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異世界唐揚げ屋に祝福を  作者: 牛熊


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6/10

6

翌日、カイルとリナが依頼を受けに出ていった後、私は1人で試食の片付けと簡単な掃除をしていた。


店の床に薄っすらと積もった埃や砂が窓から差し込む光に照らし出されるのを見て、自分がどれだけ追い詰められていたのかを理解する。


こんな場所でカイルとリナに試食をさせていたことが恥ずかしくなってきたわ。


どうせお客さんは来ないからと放置していたけど、そういった諦観と無気力さこそが問題だったのね。



夫を失ってから店を1人でなんとかしようとして失敗し、あげくの果てにはレイジに頼り切って、子供代わりのこの店を失うことになった。


今になって考えれば、自分の料理が駄目なら腕の立つ料理人を雇う選択肢もあった。


夫がいなくなったことを受け入れたくないから、そんな選択肢から目を逸らしていたことに今更気がついたわ。


なりふり構わず、とにかく店を維持するだけなら他にもやれることはあったはずなのに。


それを選ぶ勇気と覚悟もなかった。


上手くいかないのも当然ね。



カイルは失敗してもすぐに次の行動に移ろうとする。


リナに迷惑をかけたくないのもあるのだろうけど、自分のように落ち込んだまま停滞などしない。


状況がどんなに悪くとも、必死に知恵を絞ってとにかく思いついたことを試す。


端から見れば馬鹿げていても、諦めて何もしない人間と比較すれば、どちらが問題を解決できるかは言うまでもないわよね。



生きていれば失敗することもある。


だから、いかにしてその状況から立ち上がるかが大切なの。


思い出せば、夫がいた時も全てが順調だったわけではなかったわ。


予算内で少しでも良い建物を探し、お客さんを集めるためにチラシを配り回り、反応が悪い料理の感想を聞いて修正したり。


やれることはなんでもやった。


そう、今のカイルのように。



何でも試そうとするカイルの姿に夫の顔が重なって見えた。


昨夜のカイルとリナの笑い声はまだ耳に残っている。


あの馬鹿げたポーションを使った試食の後、店内は少しだけ温かくなった気がした。


新作料理の開発に成功した時、私と夫も同じように大喜びしていたのを思い出したわ。



浮かんでくる涙を拭い、顔をパンッと叩いて気持ちを切り替える。


今の私の仕事は唐揚げに合う揚げ油を探すこと。


これだけはなんとしても果たさなければならない



「さあ、市場に向かいましょう」


私は店の扉を開き、陽光が降り注ぐ外を歩き始めた。



**********



目当ての店は庶民街の北端に位置する食材市場の一角にある。


市場は朝から賑わっていて、多くの買い物客が店先で交渉していた。


並べられている野菜や肉は新鮮で安いけれど、上流階級向けの市場に比べて形が悪かったり、骨が多い部位だったりするのが客層を表しているわね。


あの店に行くのは久しぶりだから、少し緊張しながら人が行き交う道を抜ける。


古い石造りで飾り気のない建物には、「食材問屋」とだけ書かれた看板が以前と変わらない姿でぶら下がっていた。


相変わらず商売っ気があるのかないのかよく分からないわね。



これだけでは何を取り扱っているのかも分からないけれど、看板の代わりに店先に並べられた商品が全てを物語っている。


塩や香辛料、乾物、油の詰まった缶。


魚介類も干したものしかなく、生の魚が欲しいなどと言い出したら店を叩き出されるでしょうね。



引き戸が開かれたままの店内をチラリと覗くと、中の品揃えも似たようなものだった。


この店なら油の品揃えがいいから、唐揚げに合うものがきっと見つかるはず。


そう考えながら店先の油を確認していると、店の中から男性の声が聞こえた。



「......メアリーか?」


顔を上げると、そこには焦げ茶色の髪の男性が立っていた。


店主のトーマスだ。


50歳を超えているせいか、以前会った時に比べて髪に少しだけ白いものが増えていた。



「お久しぶりトーマス。もう私の顔を忘れたの?」


「いや、そんなことはないが...」


トーマスは戸惑いながら目をパチパチとさせている。


店が上手くいかなくなってから食材の仕入れが減り、必然的にこの店に来る回数も大きく減った。


ここ最近は全く来なかったから、彼が驚くのも無理はないわね。


恐らく山猫亭は潰れると思われていたんでしょう。



「油を探しているの。よく使われている獣脂のように匂いや味が強いものじゃなくて、できるだけクセのないものがいいのだけれど。揚げ物用でそういったものがあるかしら?」


「油?魚醤はもういらないのか?」


トーマスは不思議そうに眉をひそめた。


レイジが使った魚醤はここで仕入れたのだけれど、彼も「止めた方がいい」と言っていたのを思い出し、恥ずかしくなって少しだけ頬が赤く染まった。



「ええ、魚醤は使わないことにしたの」


「......そうか。お前の旦那も色々と試していたが、結局店では出さなかったからな。あの匂いじゃ、やっぱり難しかったんだろう」


トーマスが腕を組んで納得するように頷く。


私は彼の言葉に驚き、目を見開いた。


あの人が魚醤を試そうとしていたなんて知らなかった。



「えっ、初耳だけど......。あんな匂いが店でしたらすぐ分かるはずなのに」


「ああ、だからあいつはわざわざ街の外で試してたんだよ。......アンタに言ってなかったってことは、上手くいった時に驚かせたかったんだろうな」


「そうね、そうかもしれないわね。あの人はそういうところがあったから......」


しばしの間、互いに何も言わず時間だけが流れる。


トーマスも夫とは付き合いが長かったから、色々と思い起こすことがあるのかもしれないわね。



「......クセのない油なら植物油がいい。いくつか見繕ってくるから待っててくれ」


「…お願い」


1人残されると途端に市場の音がよく聞こえるように感じた。


早朝から商人たちは商品の手配に慌ただしく、男たちが掛け声を合わせながら木箱や樽を馬車から下ろしている。


店主と客の交渉の声に紛れて、子供の笑い声やお菓子をねだる叫び声も聞こえてくる。


ここは何も変わらないわねと思いながら、私は店内へと足を踏み入れた。



店内は壁が棚で埋め尽くされていて、棚も瓶詰めの調味料や束ねたハーブなどがびっしりと詰め込まれてる。


ただ、整理整頓はきちんとされていて、異なった商品が混じり合ってなどはいない。


店主の商売に対する生真面目さが見て取れ、自分の記憶と変わらない光景に少しだけ安堵した。


ここで夫がトーマスと新しい調味料について談義していたのを思い出したわ。


唐揚げに使えそうなものがないかと店内を眺めていると、しばらくしてトーマスがいくつかの小瓶を持って戻ってきた。



「菜種油とごま油、大豆油、それと比較的クセの少ないラードを持ってきた。この中だと菜種油がお勧めだが、料理の味次第で他の油が合うかもしれんから、説明用に持ってきたぞ」


「ありがとう。それぞれ説明してくれるかしら?」


「もちろんだ」


そう言ってトーマスはまず菜種油とラベルの付いた瓶を渡してくる。



「菜種油はカラッと揚がって、変な匂いやクセもないから使いやすい。代わりに旨みは他の油に劣る。このあたりは食材次第だな」


渡された小瓶の蓋を開けて、色と匂いを確認する。


確かに今使っているモンスターの獣脂とは違って、匂いがほとんどないから揚げ物の風味に悪影響を与えなさそう。


瓶を少し傾けるとサラサラとしていて、これなら油のクドさは抑えられそうだわ。



「これなら問題なさそうね。こちらを本命にして、最後は肉と合うものを選ぶことにするわ」


私が瓶をテーブルに置くと、トーマスは他の瓶を並べて見せた。


「それがいいだろう。ごま油と大豆油は独特の風味が強い。臭いとまでは言わないが、肉の風味が負けるから一長一短だ。ラードの方は旨みが豊富でコッテリした味を加えられる反面、やはり後口は重くなる。今手に入るやつだと匂いも気になるところだ」


「この街だとラードは炒め物に使うことが多いから仕方ないわね...」


「野菜を炒めたりパンに塗るソースに使うと美味いんだがな。肉の匂いを誤魔化したいなら、香ばしいごま油の方がいいだろう」



私は全ての瓶の中身と匂いを確認し、菜種油とごま油の瓶を選んだ。


トーマスの言う通り菜種油が1番良さそうだけれど、肉に臭みがあるならごま油を選ぶかもしれない。


場合によっては他の油になるかもしれないけれど、まずはこの2つで試してみましょう。



「この2つの油を頂戴。揚げ物にするから大きめの瓶に入れて。店で売るのが決まったら、また仕入れに来るわ」


「いくらでも注文してくれ。必要な分は必ず仕入れてくる。値段も勉強させて貰うよ。満足できなかったら商人にかけあって、他の油も仕入れてやる」


トーマスはやけにサービスが良かった。


夫がいた頃ならともかく、今の私は大した客ではないから分不相応だわ。



「どうしてそこまでしてくれるの?」


不思議そうに尋ねた私を前に、トーマスの目が遠くを見るように曇った。


「お前の旦那には世話になった。ただの取引相手じゃなかったんだ。あいつと料理の話をするのは本当に楽しかったし、おかげで商品の知識も随分と深まった。いい友人だったんだ」


トーマスの声は徐々に震え始め、目頭を指で抑えた。



「それなのに、あいつが死んでお前が苦しんでいる間、俺は何もできなかった。自分の不甲斐なさに眠れない日もあったんだ。これは俺の罪滅ぼしなんだよ」


彼は頭を深々と下げた。


夫が側にいて私を守ってくれているように感じ、胸の奥が熱くなった。


私は両手で鼻と口を覆い、必死に涙を堪えようとした。



「......ありがとうトーマス。そう言ってくれて、夫もきっと喜んでいるわ」


自分は1人ではなかった。


助けを求めれば手を差し伸べてくれる人がいた。


勝手に自分を追い込んでいただけだった。


もっと早くに相談していればと後悔で胸が締め付けられるが、同時に希望の光が胸に灯った気がする。



「商品が完成したら試食してね?あの人がいた時のように」


「ああ、もちろんだとも。楽しみにしているよ」


私とトーマスは顔を合わせて笑い合う。


少しだけ昔に戻れた気がしたわ。


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