10
「朝か…」
俺は徹夜明けでショボショボする目を擦りながら、登り始めた太陽を箒片手に見つめた。
目を焼くように眩しい光が突き刺さる。
思わず目を閉じたがそのまま寝落ちしそうになったので、慌てて顔をバチバチ叩いて無理矢理目を覚ます。
店の内外に加えて、周辺の掃除にまで手を出したらこんな時間だ。
おかげで目立つ黄色地に黒字の看板もピカピカだ。
代わりに俺の疲労と眠気は限界に近かった。
ここ最近は森と街を往復したりしてたんだ。
そりゃ疲労も溜まるってもんだ。
いつもなら疲労じゃなくて酒の酔いで潰れてるから、こんな感覚は久しぶりだぜ。
「そう言えば酒飲んでねえな…」
レイジの一件があってから酒を飲むような暇はなかった。
だが、それ以上に飲む気にならなかった。
暇さえあれば酒瓶を咥えていた俺がだ。
どうやら人間はやらなきゃならないことが目の前にあると、酒とかどうでもよくなるらしい。
いや、酒に逃げる必要がなくなるのか?
「ん?」
そんなことを考えて箒に寄りかかっていたら、山猫亭から少し離れた路地から気配を感じた。
チラリとそちらに視線を向けると、人影がサッと隠れた。
「フレディの部下か。こんな時間から元気だな…」
フレディとの約束の後、山猫亭の周りでこの手の人間の気配を感じることが多々あった。
何人かはあの時見かけた奴らなので、フレディが監視として送り込んだに違いない。
こちらに手を出す素振りがないので無視していた。
まさか夜明けに監視しに来る勤勉さがあるとは思いもよらなかった。
その真面目さがあって、なんでお前らギャングなんかやってんだよ。
「ふぁぁ。まあ、連絡する手間が省けたってことでいいか」
この調子なら山猫亭が再開することもフレディの耳に入るだろ。
売上が好調でも不調でも何かしらの反応を示すに違いない。
「今日明日が勝負だな」
俺は肩や腰を回す。
ボキボキという音が鳴り響いた。
体の節々が痛え。
「こりゃ一度ぐっすりと休まなきゃならねえな」
腰をトントンと叩きながら、それでも俺は笑みを浮かべていた。
なぜなら唐揚げが売れると確信していたからだ。
料理が完成した時点で商人ギルドのイレーナを呼び出し、味と値段の批評を頼んだ。
結果は文句無し。
この値段でこの味なら客は来ると太鼓判を押された。
ついでにビールを添えて、小屋置き場に使えそうな空き地探しも依頼済みだ。
日頃態度の悪いエルフが耳の先まで真っ赤にして、ビールと唐揚げにハマる姿は見ものだったぜ。
何か言いたそうだったが、飲み過ぎと食べ過ぎで「何を言おうとしたのか忘れちゃった…」とか言い出す始末だ。
それを指差して笑ってたらリナに叱られたけどな。
味と商売に煩い強欲エルフがああなるなら繁盛間違いなしだ。
「よし、あとは唐揚げを売るだけだぜ!」
俺は気合いを入れ直し、山猫亭の扉を押しながら店の中へと入っていった。
**********
「ぐぬぬ」
通行人が逃げるように山猫亭の前を足早に去っていく。
それを見ながら俺は歯ぎしりしていた。
俺たちは予定通り朝から店を開いた。
今や陽は真上まで来てる。
市場の喧騒が遠くから聞こえ、通行人もそれなりの数がいる。
それなのに客が1人も捕まらねえ。
俺が大声で「揚げたての美味い料理があるぞ!」と叫び回っても駄目だった。
リナは何人か客を捕まえたが、山猫亭の看板を見た途端に「この店は駄目だ」と言って逃げ出しやがった。
かつての悪評が尾を引いていた。
レイジが作ったクソ不味い唐揚げ。
その印象がこの辺りの人間に染み付いてやがる。
俺は地団駄を踏んで悔しがる。
怒りと寝不足のせいか頭がクラクラしてきやがった。
「駄目ね」
客引きに失敗したリナがため息をつきながら戻ってきた。
俺と同じように悔しそうな表情を浮かべている。
「1人でもお客さんが来てくれれば話は変わりそうだけど……」
店の中から出てきたメアリーも不安そうだ。
味は間違いねえってのに、試そうとする客がいねえんじゃどうにもならねえ。
なまじ自信があるだけに、手に取ってすら貰えないことにいらつかされる。
もしかしてイレーナの奴が言いそびれたのはこのことか?
クソっ!
タダ飯とタダ酒を食っておきながら大事なことを言い忘れるんじゃねえよ!
「食べてくれさえすれば……」
リナが悔しそうに唇を噛んだ。
その通りだ。
食いさえすれば評判なんか全部消し飛ぶ。
そう食いさえすれば問題は解決する。
1人前とは言わず一口だけでいい。
それだけでこの唐揚げの素晴らしさが分かるはずだ!
俺は寝不足でフラフラする頭を最大限にぶん回す。
悪い頭が更に悪くなった気がする。
まともにものが考えられねえが、今そんなことは言ってられねえ。
どうにかして通行人たちの口の中に唐揚げを放り込めないか?
味を知ってもらえばなんとかなるはずだ。
……………?
……………放り込む?
そうか、放り込めばいいのか!
「メアリー!唐揚げを一口サイズに切り分けて、爪楊枝を刺して持ってきてくれ!」
「えっ?いいけど……何するの?」
「任せとけ!」
俺の血走った目と答えになってない答えを聞いて、メアリーはそれ以上問答しても無駄だと判断したのか、何も言わず厨房へと向かう。
そして、すぐに皿を抱えて戻ってきた。
皿の上には1人前の唐揚げを細かく切ったものが並んでいる。
「よしきた!フォローは任せたぞリナ!」
俺はその皿を受け取り、そのまま通行人に向かって駆け出す。
リナとメアリーは突然奇行に出た俺を不思議そうに眺めているが無視。
最初に目に止まったのは40歳くらいの少し腹が出たおっさん。
こいつならいけそうだ!
「くらえ!」
「な、なんだねき…ムグッ!」
俺は叫び声を上げながら、有無を言わせずおっさんの口の中に唐揚げを突っ込んだ。
おっさんが条件反射で唐揚げをモグモグと噛み始めたのを確認する。
俺は用済みになったおっさんを放置して、次の通行人に襲いかかっていく。
「なっ、なんだったんだ…?」
おっさんが呆然としているのが視界の端に映るが、その後ろにリナが立ったのを見て後は任せることに決めた。
リナがおっさんに話しかける声が背後から聞こえてきた。
「おじさん、唐揚げの味はどうですか?」
「か、唐揚げ?これのことか?………意外と美味いな」
「でしょー?今ならその美味しい料理があの店で食べられるんですよ!」
「あの店って…おいおいお嬢ちゃん。あの店はいけないよ。とんでもない揚げ物を出すって評判だよ?」
「でも、美味しかったですよね?実はレシピを見直したんです!今食べれば他の人に自慢できますよ!お昼ごはんはまだですよね?ささっ、お店に案内します、」
「おっ、おい。仕方ないな。美味しくなかったらお金は払わないよ?」
「ええ、それで構いません!お客様1名でーす!」
俺は背後から聞こえてくるやり取りを聞いてほくそ笑んだ。
そうだ。
この唐揚げの美味さは折り紙付きだ。
食えば分かるってんなら食わせりゃいい!
通行人の足を止めさえすれば後は店に引きずり込むだけだ!
「ハーハッハッ!この調子で1人残らず逃がしゃしねぇ!」
俺は高笑いを上げながら目についた端から順に通行人を襲う。
慌てて逃げようとする奴もいるが、冒険者の足から逃げ切れるような一般人はいねえ。
それをリナが店へと回収していく。
完璧だ。
完璧な集客方法だ。
あっという間に山猫亭の店内は客で埋まった。
寝不足でハイになった俺はその後も通行人を襲い続け、最終的に騒ぎを聞きつけた兵士たちに取り押さえられた。
**********
「通行人に無理矢理料理を食べさせる。兵長、これは何の罪にあたるのでしょうか?」
「……......知らん。こんな馬鹿なことをしでかす奴など聞いたことがない」
両手を縄で縛られた俺の前で4人の兵士たちが相談している。
住民に通報されて飛んできた彼らだが、その表情は曇っていた。
何しろ通報の内容が「無理矢理料理を食べさせる男がいる」と意味不明だった上に、現場に来てみれば本当に言葉通りの惨状が広がっていたからだ。
俺とリナから事情聴取した彼らだが、集客のためと聞いて「人騒がせなことをするな!」と絶叫したのは仕方ないだろう。
「あんたらも大変だな。とりあえずウチの唐揚げでも食って一休みしねえか?」
「お前は黙ってろ!」
俺の提案は兵長と呼ばれた年嵩の男に叱り飛ばされた。
兵長はハァと大きなため息をつき、疲れ果てた表情で俺をジロリと睨む。
「……とりあえず牢屋に放り込むぞ。連れて行け」
「はっ!おい、ついて来い!」
俺は兵士に縄を引かれて大人しくついていく。
暴れまわったおかげで体力は完全に限界だった。
今すぐにでも横になりてえ。
「あのー、兄貴はこの後どんな処分を受けるんですか?」
リナが心配そうに兵長へと話しかける声が聞こえたので、俺は首だけ後ろを振り返る。
兵長は顔の前で手をヒラヒラ振ってリナの心配をかき消そうとした。
「安心したまえ。体面上やるだけだ。こんな馬鹿なことで重罪に問うような暇はない。だが、何も罰せずでは襲われた側が納得しない。一晩牢屋で頭を冷やして終わりだ」
「そうですか。お手数をおかけして申し訳ありませんでした......」
リナは深々と頭を下げるが、兵長は彼女の肩をポンと叩いて顔を上げるよう促した。
「傾いた店を立て直すためなんだろ?まあ、多少は大目に見よう」
そう言って兵長はリナの前から去り、俺の横に付いて歩き始めた。
「ご配慮頂いたようで。今なら唐揚げをサービスしやすぜ旦那」
俺は揉み手でゴマを擦るが、兵長の顔は綻ぶどころか呆れ果てるだけ。
それどころか口から出てくるのは説教だった。
「あんな子供を心配させて恥ずかしいと思わないのか?お前もいい年だろうが。事情があるにせよ、もっと責任や評判というものをだな......」
その後、兵長の説教は牢屋に着くまで続いた。
**********
「あ”あ”あ”ー!良く寝た!」
牢屋の小さな窓から朝日が差し込む中、俺は体を思い切り伸ばした。
体中からバキバキゴリゴリという音が鳴り響く。
石の床は冷えて固いが今の俺には極上のベッドだった。
疲れ果てた体を横たえた瞬間、気を失うように眠りへとつき、次に目が覚めたのは今この瞬間だ。
空腹は最大の調味料というが、疲労は最高の安眠剤と言っても過言じゃねえな。
あんなにも重かった瞼と体が羽のように軽い。
いや、嘘ついた。
一晩寝て完全回復するほど若くねえ。
眠気は取れたが、硬い床で寝たせいで体のあちこちが痛えわ。
俺が汚い声を上げながらストレッチをしていると、その声を聞きつけたのか兵士が牢屋へと顔を出した。
そのまま俺の方を軽く睨みながら顎で指図する。
「起きたか。さっさと出てこい」
兵士が鉄格子の鍵を開けるのを見て、俺は立ち上がってスゴスゴと牢屋を出る。
詰め所に案内されて、椅子に座って書類へのサイン。
反省を促す最後の説教を受けて放免となった。
「お世話になりました」
俺はそう言って詰め所を去ろうとする。
だが、部屋の隅で飯を食ってる兵士が視界に入ったせいで、俺は椅子から腰を浮かしかけた体勢で動きを止めた。
その兵士はどこかで買ってきたであろうパンを割り、その中に見覚えのある唐揚げを詰め込んでいた。
「おい、アンタ。そりゃ何をやってんだ?」
俺は姿勢を変えないまま滑るようにそいつの前へと移動した。
後ろの兵士から「うわっ、キモい動きしてんなコイツ」「どうやってんだコレ?」とか聞こえてくるが無視。
いきなり視界に入ってきた俺を見てパンを握っている兵士が驚いた。
「うぉっ!驚かすなよ」
その兵士は軽くのけ反るが、俺は無視して顔を更に近づけた。
「いいから何やってるのか教えろよ。それと唐揚げの感想もな」
「注文が多いな......」
兵士は左手に握ったパンで俺の顔を塞ぐように突きつけてきた。
「これの方が楽だからこうしたんだよ。揚げ物を素手で触ると手が汚れるだろ?これならそんな心配はいらないし、立ちながらでも食いやすい。それに、俺は揚げ物を食う時はパンもセットで食いたい派なんだよ」
「なるほど、そういうことが」
兵士の話を聞いて俺はフムフムと頷く。
持ち帰り用の唐揚げには爪楊枝が付いているから手は汚れないはずだ。
だが、パンも一緒に食いたいって話なら挟んだ方が楽なのは分かる。
パンと唐揚げの入った紙袋を左手に持ちつつ、右手で爪楊枝を握るってのは面倒だからな。
言われてみれば納得だが、やっぱりこういうのは実際の現場の声を聞いて回らねえと思いつかねえもんだな。
「で、味は?」
俺は更に1歩前へと踏み出す。
ここが肝心だ。
こいつの評価が俺たちの命運を左右する。
緊張から背中に冷や汗が流れるのを感じた。
「............ちょっと高いけどなかなか美味いな。また買いに行こうって思うくらいには」
兵士は少しだけもったいぶった後、俺の真剣な表情を見てニヤリと笑い、唐揚げが挟まったパンを一口齧ってみせた。
その言葉を聞いて俺の体が震える。
ジョシュアたちからも感想は聞いていたが、この言葉は重みが違う。
初めて聞いた客の声だ。
金を払って唐揚げを食った客の感想だ。
胸の奥から何かが突き上がってくる。
期待、不安、願望、焦燥、歓喜、解放、自慢、達成感。
「よっしゃあ!」
色々な感情を混ぜ込んだ俺の叫び声が詰め所中に響いた。
その後、俺は足取りも軽く山猫亭へと向かった。
そこで俺が見たのは、店先に出来た長い行列だった。




