それはとても安易な気持ちで、私を後悔させた
何事にもタイミングってあると思う。
なにが言いたいかというと、私はタイミングを逃した。っていうか、間に合わなかった。
「それでは、今日も抑制剤の研究を始めよう」
真剣な表情でそうおっしゃるのは、竜人でありこの研究所の所長 ラウール・グティエレス様。グティエレス公爵家の次男という高貴なお血筋。そして私の番。
たまたま必要書類を届ける用事があって研究室に行ったところ、研究所員に話しかけているのを見かけた。
私は見た目こそ人間なのだけど、遠い祖先に竜人がいたとかなんとかで、一目でラウール様が自分の番だと分かった。一目惚れしただけなんじゃないのと言うなかれ、両親も祖父母もそうなのです。子供の前だろうとなんだろうとお構いなしにイチャイチャする親と祖父母に、子供の頃はうんざりしていた。でも思春期になって初恋をし、その恋に破れ、大人になっていくにつれ、両親達が羨ましくなってきた。
それで私も番探しの旅に出てみたわけです。鉄板な竜人の国へ! 早々に番を見つけてやったー!! と思ったのに、その番は"番を番と認識しない薬"を作る研究所を立ち上げ、その研究に日夜励んでおられたのです。なんてこった。
先祖返りといっても、いわゆる番を束縛したいだとかそういうのは緩め(ないとは言ってない)なので、私は理性で抑えているんだけど、正直に言って所長のこと好きすぎて困る。番だからなんだと思うけど、顔も声も体型も皆好き。これまで好きになった人と系統が似てるといえば似てるのは、本能なのか好みなのか悩ましい。
祖父母と両親はそうだったけど、実は私は番がわからないのかもしれない。単純に所長が好みど真ん中。全方位から見ても寸分の狂いもない理想形なのかもしれない。
でもね、祖父母と両親が言ってたんですよ、番は一目見れば分かる。全身が歓喜するって。所長を一目見て同じ感覚に陥って、あぁ、番を見つけた! そう思ったのに……。
「まだ研究は道半ばだ。検証が足りないな」
竜人は番至上主義だ。所長の両親も番だとのこと。それなのに何故所長がアンチ番主義になったかといえば、お母様である公爵夫人が人間で、番を認識できない上に当時婚約者がいたのだそうだ。お父様の公爵としては番を娶りたい。だが番には婚約者がいる。気持ちは揺れに揺れたというが、夫人の生家は、簡単にいえば娘を売った。子爵家の三男坊と結婚するよりも、竜人であり公爵家の当主のお父様と娘を縁付かせたほうが得であると判断するのは貴族として当然、だそう。そして公爵は竜人の本能に負け、所長のお母様を妻として迎え入れた。
なんかもう、色々どうしようもない。本能に逆らうのは難しい。本能に逆らおうとしたけど結局は逆らえなかった所長のお父様と、貴族の女としてより良い家に嫁ぐのは当然なのに、元婚約者への想いを諦めきれない所長のお母様。
竜人の番だ。それはそれは大切にされていることだろうけど、お母様はきっと思ってしまうのだろう。番でなかったならどうなっていたのだろう、と。
それを所長は感じ取って、番など認識できないほうが幸せだと思った──それがこの番認識阻害薬を開発する研究所の創設の経緯だそう。しかも所長のお父様もお兄様も、番認識阻害薬の完成を望んでいるのだそう。
「番を得た公爵が薬の作成に反対していないのが驚き」
ランチ時、同じく研究所で働く同僚と所長の話になって、私は素直な感想を口にした。
「本能の所為で番を手放せない、手放したくない。でもその所為で番が苦しんでいる姿を見続けるのは、やっぱりキツイんじゃないかなぁ」
そう言って同僚はサラダにフォークを刺す。トマトを避けてる。美容に良いから食べたほうがいいぞー。
なんというかこう、もっと盲目的なものだと思っていた。
あ、番発見! 誘拐したろ! ぐらいの。いや、犯罪だけどさ。でもそれぐらい強い衝動なのだと思っていた。
「うーん、最初はね、番を見つけて夫婦になって幸せいっぱいになるんだけど、大好きだからこそ気付いちゃうんだって、自分が愛されてないことに。それなのに手放せないの」
「あー、それはキツイね」
双方が番を認識できる種族ならおきない悲劇。
人間だけが番を認識できない。人間が番対象外になればいいのに。私のようなイレギュラーはこの際除外。
「そうなんだよねー。それに政略結婚しなくちゃいけないやんごとなきお方達は、番が見つからないほうがいいことが多いのよ」
なるほど。
番だ、運命の相手だ、ハッピーエンドだ! とはならないのか。自分がただの庶民だからそういった複雑なことまで頭が回らなかった。庶民の私達からしたら、高貴で素敵な方に番と認識されて生涯幸せ、ぐらいにしか思ってなかった。うちの祖父母と両親が幸運なパターンだっただけか。
つまり所長は番を求めておらず、なんならそういったものを疎ましく思っていると、そういうわけです。それから、抑制剤完成してますよ、と伝えたいけど、それもねぇ……この状況だと言いづらい。"番など祝福でもなんでもない、ただの呪いだ"とおっしゃっていたらしいし。言えるわけない。
「私、抑制剤の治験に名乗り出ようかなー」
「え? でもカルラは人間じゃん」
「うん、でも誰かの番かもしれないじゃない? 番が認識できないとされる人間が抑制剤使うとどうなるのかも一応やっておいてもいいんじゃないかなって」
所長がアンチ番派だと分かって、しかも薬はもう完成してる。自分に可能性がないのが分かっているのに研究所の所員なんかになってしまっているし。さすがに研究に携われる頭も技術もないので事務員だけど。このまま可能性ゼロなのに想い続けるの辛すぎる。
抑制剤の効果持続時間がどれぐらいなのか分からないけど、薬が効いているうちに辞めて自国に帰れたらいいのに、なんて思ってしまう。
「うーん、抑制剤も貴重な素材使ってるから、番を認識しない人間のカルラには使わせてもらえないと思うなー」
「それもそうか」
どう見ても人間にしか見えない私が実はとおーい祖先は竜人で、その名残か番が分かるんですよ、そしてその番は所長ですなんて言ったら不敬罪で牢屋に入れられそう。嘘にしか思えないもん。抑制剤完成してるから所長は私が番だって分かんないし。
所長の姿を目にする距離にいられるだけで幸せといえば幸せだけど、同じ研究者同士の異性と話しているのを目にするだけで嫉妬の炎がメラッとするわけですよ。
抑制剤は完成しているし、所長はいずれ公爵家次男としてその爵位に相応しいお相手と結婚するんだろうし……。
これは、うん、駄目だ。長くいればいるほど辛くなる。変に長く勤めてうっかり所長と話す機会なんかできたら辞められなくなる。だって今だって今すぐにも会いに行きたいのだ。それを必死に抑えてる。我慢するのに口の中を噛みすぎて飲んだり食べたりすると沁みる。手だってぐっと握りすぎて手のひらには爪の食い込んだ跡があるし、腕にだってそう。
生涯番に会えない者のほうが断然多い。それなのに私は番に出会えた。幸運だった。これから先誰かと出会って、もしかしたら恋人ができたり結婚できたりするかもしれない。所長に対する想いとは違っても、それでも良いって思う。誰もが燃えるような恋をするわけじゃないんだから。
「自国の家から手紙がきたんだよね」
「そうなの?」
いや、嘘です。ごめん。
「だから近いうちに帰ろうと思って」
「ここを辞めるってこと?」
「うん、事務員にもこんなに手厚い優良職場はなかなかないから惜しいけど」
逃げるが百計という言葉が遠い東の国にはあるという。自分のために、ここにいてはいけない。
番を得られるという幸せも、そばで見守る幸せも得られないけど、番が自分以外の誰かの隣に立つ、そんなの耐えられないから。
「やっと仕事覚えてきたのにもったいない」
「本当だよー」
でもそれより大事なものがあるんだよ。