勝利と、喪失 ★
ぬうっ、と、森を割って出てきた。四つ脚の「何か」。
毛皮が毛皮じゃない。血と脂と黒い粘りで固まって、風もないのにうねっている。
関節は左右で長さが違って、爪だけがやたら立派で、地面を掴んで引き裂くたびに、土を黒く穢す。
森の中に俺と男の声が重なって響いた。
「うわああああああ!!」
「□□□□□□□□!!」
そいつが見た目通りの気色悪い動きで突っ込んでくる。
四肢の形状はちぐはぐでバランスが悪そうなくせに、とんでもない勢いだ。
あっという間に距離を詰めてくる。
(やだやだやだやだやだ……! 来るな来るな来るな!)
身体というより心が萎縮してしまって動けなかった。
致命的な反応の遅れ。
――グチャグチャの頭部が、絡まり合った黒い触手で出来ていると、はっきり視認できる距離で。
そいつの踏み込んだ前肢が、ジュワッ、と音を立てた。
爪の先が、溶けて剥げ落ちた。
赤黒い汚濁が、地面でブクブクと泡立つ。
そいつが踏みつけたその場所は濡れていた。
男が泉に飛び込んで盛大にまき散らされた俺の一部。
「――■、……■■■ッ……!」
獣の喉から、苦悶の唸りが漏れた。
それが言葉なのか叫びなのか分からない。
だが、身体を震わせ、正気を削ぐような忌まわしい響きだ。
怯んだように後退しかけた足が、濡れた草に触れて、また“じゅわっ”と削れた。
そいつの身体にへばりついた黒い粘りが、地面から遠ざかるように体表でざわめく。
(……あ)
脳裏に、あの夜がフラッシュバックする。
鎧が肉と繋がっているみたいに、血管みたいなものが全身に張り巡らされていた。
籠手を突き破るみたいにして鉤爪が伸びて、至るところから黒い液体を垂らしていた。
――怪物になりかけていた、木こり野郎のあの姿。
(……効いてる。俺の浄化……効くんだ)
俺の中の恐怖が、ひゅっと別の形に変わる。
やれる、かもしれない。いや、やるしかない。
なら、ぶち当てるしかない。
全力の水流で、あの黒いのを根こそぎ吹っ飛ばして――
俺は反射的に、泉の水を巻き上げた。
渦が生まれて、水柱が立ち上がる。
極太ビームみたいに撃ち出せるだけの水量が即座に集まる。
だが……そこで、見えてしまった。
俺が生み出した水柱の中に、エビがいた。
小魚がいた。
水草の欠片が、くるくる回ってる。
(……ダメだ)
これを撃ったら、あいつらも一緒に撃ち出すことになる。
あいつにぶち当たって、地面に散らばる。
俺から離れ過ぎたり、地面に染み込んだ水には手が出せない。
あいつらは乾いて、空気に溺れて死ぬ。俺のせいで。
今までだって気付かずに巻き込んでいたんだろう。
そいつらに関してはもう取り返しがつかない。
でも、気付いていて、見殺しにするのは――気持ち的に全然違う。
それに、全力をやったら、また意識が飛ぶかもしれない。
木こり野郎の時は浄化しきれた。
あれは単なるビギナーズラックだ。どうなってたかわからなかった。
今ここで気絶したら、目を覚ますまでに何がどうなるか分かったもんじゃない。
(お、落ち着け、よく考えろ。勢い任せじゃ駄目だ)
――「お前がやれ」「黙ってやれ」「代わりはいくらでもいる」。
昔、散々言われた嫌な言葉が浮かび上がってくる。
勝手に押し付けられて、何のフォローもなし。結果と責任だけは俺のもの。
今の状況も何も変わらねえじゃねぇか。ムカつく、ムカつく、理不尽だ。
ただ一つ、違いがあるとすれば、ここには俺に指図する奴は誰もいないってこと。
そして、このちっぽけな八畳間の泉が、今の俺の聖域だってことだ。
「やってやる。やってやろうじゃねえか……!」
※※※※※
(水面を揺らすな――静まれ、鎮まれ)
慌てると水面が揺らぐ。
なら水面を鎮めれば落ち着くはずだ。
因果が逆? 俺はそういう風に出来てるんだ。知らんけど。
意識して水流を止めて、浄化を使う。
水面の揺らぎが収まり、水中の気泡と不純物が消えて、水が限りなく透き通る。
落ち着いた。そういうことにしておく。
――俺は泉だ。泉の戦い方をしよう。
水柱を静かにほどく。波一つ立てず、泉の水位が戻っていく。
巻き込まれてたエビや小魚がぴゅーっと奥へ逃げる。悪かったな。
水を押し上げることが出来るなら、凹ませるくらい出来るはずだ。
水面が盆地みたいに窪む。凹んだ分だけ外周に向けて水が広がっていく。
畔から溢れ出した水で、泉の周囲が湿地みたいに水浸しになる。
大きく動いたのは水面近くだけ。
水底の水流は止めているから、俺の中の生き物が放り出されることはない。
(浄化、浄化、浄化――)
外に溢れ出した水を浄化しまくる。
泉から三メートル弱までは。泥水までなら操作も浄化も出来る。
土に染み込む前に浄化で泥を取り除いて、純水に近いうちに少しでも領域を広げる。
操作が効かなくなってもいい、とにかく周囲に水を浸透させる。
あいつは俺の水が染み込んだ土を踏んづけても怯んでいた。
なら、俺の水で出来た湿地は奴にとってダメージ床だ。
染み切った先は操作できなくてもいい。湿りが地雷原として残れば十分だ。
地面を伝ってくる水に、獣はじりじりと後退した。
警戒している。でも、逃げ出す素振りも見せない。
どういう感情だか知らないが、あいつは俺にご執心のようだった。
あいつは濡れた地面への接触を避けて、比較的水気の少ない草や岩を安地にして跳び跳びに接近してきた。
判断が早い。学習能力が高いのか、本能的なものか分からない。
俺は動けない。泉から出られない。陣地は固定。射程制限あり。
ユニットも遠くへ飛ばせない。操作が届くのは、せいぜい畔の周辺――三メートル弱の世界。
ユニットを作ったり攻撃や防御に使うコストは、俺の身体で払わなきゃいけない。
水・イズ・マイライフ――俺のライフが水って意味で。
(これ……タワーディフェンスゲームじゃね?)
前世の記憶が、勝手にラベルを貼る。
相手は突進力のあるタイプ。たぶん、ジャンプ攻撃とかもしてくる。
ドロドロを飛ばしてきたりもするかも。
で、俺の陣地に本体ごと飛び込ませたら、詰み。そんな気がする。
(だったら!)
俺は叫びたいのを飲み込んで、化け物に手を向けた。
水面に触れる足から水を吸い上げる。
俺の中を潜り抜ける間に浄化を使い、手から出す。
ポン、ポン、ポン。
水操作による造形の基礎――球形。
それを奴の目の前と左右に放って、当てずにその場に留める。
そのまま突っ込んでぶち当たってくれるも良し、進路を妨害できれば御の字だ。
超低コストの足止めユニットを連発、その間に次のユニットの準備する。
俺のターン。造るのは勿論――水メカフィギュア。
今の俺の手癖は速くて精確だ。ざっくり造形を考えれば勝手に整う。
関節。装甲。脚部の安定。砲身。刃。
大きさは一メートル弱。完成までの時間と水量の兼ね合いだ。
敵よりも体高は若干劣るが、その分、数と戦術でカバーする。
まず一体、畔に置く。
どっしりしたフォルム。太くて長い腕の近接ユニット。
次に一体、俺の足元。四脚型のロングバレルの砲撃ユニット。
さらに一体、傍に浮かせる。ブレード付きの高機動ユニット。
「来るなら来てみろ……!」
出来れば帰れ、と思いながら待ち構える。
黒い粘液を滴らせながら、獣は地面を蹴って跳んできた。
ダメージ床に足を削られながらに真っ直ぐ俺に向かってくる。
近接ユニットを前に出す。両腕を拡げて組み付いて受け止める構え。
獣は直前で跳躍、軽々と頭上を跳び越えて――
「――かかったな」
跳び越えやすいように、わざと小柄に造っておいた近接ユニットは、頭上に手を掲げて――両腕を射出。
発射された両腕、いや、水ミサイルが奴の腹で破裂し、水の網となって獣を捉える。
横に逃げられたら、左右どっちかを選ばなきゃいけない。
(でも、空中にいたら躱せないだろ?)
浄化の水で出来た網が、獣の体表に絡みついてじゅわっと音を立てる。
こびり付いた黒い穢れが削れる。悲鳴。唸り。怨嗟のようにも聞こえる軋んだ音。
どす黒い粘液が網の隙間から泡立ちながら零れ落ちる。
血管と粘液に覆われていた毛皮の一部がまだらに覗く。
「次!」
砲撃ユニットが照準を合わせた。
俺は意識を一本、砲身へ通す。
「撃てぇーーっ!」
水ビームが走る。
細い線じゃない。四つの脚は姿勢安定の為じゃなくて泉から水を汲み上げるポンプだ。
圧のある水の柱が、ソレの肩口を穿って、体表の黒い粘りを洗い落とす。
「■、█■█■■■……ッ!」
水流の勢いで奴が硬直する。
すかさず、高機動ユニットが突撃。水ブレードが弧を描いて、頭部を薙ぐ。
刃が当たった場所が斬れるというより、洗い削がれる。
黒い筋がほどけて、泥みたいに落ち、元の生き物の頭部が僅かに覗く。
鹿っぽいやつ。でも、その口には本来ない筈の乱杭歯が伸びている。
獣は怒り狂ったみたいに大暴れをはじめた。
近接ユニットを踏みつける。高機動ユニットに噛みついて片腕を捥ぐ。
体を身震いさせ、周囲に黒いドロドロをまき散らす。
砲撃ユニットを前進させて、泉に飛散してくるドロドロを受け止める。
砲身があっという間に黒く濁って、ドロリと垂れ下がる。
黒い粘液に濁った水メカは、次々に解けて地面にぶちまけられた。
だが、だからどうした。
こっちにとって毒なんだろうが、それはお互い様だ。
水メカへの近接戦闘、それに粘液飛ばしはあっちにとっても大ダメージだった。
砕けたって、汚れたって、水は水だ。
そして、水であるならば――
「浄化ぁぁぁっ!!」
泉の周りに湿地を生み出していた水を根こそぎ集める。
黒いドロドロ混じりの水メカの残骸に合流させて濃度を薄めてから浄化。
穢れた水が、一瞬で清浄に戻る。
その水を操作して、一塊の大きな球体を形作った。
球体がパカッと真ん中で口を開け、獣を、バクンと丸ごと飲み込んだ。
水球に飲み込まれた獣が暴れる。藻掻く。
身を捩り、四肢を突っ張って抜け出そうとするが、動きに合わせて形状を変え、逃がさない。
「――浄化、浄化、浄化、浄化、浄化っ」
みるみるうちに黒く濁っていく水球を必死で浄化する。
その度に、水の中で歪な骨格が、捩じれた筋肉が、蠢く皮膚が、爪と牙が、泡立ち崩れて、元の形を取り戻していく。
――ばしゃっ!
球形の水が地面に落ち、形を無くして弾ける。
地面を濡らすその水には、もう、血の赤も穢れの黒も残っていない。
泥濘みにうずくまるのは鹿っぽい動物。身体に震え。生きてる。
地肌は暗褐色で、濡れそぼった毛皮に泥をこびりつかせながら、よたよたと立ち上がった。
角が折れて、つぶらな瞳には怯えと混乱がある。
でも、その眼からはあの異様な圧を感じない。
鹿もどきは一声、弱く鳴いて――森の方へと駆けて行った。
※※※※※
俺はその背中を見送って、はじめて呼吸を思い出し――呼吸の代わりに、身体の中身をぐるりと循環させる。
(……勝った? 俺、勝った……?)
造形も作戦も即興。思った以上にしぶとくて手こずった。
けど、何とかやり切った。守り切った。
水面が一段下がって、いつもは隠れている水草の先が空気に触れている。
でも、前みたいに底を晒すほどじゃない。
力の加減を考えながら、最後まで意識を保って勝利した。
その達成感が、コポ、コポと胎の辺りから浮かんでくる。
――そこで、ようやく。
もう一つの異物、あの男の存在を思い出した。
俺はちゃぷり、と髪を揺らして振り向く。
泉に漬かったまま固まっていた中年男が、こっちを見ていた。
口も目も全開、何もかもが理解できてないって顔だ。
こいつ、どうしたものか……そう思っていたら、男の方が立ち直りと行動が早かった。
さっきまで固まっていたくせに、いつ、それの存在に気付いたのだろうか――
男は泉の底に向けて手を突っ込んで「何か」を掴んだ。
それは、水底の砂利に半ば埋もれていた黄金色に光るもの。
(……は?)
黄金の種。
何かの果実の種を狂気じみた精緻さで象った黄金細工。
俺の中に居座り続ける、光るゴミ。
木こり野郎が儀式めいたやり方で俺の中に置いていったもの――
男は握りしめた種を自分の懐へしまい込んだ。
「――おい」
声が勝手に尖った。
言葉が通じないのは分かってる。
分かってるのに、止めろって音が体を震わせた。
男の表情が引き攣り、ビクリと肩が跳ねる。
そして――俺から逸らされた視線が、次に向かったのは銀の戦斧だ。
男は逃げるように、縋りつくように、水面から突き出た戦斧の柄を掴んだ。
(……てめぇ……!)
やめろ。やめろやめろやめろ。
何なんだよお前、てめえのじゃねえだろ、それは!
無くなれば清々するって常日頃思ってた。
俺の平穏な日常を脅かす厄介者も不法投棄物。
でも。
「それを片づけんのはお前じゃねえんだよ!」
男は両手で柄を掴んで、持ち上げようとしてよろめいた。
俺の声に驚いたのか、単純に重くて持ち上がらなかったのかはわからない。
「□□□□! □□□□□□……!」
男が焦った表情で喚き声をあげた。
柄を激しく揺らし、水底の泥を巻き上げて水を濁らせる。
足でも滑らせたのか、男がよろめいて斧から手が離れる。
どぽんっ。
柄が水面へ倒れ込み、戦斧が完全に水没する。
水底に横たわった斧は、濁った泥水に埋もれてしまう。
中途半端に突き刺さってた時よりずっとひどい。
(あぁぁぁぁぁぁぁ!!)
俺の中で何かが弾けた。水面が激しく波打つ。
叫びが溢れ出す前に、男は泉から上がって一目散に駆け出した。
「□□□!!! □□□□□□――っ!!?」
何かを喚いて、必死の形相で森の方へ向かって走る。黄金の種を懐に隠したまま。
「待て! 待てコラ! 戻せ! 返せ!」
その金ピカは俺の……いや俺のじゃないけど俺の中のやつだし!
そもそもお前、俺の中で漏らしやがって!
化け物なんか連れてきやがって!
助けてやったのに、盗みまでしてくのかよ!!
※※※※※
祭壇は踏み荒らされ、捧げられた木彫りの花も何処へ行ったか分からない。
水中の黄金の種は奪われ、銀の戦斧は水底で横倒しになっている。
そして、俺の中には、あの汚らわしい熱の記憶だけが残った。
「……クソが」
たった一言で足りるはずなのに、言葉が泡みたいに増える。
「クソが……クソが、クソがっ……!」
水面がぶくぶくと煮立って、畔へ波が押し寄せる。
エビと小魚が隅へ逃げた。……悪い、今だけ逃げてろ。
俺は膝をついて、水面に映る自分の顔を見下ろす。
穏やかで全てを許しますみたいな微笑――変えようとしても変えられない顔。
その穏やかさが、今日の全部を「なかったこと」にしようとしているみたいで――
バシャン、と水面を殴りつける。
水面が砕け、鏡像を乱すが、波が収まればまた変わらない微笑を見せつけてくる。
……それが、いちばん腹立たしくて、空しかった。
Title:Re:Fwd:【重要】
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> 本変化は不可逆的であると考えられています。浸蝕状況は現時点で42.19%です。
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> ※本指針は予告なく変更・削除される場合があります。
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