15
時は遡る。
カイルと契約を交わした後、レイジは繁華街の外れの路地で男たちに囲まれていた。
足早に店から逃げ出したところで呼び止められ、無理矢理人気のないところに引っ張り出されたのだ。
レイジを逃がすまいと、側に立つ男が肩を痛いほど握り締める。
(少し離れて前後に複数人の男が立っている。道を塞がれた…)
レイジは視線を動かし逃げ道を探したが、逃げられないとすぐに悟った。
そんなレイジの前にリーダーらしきスキンヘッドの男が歩み出て、タバコを吸いながら尋ねた。
「お前が持ってる契約書を売ってくれよ。いくら払えばいいんだ?」
レイジの前に立つ男はフレディであった。
フレディは煙を吐きながら、余裕たっぷりの表情で楽しげに笑みを浮かべる。
レイジは懐にしまい込んだ契約書を強く握り締めた。
(これを金に換えれば人生をやり直せる。奪われるわけにはいかない)
当初はメアリーのためにも、高値で店を売ろうとしていたレイジだった。
だが、相手にされず困り果てた末にカイルと出会い、そこで魔が差した。
嘘、脅迫、手柄の横取り、暴力、差別。
この世界で酷い目にあってきた記憶が頭を過ぎり、「今度は自分がそうする番だ」と思い至ったレイジにとって、既に契約書はメアリーのものではなく自分のものとして認識していた。
「随分と耳がいいようだな。どこで話を聞きつけてきた?」
詐欺に手を染めてまでして手に入れた契約書を奪われてはなるまいと、レイジの目に怒りの色が浮かぶ。
だが、フレディはその言葉を聞いて鼻で笑った。
「ヘッ、あれだけ派手に騒いでりゃ、誰かの耳に入るってもんだ。こいつは忠告だが、悪事を働こうってんなら、次はもっと目立たない場所でやることだな」
「チッ、そりゃどうも。参考にさせてもらうよ」
レイジは舌打ちしながら、内心で酷く動揺していた。
(契約書にサインさせたのはついさっきだぞ!もう目をつけられてるのか。さっさと高跳びしないと不味い!)
焦りを隠しきれないレイジを前に、フレディたちは獲物を見つけた肉食獣のような笑みを浮かべた。
「で、その契約書をいくらで売ってくれるんだ?急ぎの金が必要なんだろ?多少色はつけてやるぜ」
フレディはニヤニヤと笑みを浮かべ、レイジは対照的にますます顔を歪めた。
(どう考えても買い叩くつもりだろうが!)
レイジは胸の内で言葉を吐き捨てるが、口には出さない。
対等な交渉には対等な力関係が必要である。
この場を支配しているのはフレディたちで、レイジには逆らうだけの力がない。
純粋な暴力の前では論理は通用しなかった。
「......金貨500枚でどうだ?」
「おいおい、マジかよ!」
レイジの絞り出すような声と提案を聞いて、フレディが破顔し、ゲラゲラと笑い声を上げる。
体が揺れ、タバコの先から灰が落ちた。
「金貨1000枚の価値のある契約書だぞ。半額なら十分安いはずだ」
レイジは少しでも値を釣り上げようと必死になるが、フレディは「馬鹿にしてんのかよ」と笑い飛ばす。
「相手を騙した契約書にまともな価値があると思ってんのか?お前には代金を取り立てるような力はねえ。迷惑料込みで金貨100枚がせいせいってところだ」
突きつけられた値段にレイジは激昂し、肩を掴まれているのも忘れて噛みつくようにフレディに迫った。
「安すぎる!せめて300枚は出せ!」
「お前に交渉してる余裕なんてあんのか?ここで売らなかったらお先真っ暗だぜ。金に換えてさっさと逃げ出したいんだろ?」
フレディは余裕の表情を崩さず拒否する。
しかし、実はこちらも内心では焦っていた。
(目をつけてた冒険者が詐欺にあう。天の恵みだとばかりに飛びついたが、店の価値を調べる暇なんてねぇ。クソが、金貨100枚の価値があるかも分からねえんだ。300枚も出せるかよ!)
この懸念は当たっており、山猫亭は金貨50枚くらいの価値しかなく、レイジは密かに値段を吹っかけていた。
だが、フレディは契約書を力ずくで奪うわけにはいかない。
正式な譲渡手続きを踏まなければ、権利を主張できないからだ。
(こんな端金で売れってのか!?)
レイジは値段の安さに憤りつつ、同時にすぐに金に換えて逃げないと不味いと板挟みになる。
(この機会を逃すわけにはいかねえが、こっちの財布にも限度ってものがあるんだよ!)
フレディもこの機会を逃すと次は無いと理解しており、契約書を買えなかった時の未来を想像して冷や汗を流す。
両者は睨み合い、双方にとって貴重な時間がジリジリと失われていく。
結果、先に折れたのは余裕の無いレイジだった。
「......分かった。金貨100枚で売る」
レイジは肩をガックリと落とし、悔しそうにしながらフレディの提案を受け入れた。
フレディはタバコを吸い、吐く煙で安堵のため息を誤魔化した。
「そうか、そうか。賢明な判断に感謝するぜ。じゃあ早速手続きするとしようや。ついてきな」
フレディは内心を悟られないよう、そそくさとレイジに背を向け歩き出す。
レイジはその背を憎々しげに睨みつけて、「覚えておけよ」と吐き捨て、後についていった。
**********
「おらよっと!」
青髪の男がレイジの腹を殴りつけ、レイジは堪えきれずに地面に崩れ落ちた。
そのまま男はレイジの懐を漁り、ズッシリとした重みの革袋を見つけてニンマリと笑みを浮かべた。
「あった、あった。ちゃんと金を換えてくれてたみたいだな。気が利くじゃねえか」
「クソが…」
レイジはフレディと契約を済ませ、金を手にして街の外に逃げ出した途端、この男たちに襲われたのだ。
周囲を見渡すが、夜の街道に助けを呼べる相手などいない。
殴られた腹の痛みと不条理への憤りで立ち上がることすらできず、ただ悔しそうに顔を歪めて地面に這いつくばっていた。
「とんだ外れクジじゃねえか、この世界は…」
人生を変えられるはずだったものが、買い叩かれた上に暴力で奪われる理不尽さを前に、レイジは憎悪し吐き捨てるように呟いた。
睨みつける視線の先には複数の男たちがいる。
いずれも酷く柄が悪く、一目で分かるほどの典型的なギャングだった。
男たちはレイジから奪った革袋を開き、喜色を浮かべた。
「おっ、結構持ってるじゃねえか。こいつはありがたく頂いていくぜ」
革袋から金貨を摘み上げ、男たちは下卑た笑みを浮かべる。
「習わなかったのか?悪銭身に付かずってな。悪いことはするもんじゃねえぜ?」
「もっと悪い奴らに取られちまうからな!」
男たちはレイジを嘲笑し、楽しげに腹を抱えて笑っていた。
(取るもの取ったなら、さっさと消え失せやがれ!)
レイジは血が出るほど唇を噛み締めながら、男たちが去るのを待っていた。
しかし、長い黒髪を紐で縛った男がレイジをシゲシゲと眺め、「いいことを思いついた」と言い出す。
「コイツは転生者だったな?なら、仕事を手伝わせよう。学があるなら俺たちよりは知恵が回るはずだ」
「何やらせんだよ?」
唐突な提案に青髪の男は首を傾げたが、黒髪の男は表情を崩さず冷静に答える。
「兵士にバレない麻薬の受け渡し方法や、邪魔者を叩き潰す方法でも何でもいい。何かしら役には立つだろう」
「ほーん、一理あるな」
その提案を聞いて、他の者たちは「いいんじゃね」と頷く。
男たちのやり取りを聞いてレイジは青ざめた。
「ふざけんな!誰が犯罪の片棒なんて―――」
「言える立場か?詐欺をやったばかりのお前が」
激昂したレイジだが、黒髪の男に痛いところを突かれて押し黙った。
男の言う通り今更の話だと、殴られた腹ではなく胸の奥が痛んだ。
青髪の男が屈み込み、レイジの髪を握って顔を持ち上げ覗き込む。
「嫌だってんなら殴って立場を分からせてやる。選べよ。素直に従うか、痛い思いをしてから従うか。どっちだ?」
その言葉を前にレイジは何も言えなかった。
恐怖と痛みで体が震え、身を守る力がないことの意味を思い知る。
(落ち始めたら早いものだな……。カイルを騙さなかったら、もっとマシな道もあったのか?)
レイジは諦めを受け入れ、「従う」と小さく呟いた。
**********
レイジはスラム街の拠点へと男たちに連れて行かれた。
そして、兵士たちの警戒網の回避方法や、薬物取引の露見を防ぐための手段などを考えさせられる日々を送っていた。
こうして2ヶ月近くの間、悪事に加担してきたことで、レイジの心はすっかりすり減っていた。
(チートで成り上がるどころか、ろくでもない目に遭ってばかりだ。こんなクソみたいな世界は滅べばいい)
レイジの胸の内に残っているのは諦観と滅びへの期待だけ。
犯罪への心理的抵抗は薄まり、ただ機械的に作業をこなすだけの日々を送っていた。
(なにもかもどうでもいい...。どうせ俺の人生は終わってるんだ。犠牲者のことなんて知ったことか)
自分のことすら無関心になり、徐々に感情が欠落していくレイジだが、いつも通り拠点で作業をしていると黒髪の男に呼び止められる。
「おい、レイジ。唐揚げを知ってるか?」
自分をギャングに引き込んだ男を前に、レイジは少しだけ憎々しげな表情を浮かべたが、見知った言葉を聞いてすぐに無表情へと戻った。
「...唐揚げ?名前だけなら知ってるが、いきなりどうした?」
「最近流行り出した食べ物だ。山猫亭という店で売り始めたらしく、先程店を見てきたが長い行列ができていた。店も増やしてるから評判は本物だろう」
「山猫亭だと!?」
山猫亭という言葉を聞いてレイジは動揺し叫び声を上げた。
まさかギャングの口からその店名が出てくるとは信じられなかったのだ。
黒髪の男はそんなレイジの様子に驚き、目を見開いた。
「知ってるのか?ギャングが絡んでいる店だぞ?それも、いつか潰してやろうと狙っていた奴らがな」
「知ってるも何も...」
黒髪の男は「どうしてお前が?」と不思議そうに尋ねるが、レイジはそれどころではなかった。
(山猫亭ということはメアリーとカイルで間違いない。あいつらがまともな唐揚げを作り上げたのか!?)
自分が目指し、挫折した道を進み、達成した。
しかも、店を増やしているということは、チェーン店として多店舗展開するに違いない。
悔しさのあまり体が震え、レイジは何も言えなくなった。
しばらくそうしていると、青髪の男が紙袋を持って現れた。
「噂の唐揚げってやつを仕入れてきたぜ。タダで譲ってくれる優しい奴に会えて幸運だったわ。って、なにすんだよ」
「レイジ、試食しろ」
黒髪の男は青髪の男から紙袋を奪い取って、レイジに押し付けた。
レイジは急いで袋を開き、唐揚げに齧りついた。
「......美味い」
自分が試作した物とは似ても似つかない味を前に、レイジは呆然とする。
「だろ?これであのハゲが儲けてるとなればムカついてくるぜ。一泡吹かせてえんだがな」
青髪の男は唐揚げを齧りながらボヤく。
その言葉を聞いたレイジは慌てて問い正した。
「ハゲ?待て、お前たちが狙ってるギャングって......」
「フレディって奴だよ。知ってんのか?」
「あいつか!」
フレディの名前を聞いて、レイジの中で様々な感情が入り混じり、グルグルと駆け回る。
自分が失敗したことを見事に成し遂げたカイルとメアリーへの嫉妬。
自分から契約書を買い叩いたフレディへの復讐心。
凍っていた感情に火がつき、それらがレイジの背を押した。
「......すぞ」
「あん?今何て言った?」
青髪の男は少し不機嫌そうに聞き返したが、レイジの目が据わっているのに気づいて眉をひそめる。
「潰すぞ。山猫亭もフレディも。あいつらを潰して、俺が全部奪うんだ」
冷え切った声で宣言したレイジを前に、2人の男たちは酷く驚いた。
そこにいるのは自分たちに怯える弱者ではなく、覚悟を決めた悪党の姿だった。
「潰すったって......。フレディを殺して店を奪うのか?そんなこと簡単にはできねえぞ」
「それくらい分かってる。そんなことをすればすぐに兵士たちに目をつけられる。だから、やるには合法的な手段が必要だ」
青髪の男が空気に飲まれまいと反論するが、レイジは全く怯まない。
そんなレイジを見て、黒髪の男は試すように聞いた。
「具体的には?何のアイデアもないなら、この話は無しだ」
「あいつらの物真似をするんだ。あいつらがやってるのはチェーン店という仕組み。そしてチェーン店は物真似に弱い。特に不慣れなこの世界の住民なら、細かい店の違いなんて分かりやしないからな」
チェーン店という聞き慣れない言葉を前に、ギャングの2人は首を傾げた。
レイジの言う通り、不慣れさから提案がいまいち理解できなかったのだ。
「物真似とは何をどうやるんだ?俺たちにもできることなのか?」
黒髪の男が再び問いかけるが、レイジは力強く頷き返す。
「似たような店を作るんだ。外見も内装も、料理もだ。目立つ特徴があるなら、それをそのままそっくり真似ればいい。あいつらの評判がそのまま俺たちの店の宣伝になる」
「なるほど。とりあえず目につくところだけでも似せればいいということだな。店なら適当な大工を見繕えばなんとかなる」
頷く黒髪の男を眺め、青髪の男がニヤリと笑みを浮かべる。
「やっちまうか?」
黒髪の男は青髪の男を見返し、はっきりと頷いた。
「やろう」
2人の同意を得たレイジは声高に叫ぶ。
「やるぞ!」
3者は頷き合い、ここに山猫亭を潰す企みが幕を上げた。
「フレディたちの情報を集めてるな?全て俺に教えろ。仕入れの手段から何から全て解き明かしてやる。ただレシピだけは直接手に入れる必要がある。在り処を知っているか?」
レイジに聞かれ、黒髪の男は「分からん」と首を横に振るが、青髪の男は首を捻りながら何とか記憶を掘り起こす。
「レシピ?唐揚げの作り方ってことか?あー、オペレーションだかのマニュアルなら、店に置いてあるって誰かが言ってたような―――」
「なら、店を襲ってこい。マニュアルを奪ってくるんだ。目的がバレないよう、適当な物もあわせて盗んでくるのを忘れるな」
レイジの思い切りの良さに2人は仰け反り、「こいつギャング育ちか?」と疑いの声を漏らす。
今のレイジは即断即決で、悪事に手を染めることに躊躇いがない。
出会った頃の怯えていた姿が嘘のように、目的と動機、そして覚悟を手にしたレイジは本来の能力を十全に発揮していた。
「店を出すなら金が必要だぞ?当てはあるのか?」
黒髪の男に聞かれ、レイジは「そんなことか」と鼻を鳴らす。
「俺から奪った金があるだろ?足りない分は強請るなり、脅迫して従わせるなりどうにかしろ。お前らの得意分野だろうが」
「......まあ、確かにな。弱みを握ってる奴らも使えば店も増やせるか。手配しておこう」
レイジは人差し指を2人に突きつけ、子供に言い含めるようにゆっくりはっきりと指示する。
「いいか、出来る限り目立たないようにやれ。相手にバレたら台無しになるぞ」
レイジの頭の中でフレディに言われたことが蘇り、奥歯をギリッと噛み締める。
(忠告を活かしてやるよ!)
「奇襲は相手に感づかれないことが重要だってことだろ?任せとけ」
青髪の男は調子良く答えるが目は笑っておらず、それを見たレイジも「頼むぞ」と念押しした。
「店を潰せばフレディの奴も首が回らなくなる。落ちぶれた後なら、お前たちが好き勝手やったところで騒ぐ奴はいない」
レイジの言葉を聞いて男たちは笑みを浮かべる。
路地裏でギャングが野垂れ死んだくらいなら、兵士たちも厳しく調査などしないと知っているからだ。
かくしてレイジたちは水面下で準備を整え、マニュアルを奪うために山猫亭の支店を襲撃した。
ただ、その店にカイルが寝転んでいたことだけは想定外だった。
(まさか情報が漏れていたのか!?)
カイルを見て襲撃班は肝を冷やした。
思わず襲いかかろうとする者を黒髪の男が抑え込み、「絶対に手を出すな」と指示して、準備していた眠り薬で何とかできたのは幸運だった。
一歩間違えれば全てがご破算になるところだったとの報告を受け、レイジは危うく手にしていたカップを落とすところだった。
そして、レイジたちは万全の準備が整ったところで出店した。
名前は山虎亭、特徴的な看板も山猫亭に瓜二つ。
雇った客引きたちにも違いを誤魔化すように言い含めた結果、客入りは至極順調だった。
客の行列を眺めながら、青髪の男がレイジに尋ねる。
「この先はどうするんだ」
「俺たちも店を増やしていくが、並行してあいつらの店を邪魔する必要がある。今は同じラインに立っただけだ。相手が沈んでいくように仕向けなきゃならない。営業妨害の手段は無いか?」
「要は嫌がらせしろってことか?」
「そうだ」
頷くレイジを見て、青髪の男がニンマリと笑みを浮かべた。
「任せとけ。そういうのは得意分野だ。客の邪魔をしたり、あいつらの飼育小屋を壊したり。やれることは山ほどあるぜ!ワクワクしてきたな!」




