姫と沈黙
姫が異変を知ったのは、
悲鳴でも、炎でもなかった。
沈黙だった。
城の回廊を抜ける風が、
いつもより冷たく感じられた朝。
報告が、届かない。
誰も、何も言わない。
それが、すべてを物語っていた。
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「……始まったのですね」
誰に向けた言葉でもなく、
姫はそう呟いた。
侍女たちは視線を伏せ、
何も答えなかった。
答えられない、のではない。
答える必要がないほど、
状況は明白だった。
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姫は、広間へ向かわなかった。
玉座の間へも、
作戦室へも。
代わりに、
城の高台にある小さな塔へ向かった。
そこは、
幼い頃、女王と並んで
街を見下ろした場所だった。
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石壁に手を置き、
遠くを見渡す。
煙は、まだ上がっていない。
だが、
空気が張りつめている。
兆しだけが、
確かに存在していた。
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姫は、分かってしまった。
少年が捕らえられたことを。
彼が逃げなかったことを。
そして――
それを、
女王が許可したことを。
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否定したかった。
誤解だと、
誰かが止めてくれたのだと。
だが、
それはできなかった。
女王が、
どのような判断を下す人か。
姫は、誰よりも知っていた。
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「……お姉さま」
呼びかけは、
声にならなかった。
理解は、
言葉を奪う。
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女王は、
冷酷だから選んだのではない。
迷いを、
捨てることを選んだのだ。
この国を守るために。
これ以上の分裂を防ぐために。
そして――
少年を、
「英雄」にしないために。
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処刑ではない。
見せしめでもない。
あくまで、
秩序の回復。
女王なら、
そう説明するだろう。
敬語で、
静かに。
「民を守るための措置でございます」
そう言う姿が、
はっきりと想像できてしまった。
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それが、
姫を最も苦しめた。
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理解できてしまう。
正しさが、
論理として成立してしまう。
だから、
怒れない。
泣き叫ぶことも、
できない。
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姫は、
初めて思った。
理解できるということは、
こんなにも孤独なのだと。
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誰にも、言えなかった。
大臣に言えば、
彼はさらに後悔するだろう。
民に言えば、
裏切り者と呼ばれるだろう。
女王に言えば――
彼女は、微笑んでしまうだろう。
「分かってくださるのですね」
その一言で、
すべてが終わってしまう。
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姫は、
塔の床に座り込んだ。
膝を抱え、
静かに呼吸を整える。
泣かなかった。
泣くことは、
感情の発散だ。
だが、
彼女に残されたのは、
処理しきれない理解だけだった。
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遠くで、
鐘の音が鳴った。
短く、
乾いた音。
合図。
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姫は、目を閉じた。
少年の姿が浮かぶ。
叫ばず、
逃げず、
ただ立っていた姿。
彼もまた、
理解してしまったのだ。
女王を。
国を。
そして、
自分の役割を。
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「……ごめんなさい」
姫は、
初めて声に出して言った。
謝罪は、
何も変えない。
それでも、
言わずにはいられなかった。
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理解者であることは、
救いではなかった。
それは、
誰にも預けられない重荷だった。
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そして姫は、
悟ってしまう。
この国で、
最後まで女王を理解する者は――
自分しかいなくなるのだと。
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その事実が、
これから訪れる炎よりも、
何よりも、
彼女を震わせていた。




