19話
「これこれ、まだ魔侯が全員席に着いておらぬではないか」
モムビマが魔王を遮った。
席を立ち、長耳と巨大尾と爆乳をブルンブルン揺らして歩き、倒れっぱなしのイヴァナカカの側まで寄った。
着物が汚れるのも構わず、膝ついて格下の小娘を抱き起こす。
起こされたイヴァナカカはすぐ腕で顔を拭ったが、またすぐ涙と鼻汁が溢れた。
「可哀想にのう。
ほーら、ママのおっぱいじゃよー」
イヴァナカカは爆乳に抱きしめられた。
すると見事に涙が引いていく。
癒しだった。
屈辱は無い。
そんなものは同格以下と思い込んだ相手を逆恨む身の程知らずな自尊でしかない。
この時イヴァナカカは思い込みでなく力技で、爆発的雌フェロモンの怒濤で己の格下をわからされていた。
まさしく母乳に安らぐ赤子であった。
「あうう…」
「おーよしよし」
つい母乳に手が伸びる。
揉む。
コンニャク製バスケットボールだ。
その感触でイヴァナカカの内なる雌が冷めた眼を開く。
「バストサイズは?」
「乳か?
129じゃ」
「お世話になりました」
「無体な!」
イヴァナカカはモムビマを押し退け、何事も無かったように席へ戻った。
「本題に入ります」
魔王も何事も無かったように話す。
「次はズヨカオとの会談を予定しています。
日程は1週間後。
内容はフェミニズムの是非を問う議論。
結論次第でフェミニズムの廃絶を正式に決定し、流れ次第ではその場でズヨカオの処刑も考えられます」
またしても処刑。
当初からの主張とは言え、古参の魔侯たちは再び顔馴染みの死に携わる事になりそうだった。
物騒な話である…が、クヴォジの時のような緊張感は無い。
むしろ雰囲気が和らいでさえいる。
「っあ〜…やっっっとあのクソアマとお別れかよ。
シュワルツの手前、どうしようもなかったけど…娘が泥被ってくれるとなりゃ遠慮はいらねえよなあ。
大した孝行娘だぜ」
イヴァナカカが初めて見る笑顔のネモヤであった。
最初からこうだったなら怖じけて逃げるどころかすり寄っていったかもしれない。
「ほんにのう。
しかしあやつが叛意見せたとしてじゃ、いきなり処刑か?
どうせならきつ〜く長〜く灸を据えたいのう。
フェミニストもあれ単体ではないし、更生できるか検証が要るのではないか?
何より、わっちの気が晴れるわ」
旧敵の長苦を望むモムビマ。
魔界のフェミニズムはズヨカオが広めたもので、モムビマは何度となく対立してきた。
言葉通りもはや処罰を気晴らし程度にしか捉えておらず、更生の可能性など塵ほども信じてない。
ズヨカオが目の前で泣いて土下座しながら誓っても認めないだろう。
理に適った反応ではある。
もともと魔侯制度そのものが
『魔王と拮抗して魔界を良くしよう=魔界のために命をかけよう』という変態の発想で生まれたもの。
そこで汚職もせず真面目に勤めてしまう異常極まる変質者が、模範的悪魔のズヨカオを嫌悪するのは至極当然の道理である。
口に出しこそしないがジォガヘュ、サンシン、ムバジャーも大同小異で、近隣ゴミ屋敷が片付く安堵はあれ家主への同情は無い。
魔侯からズヨカオへの評価は魔王からクヴォジへのそれと大差なかった。
低空飛行どころではない地中行く土竜だ。
実母が同僚から散々に嫌われている事を知ったギヘカロバは、答え合わせで満点だった子供のように喜んだ。
「罷免と財産没収という落とし所はありますが、戦闘は避けられないものと考えておいてください。
彼女はそういう悪魔です。
ですが最優先は魔界のための議論。
ズヨカオの処遇は二の次ですので、少子化対策およびフェミニズムに関する主張もまとめておくようお願いします。
予行演習になりますし、この場でも何か意見あればどうぞ」
魔王が促すと、面倒くさい理屈屋が口火を切った。
「意見もなにも、テメーが全部言ったろ。
消えそうだから増やす。
それで全部だろうよ。
消えてもいいって奴は隅っこで黙らせとくしかねえし、消してえって奴とは殺し合うしかねえってこった」
そう、魔界のためになどという変態の問いにはその答えしか無かった。
自明の理が1番手に出てしまい、変態の集まりは沈黙する。
闘志を燃やしたのは悪魔たらんとするイヴァナカカだけだ。
さっきの笑顔を見てネモヤに少し心を許したせいもある。
「ネモヤ殿。
口が達者なのは良いが、貴公自身はどうなのだ?」
「あ?」
「貴公は増やしたのか?」
「子供か?
いねーよ。
俺の血を引くガキが哀れだろ」
「そんな事だろうと思ったよ。
それでは民草は納得すまい!
自分でできぬ事を一方的に押し付けられたのではな!
よく増やすのが全てだなどと言えたものだ!」
カッコいい!
貴族!
イヴァナカカは自尊心を満たした。
魔王にやられたのが並行世界の記憶に思えた。
が。
「よく言えたなだあ?
当たりめーだろ物理学者が光速で運動したか?
説明に自分は必要ねンだよ」
「うぐ…」
カッコだけなので、反撃され即手詰まりになった。
そこへ意外な助け船が来る。
船頭は魔王。
「重要な指摘ですね。
我々はどうにかして民衆に産み育ててもらわなくてはなりません。
このメンバーだけで5億も10億も産んだりはできませんし、近親交配の問題にぶつかってしまいますから。
となると、先導する手本として嫌でも家族を作るというのは少子化対策の1ピースでしょう。
ネモヤ、いいお相手はいないのですか?」
「あ!?
いねーよ!」
「なら探してください」
「ふんっぬぐ…!
ジジイにやらせろ!
有り余ってんだろ!」
ネモヤはジォガヘュに投げた。
「じじいか。
ぬしとてそろそろいい年だろうに」
「俺は…いいんだよ、スタイリストにも
『お若いですね300歳くらいですか!?』って言われてんだからよ!」
「じゃあわしもおーじさん」
「テメーはジジイだよ!」
脱線しかけたので魔王が戻す。
「ジォガヘュはお子さんいましたよね?」
「20作ったところで止めといたがな。
孫以降は正直どこまで増えたか把握しきれとらんわ。
後添いを得る気にもなれんし、じじいだから勘弁して」
「まあ…既に充分働いたと見ていいでしょう。
ムバジャーは?」
「搾り倒すのはそれなりに楽しいけど、子供は興味無い」
「あなたの子はあなたより強いかも知れませんし、あなたと毎日組手してくれるかも知れませんよ?」
「その手があったか」
戦闘狂のムバジャーは天啓の衝撃で立ち上がり、最も強いと認める雄を一直線に見つめ言った。
「やろう」
「やらない…」
ジォガヘュはうんざりした様子で断った。
精が有り余ってるのは本当だが、年齢一桁代から育ててきた養女の誘いで興に乗るほど若くもない。
色気もへったくれもない種馬扱いとなればなおさら引いた。
「サンシン」
ムバジャーは燕尾服の紳士を呼んだ。
「とてもワイルドな夜になりそうですが、妻に引っ掻かれますので…」
「ネモヤ」
「なんでも殴り合いで決めそうな女はちょっと…」
円卓の男は全員誘った。
キョロキョロ見回し、魔王の背後に立つ秘書を見つけるムバジャー。
「駄目です」
断ったのは魔王だが、無頓着ではあっても機微を解せぬわけではないムバジャーは素直に諦めた。
「保留」
「仕方ないですね。
イヴァナカカは?
クガとは何回しましたか?」
突然…いやその流れではあったが、助け船が救助者を突き落とした。
「しっ…したかだと!?
するわけないだろう!
彼はただの部下だ!」
「なら他にお相手は?」
「セクハラに答える気は無い!
今は仕事中だろう!?
いくら少子化対策してるからといって、我のプライベートに関わる必要はあるまい!」
「またですか…温泉でも似た話をしましたのに。
あなたは本当に育ちが良い。
誰かになんとかしてもらう生き方が染み付いてる。
いいですか、自分がしたい話以外関わるなというのはニートが親にするお願いであって、己の都合へ一方的に引きずり込む極めてプライベートな行為なのです。
職場はあなたのプライベートに合わせるべき遊び場ではないのです。
職場の仲間がセクシャルな話を聞かせろと言ってきたならそれは嫌がらせなどでなく立派な仕事なんです。
限度があるのは言わずもがなですが、仲間と親しみ労働意欲を高めあうのは仕事の一環なのですから。
あなたも知らない相手と家族のどちらと職場の利益を共有したいか、と聞かれたら家族と答えるのでは?」
「う…それはまあ…」
「職場の利益は職場全体の利益。
あなたの働きは私たちの利益。
私たちの働きはあなたの利益。
自分以外の誰かの利益になろうと思う事でより仕事に身が入る。
仕事に身が入るよう利益を与えたい誰かを作る。
誰かを作るためにプライベートをいくらか公開し、ほどほどに関わる。
あなたを完全無視して問題なく仕事が進むのだとしても、誰かがあなたのプライベートに関わる必要は無くとも、あなたが職場の最適化に努める必要はあります。
あなたが仕事をしているからです。
さあ、わかりましたね?
彼氏いますか?」
助け船は蟹工船だった。
どうしても働かなければならないようだ。
断れば今度は突き落としたところへギロチンドロップが飛んでくるかもしれない。
イヴァナカカは観念した。
「い、いない…1度も。
したことも…ない」
観念したが、見栄は捨てなかった。
本当は肉体関係はおろかデート1つ経験無い。
家と学校と職場以外での男との接点なぞ
『温めますか?』『いや、いいです』
しか無い。
だがそこまでは公開しなかった。
「ふむ…残念ですが、しばらくはいいでしょう。
民衆に対しても現段階では強制ではなく推奨ですし」
結果として、確かに魔王の反応からは仲間への気遣いらしきものが感じられた。
その後、会談当日の魔王城集合を約し会議はお開きとなった。
「は〜…」
イヴァナカカのため息。
複合的だが、安堵の成分が最も多いか。
命乞いをし、泣きっ面を晒し、年齢イコール彼氏いない歴の処女と明かした場からようやく離れられるのだ。
恥が消えたわけではないにせよ、恥が殴ってくる拷問の終わりではある。
緊縛を解かれた解放感が呼吸を大きくさせた。
「ん…」
大きな瞳から一筋の水轍。
安堵の涙だ。
我ながらいい年して泣き虫だな…と苦笑しながら拭き、魔王城の廊下を曲がる。
直後、イヴァナカカは首を喉輪で捉えられた。
勢いのまま壁に後頭部ドン。
「へがちゅ!!!」
痛みでまた瞳が潤む。
その泣きっ面を激怒の眼光が刺していた。