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18/22

〇◆ひろがって、ふえる ★

 それから、俺の恐怖の日々が続いた。

 木こり野郎は今までも毎日来ていたわけじゃなかった。突然押し掛けてくるから心の準備ができない。


 祈りも同じだった。

 日に何度か届く時もあれば、何日も来ないこともある。

 俺の都合を察して配慮しろって言ったよなぁ、ゴルァ!(言ってない)


 既読スルーも試した。黙る時もあったが、だいたいは――続く。


 怖いのは、聞いてて気が滅入るからじゃない。

 むしろ“湧いてくる”方だ。名前を呼ばれて、増えるのが嬉しいと思ってる俺がいる。何それ怖すぎ。スパチャで価値観ブッ壊れるやつじゃん。


 ぶっちゃけ浄化は、俺にとってそんなに疲れる行為じゃない。

 だから、あれこれ考えずに早く済ませたい一心で、着信、即、浄化。半ば無意識で浄化して、浄化して、浄化した。


 うおおおン! 俺は水力浄水機だ!


 ルーチンに落とし込むと、多少は心の余裕も戻る。

 色々から目を逸らして趣味に没頭しつつ日々を過ごし――そのうち、やっと湧水も落ち着いてきた。


 ただ、今まで畔だった場所はもう俺の底になった。

 木こり野郎が跪いてた辺りを小魚がスイーッと泳いでいる。

 あの日、鹿もどきを浄化するのに湿地にした周辺一帯も、全部、俺。

 ダム湖の底に沈んで失われた風景、みたいなものを感じる。沈めてんのも俺だが。


 今の俺の広さは、八畳間、改め――うん、わかんね。

 中高の頃の教室くらい? あれって何畳だ……?


(もう泉っていうか池じゃね? 泉ってなんだ……? 俺だ)


 急拡張のせいで森の地形が崩れたり、小川が勝手にできたり、みたいなのは今のところない。

 今のところ地盤は安定してるっぽい。


 ……つまり、俺の牢屋はワンルームから、大広間の牢屋になっただけだった。

 畜生が。


※※※※※


 ふと、森の方からざわざわと音が響いてきた。


(……ん?)


 最初は木こり野郎かと思った。けど足音が違う。もっと多い。

 枝を払う音。荷が揺れる音。金具の音。湿った土を踏む人の足。それが不規則に、雑多に混じり合っている。


 俺は反射的に身を潜めた。

 水面の波を殺す。泡を沈める。水草の揺れすら止める。泉としての呼吸を止める感じ。


(俺は水。ただの綺麗な水たまりだ――)


 見つかったら終わる、という根拠のない確信だけが背中を押してくる。


 木々の間から、人が出てきた。


 ――五、六人。いや、もっといる。人の数ってだけで目が泳ぐ。


 肩に担いだ板。縄で縛った丸太。背負子に釘や金具の箱。

 腕は太く、手は固い。顔つきが「仕事」の人間だ。ガテン系。

 しかも男、男、男。むさ苦しい。


(なんだこいつら……どっから来た? 何をしに?)


 この森の泉、木こり野郎が来るまで人っ子一人来なかった。

 そんな場所に、偶然この人数が来るわけがない。


 連中は泉を見て、いったん立ち止まった。

 見回して、もう一度見回す。互いに何か言い合う。顔には戸惑いが混じってる。


「□□□、□□□□?」


「□□□□……□□□□□?」


 言葉は分からない。

 分からないが、男の一人が地図みたいなものを取り出した瞬間、確信した。


 知ってて来た。偶然じゃない。


 そして――こいつらは見るからに大工。

 目の前には、風光明媚で澄みきった美しすぎる泉こと俺。


(……別荘!……俺の畔に別荘を建てようとしている奴がいる!)


※※※※※


 俺は水面の下で、じわ、と沈んだ。沈んだのは水じゃない。心だ。陰キャ心が泥みたいに底でのたくった。


 生活のためじゃない。こんな辺鄙な場所に“本宅”は建てない。

 つまり――金持ちの道楽。俺を景色にして、俺を消費するやつ。


(はぁ~? 俺の泉はてめえらのステータスじゃねえんだ、ふざけんなよ)


 反射で僻みがこじれた。こじれにこじれた。

 よし。邪魔してやろう。


 姿は見せない。見せたら負けだ。ロクなことにならない。

 存在を明かさず、陰湿に、しかし小賢しく。怖がらせて帰らせる。


 ――まず、軽いジャブ。


 道具を下ろし始めた瞬間、水面の端っこだけ、ちょい、と揺らす。ぱしゃ。

 濡れた土が靴に貼りついて、誰かが小さく声を上げた。


 よし。異変に気づけ。


 ……ところが、連中は逃げない。泉を見て、互いに頷き合って――


(やめろ、やめろ、やめろ)


 案の定、誰かが両手を胸の前に寄せた。帽子を取るやつ、片膝をつくやつ。

 そして口が動く。


「□□□□……」

「□□□□□……」


(お前らも拝むのかよぉぉ!!)


 違うだろ。そこはヒソヒソ不安になれよ。なんで作業前に祈りを挟むんだよ。


 次。第二弾。

 今度は“嫌な湿り気”だ。雨も降ってないのに工具が濡れてる、みたいなやつ。


 水フィギュアを影に忍ばせて、工具箱の隙間をびしゃびしゃにしてやる。地面に濡れ跡も残す。


(気味悪いだろ? 現場、変だろ? 帰れ?)


 ……しかし反応は、最悪の方向に転がった。

 濡れた工具を“捧げ持つ”みたいに取り出して、泉を見て、また拝む。


「□□□□……!」

「□□□□□□……!」


(直筆サインでも貰ったみたいな顔すんな!!)


 第三弾。もうこうなったら、はっきりわかる怪異を起こすしかねえ。


 水面の中央に、手の形をした水フィギュアを作って、にゅ、と出す。

 掌を広げる。指をくい、と曲げる。ほら、怖いだろ。未知だろ。不気味だろ。


 ……連中は、一歩下がった。


 よし。


 よし……?


 下がった、そのあと、膝をついた。


(跪くな!! 祈るな!!)


 悟った。こいつらに妨害は効かない。

 むしろ、やればやるほど“ありがたがられる”。


(最悪だ……俺の嫌がらせが燃料になってる……木こり野郎の同類かよ)


 連中は結局、作業を始めた。

 俺が濡らした道具は、妙に丁寧に台に置かれ、予備が出てきた。現場は強い。合理が強い。


 ……で、よく見れば材料が少ない。家を建てる量じゃない。

 木を切る気配もない。迷いのない段取りで、杭を打ち、紐を張り、水平を取る。


 形が立ち上がっていく。


 泉に向けて正面を作る。

 高床の台座。祭壇みたいな構造。生活の匂いがない。


(これ……お社、じゃね?)


 別荘じゃなかった。

 最初から祈りの場だ。こいつらは、俺が“いる”前提で来ている。


 そして、その前提を用意できるやつ――


(木こり野郎、絶対お前だろ、これ! 余計なことしかしねえなぁオイ!)


 腹が立つ。腹はないが腹が立つ。噴水をぶち上げそうになったが我慢。


 ……ただ。


 作業してる連中を見ていると、変なところで冷静になれた。

 こいつら、仕事が丁寧だ。材料も道具も粗雑に扱わない。

 泉を汚そうともしない。職人の顔をしている。


(……プロだ)


 社畜精神が疼く。

 職場で、現場で、役職は低くても本物の知識や技術を持ってる人がいる。

 理不尽な要求や叱責ばかりの上司と違って、彼らは尊敬できる人だ。

 ああいう人がいるから仕事がかろうじて回ってた。


 俺もあんな風に――いつも死にそうな顔色を思い出す。


(いや、なりたくねえわ)


 ……うん、こいつらは悪くない。現場の人間は、必死にやってんだ。

 仕様が悪い。発注元の気まぐれが悪い。つまり、大体、上流が諸悪の根源。


 俺は水面を、ほんの少しだけ落ち着かせた。

 妨害はやめる。どうせ発注元が諦めないなら、現場は続く。


 上からの無茶な要求、二転三転する仕様、早まる納期――いやな渦が砂利を巻き上げる。


(文句は木こり野郎に全部ぶつけよう。お前だけは許さん、絶対にだ)


 俺は気持ちを整理して、妨害工作から観察に切り替える。

 すると、ふつふつと興味が湧いてくる。


 この世界の建築って、どういう組み方なんだ。釘はどの程度貴重なんだ。

 継ぎ手はあるのか。防水処理は――。


(……興味、出てきたな)


 トンテンカン、という自然じゃない音が森に響く。

 音が鳴るたび、形が整っていくのが小気味いい。


 いつしか俺は、作業音と手順に聞き入りながら、むさ苦しい大工たちの仕事を、黙って見守っていた。


◆◆◆◆◆


 とある泉の畔に、社を建立して欲しい。


 最初に話が来た時、親方は渋い顔をした。

 辺境だ。森の奥だ。


 最近、どこかで魔樹が見つかって、伐られたって噂を聞いた。

 救いだっていう奴もいるが、絶望がそこらに転がってるってことでもある。

 人が踏み入っていない場所には、禍いが潜んでいるかもしれない。


 ――行きたくない、が本音だった。


 だが、金が本音を殴って言うことを聞かせてくる。

 潜んでいる恐怖より、見えている明日、明後日の生活だ。


「……あの旦那、正気かよ」


 口ではそう言いながら、親方は結局、請けた。

 大金。前金。材料もこちらで見繕っていい。釘も膠も、惜しむなと言われた。


 泉の場所は聞いていた。地図も渡された。

 「ここに清く澄んだ泉がある」「その泉には女神が住まう」


 ――あまりにも胡散臭い。正気の沙汰とは思えない。


 半信半疑だった。

 清らかな泉、高い山、深い森、神や精霊はそういった場所に住まう。

 しかし、魔樹が現れるようになってから、神秘は遠ざかった。


 仕事を請けさせるための誇張だろう。

 そう思っていた。


 ……森を抜け、輝く泉をこの目で見るまでは。


 枝を払って進むたび、空気の匂いが変わっていった。

 湿り気があるのに、腐ってない。カビた臭い、土の匂いよりも水の気が強い。


 冷えているのに、肌が粟立つ嫌さがない。むしろ逆だ。

 胸の奥にこびり付いたヤニが洗い流されるような清浄な感覚。


「……おい」


 誰かが小さく言って、足が止まった。

 木々が開けた先に、そこがあった。


 泉。


 聞いていたより――広い。

 小さな湧き口を囲む水溜まり、そんな想像は一息で崩れた。

 畔は伸び、底は深く、澄みきった水が森の光をそのまま抱いている。


 水面は鏡のように凪いでいた。

 風が吹き、枝葉のざわめきが響いているというのに。


 親方が、地図を見て、もう一度泉を見る。

 紙が嘘をついてるように見えた。

 嘘をついてるのは、むしろ自分の目の方だと分かるのに。


「……ここ、か」


 誰かが唾を飲んだ。

 それだけで音が汚れる気がして、皆、喉を鳴らすのを堪えた。


 泉の周りだけ、奇妙に静かだった。

 鳥が鳴かないとか、風がないとか、そういう話じゃない。

 いる。ある。なのに――穢れたもの、騒がしいものが入ってこれない感じがした。


 水際に降り立つ羽ばたきが離れていても聞こえてきた。

 小鳥は何かを畏れるように水面にちょんと嘴をつけ、水を飲むと静かに飛び立った。

 残したのは波紋一つだけ。それもすぐに収まった。


 若い職人が気圧されたように、ごくりと喉を鳴らした。

 腕っぷしも負けん気も強い荒くれ者が、徴税吏が前に立っている時みたいに大人しい。 


 それでも仕事だ。

 板を下ろす。丸太を置く。箱を降ろす。手順が身体に染みついてるから、勝手に動く。


 その瞬間だった。


 ぱしゃ。


 風はやんでいた。羽ばたきも聞こえてこない。だが、波が畔を濡らした。

 ほんの指先で水を弾いた程度の音。だが、背筋の奥を撫でられたみたいに冷えた。


「今の……」


 誰も言い切れない。言い切った瞬間、何かが確定してしまうのが怖い。

 親方が、泉を見た。品定めの目じゃない。獣が罠を嗅ぎ分ける時の目に近い。


 また、ぱしゃ、と小さく濡れた。


 親方の隣の若い衆が、反射で帽子を取った。

 誰かが片膝をついて、胸の前に手を寄せた。学も礼儀も知らない。

 祈りの形なんて教わってないのに、身体が先にそれを作った。


「……」


 声にならない音が喉の奥で潰れる。

 その場にいる全員が、同じものに気圧されていた。


 泉が、そこに「いる」。


 荷を解き、材料と道具を分けて置く。

 作業を始める。始めようとする。――だが神秘は続いた。


 箱の蓋を開けた者が、硬直した。

 中の金具が濡れている。工具が濡れている。水滴が縁を伝って落ちる。


「雨……降ったか?」


 誰も頷けなかった。空は青い。葉は揺れていない。

 なのに、箱の中の道具はしっとりと濡れて光っていた。


 使い古された工具。

 欠け、潰れ、ささくれ立った個所からは何度も錆が浮いていた。

 その筈だった。


 しかし、鉄は鋳造したての頃の輝きを取り戻していた。

 傷の一つ一つに見覚えがある。確かに自分の道具だ。

 だが、鉄が息を吹き返していた。


 ありえないことだ。


 若い衆が、震える手で槌を取り出した。

 握る、ではなく、捧げ持つ。掌を返して、水滴が落ちないように慎重に。


 そして、泉の方を見た。


 恐れを抱いた顔だ。目が逸らせない。逃げるより先に、頭が下がる。


 この場所は、ただ綺麗な水場じゃない。

 黒い禍いが蔓延るこの世界で、これほど清浄が場所が在るということ、その理由を垣間見た。


 ――決定的だったのは、その次だ。


 泉の中心で、水が盛り上がった。

 泡じゃない。噴き上がりじゃない。形だ。形が、水から抜け出てくる。


 嫋やかな手。


 指のしなやかでやわらかな曲線。水でできているのに、生身より生々しい。

 掌が開いて、ゆっくりとこちらへ向けられた。

 拒絶でも、招きでもなく――そこに「いる」ことを示すだけの所作。


 誰かが息を吸って、吐けなかった。

 膝が折れる音が、いくつも重なった。


 親方は、気づけば、額が土に触れていた。

 自分が何をしているのか、遅れて理解した。

 理解した瞬間、恥よりも先に、安心が来た。そうするのが正しい、と身体が言っている。


 半信半疑だったはずの言葉が、今は重い。


 その泉には女神が住まう。


 いる。おられる――疑いようもない。


 危険な辺境で、乗り気じゃなかった。

 金に殴られて来ただけだ。あの旦那の顔も、金の匂いも、頭の中ではまだ生々しい。


 でも、ここは違う。この場所には命や金を超えた神秘が息づいている。


 自分たちは今、ただの大工じゃない。

 釘を打つのも、柱を立てるのも。板を組むのも、ただの建築じゃない。


 この場所の「伝説」に、手を入れる仕事だ。


 それが恐ろしくて、誇らしくて、背中が熱くなった。

 親方は土の匂いの中で、唇だけを動かした。

 言葉は知らない。知らないから、せめて心の形だけを整える。


(……これが最期の仕事になったって構やしねえ)


 誰かが、そっと顔を上げた。

 泉は相変わらず澄んでいる。こちらを責めもしない。許しもしない。ただ、在る。


 その在り方が、自分達が今この場に立っていることが「赦された」と感じた。


 親方は立ち上がる。

 仲間の目を見た。皆、同じ目をしている。顔つきが違う。

 仕事の後に酒を飲むか、博打に興じることを考えている時とは別人だ。

 真っ直ぐな目、逃げない目。仕事をする人間の目に、祈りの光が混ざっている。


「……やるぞ」


 言った途端、声が震えた。

 震えを誤魔化すために、親方は強く頷く。木槌を握る。


 トン。


 最初の一打が、森の静けさに沈んだ。

 まるで、ここから物語が始まる音みたいに。

           挿絵(By みてみん)

<TIPS>

「名工の金槌」

 水神宮を建立した名工が用いたとされる金槌

 祝福された鉄は錆びず、へこまず、傷つかない


 匠の名は伝わっていない

 ただ、手がけた建物だけが後世まで語り継がれる


 だが、彼が最初に手掛けたのは、粗末な木組みの社だったという

 最初の一打は遠く響かない。ひたすら打ち続けよ

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