心より感謝を、私は二度救われた」
声は掠れていた。だが、昨夜より確かに声になった。
言葉を吐くたび、胸の奥の黒が縮むのが分かる。水がまだ体内で働いている。
「……穢れたこの身に救われる資格があるとは思えません。私は――」
言い訳が口をついて出た。だが、微笑は揺れない。
言い訳のために跪いたのではない。赦しを請うために跪いたのでもない。
私は、ただ事実を言うべきだ。
「――私は、御身に与えられたこの命を無為にしないことを誓います」
私は顔を上げた。
陽光の中の“彼女”は眩しすぎて、直視するのが痛い。けれど目を逸らせない。
「……泉の龍よ」
その呼びかけが、口から出た瞬間、森の空気がわずかに張り詰めた気がした。
水面の光が、ほんの一瞬だけ強く反射する。
何も起きていないはずなのに、胸の奥で「何かが噛み合う」感触がある。
言葉が、ただの音で終わらない。
私は続けた。
「泉の女神よ――」
呼んだ途端、泉の底で微かな波紋が生まれたように見えた。
水面が一瞬だけ呼吸したように揺蕩う。
私の祈りが、目の前の存在に「届いた」と感じた。
“彼女”は相変わらず微笑んでいたが、その微笑の輪郭だけが、少しだけ深くなった気がした。
返事はない。けれど、拒絶もない。
その沈黙に、私は耐えられる気がした。
祈りが届かぬ沈黙ではなく、見守る沈黙だからだ。
私の祈りを受け取ってくださったのだ。
「私は、この命は貴女のため――……ッ!?」
腹の奥が、またひくりと痙攣した。
私は言葉を切り、喉を押さえた。胸が詰まり、胃が持ち上がる。
次の瞬間、吐いた。
真っ黒い、泥のようなものが地面に落ちた。
粘り気のある不吉な黒。あの黒禍の残滓が、私の身の奥にまだ残っていたのだと、はっきり分かった。
私は慌てて泉から顔を背け、地面に吐き捨てたまま、それを見下ろした。
汚してしまった――と喉が冷える。だが、黒い塊は泡立ち、みるみる輪郭を失い、最後に薄い染みだけ残して消えていった。
まるで、最初から「無かった」かのように。
私は息を呑んだ。
喉の奥が震え、涙が勝手に滲んだ。
私の手は未だ浅黒いままだ。髪も、瞳もおそらく黒を残しているのだろう。
だが、私の奥底に巣食っていたものは、今、この場で掻き消えた。
安堵が胸に落ち、同時に、底の抜けた崇敬が満ち上がる。
この存在は慈悲深いだけではない。黒禍を認めない。深淵をこの世の理から弾き出す。
静かな微笑みのまま、世界の病を「病として存在させない」。
世界は、神秘はまだ、人を見捨ててはいなかった。
私は再び頭を垂れた。
祈りを捨てたはずの私が、祈りでしか表せないものを、いま抱えている。
「ありがとうございます。我が救いの女神よ」
言葉が、胸の奥で灯になった。
これが、私がずっと欲しがっていた火なのだと分かる。
怒りでも妬みでもなく、憎しみでもない。生きるための火。守るための火。
頭を垂れながら、“彼女”の眼差しを感じる。
見守られている、という実感が、胸に灯った火を確かなものとしてくれる。
裁くでも、憐れむでも、命じるでもない。
澄んだ眼差しが、私が「心の澱」を吐き切ったことを見届けている。
そして――
視線を上げると、水面には、ただ朝の光だけが揺れていた。
“彼女”は、姿を消していた。
消え方は、去ったというより、最初からそこにいなかったような――
いや、微笑みの余韻のように、水面に波紋を残しておられた。
泉は、変わらず澄んでいて、陽の光を浴びて煌めいていた。
※※※※※
私はしばらく動けなかった。
自分の呼吸の音と、森の鳥の声と、葉の擦れる音だけが、世界を満たす。
やがて、私は立ち上がった。
泉の周囲を整える。
削れた土をならし、散らばった枝を片づけ、昨夜の痕跡を少しでも穏やかな形へ戻す。
斧の柄だけが、水に刺さったまま残っている。だが、手を伸ばさない。今はまだ、その資格がない。
ここから先は、与えられた命をどう使うかだけだ。
私は壊れた鎧の残骸をまとめ、使える革紐や金具だけを拾い集めた。
簡単な荷になるよう括り、背負える形にする。
柄杓は捨てずに持つ。この泉に触れた品だ。
神の前に立つには、格好も作法も要る。
その最低限すら整えぬまま、二度も救われた。――次は、応える番だ。
最後に、泉へ向かって一礼した。
「……生きて、御身の意志と共に」
返事はない。
だが、返事がないことが、もう怖くはなかった。
私は森へ踏み出した。
拾われた命を繋ぐ為に。
人里を探し。衣と食を得て。再び神の前に立つための形を整えるために。
そして、いつか――赦しを得て、あの銀の刃を手に取る日のために。




