女王と選択
王座に座っているあいだ、
女王は一度も背を預けなかった。
それは癖ではない。
覚悟だった。
背を預けるという行為が、
誰かに「支えてもらう」ことを意味するのなら、
女王はそれを選ばなかった。
支えれば、
支えられる者は折れる。
彼女は、それを知っていた。
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「報告を」
声は、静かだった。
常に敬語で、
常に同じ高さで。
感情を測らせないためではない。
測る必要がないようにするためだった。
「……例の少年ですが」
名は、出なかった。
名を呼んだ瞬間、
それは「人」になる。
だが今、
彼はすでに「象徴」だった。
「民の集会で、完全に中心に据えられております。
旗も、歌も、彼の名を使って……」
女王は、ゆっくりと頷いた。
「そうですか。
では、事態は予想通りでございますね」
驚きはない。
悲嘆もない。
あるのは、
確認だけだった。
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彼女は、最初から分かっていた。
怒りは、必ず顔を求める。
そして、
顔を与えられた怒りは、
引き返せなくなる。
少年は、
その顔として選ばれただけだ。
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「陛下。
このままでは……」
「承知しております」
言葉を遮るのは、
女王にとって珍しいことだった。
だが今回は、
遮らなければならなかった。
迷いを挟めば、
決定が揺らぐ。
「今、必要なのは、
“対話”ではございません」
その言葉に、
空気が張り詰めた。
「“区別”でございます」
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女王は、ゆっくりと立ち上がった。
王冠が、わずかに揺れる。
「民と、反逆。
声と、暴力。
理解と、正当化」
一つ一つ、
丁寧に言葉を置く。
「それらを、混同したままでは、
国は必ず崩れます」
彼女は、
崩壊の仕方を知っていた。
かつて、
この国がそうだったから。
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「少年を、捕らえるべきだと?」
誰かが、意を決して問うた。
女王は、即答しなかった。
沈黙が、
肯定にも否定にも取れる時間。
その沈黙こそが、
彼女の誠実さだった。
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「……捕らえるのではございません」
女王は、静かに言った。
「“止める”のです」
それは、
救いの言葉のようでいて、
断絶の宣告だった。
「彼は、もう個人ではございません。
象徴である以上、
彼を自由にすれば、
国が拘束されます」
誰も、反論できなかった。
理屈が、
あまりにも正しかったから。
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女王は、内心で思っていた。
――ごめんなさい。
だが、
それを言葉にすることはなかった。
謝罪は、
責任を軽くする。
彼女は、
重さを引き受ける側だった。
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「命令を出します」
女王は、玉座の前に立ち、
まっすぐ前を見据えた。
「少年を中心とする集団を、
“反乱予備勢力”と定義いたします」
言葉が、
国の形を変える音がした。
「武力行使は、最終手段といたします。
ただし、象徴が行動した場合、
即座に制圧を許可します」
それは、
ほとんど宣戦布告だった。
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女王は、分かっていた。
この命令によって、
自分は「冷酷な統治者」と呼ばれる。
そして、
少年は「殉教者」になる。
それでも。
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「国とは、
誰かの“理解”だけで守れるものではございません」
その言葉は、
誰に向けたものでもなかった。
だが、
確かに誰かに届くように、
発せられていた。
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姫の顔が、
一瞬、脳裏をよぎった。
理解する者。
分かってしまう者。
だからこそ、
最も苦しむ存在。
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女王は、
それを守るために、
自分が悪になることを選んだ。
理解されなくていい。
憎まれてもいい。
ただ、
国が残れば。
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「以上です」
女王は、
一礼して座った。
その背中は、
最初から最後まで、
誰にも預けられることはなかった




