117.水は交わり、やがて引く 〇★
黄金のクソデカ遺跡――龍宮はまだ水の外に取り残されている。
太陽は真上で煌々と照っている。たぶん、昼頃。
「正座しろ」
俺は金ぴかの石床を指差して言った。
まず、木こり野郎が怪訝そうな顔をした。
次いで、のじゃ様――ジャガラモガラの仮設のじゃロリ形態が、表情こそ変わらないが、もっと分からんという声をあげた。
『せいざ、とは何ぞ』
「膝を曲げて、足を下に入れて、床に座って、背筋を伸ばして、反省するんだよ!」
『反省の姿勢として、何故そのように脚を折り畳む必要がある』
「うるせえ! 反省って言ったら正座なんだよ!」
黄金の石床に、俺は二人を無理やり座らせた。
アイオリスは、素直に座りやがった。
その平然とした様子に腹が立つ。
のじゃ様は、そもそも仮設ボディの動かし方が良く分かっていない。
膝を前方向に直角に曲げ始めたりと、グロい絵面になったりしたので、俺が「違う!」「もっとこう!」「やる気あんのか!」と怒鳴り、実演指導して、何とかものにしてやった。
最終的に二人とも、よく分からないまま、正座っぽい何かをさせることに成功した。
真昼の龍宮は静かだった。
晴天の下、波音は遥か遠く、風が吹き抜ける音だけが響く。
その真ん中で、俺は仁王立ちしていた。
「――で?」
腕を組む。
「何か言うことあるよな、お前ら」
アイオリスがすぐ口を開いた。
「すまなかった」
「何に対してだよ!」
「決して無理強いするつもりはなかった。だが、止まれなかった」
「あぁ!? つもりじゃなければ、なんでも済むと思うなよこのケダモノが!」
アイオリスが一瞬だけ目を伏せた。
金色の睫毛が意外と長いのを思い出した瞬間、俺の頬が勝手に熱くなる。
駄目だ駄目だ。
そういう空気をぶり返すな。
今は俺のお説教フェイズだ。
俺はあいつから目を背けて、勢いよくもう一人へ向き直った。
「お前もだよ、のじゃロリ!」
『吾か』
「お前、朝に戻るって言ってたくせに来ねえし!
こっちはそのせいで! そのせいで……っ!」
喉の奥で言葉がつかえて、俺は口を噤んだ。
『吾は日の出の頃合いには出向いた』
「嘘つけ! こなかったろうが!」
のじゃ様は、そこで顔を逸らした。
おい、なんだその反応。
よせ、何も言うな。
『……些か、声を掛けるのが憚られたゆえ』
頭の中身がゴボゴボ沸いた。
「お、お前ぇぇぇぇぇっ!!」
石床を踏み付けて怒鳴る。
「みっ、見たのか、見てたのか!? し、しかも、そのまま引き返したのかよ!?
そっ、そういう時は止めるのがお前のキャラだろ! 慎みとかなんとか言ってたじゃねえか!」
『きゃら、とは』
「それはどうでもいいんだよ! 人のことを散々、幼いとか若いとか抜かしてたろうが!
年長気取るんなら、監督責任くらい果たしやがれ!」
『汝も魂を結んだ番を持つ身、己が行いの責は己で負うべきものぞ』
「都合の良い時だけ大人扱いかよっ」
ジャガラモガラのノジャロリ姿は、相変わらず作り物めいていた。
プラモを無理矢理正座させたみたいな不自然な姿勢で、表情も動かない。
そして、当然のように落ち着いているのが腹立たしい。
アイオリスはというと、正座したまま黙っている。
黙っているが、反省しているのか、ただ俺の怒鳴る様子を見守っているのか判別がつかない。
いや、こいつ絶対反省してないだろ。
どうせ、「イズミールの貴重な説教シーン」みたいに思って、心の録画ボタン押してるツラだろ、これは。
だって、こいつ、俺のことしか考えてねえもん!
そう、昨日からずっと、あの目で俺を――
※※※※※
そもそも、こんなことになってるのは、昨日、水溜まりとして復活して、あれこれあって、少し落ち着いてから、ようやく、あいつが怪我人だったと思い出したことに始まってる。
肩と背中の矢傷は言うまでもなく、源流の中では、高速で迫る裂け目を斬ったり、受けたり、舟ごと吹き飛ばされたりしていた。
果ては、足を黄金化させて、裂け目の上を直接走るとかいうイカレた真似まで。
無茶苦茶だ、骨の二、三本で済んでるかさえ怪しい。
こいつは黙ってりゃ心配かけないとか思っていやがるが、逆効果なんだよ、クソボケが!
気付いた以上、もう放っておけるわけがないので、俺は鎧を脱いで傷を見せろと迫った。
そうしたら、アイオリスは一瞬きょとんとしたあと、もう痛まないと言いやがった。
もちろん、俺は信用しなかった。
いつもの強がりだと思ったので、実力行使に出ることにした。
渋るあいつに詰め寄って、鎧の留め具やベルトをどうにか外して、鎧を引っぺがし、服を脱がした。
けど、包帯には確かに血の跡が残ってるのに、傷口は塞がっていた。
ついでに黄金に変えたはずの足も元に戻ってた。
のじゃ様の仕業か?
完全回復魔法とかエリクサーでも使ったのか?
そんな便利なもんがあるならとっくに使ってるわ。
いや、待て。
結魂とかいうのが成立したら、こいつは半分人間じゃなくなるとか言ってた。
これがそうなのか?
あの、のじゃロリ、そういう大事なことを先に言えよ!
こいつの命に関わることだから、なぁなぁには出来ない。
そういうわけで、俺は徹底的に調べることにした。
妙に落ち着かなげな木こり野郎を問い詰めた。
味や匂い、痛み、熱さ寒さ、疲れや眠気。
水の体になった俺が感じない、それらの有無を確かめた。
「傷の痛みはもうない、眠気も空腹も感じない。不思議な感覚だ。
自分でも、もう以前の身体とは違うのだと分かる」
奴は自分の身体の変化を淡々と……いや、満足そうに言った。
こいつは以前から無茶を黙って通す男だ。
聞き取りだけじゃ信頼に足る情報とは言えない。
俺には詳しい現代医療知識なんか無いが、見様見真似で脈を測り、額に手を当て、体温を確かめ、首筋にも手を当て、改めて実戦的な筋肉に感心し、心音を聞こうと胸に顔を寄せ、呼吸の深さを確かめたり、肌を抓ったり、くすぐったりもしてみた。
別に俺が触ってみたかったとか、そんな事実は、全然まったくない。
あれは検証だ。診察で、業務で、現場確認だ。
……そう思っていたのは、たぶん俺だけだった。
アイオリスは、最初は大人しく従っていた。
だが、俺がしつこく確かめるたびに、だんだん返事が短くなっていった。
「……イズミール」
「黙れ、今、脈を測ってる」
「君は、近すぎる」
「近づかねえと分かんねえだろ。
あっ、さっきより脈が早いじゃねえか!
やっぱり異常だ、眠くなくても横になれ、ほら」
黄金化した石床をべしべし叩いて寝るよう促した。
毛布とかはないが、寒くないっていうなら多分平気だろ。
膝……いや、水枕くらいなら貸してやってもいい。
そんな風に思っていた。
「そうか……」
その時点で、気付くべきだったのだ。
あいつの声音が、妙に低くなっていたことに。
呼吸が早く、体温が熱く、目が潤んできたことに。
診断に夢中になっていたせいか、俺はあまりにも無防備過ぎたらしい。
あとで思い返してみれば、そりゃあそうなるよなと頷く要素しかなかった。
傷は癒えてすっかり健康な状態で、この上なく安全な場所で、厄介事も全部片付いた。
ついさっき好きな女を失くしかけたばかりで、無事がわかって、気持ちも確かめ終わった。
その女が、やたらと自分を気遣って、顔や体を近づけて、べたべたと触ってくるわけだ。
しかも、お前をそういう目で見てるぞって、何度か警告してあったのにも関わらず。
我慢しろって方が無理がある。
今ならそう思う。
けど、その時の俺は分かっていなかった。
もう、何個アウトを重ねてるか分からないレベル。
起こるべくして起こった現場事故案件だった。
おい誰だよこの非常識なバカ女は。
……俺だ。
「イズミール」
俺の指先が手首を離れる前に、アイオリスが逆に手首を掴んできた。
「何だよ、後にしろ、今ちょっと忙し……」
言い終わる前に抱き寄せられた。
――そこからはあっという間のことだった。
腰と肩をしっかりと抱えられて、完全に身動きが取れなくされた。
眉間に皺を寄せた責めるみたいな顔。
でも、青い瞳は濡れて熱っぽくて、甘い。
それから先は、まともに思い出そうとすると頭が沸騰する。
ヒレを震わす低い声で、何度も名前と愛を囁かれて、
口づけられて、また吸われて、喉を鳴らして飲まれて、
なんだか妙に身体が重たくなって、いつもと感覚が違って、
キレても、喚いても、懇願しても、むしろ逆効果で、
何だかんだ言いながら、俺もそのうち流されて――
※※※※※
――そこまで思い出して、俺は今ここで茹で上がりそうになった。
ぐつぐつと頭の中が煮えて、ヒレの薄い膜が溶けて零れる。
「イズミール」
今、正座している目の前の男が、昨夜と同じ声、同じ響きで俺の名前を呼んだ。
ぞわっと背中が熱くなった。
「きっ、気安く呼ぶんじゃねえ! このっ、ケダモノ野郎が!」
俺が指差すと、アイオリスが顔を上げた。
「私に呼ばれるのは、そんなに嫌なのか……」
青い瞳が切なげに細められた。
瞳に宿る光は切実で、あの源流の中で最後に見たのと同じ。
俺は言葉に詰まった。
その顔は卑怯だろ。反則だ。
何で俺が悪いみたいになってるんだよ!
お前だろうが! お前が俺をあんなにしたくせに……。
「ぅ……」
「イズミール……」
「う、うるせーーーっ! 知らねーーーっ!!
勝手に呼べばいいだろっ、どうせ言っても聞かねえくせに!
やめろっていったのに、全然止まっ……じゃなくて……ああもうっ!」
自分で言っていて、何に怒っているのか分からなくなってくる。
いや、本当は分かっている。
分かっているから困るんだ。
ああ、駄目だ。
思い出すな。
思い出したら、またぐずぐずに溶けてしまう。
それで身体を創り直すたびに、また、何が何だか分からなくされて。
何度も何度も余計なことを言わされて――
「とっ、とにかく!」
誤魔化すように声を張り上げる。
ジャガラモガラとアイオリスが、正座のままこっちを見ている。
よせ。
察した顔をするな。
察してたとしても顔に出すな。
俺の尊厳に気遣え、手加減しろ莫迦!
「全っ部お前らが悪い! 以上! 説教終わり!」
アイオリスは口元を引き結び、少しだけ視線を逸らした。
それが反省なのか、笑いを堪えているのか判別できないのがまた腹立つ。
のじゃ様がぼそりと言う。
『吾には未だ何を糾弾されておったのか判然とせぬのだが』
「全部だよ!」
『然様か。
許せ……翌朝参るなどと急かさず、幾日か置くべきであった』
のじゃ様は、俺とアイオリスを交互に見てから項垂れた。
「はぁっ!?」
『結魂に至ったばかりの若き番へ、配慮が足らなんだな。
うむ、吾は出直そう。……三晩、いや、七晩もあれば良いか?』
そして、とんでもないことを言い出した。
七日七晩。ここにアイオリスと二人きりにされる?
もし、そんなことになったら――
視界にボコボコと小さな泡が昇っていく。
角の先っぽがたぶん溶けてる。
「待て待て待て、行くな、止まれ消えんな置いてくなっ!
その余計な気の遣い方やめろ! いらねえんだよ!」
「イズミール、折角のご厚意――」
「お前は発言禁止! はいはい、この話、終わり! おしまい!」
ケダモノ木こり野郎を秒で黙らせ、俺はバチャバチャと手を叩いた。
手のひらがじゅわっと溶けかけていた。クソが。
『ふむ……終わりなのか』
のじゃ様が顔を上げた。
威厳のない顔立ちに、威厳の滲みまくった目。
だが、今更、気圧されてなんかやらない。
「終わりだよ!」
『では、本題へ移ってよいか』
「本題? なんだよ……また何か厄介案件を押し付ける気か」
俺は一段階警戒レベルを上げた。
この小さな怪獣の何気ない一言で、散々振り回されてきたんだ。
魂約してるだの、結魂済みだの、お前らの変態プレイを見ていたぞとか。
悪気はないのは分かってる、ないから余計にたちが悪い。
『汝らが、どう受け取るかを問うために話さんとしている』
そして、一番たちが悪いのは、どれもが無視できない重要な内容だってところだ。
「……分かった。聞いてやる」
俺は近くの金色の石段へ腰を下ろした。
アイオリスも姿勢を正し直す。もちろん正座のままだ。
ジャガラモガラは、相変わらず妙に作り物めいたノジャロリボディのまま、厳かに頷いた。
『汝らに伝えるべき事柄は三つ』
風が吹く。
干上がった龍宮の高みを渡る風だ。
昔は海の底だったはずなのに、今は空がある。
その違和感はまだ消えないが、暗い海底にあった頃より不気味さは少ない。
『一つ。源流より、黒禍の気配は完全に失せた。
汝らが断った深淵は、もはや一片たりとも残っておらぬ』
それを聞いて胸の奥が軽くなった。
『吾らも、ようやく源流へ顔向けができる。
八海を代表して、汝らに礼を言う』
ああ、終わったんだ、本当に。
世界の根っこに巣食っていた、あの忌々しい黒がもういない。
アイオリスも深く静かに息を吐いた。
こいつもやっと、肩の荷を下ろせるのかもしれない。
『二つ。世界を沈めた水を源流に還し、黄金を解く準備は整っておる』
俺は顔を上げた。
「じゃあ、世界は元通りになるのか」
『戻せる――されど、すぐには戻せぬ』
戻せる、と聞いてホッとしかけた矢先に、戻せぬときた。
どっちだよ。
「は? 何でだよ」
ジャガラモガラは、一度だけ空を見た。
『此度の仕儀は、源流からの報せに呼応し、深淵の根絶を優先とした。
汝の水域はさておき、吾らの事の運びは些か拙速であった。
吾らは、水の巡りには通じておるが、人の暮らしには疎い。
今ここで一息に解けば、人の世に災いを招くことになるやもしれぬ』
……それはそうだ。
水と黄金になって止まっていた人間を、いきなり全部戻して、はい元通りとはいかない。
あの泡の丘に集まった連中を見ればわかる。
洪水が起こって、水に触れると黄金になって、それを見て逃げ出してきた。
一瞬で水に飲まれて黄金になったのならまだいい。
けれど、黄金になるまでの間に、家や畑を捨てて逃げ出した連中も相当いるだろう。
押し合いへし合いで怪我をした奴、絶望して自暴自棄になった奴がいておかしくない。
いきなり全部を元に戻したらどうなるか、想像もつかない。
自分で疎いと言ってるくらいだ。
神様連中には人間社会がどう回ってるかまでは、理解が及ばない。
俺だって、前世の知識と泡の中でのあれこれがなきゃ、ここまで想像つかなかっただろう。
『ゆえに、まずは試しから始める。小さく戻し、確かめ、調えてから広げる』
驚いた。
その発想はテストマーケティングに近い。
地域限定の実証実験を経て、グローバル展開に移る。
人間に疎いと言いつつ、妙に合理的で的確な判断を即座に出して即実行に移す。
つくづく空恐ろしい。
「どこから試す気だ」
『決まっておろう。今、この世界で人が残っておる場所は限られておる』
泡の丘。
ミューズたちのいる場所。
リディアや、人々が待っている場所。
『汝と汝の仔らは、あの地に残った人間たちと縁を築いている。
あの地は、世界を戻していく中で、この上ない手本となろう』
正直、複雑な心境だった。
あの場所を実験場みたいに言われれば、気分がいいはずがない。
だが、理屈は分かる。
あそこには世界に何が起きたのかを知っている生存者たちがいる。
その上で、災害時の避難所、共同体として機能しつつあった。
あそこにいる連中には、俺やミューズに対する信仰によるまとまりがある。
それでいて、ミューズをただ神様扱いしようとしないリディアみたいな子もいる。
人間も捨てたもんじゃないって、あの泡の中で初めて思ったんだ。
『あの地を中心に、段階的に水を引き、黄金を解いていく。
無論、あの地の者たちの状況を見極めながらだ。
汝の仔らには、人間たちと仲立ちを担ってもらいたい』
「おい、ちょっと待て。
それは俺の役目じゃないのか? ちび……ミューズにやらせんのか?」
「イズミール、まず、話を最後まで聞いてからにしよう」
アイオリスに窘められて、渋々黙る。
事と次第によっちゃ容赦しないぞという気持ちで、のじゃ様を睨みつける。
ジャガラモガラは無表情のまま続けた。
『汝には他に担ってほしい役目がある。それが三つ目よ』
そらきた。
厄介ごとの匂いがプンプンする。
最後に持ってくるってことは、これが本命だ。
「……一応、聞かせろ」
『うむ』
真顔で頷かれ、俺は顔をしかめた。
『此度の深淵根絶は、汝らが手法を編み出し、吾ら水が主導した。
それもすべて、源流の後押しあってのことよ』
ジャガラモガラの仮設ボディは相変わらず、表情が変わらない。
けれど、声の調子だけで、誇らしさや源流への信頼が伝わってくる。
『源流は、吾ら水に世の行く末を任せたのだ。
それを火や風、土の者どもが、面白く思うと思うか?』
ん? 話が変わってきたな?
こ、これは、まさか……。
『吾が火であり、風であり、土であったならば、さぞや気に食わんだろう。
水ばかりが源流に贔屓され、特別扱いされた、とな。
そう受け取る輩が必ず現れるだろう。火の者などはその筆頭であろうよ』
間違いない。これは社内派閥問題だ。
源流がカリスマ創業者で、いろんな属性の神様連中がその子供で部下。
しかも、皆が皆、源流に良いところを見せたいと思っている。
そんな中、源流の一声で、大役を果たしたのが水ってわけだ。
ジャガラモガラは、賢くて判断が早く、合理的だ。
そんなこいつでさえ、火のことを語るときには、薄っすらと嘲りを感じた。
こういう本能的なやつは根が深い。
俺は額を押さえた。
「なぁ……精霊って面倒臭ぇ奴しかいねえのか……」
『水同士の繋がりは、広く深い』
「そういうとこが駄目なんだろうが!」
つまり、他の属性の連中とは不仲だって言ってるようなもんだろうが。
『加えて、源流から流れる力も水に偏っておる。
また、黄金から戻るを良しとせぬ者も出てこよう。
拗れ、嫉み、意地を張り、源流の歓心を得ようとするであろう』
「要するに、世界を戻したら戻したで、クソ面倒臭いママっ子の神様やら精霊どもが、あちこちで駄々こねて職務放棄するってことか」
「イズミール、流石にその言い方は……」
『雑に言えばそういうことになる』
「ほら見ろ、だいたいあってるじゃねえか」
ため息が出た。
俺はてっきり、この一件を片付ければ“上がり”だと思っていた。
あとは、あの湖に戻って、ミューズやあいつと……。
いや、そんなに綺麗に片付くなんて、信じちゃいなかったな。
現場には常に不測の事態が起こって、メンテの後にはメンテが必要になる。
デスマーチの後には、別のデスマーチが待っていて、俺の帰宅を阻むんだ。
『ゆえに、イズミール――汝に頼みがある』
ジャガラモガラが俺の名前を出してきた。
それだけで本気の度合いが分かってしまうのが、吾ながら嫌な順応を感じる。
たぶん、強制じゃない。
断れば断ったで、あっさり受け入れてくる気がする。
ただし、経験上、断るとロクなことにならないのもセットで。
『世界を順繰りに戻していく間、汝には各地を巡ってもらいたいのだ。
拗れた精霊ども、己が役割を拒む神々、黄金を抱いたまま動かぬ土地。
それらのところへ赴き、話をつけてほしいのだ』
うわぁ、聞くだけで厄介そうな仕事。
クレーム対応兼ネゴシエーションとか、飛び込み営業の比じゃない。
「水以外の連中が、俺の話なんか聞くのかよ」
『洪水と黄金化の発端には、汝が関わっておるのも事実。
そして、汝の手法を、源流が認め、深淵を滅ぼしたのも事実。
その汝に訪ねられたならば、己が怠慢を省みるほかあるまい』
こいつ、なんて断りにくい言い方をしやがる。
発端に関わっている。
それはそうだ。
源流が俺式防疫術を採用し、八海に広めて、結果として世界は沈み、黄金化した。
俺一人の責任じゃないが、どう誤魔化そうにも無関係とは言えない。
臍を曲げてる連中の顔を立てるって意味でも、俺が行くのは理に適ってる。
いや、源流カーチャンよぉ! あんたのガキどもだろうが!?
あんたが躾ろや! 親の役目くらいちゃんと果たせよ!
正直、キレそうだ。
だからもう少しだけ抵抗してみる。
「行けって言ったって、俺、水場から離れらんねえじゃん。
水が引いた後じゃ、行きようがないだろうが」
『然り。だが、汝にはキコリヤロウがいる。
キコリヤロウは汝の魂の番であり、器でもある』
器。俺を源流から保護した瓶と同じ役割ってことか。
それはそれとして、飲まれたことを思い出させるな
「私が、イズミールの器に……」
アイオリスが顔をあげ、自分の胸に手を当てた。
こいつはこいつで器と呼ばれて妙に嬉しそうなのがムカつく。
「こいつと一緒なら、どこでも行けるとか言うつもりかよ」
『然様』
「それじゃあ、ミューズはどうすんだよ。中身はまだ、ちびなんだぞ」
『汝の仔らについては、吾ら八海が後見となろう。
重責を担わせることになるゆえ、総力を上げ、守り、支えることを吾が名に賭けて誓おう』
くっ、保育制度も完備だと……。
「ノジャロリ様、どうか、人間たちにも何卒ご配慮を願います」
『うむ。吾らは人の世を乱した責ある身だ。今度こそ拙速に事を運ぶまい。
人との関りにおいては、むしろ吾らこそ学ぶべきこともあろうな』
のじゃ様の言葉に、アイオリスの肩から、ほんのわずかに力が抜けたのが分かった。
俺も泡の中の連中を見捨てきれないのは同じだ。気持ちは分かる。
どんどん理屈が積み上げられて、逃げ道が塞がれて行く。
……でも、嫌なだけじゃなかった。
各地を巡る。
その言葉に、惹かれるものがないと言えば噓になる。
俺はずっと、水から離れられない状態だった。
泉として、何年もずっと月と星と森を眺めて、過ごしてきた。
池や湖になっても同じだ。
女神の役割を押し付けられて、祈られるだけだった。
世界を巡る仕事。
責任が重くて、面倒臭そうだ。
色んな属性の精霊とか絶対うざい。特に火。
でも――
悪くない、と思ってしまった。
「……どうせ断ると、将来ロクなことになんないとかだろ」
『流石は九頭を束ねた龍、察しが良いな。
水だけが抜きん出れば、川は乱れ、湖は溢れ、海もまた荒れよう』
「大災害じゃねえか! それを先に言えのじゃロリ!」
『言えば、汝は断り難かろう』
ジャガラモガラは、少しだけ可笑しそうだった。
「イズミール」
横から、アイオリスが当然のように口を開く。
「行こう」
「お前は行く気満々かよ」
「当然だ」
あっさり言いやがった。
「お前な。世界規模の巡業だぞ。面倒臭い精霊だの神だのを相手にすんだぞ。
たぶん揉めるぞ。絶対揉めるぞ。俺には分かるんだ」
「だが、君も世界を見せることが出来る」
「……別に、見たいとは言ってねえだろ」
「ここに来るまでの道のり、君は楽しそうに見えた。
そして、私も君との旅が楽しかった」
「喧嘩ばっかりしてたけどな!」
「それも含めてだ」
こいつ、ほんとに無敵かよ。
何を言っても俺をぶっ殺す言葉で投げ返して来やがる。
「君は、この世界をもっと見てみたくはないのか?」
「……」
世界を見たくないのか、だと?
そんなもん、見たいに決まってるだろうが。
折角、異世界転生したのに、クソみたいな縛りプレイを強要され続けて、終いには世界水没の発端だぞ。
俺だって、普通に異世界生活を満喫したかったわ!
「私は君と共にある。何処へでも、君が望む限り」
「重……っ、怖……っ」
憎まれ口は、蛇口が開きっぱなしみたいにスラスラと出てくる。
でも、心はどうしようもなく傾きつつある。
昨夜からずっとそうだ。
嫌がって振りほどこうとしてみせても、結局、最後には自分から寄ってしまう。
認めるのは癪だが、もうどうしようもない。
黄金の龍宮に風が吹き抜ける。
干上がった海底の向こう、空は高い。
あの空の下に、まだ見たことのない世界がある。
今は水の底で黄金のまま止まった土地。
水が引いて、動き出せば、黄金一色ではない様々な色や音を見せてくれるのだろう。
そこを、こいつと二人で回ることになる。
あくまでも仕事だ。
相手は絶対面倒臭い連中で、厄介事だらけだろう。
でも――
俺は小さく息を吐いた。
「……分かったよ。行ってやる」
『うむ』
「ただし!」
俺は指を突きつける。
「すぐ行くとは言ってねえ。まず、ミューズの所に帰るのが先だ。
後見とか言ってやがったが、あいつらが納得するか次第だからな。
話は全部そこからだ、分かったか」
『異論はない』
ジャガラモガラが頷く。
「私もだ。まずはあの子らとの約束を果たしたい」
アイオリスも頷いた。
その目が妙に優しくて、俺は二人を見比べた後、空を見上げた。
まだ世界のほとんどは水の底だ。
これからも、問題が山積みで、後から後から仕事が増えていくんだろう。
けれど、その先の世界を、見てみたいと思っている俺がいる。
面倒で、騒がしくて、たぶん少しだけ、楽しみな世界を。
これから、俺たちが歩いていく世界を。




