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フレディたちが路地に消えた後、リナの叫び声が山猫亭の店内に響き渡った。
「兄貴のバカ!唐揚げ屋でお金を稼ぐって何よそれ!」
「ま、待てよ。今からその話をするんだよ。とにかく座れ。メアリーさん、あんたもだ」
俺はなんとかリナとメアリーを椅子に座らせ、深呼吸した。
心臓がバクバク鳴ってやがる。
勢いで馬鹿な宣言したのは自分でも分かってるが、もう後戻りはできねえ。
「リナ、相談もせずに悪かった。だけど、全部ひっくるめてなんとかするにはこれしか手が思い浮かばなかったんだ」
俺は頭を下げ、2人に何を考えたのかを説明する。
2人は忍耐強く黙って聞いてくれた。
だが、全部納得したわけじゃない。
「そもそも唐揚げが売れないから赤字になったんでしょ?それでどうやってお金を稼ぐつもりなの?」
リナは少し気まずそうにメアリーの方を見るが、配慮してるような場面じゃないと判断したんだろう。
「レシピを見直すしかねえだろ。飯屋をやる上で必要なのは、料理の美味さだけじゃなくて、値段とアピール力だ。その点で言えば、別世界の食べ物で、しかも鳥の肉っていう誰も食わねえ食材なら安くてアピール力は十分ある」
「肝心の味が問題でしょ!食べられない料理にお金を出す人はいないの!」
「だからやるんだよ。競合がいないから当たればデケえ。なんたって誰も知らねえ食べ物だからな」
「所詮料理でしょ?街の人たちが試してないわけがないじゃない。それにレイジ以外の転生者も唐揚げを知っていて、試したけど駄目だったら?」
「うぐっ。そ、それは......」
リナに痛いところを突かれて俺はしどろもどろになった。
こいつの言うことは最もだ。
唐揚げのことはよく知らねえが、豚や牛の肉を焼いたり揚げたりする料理ならいくらでも溢れてる。
誰もやらないから無いんじゃなくて、既に誰かが試した上で止めた可能性だって十分にある。
それでも俺は折れなかった。
「でもよ、俺たちみたいな素人が新作料理で稼ごうってんなら、誰も知らない料理じゃねえと駄目だ。既にある料理だと比較されてすぐに粗が目立つ。知らない国の料理、初めて食べる料理だからこそ、多少問題があっても見逃して貰えるし、少しくらい多めに金を払ってもいいってなるんだ」
「言いたいことは分かるけど......」
リナはそれでも渋るが、横で黙って俯いて話を聞いていたメアリーが顔を上げ口を開いた。
「いいわ、やりましょう」
「えっ、いいの?」
リナは驚くが、メアリーは弱々しい笑みを浮かべながら頷いた。
「カイルさんの言う通りよ。他の料理だと腕の良い料理人が作ったものと比較される。そして、味が劣ると分かればお客さんは来なくなるわ。......夫が残してくれたレシピノートがあるのだけど、それを見ながら作っても『味が落ちた』ってお客さんにはガッカリされたの」
メアリーの言葉を聞いてリナは押し黙った。
実体験者に言われたら反論できねえわな。
「メアリーさんよ、すまねえが唐揚げのレシピを改めて教えて貰えないか?ちゃんとしたレシピを知ってるのはアンタだけなんだ」
「もちろんよ。でも、そんなに難しい料理じゃないのよ。鳥の肉を調味料に漬けて、粉をまぶして油で揚げるだけ。今レシピを持ってくるわね」
メアリーは厨房へと向かい、そして戻ってきた時には紙を手にしていた。
俺は紙をテーブルの上に広げて、食い入るように覗き込み、文章を指でなぞった。
「肉を漬け込む調味料は醤油、酒、にんにく、ショウガ。衣は小麦粉。揚げ油の指定は無しで二度揚げしろと。そういや油は獣脂を溶かしたのを使ってたな」
突拍子もない材料や工程はない。
これならなんとかなりそうだと胸を撫で下ろす。
「確かに単純だが......醤油か。目新しさがあるのはこいつだけだな」
「でも、この醤油ってのが無いんでしょ?」
腕を組んで唸る俺の肩をリナが突いてきた。
そうなんだよ。
これがないから魚醤なんてものを使ったんだからな。
「そもそも醤油ってなんだ?」
俺とリナは首を傾げるが、すぐにメアリーが答えをくれた。
「豆から作る液体の調味料よ。発酵させて作るけど、手作りしようとしてレイジは失敗したらしいわ。レイジの経験不足のせいか、それとも豆の品種や環境の違いのせいかは分からないわね」
「そりゃそうだ。酒を造るようなもんだろ?素人が生半可な知識でやって上手くいくわけがねえ」
俺の言葉にリナも隣で頷いてる。
てことは、俺たちで醤油を作るって案は無しだ。
豆から作った調味料なら似たようなものはどこかの国にありそうだから、いざとなったら商人ギルドあたりに泣きつくしかねえ。
「醤油だけじゃないわ、肉も問題ね。今は市場で手に入るものを使ってるけど、正直食用には向いてないの」
「タダで捨てるよりはって貧民向けに売られてるやつか。材料は残ってるかい?」
肉も調味料も駄目じゃ、そりゃまともな食い物になるわけがねえ。
とりあえず、1つ1つ確かめることから始めよう。
「ええ、材料なら余ってるわ。厨房の使い方を教えるからついてきて」
俺とリナはメアリーに厨房の使い方を教えて貰う。
厨房は使い込まれてるがちゃんと掃除されていて、包丁や鍋は磨き上げられていた。
ここはメアリーにとって大切な場所なのだろう。
火の付け方から始まって、一通りの確認が終わったら、メアリーはレイジの件を訴えるために兵士の詰め所に向かった。
俺とリナはこのまま厨房で試作だ。
「よっしゃ、やるぜ!リナ、お前は調味料の準備だ」
肉を切って衣をつけるくらいなら俺でもできる。
俺はシャツの袖をまくって料理に取り掛かり始めた。
**********
「……どうだった?」
「…………ご覧の有様だ」
山猫亭に戻ってきたメアリーが遠慮がちに聞いてきたが、俺はテーブルの惨状を指差して答えた。
そこには10皿ほど並んでいるが、どれも一口かじっただけで放置されてる。
「魚醤の匂いをなんとかできないかと手を尽くしたが駄目だった」
魚醤を加熱したり、熱した油に突っ込んでも駄目。
山ほど香味野菜や香辛料をぶち込んでも駄目。
試食のせいで鼻が馬鹿になってきた。
リナも机に突っ伏したまま身動き1つしねぇ。
「そうね、私も似たようなことは試したけど…。あなたたちがやっても駄目なら駄目なんでしょうね」
メアリーは目を伏せるが、その言葉を聞いて嫌な汗が流れ始めた。
威勢のいい事を言ったのにいきなり躓いちまった。
やっぱり俺には無理なのか?
いや、始まったばかりで投げ出すようなことはしねぇ。
知り合いの料理人でも取っ捕まえて協力を仰ぐなり、知識豊富なエルフのイレーナの足を舐めるなり何でもやってやるぜ!
早速目ぼしい奴のところに駆け込もうとした時、リナがガバッと体を起こして叫んだ。
「こんな臭い調味料なんて使う必要あるの!?…いや、こんなのが食べ物だなんて認めないわ!モンスター避けの煙玉の方がよっぽどマシな匂いじゃないの!」
リナは叫びながらドンドンとテーブルに拳を叩きつける。
……どうやらかなりキテたらしい。
「おいおい、気持ちは分かるがそれを言い出したら………………あれ?」
「…どうしたの兄貴?」
リナが訝しげにこちらを見つめてくるが、それは無視して思案する。
そして、1つの答えに辿り着いた。
「…………魚醤いらなくねえか?」
そう、芳醇な旨味があっても臭くて食えないなら、そもそも使わなければいいだけの話だ。
魚醤の臭さで頭が馬鹿になってたのか、それともレイジのレシピを絶対だと思い込んでたのか。
リナに言われてそのことにようやく気がついた。
醤油がないから魚醤を使う。
その判断自体が間違ってたんだ。
言われてみれば単純な話だが、先入観に凝り固まってた頭にはハンマーでぶん殴られたような衝撃だった。
「えっ、いいの?」
言い出したリナも戸惑ってる。
だが、俺は胸を張って力強く宣言した。
「いいんだよ!俺の唐揚げには魚醤も醤油も使わねえ!」
「でも、唐揚げには醤油を使うって…」
「別の世界の食べ物だぞ?誰も知らねえなら文句を言う奴もいねえ。美味けりゃいいんだよ!」
完全に開き直った俺を見てリナは唖然とした。
詐欺師となんら変わらない発言だから仕方ねえな。
しかし、メアリーには違ったようだ。
いきなり笑い声を上げ、耐えきれないとばかりに腹を抱えだした。
俺とリナは顔を合わせ、メアリーを不思議そうに眺めた。
「……ごめんなさい、久しぶりに笑わせて貰ったわ」
ようやく落ち着いたメアリーは、目尻の涙を擦りながら話し始めた。
「あなたの言う通りよ。料理は美味しければいいの。私の夫もよく料理をアレンジしてたわ」
「なっ?」
「兄貴は適当に言ってただけでしょ」
俺がリナに向かって「どうだ?」と言わんばかりの顔をすると、リナは俺のケツを容赦なく叩いてきた。
「カイルさん、リナちゃん。レシピをもう一度見直しましょう。醤油のことは忘れて、それ以外のところで改善案を考えましょう」
「よし来た!」
俺たちは急いで厨房に駆け込み、下準備を始める。
俺は染み込みやすいようフォークで刺しまくった肉を切って、匂い消しのために酒とニンニク、ショウガを大量に乗せて揉み込む。
メアリーの方は大量のハーブを刻んで塩コショウと一緒にすり込んでいた。
ただ、これだと肉の硬さは変わらねえ。
何かねえかと辺りを探すと、リナが腰からぶら下げてるカバンが目に入った。
「リナ、何か持ってねえか?」
「ちょっと何するのよ!」
リナの抗議の声を無視して、カバンに手を突っ込んで中を漁る。
そして、透明感のある赤色の液体が詰まった瓶が目に止まった。
俺はこれに見覚えがあった。
「こいつだ!」
その瓶をカバンから引き出し、高々と掲げる。
それは防御力を下げるポーションだった。
いわゆる石や木でできた硬いモンスターの体に振りかけて、柔らかくして剣や槍でも傷を与えられるようにするための道具だ。
リナは不審な行動を見せる俺を半眼になって見てくるが、今の俺には全く気にならなかった。
「何しようとしてるの?そんなの食べられるわけないでしょ」
「いや、こいつは食えるんだよ」
「嘘でしょ!?なんでそんなこと知ってるの?」
「昔、知り合いと酒場で馬鹿騒ぎしてた時に、賭けで負けて飲んだことがある」
「飲ん…モンスターに投げつけるポーションを!?」
リナだけじゃなくて、メアリーも信じられないとばかりに眉をひそめている。
言いたいことは分かる。
………若気の至りってやつだから許してくれ。
俺は2人を無視して、瓶の蓋を開けて匂いを嗅ぐ。
料理でもよく使われるハーブにも似た、ほんの少しだけ爽やかな匂いが漂っていた。
「よっしゃ、いけや!」
俺は叫び声を上げながら瓶の中身を肉にぶっかけた。
肉が赤色の液体に塗れるが気にせず揉み込んむ。
そして揉み込むほどに肉が柔らかくなるのが、手を通して伝わってきた。
「よし、大成功だ!漬け込みが終わったら試食するぞ!」
俺は満面の笑みで後ろの方を振り返るが、2人は物凄く嫌そうな顔をしていた。
**********
漬け込んだ肉に小麦粉をまぶし、余計な粉をはたき落としたら、鍋の中の熱した油に静かに入れる。
途端にジュウジュウと泡立つ音が響く。
屋台とかでも揚げ物は売ってるが、この音が聞こえるだけで気分は違ってくる。
1度低温でジックリと火を通した後、高温の油で揚げ直してカリッとさせて完成。
しかし、獣脂から作った油のせいでキツネ色の衣は僅かに黒ずんでいた。
これもなんとかしなくちゃならねえなと思いつつ、俺は唐揚げを皿の上に並べて、テーブルへと運んだ。
「さあ、試食するぞ」
俺は喜色満面でフォークを握るが、リナとメアリーは腰が引けていた。
仕方ねえなと俺は率先して唐揚げにフォークを突き刺し、かぶりついた。
獣脂の匂いが鼻につくし、揚げ油のクドさが舌の上で広がる。
あいかわらず肉の味は薄いし、パサつきは変わらないままだ。
しかし、衣はサクサクとしていて、何よりも肉が柔らかく簡単に噛みちぎれたことに俺は喜びを感じた。
「食える!美味いとまでは言えねえが普通に食えるぞ!」
「ほんとに…?」
「……とりあえず食べてみましょう」
リナとメアリーは恐る恐る唐揚げを一口かじるが、その表情はすぐに一変した。
「た、確かに食べられる!」
「私が仕込んだものと比較すると一目瞭然ね。肉の硬さが全然違うわ」
俺はメアリーの試作品を口に放り込む。
味付けや風味はこっちの方が上等だが、前食べたやつと同じで肉が硬い。
「てことは、魚醤を止めてポーションに漬け込むってのは正解だな」
だが、同時に魚醤を使った理由が少し理解できた。
肉が獣臭いんだ。
ニンニクやショウガ程度じゃどうにもならねえ。
その臭みを誤魔化すために、レイジは魚醤を選んだのかもしれねえ。
それに魚醤を使わないから旨味が足りないのが顕著だ。
「次は肉と油の改善が必要だ」
俺は口元に手を当てながら思案するが、リナが俺の肩を突いてきた。
「でも、この辺の鳥モンスターって、どれも不味いんでしょ?豚系や牛系のモンスターの方が美味しくて簡単に手に入るし、鳥を止めればいいんじゃないの?」
もっともな提案だが、俺は首を振って皿を指さした。
「ダメだ、リナ。それじゃ目新しさがねえ。豚や牛なら屋台でだって似たようなものを売ってる。この料理の肝は不味いと思われてた鳥を使うことにあるんだ。フレディの奴も中途半端じゃ納得しねえよ」
「じゃあどうするの?市場で手に入る鳥の肉はは駄目なんでしょ?」
リナは悩み眉をひそめるが、俺はニヤリと笑った。
「決まってんだろ。俺たちは冒険者だぞ?鳥モンスターを狩る依頼を受けまくって、依頼ついでに肉探しするんだよ!」
「依頼を受けて生活費を稼ぎながら、美味しい鳥モンスターを探すってことね。店をやるなら仕入れ代金も必要だし悪くはないか…」
リナは頷きながら、「今の時期だとどんな依頼があるかな」と呟き、早速計画を練り始めた。
こうなるとリナの仕事は早い。
俺の妹分はやっぱり頼りになるぜ。
「じゃあ、油の方は私に任せて。昔の伝手を使ってクセのないのを探すわ」
「頼む!」
希望が見え始めたおかげか、メアリーの雰囲気も出会った時に比べてかなりマシになってきた。
これなら油の方を任せても大丈夫だろう。
これで当面の計画はなんとかなった。
後は体力勝負だが、そいつは俺の担当だ。
ひらすら走り回ってモンスターを狩りまくってやる!
ふと窓の外を見ると、いつの間にかすっかり日が暮れていた。
だが、朝はあれだけ暗かった店の雰囲気は、今ではだいぶ明るくなっていた。




