〇とまらない、やめられない ★
俺は木こり野郎に、斧と瓶――二つのゴミを押しつけて追い返すことに成功した。
俺の身体は余計なものが消えてすっきりして、森に平和が戻った。
今日もエビや小魚は俺の中をスイスイ泳ぐ。水草はゆらゆら、鳥や獣が飲みに来る。
粗相をする奴には、教育的指導でばしゃ。
水フィギュアを使えば、デカい動物だって俺の存在を無視できない。
この俺の泉だ……というか、俺が泉だ。
俺がルールで、俺が神だ。フハハハハ!
(……いや、神はない。ないったらない。泉の精霊的な何かだ)
神、という言葉に、反射で思い浮かぶ。
あの祈り。あの熱のこもった黒い瞳――やめやめ。
とにかく、俺の退屈な日常が帰ってきた――はずだった。
最初は、ちょっとした違和感だった。
風もないのに水面が小刻みに震えて、変な波紋が重なる。
落ち葉でも鳥のフンでもない。気のせいだと思った。
次に腹の奥――水底の湧水口がムズムズする。
心理的なものかもしれないとも考えた。
気晴らしに新しいフィギュアの構想を練ったり、エロ衣装を造ってみたが収まらない。
そして、薄れかけた記憶の底から、近い感覚を拾った。
くしゃみが出そうな時の、あの「来そうで来ない」感じだ。
鼻の奥がむずむずする。目の裏が、かすかに熱い。
胸の中に息が詰まって、次に何かが弾ける予兆だけがある……そんな感じ。
鼻も目も胸も無いんだが――いや、胸はあるわ。ゴツ盛りにしたし。
どうせ錯覚だろうけど、取り合えず、形から入ることにする。
身体を創って、それっぽく「おままごと」してみよう。
青空の下、水面に立って胸に手を当て、息を吸う真似。
口は開かないし、肺も胸も膨らまない。張りついた完璧な微笑。
「あー、こほん。はっくしょん、はくしょん!へっくし」
声を発する。口からっていうより体から出る振動だ。
でも、やってるうちに、なんか「出た」気分になるかもしれない。
「ぶわっくしょん……こんちきしょーめ!……へくちっ」
最後はちょっと可愛いやつを試してみたり。
意味もなく周りを見回す。誰にも見られていないな、ヨシ。
その時、泉の水面が、ぴくり、と跳ねた。
「……は?」
水面の中心、湧水口のあたりが、妙に膨らむ感じ。
泡が出るわけでもない。
渦でもない。ただ、そこだけが呼吸をするみたいに、押し上がって――
次の瞬間。
ゴボォッ!
腹の底から咳き込むみたいな音がして、足元の水面が盛り上がった。
凄まじい勢いで気泡が噴き上がって、泉が泡と泥で濁って水底が見えなくなる。
「な、なっ、なぁ!?」
俺はボコボコ盛り上がる水面の上で、熱したフライパンに落ちた水滴みたいに跳ねる。
分からない。だが、こういう時は――
「じょ、浄化ぁっ!!」
水が一瞬で澄み渡る。
だが泥が消えても、気泡は止まらない。湧水口から噴き出し続けている。
そしてついに水面が弾け、水が垂直に噴き上がった。
「うわっ――!」
飛沫が顔に叩きつけられる。本物の目じゃないから瞼も動かない。
それにこの水も俺だ。ダメージはない。だが。視界が悪すぎる。
水面に屈む、見えた――噴水だ、水面から垂直に水の柱が昇っていた。
俺の水操作じゃない、誰がやった? なにこれ? こわい。
「水道管破裂!? いや、ここ泉だわ!!」
叫びながら、俺は本体の方に集中する。
俺が増えていく。増えていく、気持ちいい、嬉しい、楽しい――
(うわぁ!?)
思考を塗り潰すみたいな感情の波が来た。危ない。
俺は必死で意識を水の操作の方に寄せる。
泉の水を押し退けて、水底の湧水口の周りを露出させる。
割れた泉の底、湧水口から間欠泉みたいに水柱が立ち昇っていた。
柱は空に向かって伸び、途中で砕けて霧になり、雨になって降り注ぐ。
「お、おぉ……も、元栓!! 元栓どこだ!? いや電話?! どこに!?」
テンパった。
割れた泉の底、真ん中で垂直の水柱が立ち昇る中で右往左往する。
噴き出し続ける水で水位が上がってくる。
(ヤバいヤバいヤバい、蛇口! 壊れてる、壊れてる!)
そうだ、今は身体がある。手で止めよう。
俺はただの自然じゃない。自分の意思で動けるんだ。
噴出孔を手で押さえた――すり抜けた。
(あーね……俺も水だもんね……)
次に思いついたのは、物理。
物理は強い。だいたいの問題はレベルを上げて物理で殴れば勝てる。
俺は泉の縁を形成する粘土層を掴んだ。冷たく重くぬめっとした塊。細い指が泥に汚れる。
浄化すると量が減りそうで怖いので我慢。
ぐちゃ、と潰して捏ねる。土は水を吸って粘りが増す。
俺の手も濁って動きが鈍るので、身体の内側だけはそっと浄化しておく。
「よし……よし……これを……こう……! そぉいっ!!!」
粘土玉を頭上に掲げ、湧水口へねじ込む。
割れ目に食い込んだ瞬間、水柱が止まった。
(目標、完全に沈黙! やったか?!)
「よっしゃ――」
言い終わる前に。
ギュボッ!!
湿った破裂音。視界に何かが迫る。
「あ――」
衝撃。鈍い圧。もの凄い勢いで「何か」が俺の中を通り抜けた。
渦巻く水流、気泡と泥が弾けて混ざる。
頭のあたりを探る。手が空振りした。そこに何もありませんよって感じに。
けど、理解が追いつくより先に、指を押し返してくる「形」がそこに戻ってきた。
「……い、今っ……お、俺の、頭……っ!?」
頬、鼻筋、瞼をぺたぺた撫でる。触れられる。触れている。感触がある。
形は俺のデザイン通り。
遅れて、腰から下を形作る水が波打った。
――粘土玉が水柱の勢いで撃ち出され、俺の頭を貫通したらしい。
痛みはない。ノーダメージ。
なのに心だけが全力で悲鳴を上げる。生き物の記憶が、仕様を無視して怯えて震えた。
「……こ、これ、しゃ、しゃれになってねえ!」
噴水は、さっきより勢いよく戻ってきた。粘土が効いたわけじゃない。
塞いだ圧が弾けたせいで噴き出し口が広がったのか、勢いが増している。
俺は一歩下がり、水位が上がって沈んでいく水底に尻もちをつく。水はもう胸まで来てる。
水だけど今は身体なので、両乳がたぷんと浮く(仕様)。
この水量、退けてある水を戻そうとしたら確実に溢れる。
もう、八畳間じゃ収まらない。どこまで広がるか予想もつかない。
原因を探す。何が起こった。どうしてこうなった。俺は何もしてない。
何もしてないのに元栓がぶっ壊れた。
つまり俺以外だ。俺は悪くない。悪い奴がいる。
「……木こり野郎のせいだろ、これ……」
理屈も方法も分からない。
だが外から俺に何かを仕掛けられる奴といったら、あいつしかいない。
あのムカつくイケメン面を思い出して、水底で沸々と泡を立てていた、その時。
水面が、ふる、と震えた。
空気が揺れるんじゃない。泉そのものが先に音を受け取っている。
“届いた”感覚がある。俺の体に声が触れて、震わせてくる。
『――イ…ズ……ミ……ル……』
低く、真摯で、腹の底から絞るような熱っぽい声。
寄り掛かってくるみたいに、引っ張り上げてくるみたいに、重たくて強い声。
距離の概念がない。俺のすぐ横で囁かれているみたいだ。
「――ひぃ!?な、なな……っ!? き、きき、木こり野郎ぉ……っ!?」
水面がぞわっと泡立つ。さっきの粘土弾より怖い。
見回すが誰もいない。いないのに「居る」。完全にホラー。
『――イズ…ミール……』
また来た。意識すると、さっきよりはっきり聞こえる気がする。
名前を囁かれると、ゴボゴボと水が湧きだして俺を満たす。いや、満たされてしまう。
あいつが祈りを捧げている時の感覚、そのものだ。
あの野郎が、どこかで、俺に祈っている。
嫌な想像が浮かぶ。
瓶だ。
あの中には俺の水が入ってる。たぶん。
俺はあの野郎に瓶を押し付けた。捨てろって思って。
でも、よくよく考えてみたら、あの野郎が、俺から受け取ったものを手放す筈がなかった。
あいつはそういう奴だ。
(おい……まさか、飲まずに持ち歩いてんのか?)
推しグッズどころか御神体だ。たぶん、拝んでる。
で、あれが中継になってる? 俺とあいつを結ぶホットライン。携帯代わり。
そんな馬鹿な。
『……イズミール――』
ゾワッと、じゅわっと来た。
ヤバい。ヤバいものをヤバい奴に渡した。
(お前、イケボASMRとか誰得なんだよ! やめろ! 囁くな! 祈るな!)
祈りが強くなると、水柱の圧も上がる気がした。連動してる。連動するな。
俺は歯を食いしばって腹の底に力を込めた。
操作じゃ届かない。
そうなると俺にできるのは――これ。
浄化。
よく分からないが気合いだ。気合いがあれば何でもできる!
囁き「来た」と思った瞬間、全力で、必死で浄化をぶち込む。
『――イズみ「うっるせぇぇぇ! 黙れやボケ! ぶっ飛ばすぞ!!!」』
浄化、浄化、浄化。
それっきり祈りの声は途絶えた。
「……ふぅ……効くじゃねえか」
俺は前髪をかき上げ、息を吐くフリをする。
理屈は分からない。だが浄化は色々に効いてきた。
――また来たら浄化、とりあえず試してみよう。
あと、木こり野郎、てめぇは今度来たらぶっ飛ばす。
グーで殴る。泣くまで殴る。決めた。
※※※※※
それから何日かは平和だった。
いや、水の湧きは止まらなくて、どんどん辺りを水浸しにしている。
今まで俺じゃなかった部分が俺になっていく。
外の虫は普通に溺れて死ぬ。すまん。すまんが俺にはどうしようもない。頑張って逃げろ。
悪いのは全部、何もかも木こり野郎だ。俺は悪くない。
こんなの環境破壊じゃねえか。
やっぱり木こりは自然の敵だな。沈めてんの、俺だけど……
水底でぐるぐる渦巻いていたら、また来やがった。
『……イズミール……』
(うっせぇ! 黙れ!)
浄化。浄化。浄化。
声はそれ以上続かない。
……やはり浄化は効く。
いや、待て。効いてるのか?
これ……実は向こうに「返事」として伝わってんじゃないよな?
俺が浄化すると、向こうも手応えがある的な――。
で、あいつ、あのクソ野郎。
俺の「既読」が付くまで祈ってくるって流れじゃねぇ?
やりそう、すごいやりそう。既読スルーしてると祈り連投。
(メンヘラ彼氏かよ、てめぇは!!)
寒気がした。ありそうな話だ。
つまり、浄化で既読をつけないと、あいつは祈り続ける。それか病む。
病んだらまたここに来る。そして居座る、住み着く。そういう奴だろ。
や、やべぇ……これ、詰んでないか……?
(エビぃ、小魚ぁ……頼む……誰でもいいから、俺と立場代わってくんねぇ……?!)




