女王と覚悟
報告は、簡潔で十分でございました。
事実のみ。
数値と時刻。
余分な言葉は、一切不要。
「予定通り、身柄を確保いたしました」
「抵抗は」
「ございません」
その一言で、
すべてが揃いました。
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「ご苦労さまでございます」
そう申し上げ、
女王は報告書に目を落としました。
筆跡は整っております。
内容も、過不足ございません。
――よろしい判断でございました。
その結論に、
迷いはございませんでした。
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人は、感情で国を治めることはできません。
これは、
幼い頃から学び続けてきた事実でございます。
優しさは、
一瞬でございます。
だが、
制度は残ります。
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あの少年は、
優秀でございました。
聡明で、
誠実で、
民に信頼される声を持っておりました。
だからこそ、
放置するわけには参りませんでした。
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象徴は、
育てれば育つほど、
制御できなくなります。
意志を持たぬ群衆は、
象徴に意志を託します。
それは、
国を二つに割る行為でございます。
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「革命を未然に防ぐため」
その理由は、
十分に合理的でございました。
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それでも。
書類に目を走らせながら、
女王はふと、
一枚の古い記憶に触れておりました。
小さな庭園。
柔らかな陽。
傷ついた小鳥。
――よかった。
あの時、
確かにそう思いました。
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ですが、
あれは「王になる前」の記憶でございます。
今の私は、
女王でございます。
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「民の不満が高まるでしょう」
大臣が、
慎重に言葉を選びながら進言いたしました。
女王は、
顔を上げずに答えます。
「承知しております」
「しかし、暴発よりはましでございます」
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大臣は、
それ以上言いませんでした。
彼も、
分かっているのです。
これが、
最も犠牲の少ない選択であることを。
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「……姫様は」
大臣の声が、
わずかに揺れました。
女王の手が、
一瞬だけ止まりました。
それでも、
視線は上げません。
「お伝えする必要はございません」
「姫には、
姫のお役目がございます」
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それは、
拒絶ではございませんでした。
守りでございました。
理解されることは、
必ずしも救いではございません。
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夜。
女王は一人、
玉座の間に立っておりました。
誰もいない広間。
灯りは最低限。
静寂が、
音を持つほどでございました。
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玉座に、
腰を下ろすことはいたしません。
あれは、
判断の場でございます。
思索の場では、
ございません。
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女王は、
城下を見下ろしました。
遠く、
人の気配。
まだ、
炎は上がっておりません。
ですが、
時間の問題でございます。
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「……」
言葉は、
喉にすら上がりませんでした。
後悔は、
判断を鈍らせます。
迷いは、
命を奪います。
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女王は、
自らに命じました。
感じるな。
考えよ。
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少年が、
沈黙を選んだこと。
逃げなかったこと。
その報告は、
既に受け取っております。
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――賢明でございます。
その評価は、
変わりませんでした。
彼は、
国を理解してしまった。
だからこそ、
排除せざるを得なかった。
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「……許しを乞うつもりは、ございません」
誰もいない空間に、
女王は静かに告げました。
許しは、
個人の感情でございます。
王が求めるものでは、
ございません。
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それでも。
もし、
もしも。
この国が、
生き延びた暁に。
秩序が保たれ、
民が再び笑う日が来たなら。
その時、
すべての憎しみを、
この身に集めることができるなら。
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それで、
よろしい。
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「私は、女王でございます」
その言葉は、
誓いであり、
鎧であり、
棺でもございました。
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女王は、
玉座に背を向け、
扉へ向かいます。
誰にも見せぬ背中は、
まっすぐで、
一切揺れておりませんでした。
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沈黙は、
彼女の選択でした。
語らぬことで、
国を守る。
理解されぬことで、
すべてを引き受ける。
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それが、
誰よりも優しかった女王が、
最後に選んだ在り方でございました。




