自己欺瞞自己制御装置
それは、麒麟の理性が、自己欺瞞自己制御装置と呼ぶべき稀な構造を備えたことを意味していました。彼は、理性という装置が行う自己欺瞞が、利害のために共感の境界を恣意的に移動し、対象を他者化して道具化する、人間という生き物の精神の基底的な加害性の暴力性にひどく自覚的でした。そして彼は、人々が自らの幸福を生産するために、その動物的な愚かさが、実はあまりにも多くの非効率を生じている事実に気づいて悲しみました。だから彼は、自己欺瞞こそを本質的な悪徳に数え、自らの精神についてその暴力性を禁じた。それが、自己欺瞞自己制御装置です。それは、不遇によって追い込まれた構造であると同時に、彼が生まれながらの豊潤な愛情によって選択した構造でもありました。
しかしそれによって、彼は、欺瞞に基づく利己的な加害を行えなくなります。一見、「欺瞞に基づく利己的な加害」など行わなくても、善良な市民として人間社会で暮らしていくことはできるように見えるでしょう。しかし一見そう見えるのは、私達人間の社会が、すでにあまりにもそれに敷き詰められていて、当たり前の普遍としているからなのです。誠実にしか生きられなくなった彼は、あらゆる裏切りに遭います。自分よりもずっと愚かで知識もない人達から、「世間知らずのナイーブな馬鹿」であるかのように自己欺瞞され、際限なく残酷な搾取の対象になりました。彼はすぐにボロ雑巾のように疲弊し、孤絶という生の袋小路に身を隠すしかなくなりました。
彼自身には悪意がなく、彼自身の目にとっては自己欺瞞から離れることの社会的な美徳があまりにも自明であるために、彼は普通の人々の悪意に遭遇するたびに驚愕し、山ほど親切にしてあげた相手が恩より利を優先して彼を外部化して派閥的いじめで襲いかかるたびに邪悪を目撃し、虐げられていた人を自分だけが助けてやってなおその相手から嘲笑され、自らの苦しみや死を娯楽として消費される事態に戦慄しました。したがって、彼の疲弊は、経済的または身体的な外面だけではなく、心のヒダの最も奥にまで及んでいたと言わざるをえません。しかし彼という存在は、しばしば気を失うほどの衰弱に晒されながらも、彼が信じる普遍的な正義の価値を手ばなそうとはせず、人々の幸福を救済しようという願望を失うことがありませんでした。