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フィフスエレメント(後編) ★

 あぁ、これ、また面倒な感じになりそうだなぁ――と思った、その直後だった。


 木こり野郎が、俺の発した声に、まるで落雷でも受けたみたいな顔で固まった。

 さっきまでの泣きそうな顔が嘘みたいに、今度はカッと見開いた眼を向けてくる。


 熱い。重い。目ぇこわっ。


 また、喉が動く。息を吸うのが分かる。

 けど、次に吐き出された声は、いつもの意味不明な祈りの連なりだけじゃなかった。


「□□□ゐJuミぃu□□……?」


(――……は?)


 今、こいつ、何て言った?


 耳がないのに耳の奥がむず痒い。水面が一瞬だけ、気持ち悪いほど静まり返る。

 言葉が分からないのは、相変わらずだ。どこが単語の区切りなのかすら判別できない……はずだった。


 けど、今の音だけは――水面に落ちた石みたいに、はっきり響いた。

 表に波紋を立てるだけじゃなくて、俺の「底」に届いたみたいな感じ。


 ゐ、じゅ、みぃぅ。


 ……いずみ?


(……あ、これ、俺がさっき言った「泉」か?)


 喉の奥――いや、湧き口の奥が、ひゅっと細くなるような錯覚。


(……え、なに。今の、俺のことを呼んだのか……!?)


 さっき、うっかり漏らした言葉――「俺は泉だぞ」――その音を拾って、投げ返してきた……?


 俺は思わず木こり野郎の口の動きを見ようと僅かに身を乗り出した。角の重みでわずか顎が引けて頷いたみたいになっちまった。


 跪き、俺を崇敬の目で見上げている木こり野郎には、それが「肯定」だと思えたらしい。

 勢いよく頷き、畔に膝をついたまま、目を輝かせた。


「□□□……ゐjuミぃu……□□□、□□□□……!」


(うわぁ、いきなりはしゃぐな)


 語尾の上ずり方が今までとまるで違う。祈りじゃなくて、話しかけてきてる。

 しかも、通じたと思ってる。今、確実にそういう目をしてる。


 いや、全然まったく通じてねぇ。こっちは「いずみ」しか拾えてねぇわ。

 俺が漏らした音が、たまたま返ってきただけだ。


 でも、言葉が通じるかもしれないって期待感は、無視できなかった。


「おい、お前……今、泉って言ったのか?」


 聞き直すと、木こり野郎は、まるで答えをもらった子供みたいに目を見開く。

 そして、胸に手を当てて、一拍おいてからもう一度、慎重に音を組み立てた。


「……ゐず……みゅぅ……□□□?」


(いずみゅぅってなんだよ。かわい子ぶってんじゃねえ)


 俺の造形で可愛いけど、お前まで可愛くなろうとすんな。

 黙ってイケメンだけやってろ、クソが。


 俺は拒否の意思表示のつもりで首を横に振る。

 しかし木こり野郎は、横に振った首をまた違う風に理解したらしい。


「□□、ゐ、ゐず……み□いぅ……□□□□?」


(いや、そこじゃねぇ!)


 俺は反射で手を上げた。止まれ、のジェスチャー。

 木こり野郎は固まる。止まった。止まるんだ。素直かよ。

 その素直さが逆に怖い。犬か。


 俺は指で自分の胸元――と言っても水の衣の上なんだが――を軽く叩いて、それから畔の泉を指す。

 俺=泉。そういうつもりの指差しだ。


 言葉でやると、また余計な音が漏れて勘違いされそうだ。だから本当は封じたい。

 けど――胸の奥、湧き口の奥が嫌な熱を持つ。

 信仰に触れられてる感触。今この瞬間も爆湧きしてきてる。怖っ。


 木こり野郎は、俺が指した泉を見て、また俺を見て、何かを悟った顔になった。


「ゐ……じゅ……み……?」


 今度はさっきより丁寧だ。舌の位置を探るみたいに、慎重に。

 ……言い終えたあと、こいつは何かを足したそうに口を迷わせた。


「……ゐず、み……ゅぅ……?」


 もう一回。


 けど、「いずみ」の後ろに、何故か伸ばそうとしたがる。

 学習能力ゼロか? 頭ん中に黒いドロドロがまだ詰まってんじゃねえだろうな?


 いや。


(ひょっとして、これ、敬称か何かじゃないか?)


 こいつ、そういうの好きそうだし。

 女性形とか男性形とかで語尾が変わるとか、そういう語学的な話はわからん。そっちかもしれないが、こいつの場合は敬称でつけてるって方がしっくりくる。


 俺は渋々、声を出して確認してみることにした。


「い・ず・み」


 音を三つに区切って、一音ずつはっきりと伝えてやる。これなら流石に分かるだろう。「いずみ」が名前扱いされるのは癪だが、言葉の習得の取っ掛かりになるなら仕方ない。


 俺は泉だ――って。散々、自分にも言い聞かせてきたしな。 


 木こり野郎の表情がぱぁっと明るくなる。

 砂漠でオアシスに出会ったみたいな顔。

 その顔が、さっきまでの絶望じみた懇願と地続きなのが、こいつの面倒くさいとこだ。


 そして――奴は興奮を抑えつけるように胸に手を添え、深く頭を下げて厳かに言った。


「□□□□、いずみ――□□□、……□□いずみーる……」


(おお、言えたじゃねえか……って、結局、ソレ生やすんかい!!)


 木こり野郎は俺の目を見てもう一度言った。


「――イズミール」


 こいつが俺を呼ぶ度に、俺の中の「増えていく部分」が変なふうにざわつく。

 この姿を創る時の、あの完成してる鋳型に収まっていくような。

 まるで、形のない俺に輪郭を与えていくみたいな――いや、やめやめ!そんなことはない。


「最悪の結論」を予測して、それ前提で考えるのは俺の悪い癖だ。思い込み、良くない。


 呼び名一つで俺の何が変わるって言うんだ?

 ハゲって呼ばれたらハゲるか? んなこたぁない。


「いずみ」は言えていた。


 それでもわざわざ言い直してきたってことは、もう敬称で確定だろう。


 なにせ、こいつはドン引きするほどの重たい信仰を向けてくる奴だ。

 教えたら速攻で名前呼びしてくるウェーイな陽キャとは違う、はずだ。


(……実は「泉ちゃん」とか「泉たん」とかいう意味だったらどうする……?)


 キモい。けど、そんな微妙なニュアンスの差なんて確認しようがない。


 聞き返す気力はない。確認の手段もない。

 もう敬称付きでもなんでもいい。


 陰キャな俺の対話用の根気は尽きた。

 この際、呼ばせたいように呼ばせとけ。


「……あー、はいはい。好きに呼べ。イズミールでも何でも」


 言葉が分かるようになったら、あとで訂正すりゃいい。

 俺は――本気で、そう軽く考えていた。


※※※※※


 取っ掛りがあれば言葉が通じるようになると思った奴、異世界言語舐めんな。


 なんとか意思の疎通を取ろうとしてみたが全然駄目だった。こんなん無理だわ。


「いずみ」「イズミール」って音が通じるようになったことで、逆に分かったことがある。

 俺氏、それ以外の言葉を、音としてすらまともに聞き取れてなさそうな件。


 同じものを指して単語を言ってるのに、毎回、違うように聞こえる答えが返ってくる。

 息継ぎや文節的な区切りがあるのは判別できる。

 だが、個々の言葉を構成してる音が、変なエフェクトでもかけたみたいに滅茶苦茶に聞こえてる感じだ。

 なんだこれ、俺の耳がおかしいのか?


 ヒレ耳にしたのは失敗だったか……いや、泉の状態でも聞き取れてねぇわ。

 仕様か? クソったれ、自動翻訳機能くらいつけとけ。その前に説明をしろ、全部。


 木こり野郎は、俺に話しかけられるのが嬉しくて堪らないのか、話を振ると会話を試みようと粘ってくる。食い下がってくる。グイグイくる。めげない。へこたれない。


 俺の姿が見えないだけでヘラってたくせに。


(厄介オタクか、お前は)


 俺はもう付き合ってられない。疲れた。

 とりあえず今日はもうやめにしたい。


 で、どうしたらこいつに帰れって意図を伝えられるかを考えた。


 こいつの斧だ。


 あれを拾わせて泉の外を指差してやればいい。

 ゴーホーム、ノーリターン。流石にこれは分かるだろ。


 ついでにあの瓶ゴミも持っていかせよう。

 一石三鳥、完璧な作戦だぜ。


 俺は水面に顔を向け、すぐさま水底を指した。

 指先の先――揺らめく水の奥に、銀の戦斧が横倒しになって沈んでいる。


「……イズミール?」


 木こり野郎が、探るように俺の名を呼ぶ。

 うるさい、呼ぶな。その名前で呼ばれるとなんか湧く。やめろ。


 俺は返事の代わりに、もう一度だけ戦斧を指した。強めに。

 それから泉の外――森へ抜ける方向を、手のひらで払うように示す。


(拾え。それ持って、帰れ。以上)


 完璧だろ。伝わったよな。伝わってくれ。


 木こり野郎は戦斧へ視線を落とし、次に俺の顔を見て、息を呑んだ。

 そして――例の、「触れていいのか?」って迷いの顔になった。


 握った拳が、解けたり結ばれたりする。

 水面の寸前で手が止まり、指先が小さく震える。

 その顔には畏れが浮かんでいる。


(良いって言ったろうが、さっさと拾えや)


 俺の中に人間が入ってくる感覚は、正直、気持ちが良いもんじゃない。

 あの盗人野郎のトラウマが、今も水底にこびりついて残ってる気がするくらいには。


 とはいえ、俺も経験豊富な泉だ。そこらのウブな清水とは違う。

 なんか嫌な言い方になるが、動物に「入られた」ことは何度もある。

 こいつが足を踏み入れるくらいは、まぁ我慢してやろうと覚悟していたのに……。


「本っ当に、面倒臭ぇ野郎だな、てめぇは……」


 あぁ? カナヅチか、お前は。俺はそんなに深くねぇだろうが。

 背が高いくせに肝っ玉の小さい野郎だ。


※※※※※


 仕方がないので俺は――泉の水を「割る」ことにした。


 この間、水面を窪ませたやつの応用だ。

 上から押さえつけるんじゃなくて、水そのものを、左右に押しのける。


(なんか良いように、なれっ!)


 ――やってみたらできた。ヨシ!


 畔から水底まで、一直線の空洞が開く。

 透明なガラス筒みたいに、水が「壁」になって――気持ち悪いほど、ぴたりと止まる。

 外気がそこへ滑り込み、俺の中が、俺じゃない空気で満たされていく。

 水底の湿った砂利が、空気の中では別の色に見える。


 エビや小魚は水を動かす時に一緒に運んだ。完璧な配慮だ。

 水草と藻はちょっと我慢しろ。戻す時はゆっくりやるから。


 木こり野郎の目が、信じられないってほど見開かれた。

 さっきまでの迷いが一気に吹き飛んで、顔が別人みたいに変わる。


「□□□□……!」


 言葉は相変わらず意味不明。

 でも、今のは分かる。驚嘆だ。畏怖だ。ありがたがりだ。面倒くせぇ。崇めるな。


 木こり野郎は、俺の作った道の縁に片膝をついた。

 水の壁へ震える手を伸ばし、触れない。触れられない。

 代わりに、胸元に手を当てて一礼する。


 ――それから、ゆっくりと降りていった。


 水に濡れないまま、水底へ。

 俺の中へ入るんじゃなく、俺が開けてやった「道」を歩いて。


(なんか、これ……変な感じするな……)


 泉の中が俺で満たされてないのが、既におかしい感じだ。

 俺だけの場所に、俺以外の奴が踏み込んでいく違和感。

 これは自分の部屋に他人が入り込む時の緊張感かもしれない。

 学生時代の友人と疎遠になってからは一度もなかったことだ。


 木こり野郎の靴が砂利を踏み、泥濘の跳ねる足音が水底に響いて我に返る。


(いや、別に招いたとかじゃないからな。引越し業者を家に迎えたとか、そんな感じ)


 そんなことを考えてるうちに、木こり野郎は銀の戦斧の傍まで辿り着いた。


 躊躇い、恐れ、興奮、祈り。表情の変化が一々うるさい。

 奴は一瞬だけ躊躇って――両手で柄を掴んだ。


 ゆっくりと持ち上げる。


 水に沈んでいたはずの斧が、濡れた光をまとって浮き上がる。

 刃の縁が陽を拾い、銀が白く閃く。


 その輝きを見つめて、木こり野郎の顔つきが変わった。


 祈ってるときとも、熱っぽい目を向けてくるときとも違う。

 覚悟を決めたって顔。

 これから戦いに向かうみたいな顔だ。


 木こり野郎は、その場で膝をついた。

 戦斧を両手で捧げるように抱え、騎士が忠誠を誓うみたいに深く頭を垂れる。


 挿絵(By みてみん)


「□□□□……イズミール……」


(やめろって。重いって。勝手に儀式にするのやめろ)


 俺は内心で毒づきながら、外では穏やかな微笑を貼り付けたまま動かせない。

 この顔のせいで、なんでも肯定的に取られている気がしてならない。


 木こり野郎は拝礼を終えると、斧を抱えたまま道を引き返そうとした。


「おい、待て」


 呼び止めると、即座に俺の前で膝をついて首を垂れる。お前は犬か。

 木こり野郎の忠犬ぶりにドン引きしつつ、俺はもう一つのゴミ処理を試みる。


 えーと、どこにしまったか――あの辺だな。

 押し退けた水の壁の向こう。泉の隅っこに意識を向ける。


 落ち葉と泥の中に埋めて隠したガラス瓶。

 中身の汚そうな液体は、蓋を開けずに浄化をしまくって水に変えてある。


 瓶の周りの水を造形の基本、球体で覆う。

 そのまま壁の外まで移動させて、木こり野郎の目の前に運んだ。

 瓶を指差してから、自分の胸元に手を当て、次に木こり野郎の手を指差した。


 分かるよな?分かれ。さっさと手を出せ。


 木こり野郎は短く息を呑んだ。

 少し迷ってから斧を傍らに置くと、両手を差し出してきた。片手で足りるだろうが。


 差し出した手の上で水の球体をほどく。

 木こり野郎の手が水浸しになって、その掌の上で残る瓶。

 

 重さと見た目で中に水が入っているのは分かっただろう。

 何故か知らんがその目が、またあの奇跡を見た目になった。


「……□□□□……」


(だから、そういう目をするな)


 俺はすかさず、泉の外――森へ続く方向を指差した。

 人差し指と腕をまっすぐ伸ばして、顔もそちらに向ける。

 これ以上ないってくらいはっきりと方向を示してやる。


 そっちに何があるかなんて、泉から離れられない俺には知る由もない。

 ただ、こいつがいつもそっちの方から来るから、そっちにした。


 帰れ。

 その斧と、その瓶を持って。自分の居場所に。


(ここは俺の聖域だ。――お前の場所じゃない)


 木こり野郎は、俺の指した先を見て、斧と瓶を抱え直した。

 胸の奥に何かを落とし込むみたいに、ゆっくり頷いた。


 顔が、まるで違う。

 何かを「受け取った」顔だ。

 使命だとか、勅命だとか、そういう単語がぴったりはまりそうな目をしてる。


(……また何か勘違いしてやがるんだろうな)


 俺は呆れて、首を傾けたくなる。

 けど、俺の一挙手一投足にこいつは過剰に反応する。ほっとこ。


 木こり野郎は最後に、深く頭を下げた。

 斧を抱え、瓶を握りしめ、背筋を伸ばして――森へ向き直る。


 そして、迷いなく歩き出した。

 泥濘の跡を踏み、荒れた地面を越え、木々の影へと消えていく。


 残されたのは、静けさ。


 静かすぎて落ち着かなかった森が、今はちゃんと静かに思えた。

 胸の奥――いや、湧き口の奥に詰まっていた粘土みたいな感覚が、少しだけほどけていく。


 ずっと続いていた苛立ちが、晴れていく。


 別に、何も解決しちゃいない。

 ただ、泉の中にあったゴミが全部なくなっただけだ。


 でも。


「……やっと帰った」


 独り言が、水面に落ちて消える。

 穏やかな微笑のまま、俺は森の方を見送った。


 厄介事を連れてきた、厄介なイケメンが、厄介そうな勘違いを抱えて。

 俺の泉の外へ旅立った。


 それなのに。


(なんか、湧きっぱなしなんだが……?)


 どうしよう、水底で湧く湧くが止まらねぇ。

 あいつの祈りがずっと届いてるみたいになってんだが!?


 おい、木こり野郎!やめろ!祈んな!届けんな!!

           挿絵(By みてみん)

<TIPS>

「清き泉の封瓶」

本来は、ランタンに灯を与えるための油瓶

とろりとした黄色い魚油は生臭く、傷みやすいため

封蝋によって固く封じられていた


だが、封が破られぬまま、瓶は澄んだ清水で満たされている

この清水は黒禍による浸蝕を浄め、穢れを退ける


それは浄化と裁定の女神からの恩寵であり、天命である

授かった者は、深淵に立ち向かう使命を負うことになる


不実を働けば、清き水は、たちどころに汚泥と化すだろう

女神イズミールに清き祈りを捧げよ

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