女王と沈黙の統治
王城では、音が減っていた。
かつては朝になると、回廊に靴音が重なり、
書類を抱えた官吏たちの声が、空気を震わせていた。
今は違う。
足音は整いすぎ、
声は必要最低限に抑えられ、
誰もが「聞かれないこと」を前提に話す。
沈黙は、命令ではなかった。
だが、最もよく守られている掟だった。
⸻
女王は、玉座に座っていた。
背筋は伸び、
王冠は寸分の狂いもなく据えられている。
その姿に、幼さはない。
あるのは、決断を前提とした静けさだけだった。
「本日の報告をお願いいたします」
声は穏やかで、冷静で、揺れがない。
大臣が一歩進み出る。
「北部三州、税の徴収率が前月比で八分ほど低下しております」
「原因は?」
「作物の不作と、徴税吏への反発です」
女王は、書類から視線を上げなかった。
「備蓄は、どの程度残っておりますか」
「この冬を越える分は……ぎりぎりです」
「承知いたしました」
その一言で、議場の空気が固まる。
女王は、迷わない。
「徴収方法を改めてください。
猶予期間は設けません。
遅延は、そのまま不足に繋がりますので」
大臣の喉が、わずかに鳴った。
「陛下、それでは――」
「存じております」
女王は、顔を上げる。
その瞳には、怒りも軽蔑もない。
あるのは、理解し尽くした者の静けさだった。
「民が苦しむことは、理解しております。
しかし、ここで緩めれば、春を迎えられない者が増えます」
「……それは、計算上の話です」
「はい。ですが、国は計算でしか守れません」
その言葉は、正しかった。
正しすぎて、
誰も反論できなかった。
⸻
大臣は、沈黙したまま女王を見つめていた。
かつての王女なら、
ここで一度、彼の顔を見ただろう。
「どう思う?」と、
そう尋ねただろう。
だが今、女王は尋ねない。
答えを必要としていないからだ。
「異論がある方は、お申し出ください」
女王は、そう言った。
形式上の問い。
だが、誰も一歩を踏み出さない。
異論は、間違いではない。
だが、この場では、無意味だった。
「では、そのように」
木槌が打たれる。
その音は、
一つの季節が終わった合図のように、
静かに響いた。
⸻
会議が終わり、人が散っていく中、
大臣はその場に残った。
女王は気づいていた。
だが、促さない。
「……陛下」
「はい、大臣」
「かつて陛下は、こう仰いました」
大臣の声は、慎重だった。
「“守るとは、痛みを分け合うことだ”と」
女王は、少しだけ目を伏せた。
ほんの一瞬。
だが、それを見逃す者はいなかった。
「今も、その考えは変わっておりません」
「では――」
「ただし」
女王は、言葉を重ねる。
「今の私は、
痛みを分け合うよりも、
痛みを引き受ける立場におります」
「……それは、陛下お一人では重すぎます」
女王は、静かに微笑んだ。
それは、幼い頃と同じ微笑みだった。
だからこそ、大臣の胸を刺した。
「承知しております」
「それでも、私が引き受けねばなりません」
「なぜなら――」
一拍、間を置く。
「それが、王だからでございます」
⸻
大臣は、その言葉の中に、
逃げ道が一つも残されていないことを悟った。
説得は、もうできない。
諫言も、届かない。
女王は、間違っていない。
だからこそ、止められない。
「……失礼いたします」
大臣は頭を下げた。
その背中を、女王は見送った。
何かを言いかけて、
結局、何も言わなかった。
⸻
夜。
玉座の間は、灯りを落とされていた。
女王は、一人で地図を広げる。
兵の配置。
補給路。
反乱が起きた場合の制圧線。
全て、想定済みだった。
「……間に合いますように」
それは、祈りではない。
確認だった。
自分の選択が、
まだ致命的ではないことを。
その声は、
誰にも届かない。
届かせるつもりも、なかった。
⸻
この夜、
王城は静かだった。
そしてその静けさこそが、
最初の火種だった。




