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「カイルさん、店の代金はもう支払ったの?」
メアリーがこっちを心配そうに見つめてくる。
俺は首を横に振った。
「いや、まだだ。というより、そんな金はどこひっくり返しても出てこねえよ」
そう、そんな金はねえ。
要求されても無い袖は振れない。
「あいつの住んでる場所とか、連絡が取れそうな手段とか知ってるかい?」
どうにかしてレイジを捕まえないと話が進まねえ。
だが、メアリーは首を振り、唇を噛んだ。
「ないわ。彼は街の外れの宿に泊まってたけど、私が行った時にも店主から『戻ってきてない』って言われたの。周辺の店にも聞いてみたけど、皆同じ回答だったわ」
彼女の声が途切れ、赤髪が乱れ肩が小さく震えた。
探し回ったって言ってたから、すぐに見つかりそうな場所はあらかた調べた後だってことか。
俺はどうしたものかと頭を抱えるが、メアリーが助け舟を出してくれた。
「契約のキャンセルを訴えましょう。この契約書は商人ギルドが作った代物みたいだから、レイジを探すよりはそこに相談するのがいいと思うわ」
「メアリーさんの言う通りよ!行くわよ兄貴!」
メアリーとリナの意見が一致したなら、俺がやることは1つだ。
「よっしゃ、行くぞ!」
俺は頷いてメアリーから契約書を受け取り、急いで店を出た。
日が高くなったせいか、日差しが強くなってジリジリとした暑さを感じる。
リナの方が身軽で足が早いから、俺は置いていかれないように必死に足を動かす。
汗が吹き出してくるが、これで酒が抜けるなら悪くねえと自分を誤魔化しながらひた走った。
露天の間をくぐり抜けながら街の中心部に戻って、今度は商人ギルドのある方向へと向かう。
商人ギルドは市場の中心、大きな石造りの建物だ。
出入りする人が多いから、入口の扉は雨や冬以外はいつも開いたまま。
リナはそのまま建物の中へと駆け込むが、後に続いた俺は入口に立っている鎧を着た警備員たちに押し留められた。
急いでる時に邪魔すんじゃねえ!
「なにしやがる!」
俺は怒りの抗議の声を上げるが、屈強な警備員たちは問答無用で取り囲んできた。
「お前みたいに怪しい奴を止めないわけがないだろうが!」
そう言われて自分の姿を見直す。
汗をダラダラ流し、ゼエゼエと息を乱しながらギルドに駆け込もうとする男性。
見ようによっては、前を走っていた少女を追いかけているようにも見えた。
...まあ、控え目に言って不審人物だな。
「...あー、すまねえ。息を整えるからちょっと待ってくれ」
俺は膝に手を当てて体を支えながら、なんとか息を整えようと深呼吸する。
警備員たちは俺から視線を離そうとせず、念入りなことに後ろに立った1人が服をガッチリと掴んでやがる。
リナは俺が入口で止められたのに気がつき、慌てて戻ってきて警備員たちに説明を始めた。
「あの人は私の知り合いです。怪しく見えるかもしれませんが大丈夫です」
「......本当かいお嬢ちゃん?あいつがストーカーだって言うなら、俺たちがふん縛って兵士のところに叩き出すぜ?」
「いや、本当です。本当に知り合いなんです!」
その後、リナの必死の説得により、なんとか俺の無実は証明された。
だが、警備員たちの冷たい視線は続いたままだ。
クソっ、見た目ってやつの大切さを嫌でも思い知らされるぜ。
俺はようやくリナを連れて建物の中に入り、受付のカウンターへと進む。
そこに座ってるのは眼鏡をかけた銀髪のエルフ、ギルド員のイレーナ。
いつも通りの愛想のない顔で帳簿をめくりながら、俺の顔を見て眉をひそめた。
「カイル、何しに来たの?ここじゃお酒は売ってないわよ。それともリナに財産相続の契約でもしに来たの?」
「あいにくと、分けられるほどの金は持ってねえよ。契約のキャンセルだ。昨日、サインした飲食店の権利譲渡。相手はレイジって転生者。手続きを頼むぜ」
イレーナは契約書を受け取って確認するが、すぐに首を横に振った。
「......うん、正式な書類に正式なサインね。ちゃんと魔法のインクも使われている。キャンセルしたいなら相手の同意か、詐欺の証拠が必要。レイジって人の所在は知ってる?」
「知らねえよ!昨日酒場で会って契約書にサインして、今日店に行ったら......」
昨日あったことを説明し終えても、エルフ嬢は冷たく無表情のままだ。
むしろ、「本当にこいつはどうしようもないな」という、呆れと侮蔑が入り混じった気がする。
「泥酔してたからって契約は契約よ。そんなことで契約を無かったことにできるわけないでしょ。アンタが詐欺だって言っても嘘をついている可能性があるから、中立の第三者としては取引相手にも確認しないと判断できない。当然でしょ?」
イレーナは契約書をヒラヒラさせて俺を煽ってくる。
言ってることは正論でも、あいかわらずマジで態度が悪いな。
「そいつは店の権利書を勝手に持ち出したんだぞ!店主からの証言もある」
「その場合は本来の権利者とレイジの問題。アンタが馬鹿をやったことは覆らない。契約を無効化するなら、メアリーって人とレイジとの間で話をつけないと。そもそも、店や営業状況も見ず、相手が本当に権利者かも確かめないでサインする馬鹿がどこにいるの?アンタにできるのは、せいぜいゴネて支払いを先延ばしにするくらいよ」
「マジかよ......」
絶望する俺の顔を見て、イレーナが心底呆れ果てた様子で大きなため息をついた。
「これだから冒険者は困るのよ。法と制度を甘く見てるからそんな目に会うの。今回で言えば権利書を持ち出された店主にも問題はあるけど。少なくとも、今の状況なら当事者同士での解決が優先されるのは間違いない」
「あの、イレーナさん。そうなると契約をキャンセルするためには.....」
「ごめんなさい、リナちゃん。最初に言った通り、そのレイジって人を捕まえるしかないの。懸賞金をかけて探すことはできるけど、よほど特徴的じゃないと捕まえるのは難しいわ。スーツ姿だったらしいけど、服なんて着替えるだけで誤魔化せるからね」
「そうですか......」
「もちろん、捕まえてきた後なら協力するからね」
俺とリナはイレーナに礼を言った後、商人ギルドを出た。
俺は「どうすりゃいいんだよ......」と路地にしゃがみ込む。
リナが背中をさすってくれるが、言葉が出てこねえ。
金貨1000枚、俺の20年分の稼ぎ。
流石に返す当てがねえ。
なんとしてもレイジの野郎を捕まえるしかねえが......。
「よお、カイル。こんなところでうずくまってなにやってんだ?飲み過ぎで吐いてんのか?」
急に話しかけてきた男を見上げると、そいつは昔からの知り合いの冒険者、コリンだった。
コリンは大柄の戦士で、いつも鎧姿に斧を肩に担いでいる。
見た目はゴツい顔をしているが俺と同じくらいの年で、この街に来たのも同時期、冒険者としても同じ中堅と、何かと縁がある奴だ。
違いがあるとすれば、こいつは俺と違って真面目に冒険者をやってることだ。
「酷え顔してんな。リナもどうした、いつもの調子でこいつの背中を叩かねえのか?もしかして、腹でも壊して酒でも飲めなくなったとかか、ガッハッハ!」
コリンの軽口に俺は無理に笑った。
「ああ、それくらい酷え状況なんだよ。ちょうどいいや、ちょっと相談が......」
俺が事情を話すとコリンは笑うのを止めて、真顔になった。
「馬鹿だ馬鹿だとは思ってたが、まさか底知らずの馬鹿だったのか...。転生者絡みの詐欺なんて、今日びガキだって引っかからねえぞ?お前、酒の勢いってレベルじゃねえだろ」
コリンが斧を地面に突き立て、腕を組み、短くまとめた黒髪をガシガシとかいた。
「洒落にならねえな。リナはどうすんだ?お前みたいな兄貴にくっついて、借金漬けにするつもりか?」
「そんなわけねえだろ!レイジの奴を見つけるんだよ!」
俺は勢いよく立ち上がって叫ぶ。
周囲から視線を浴びるが知ったことか。
「じゃあ、手伝ってやるよ」
俺の叫びを聞いてコリンがニヤリと笑った。
「へ?」
「だから、手伝ってやるって言ってんだよ。身を隠してる奴を探すなら、懸賞金かけて真っ当な人探しやるより、スラム街や情報屋を当たった方がマシだろ?」
「......いいのか?」
俺は呆然と聞き返すが、コリンはそれをヘッと笑い飛ばした。
「同期のよしみってやつだ。知り合いにも声をかけておくぜ。恩に着ろよ。ああ、上手くいってもその唐揚げってのは奢らなくていいぞ。流石の俺もそんなものを食ったら寝込んじまうぜ」
そう言ってコリンは斧を担ぎ直し、ガッハッハと笑い声を上げながら去っていった。
俺は胸が熱くなって言葉が出てこない。
代わりにその背に向けてリナが感謝を述べる。
「あ、ありがとうございます!」
......なんというか、人間として負けた気がする。
似たような人生を送ってきたのに、あいつが周囲から尊敬されてる理由が痛いほど理解できた。
これが努力し続けた奴との差ってことか。
俺が別の意味で打ちひしがれていると、リナがこちらを振り返っていつものように力強く肩を叩いてきた。
「ほらっ、兄貴もいつまでしょぼくれてるの!レイジを探すんでしょ」
「......ああ、そうだな。一旦メアリーさんに報告して、権利書を盗んだ罪で訴えて貰おう。そうすりゃレイジを探しやすくなるはずだ」
俺は落ち込んだ気分に耐えながら、山猫亭へと歩き始めた。
リナやコリンには助けられっぱなしだ。
このままじゃ俺はレイジと大差のない、ただのクソ野郎になっちまう。
なんとかしなきゃならねえ。
顔をバシバシと叩いて、気合を入れ直す。
そして、レイジの野郎がどのあたりに隠れていそうかを必死になって考える。
それにしても、あいつは金を回収せずに逃げ回って何がしたいんだ?




