20話
喉輪はちょうど苦しいで済む塩梅だった。
つま先立ちできる高さに固定され、喉と頸動脈は健康被害が出にくい程度に締められている。
その正確に軽ダメージを与えてくる喉輪は、イヴァナカカが両手で全力で剥がそうとしても揺るがなかった。
全力でなおか細い抵抗にネモヤの眼光は一層鋭さを増す。
「けっ…マジでへなちょこだなテメー。
どう考えても有り得ねえ。
テメーにゴトケスウを殺れるわけがねえ」
ゴトケスウ…イヴァナカカが下剋上した魔侯の名である。
なんでそんなオッサンの名がここで出てくるのか?
理解できぬイヴァナカカはとりあえず蹴りまくった。
しかし何も起こらなかった。
陰湿に脛を蹴っても我慢してる素振りすらない。
金的を狙った際はさすがに空いた手で払われたが、どの道当たらぬのでは意味がなかった。
「暴れんなよ。
嫁探ししてるわけじゃねえんだ。
質問に答えろ。
テメーは本当に下剋上したのか?」
「し…した!
偏屈の字が悪魔になったようなヒゲ男!
ゴトケスウを名乗るそいつを決闘で破った!
ネットの顔写真と同じだったから間違いない!」
ネモヤの満足に期待するしかないイヴァナカカは誠実に答えた。
ネモヤは誠実を感じ取ったが、ボディーブローでもう一押しする事にした。
「へうっ!!」
「!?」
途端、イヴァナカカが腹を庇った。
ネモヤはまだ拳を握っただけだ。
単なる恐怖にしては正確過ぎ、防御反応にしては不自然過ぎる。
「(予知?
回避特化の魔技…?
そんなものがあるならなぜ捕まった?
なぜギヘカロバには殴られた?
ゴトケスウもこれにやられた?
いや…処刑の動画を見た限りでは…)」
瞬時に疑問を並べるネモヤだが答えは出ない。
ちなみに秘書が録画していたクヴォジ処刑戦の動画は全編モザイク無しでネット上に流されている。
後方支援だったネモヤにもイヴァナカカの戦力外ぶりは確認できた。
「…………」
科学者らしく実験が始まった。
喉輪を外し、右膝を5mm上げてみる。
「ぴっ!!」
イヴァナカカが頭を抱えてしゃがんだ。
が、外見上ほとんど変化の無いネモヤを見、恐る恐る立ち上がる。
次、できるだけ激しく淫らに犯す想像をしてみた。
「………………?」
イヴァナカカは訝しんだ。
初めてを乱暴に奪われかけた女のリアクションではあり得ない。
三寸の霧中に迷う、電源が抜けたテレビを見ようとしている時の顔だった。
ネモヤはこの2つの実験で相手の能力をおおよそ掴んだが、それでも納得はできていない。
どうしたものか悩んでいると、イヴァナカカがなぜか勝ち誇った鼻笑いを始めた。
「ふふん…んふふん」
「…何がおかしい」
「貴公、ツンデレだろう」
「あ?」
「我の事を本気で疎んじているなら完全に無視するはず。
好きの反対は嫌いではなく無関心なのだからな。
我への興味が抑えきれぬほど大きいから、こうして気を引かずにいられぬのだろう!」
「浅い。
無は好きを否定する位置にあり、反対方向と見る事はできるが対立でも逆でもねえ(図①)。
好き──────無──────嫌い
+ 0 −
1 1
0 0
0 0
図①
プラスの逆はマイナス。
ゼロじゃねえんだよ。
好きってエネルギーと対立すんのは嫌いってエネルギーで、ついでに俺はへなちょこ女が嫌いだ」
「めんどくさっ!」
イヴァナカカの口から本音が吹き出た。
魔王の行う議論や説教が面倒臭くないわけでは決してないが、ちょっとした聞きかじりに理詰めで返されるのは格別だった。
「に゛ゅ゛っ゛!!」
またネモヤが拳を握ると、イヴァナカカは奇声あげつつ顔を守る。
両腕が顔面を覆い隠した瞬間、蹴手繰りがハイヒールを飛ばした。
「あうっ!ぶげ!」
カッコつけるためだけに履いているカッコいい靴を飛ばされ仰向けに倒れたイヴァナカカは、避ける暇もなく腹を踏まれた。
魔王と異なり、これまた正確に弱ダメージな踏みつけだ。
「うん…無理だな、やっぱ。
目で見えてる範囲の体が追いつく危険しか防げてねえ。
何の攻撃力もねえ。
ゴトケスウを殺ったのはどんなイカサマだ?
いや、そうじゃねえか。
何が目的で魔侯ごっこやってる?」
「さっきも説明したろう!?
決闘したんだ!
支給された剣で!」
「ヒャハハッ!
知ってるか?
あいつ剣でジォガヘュと引き分けた事もあるんだぜ?
ンな強え奴にへなちょこで勝てる剣があんなら見せてみろや!」
「とりあえず、この刀を御覧になってもらいましょうか」
紳士的な声が会話に割り込むと同時、ネモヤの首筋へ片刃の剣が伸びた。
「何年付き合いがあると思ってんだ。
見飽きたよンなもん」
ネモヤは格別慌てず背後の紳士に返し、ゆっくり振り向く。
サンシンの眼光はネモヤに劣らず切っ先鋭かった。
「それよりいいのかよ恐妻家。
若い娘の前でカッコつけて」
「足蹴にされる女性を見捨てたとあれば、無様なやつめと怒られるでしょう。
助けたら助けたでモテようとするなと怒られるでしょう。
どうせ怒られるなら信念に殉じます。
さあ、可愛いお腹に跡がついてしまいますよ。
足をどけてください。
わたくしがいかに鈍でも、刀はそうはいきません」
「けっ…頭は研いどけよ。
ンな言われ方したら引きにくくなンだろが!」
「ほっ、これは失礼。
ではわたくしから納めましょう」
サンシンが鞘に刀を納める。
何気ない敵意ない動作で、イヴァナカカの瞬き中に白刃は消えていた。
ネモヤにも荒立てる意図はなかったのか、鞘が金属音を鳴らすより前に足を降ろし始めていた。
「大丈夫ですか、イヴァナカカさん。
落とし物を届けに来ましたよ」
サンシンはさりげなく巨乳の傍らに跪き、懐からハイヒールを取り出す。
「あ、ああ…ありがとう。
助かった」
イヴァナカカはぎこちなく礼を述べ、ヒールを履く。
ぎこちなさは屈辱でなく違和感からきていた。
どうして助けてもらえたかわからないのだ。
サンシンとは今のが初会話。
それにしては…紳士がただ紳士ぶったにしては、サンシンの笑顔には親しみがこもっていた。
処刑戦動画での自分の役立たずっぷりが、戦意と能力というプライベートの公開が親愛の源泉と知るのはだいぶ後の事である。
「ところで…ネモヤさん、どうして先程のような真似を?
独身の焦り?」
「クソ童貞みたいに言うな。
テメーにはあれがデートの誘いに見えたってのか!?あ!?」
「この腹はいいコンピューターボードになりそうだぜ的な…」
「コンピューターボードには乗らん!
ゴトケスウの件だよ!
気にならねえのか!?」
「それは…引っ掛かりはありますよ。
しかし弱肉強食は悪魔の常ですし…」
「このへなちょこがあのイカれ野郎を食えると思うか?」
「ああ、うん…逆にイヴァナカカさんの膾切りが我々に配られかねませんな。
ですが彼女自身が勝ったと言ってるんですし、詰める証拠もないでしょう。
なにより…」
「なんだよ」
「彼ならこう言うでしょうな。
『俺の死の謎?
そんなもの気にする暇があるなら死んでみたらどうだ?
直接聞きに来い!』とか」
「ヒャハハッ!
すげー言いそう!」
紳士とチンピラは立ったイヴァナカカを放っといて盛り上がり、どこかへ行ってしまった。
まだ連れ歩いてもらえるほどの仲ではないようだ。
イヴァナカカが喉輪をかけられる直前にいた曲がり角。
その陰でモフモフが舞っている。
「(どういうことじゃ…?
あの小娘、本当の本当に何も裏が無いのか…?
ふーむ…推理小説の読み過ぎかのう…)」
尻尾を撫でたが、2度で止めた。