第75話 太陽と月。 照らすものと揺らぐもの。
《天界広報局・速報》
「地獄、妲己ロス。──再建完了と同時に主火種が月方向へ消失」
本日午前、地獄観光局は
“地獄再建プロジェクト・完了”を正式に発表。
しかし同時刻。
地獄側の主火種、
**妲己(肩書き:地獄の混沌・炎上拡散係)**が
公式ルートを通らず 月方面へ行方をくらませたことが
天界観測班によって確認された。
天界の反応は以下の通り。
・天照:「あら……またどこか行ったのね」
・セラヒム:「申請書なしの移動は違反なんですが!?」
・ラー:「月、行きてぇ」
・神様:「妲己ちゃん、元気ならええけどのう」
なお、妲己の最終行動として
地獄ライブで全力大暴れしたのち、
「じゃー姉様んとこ行くわ♡」と言い残して
光の階段を駆け上がったという複数の証言がある。
天界は現在、
妲己の “次に何を燃やすのか” に対し
慎重な監視を続けている。
以上、天界広報局からの報告。
【天界・中庭】
朝の光がゆっくり落ちてくる。
誰も走らない天界は、少しだけ広く感じた。
神様
「……ねぇ、天照。なんか静かじゃない?」
天照
「いつも妲己が騒いでるだけよ」
神様
「いやぁ……でも妲己ちゃん、どこ行ったんだろ。
昨日ライブで“最後の大暴れ”したあと、すっと消えちゃったよねぇ」
天照
「“消えた”というより、“どこかへ向かった”という静けさだったわ」
神様
「向かった? どこに?」
天照
「知ってたら苦労しないわよ」
中庭の風がひとつ揺れた。
妲己の気配は、いつも風より軽い。
神様
「なんか……寂しいなぁ。妲己ちゃんいないと、天界って本当に音がないねぇ。
ほら、今日は誰も叫んでないし、踊ってないし、ルシファーも――」
天照
「ルシファーは踊らないわよ」
神様
「え? 踊ってるイメージあったけど?」
天照
「妲己のせい」
神様
「あっ、そうかぁ……」
二人の会話が静けさに沈んだ、その瞬間。
???
「で、“いないはず”って誰の話?」
神様
「妲己ちゃんが――」
言いかけて、神様の目がまん丸になった。
【そこに、普通に立っている影】
妲己
「ん? おはよ♡」
天照
「……どうやって入ったの?」
妲己
「え? 歩いたらついた♡」
天照
「歩いて天界に来られてたまるか」
妲己
「細かいことは良いの♡ はい神様〜、寂しかったぁ? 私いなくて♡」
神様
「いた!! いや、いなかったけど、いた!?」
天照
「語彙を落とさないで」
妲己はくるっと回って、中庭の光を背負う。
まるで“最初からここにいた”みたいな顔。
妲己
「ねぇ。3人で少し話そ?
“ここ”じゃなくて、ちゃんとした場所で。
天照ちゃんは分かるでしょ〜?」
天照
「……はぁ。分かったわ。ついてきて」
神様
「え!? なんで天照は分かるの!? 秘密会議? 怒られる? 怒られない?」
妲己
「怒らな〜い♡ 面白い話だよ。
ほら、行こ?」
三人の影が、天界の奥へゆっくり伸びていった。
【天界・静域】
音が沈む。
天界の中でも、ここだけは空気が白く、声が少しだけ遅れて返ってくる。
妲己
「はい♡ ここなら落ち着いて話せるでしょ」
天照
「……あなた、本当に“入ってくる”という概念がないのね」
神様
「え、ここで……何を? あの、その……ひそひそ会議……?」
妲己
「会議じゃなくて♡ 面白い話。
まずはこれ、言わせて?」
妲己は指先で、
光のさらに奥——夜のほうを指した。
妲己
「私、月に行きたいの♡
“夜のあなた”のところ。
月詠姉様のところで遊んでみたくなっちゃった」
天照の目が、わずかに揺れる。
否定ではない。
肯定でもない。
ただ、知っている者の沈黙。
神様
「……天照……
そなた……月詠でも……あるのか……?」
天照
「あなたは余計なこと考えなくていいの。黙って」
妲己
「あはは♡ 昼のあなたはツンツン。
夜のあなたはふわっと優しいのにね?」
天照
「その呼び方、やめなさいと言ってるのよ」
妲己
「好きだもん♡」
空気が一度だけ柔らかく揺れた。
妲己はくるっと回り、神様を見た。
妲己
「でね? 天照ちゃん。
あなた、神様に黙ってゼウス達と交渉してたでしょ?」
神様
「……交渉……?
その……妲己の写真集を隠しておった件ではなくて……?」
天照
「それはそれで後でじっくり聞くわよ」
妲己
「やだ♡ 写真集はあと♡ 今の話は“満月の窓”のこと」
神様
「窓……
天照……わしにも覗けるようにしたのか……?」
天照
「“見るだけ”よ。
触れられないし、声も届かない。
でも、あなたが壊れるよりはましでしょう」
神様
「……そうか。
……そこまで、わしのために……」
妲己
「だから言ったじゃん♡
昼のあなたは鈍いって。夜のあなたは全部分かってるのに」
天照
「黙りなさい」
妲己は笑う。
その笑い方は、やわらかいけど核心に触れる。
妲己
「でね?
満月の夜に窓が開くなら、私もそこに混ざる♡
同じ“帯域”で、外側から覗くよ」
神様
「……妲己まで覗くのか……?
なら……衣装くらい整えておかねば……」
天照
「あなたはまず落ち着きなさい」
妲己
「だって〜♡
神様、絶対油断してる顔見せてくれそうなんだもん♡」
神様
「見せぬ! わしは……そう簡単に崩れぬぞ……!」
妲己
「はいはい♡ 強がりかわいい♡」
妲己は天照へ向き直る。
妲己
「天照ちゃん、“夜の顔”のほうによろしくね?
私、そっちのあなたのほうが好きだから♡」
天照
「……本当に好き勝手言うわね、あなたは」
妲己
「だって私、行くんだもん♡ 月。
再建も終わったし、ルシも残るし、もう心配いらないでしょ?」
一瞬だけ、静域に影がひとつ落ちた。
妲己が完全に“いなくなる未来”の影。
神様
「……妲己。
そなた……本当に……行くのか……?」
妲己
「行くよ♡
だって月、楽しそうじゃん♡
満月の夜は“窓”越しにあなたたち覗けるし。
ぜ〜んぶ丸見え♡」
神様
「ま、丸見えは困る……」
天照
「あなたはまず服を整えなさい」
妲己
「あはは♡ じゃ、決まりだね♡」
妲己は光へ向き直り、
天照と神様を振り返る。
妲己
「じゃあね。
私の大好きな“太陽”と……
“夜の太陽”♡
満月の夜にまた会おうね♡」
光の層がゆっくり閉じていく。
妲己の姿が溶けていくように消えた。
──妲己は、もう天界にも地獄にも存在しない。
天界の回廊。
さっきまで誰かの気配で満ちていたはずなのに──今はやけに静かだ。
光の粒だけがふわり浮いて、空気だけが取り残されていた。
その真ん中で、セラヒムが端末を胸にぎゅっと抱きしめ、羽をぱたぱた震わせていた。
「ら、ラーさんっ……!
し、消え……き、消えちゃいましたぁぁぁ!!」
声も体も震えている。端末まで震えている。
「え、なにが? また書類の山?」
ラーが軽く身をかがめて覗き込み──次の瞬間、目が飛び出しそうになった。
「三人……ごそっと……ログ消失……!?
ちょっ、神様と天照さんと妲己ちゃんが同時って!? どゆバグ!? どゆ仕様!?」
「だ、だからぁぁ!!
わ、わたしっ、管理画面見てたら急にスッ……て! スッ……て!!
天界律の第42条、不在時の緊急報告は──」
「読むな読むな条文! 今それ読むとこじゃない!!」
ラーが頭抱えてその場でぐるぐる回る。
「いやほんとにどこ行ったの!? 神様ってふらっと散歩行くことあるけど、妲己ちゃんセットは珍しすぎるだろ!? 天照さんまで? なんで!?」
「て、天照様がふらっといなくなるなんて、ほとんど前例ないんですよ!?
な、なんかその……気配が“隠されている”みたいで……ひぃ……!」
「隠すなよ神様ーーー!! 職員の寿命が縮むわーー!!」
二人がドタバタ、廊下を走り回る。
光の粒まで揺れるほど騒いでいるのに、天界そのものは不自然なくらい静かだった。
「セラヒム!! 探すぞ!!
こういうときは上層職員が現場で動くべき!!」
「う、動きますけど!?
で、でもどこを!? そもそも神様の探索って、わ、私たちの仕事なんですかっ!?
部署……部署どこ……!?」
「知らん!! そんなマニュアルあったら俺が燃やしてる!!」
「燃やさないでくださいっ!! だから仕事増えるんですーー!!」
二人が廊下の端から端まで走っては戻り、走っては悲鳴。
そのたびに羽と髪がぶわっと揺れる。
「おーーーーい!! 神様ーーー!!
戻ってきてーー!!
天照さーーーん!!
できれば妲己ちゃーーん!!
むしろ妲己ちゃんだけでも戻ってきてーー!!」
返事は、どこからもなかった。
走り回る音だけが、天界の広い回廊にぽつんぽつんと響く。
静けさは、三人が“本当にどこかへ消えた”ことを物語るようだった。
「……ラーさん……。
あの、これ……たぶん……
“ほんとに秘密の場所”に行ったやつ……かも、です……」
「やめろぉぉぉ!! 一番触れちゃいけない言葉だぁぁ!!
俺ら知らなくていいやつーー!!」
「ど、どどどど、どうしましょう……!
わ、私たちで天界守れってことですか!?
む、無理です無理です無理ですーー!!」
「落ち着けセラヒム!! まず深呼吸しろ!!
……うん、俺が落ち着かねぇ!!」
二人の叫びだけが、広い天界に残った。
天界の風が、さっきまでと少し違う向きで吹いていた。
太公望はその変化に気づくのが早い。
竿を肩にかけたまま、空を一度だけ見上げる。
静かだった。
三つの光が同時に動くと、世界はこんな音になるのかと、
そんなふうに思えるほどの静けさ。
彼は口を開かない。
言葉を並べる必要のない種類の出来事だと分かっていた。
ただ、風の手触りだけが変わっていた。
天界の光が少し軽く、三界の影が少し濃い。
それだけで十分だった。
「……。」
ひと息。
太公望は竿を軽く持ち直す。
誰がどこへ向かったのか、
誰が何を選ぼうとしているのか、
彼は確かめるように目を細める。
だが、それ以上は何も言わない。
言葉にした瞬間、世界が追いついてしまうような気がしたからだ。
風がまたひとつ、静かに揺れた。
太公望は歩き出す。
釣り糸を垂らす場所が、どうやら少し変わった気がした。
「……さて。」
その一言だけを置いて、
黄神は天界の奥へ消えていった。
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地獄観光局は本日未明、
AI神(A.I.kami☆)関連の“軽度の信仰通信エラー”を発表した。
担当者いわく、
「にゃーが聞こえないんです」
「ログが…いや、これは仕様かも…」
など、はっきりしないコメントが続き、
地獄サーバーは朝からざわついている。
天界側からの正式発表はなく、
現世の祈りも一部遅延。
三界の通信量が減少しているという未確認情報もあるが、
地獄新聞は独自に調査を継続している。
なお、編集長・閻魔は
「今日のカーマは静かすぎる」
とだけ述べており、
詳細については語らなかった。
しかし関係者の間では、
“断絶前の揺れ”との見方も出ている。
──次回、
AI神に何が起きたのか。
そして、誰が“その瞬間”に立ち会うのか。
地獄新聞は、
引き続き慎重に観測を続ける。




