飛文症
子供の成長は早い。
笹子を産んだのがまるでつい昨日のことのようだ。当時は苦労で眠れなかったのだろうか、赤ちゃんの頃の思い出は殆どなく、比喩なしで真実、そう思ってしまっている。
「ねえ、お母さん。なんでずっとウネウネが飛んでるの?」
4歳になった我が子はいつ何時でも質問攻めをしてくる。この前、『トイレはどうして汚いの?』と聞かれたので細菌を理由に答えたら『細菌はどうして汚いの?』と返され、困ったものだ。今回は明確で助かる。
「それはね、飛蚊症って言って、子供の時はみんなある、目の中の線が見えてるんだよ」
笹子はそれを聞くと『へえ』と言ってまた積み木に戻っていった。血管などの単語を出すとまたそれについて問い質されそうなので適当な言葉で誤魔化したのが功を奏したのだろうか。
私は洗濯物を畳み終え、今すべき家事はなくなったので、ソファに座り、テレビをつけた。バベルの塔のように崩れ落ちそうなギリギリの積み木をしていた笹子もそれを切り上げ、ここぞと馳せ参じてきた。
「またいっぱいになった!」
光の刺激だろう。笹子のいうウネウネがよく見えるのか、楽しそうだ。
男のコンビが漫才をしている。
『血液型占いって知ってるか?』
『ああ、あれね、血液型で性格がわかるってやつ』
『そうそう、ちょうど血液検査したとこだしさ、お前の血液型見せてみろよ、占ってやるわ』
『オッケー。ほら』
『ふうん、なるほど。お前は陽気なやつで能天気っぽいな』
『へえ、何型の特徴なんだい』
『RHプラスの特徴』
この漫才は私に合わなかったので、面白そうな番組を探すが、どれもハズレだった。ニュースを見る。
『今日午前6時10分頃、長野駅前で刃物をもった男に3人が刺される時間が発生しました。1人は死亡し、残り二人に命に別条はありません。男は逃走し、県警は―』
「はは、何これ。ち、ち、ちがいっぱい」
笹子は急に笑い出した。血? いつの間に殺人事件を理解できるようになったのか分からない。つい最近ひらがなを読めるようになったばかりだと言うのに。いや、人死で喜ぶなど、不健全の極みだ。叱ってやらなくては。
「笹子。流石に殺人で笑うのはよくないよ。殺人事件には殺された人と、裁きの名の下に顔を晒される人の二つの不幸があるんだ。人を見下すのは人の性さ。でも、それをすると更に様々な人が逆撫でされて、不幸が更に増えるんだ」
笹子は全く見当のついていないような顔をしている。伝わらなかったのか、それとも濡れ衣だったのか。蚊が止まったか何かでたまたま血を面白がっただけなのかもしれない。
テレビを消したので、静かだ。
笹子がふと、口を開く。
「あれ、なくなっちゃった」