16話
「はおっ!!」
槍で受け流し飛び退くクヴォジ。
「話ならわしとしようや。
溜め込んできたのがいくらかある」
金棒の主が言うと、旧友は毒虫を見る顔で見返した。
己の性遍歴に詳しい同世代相手にXジェンダーの年寄りの特権は使えない。
別の自由を用意せねばならなかった。
「見てわからんのか。
俺は差別主義者に平等を教えるので忙しいんだ、お前と話す暇なぞ無い。
傲慢なやつめ。
お前たち健常者はいつもそうだ。
そうやって障害者を虐めて顧みない!
ただ対等の権利を望むだけの弱者を踏みにじる!」
「わしらが黙って槍のなすままを眺めていればいいと言うのか?
いっさいの咎めなしに…」
「そうだ!
それが障害者を尊重するという事だ!
いちいち謝らなくていい権利、いちいち礼を言わなくていい権利!
それを得てようやく健常者と対等なのだからな!」
「謝らなくていい権利?
礼を言わなくていい権利?
そんな権利は誰も持っていない。
わしも、魔界中の誰も。
初代統一魔王でさえ…あのパデルでさえ持ってはいなかった。
いたのはただの礼儀知らずだ。
健常だろうが最強だろうが、礼儀を知っていれば迷惑かける都度謝り、助けられる都度礼をする。
健常者が持つのは謝らず済むよう頼らず済むよう動く能力なのだ。
…クヴォジ…そんな事も忘れてしまったのか…?」
「では俺は道幅を取るたび謝るのか!?
背負われるたび礼をするのか!?
一生の間ずっと!?
そんな惨めをやってられるか!!」
「なら素直にそう言え!!
使えて当たり前の奴隷が欲しいとな!!」
「黙れクソガキ!!」
「なにをこのクソジジイ!!」
ちょっと年上のじじいが槍で突くと、ちょっと年下のじじいが金棒で打ち払った。
口喧嘩の質と反比例し、老害の潰しあいは恐ろしくハイレベルだった。
近づくどころか見ているだけで危ない。
削られ飛ぶ建造物と風圧で目をやられる。
老害2名は周囲全てを脅かす災害となって暴れまわった。
抜け目ない秘書がいつまでも妻をその場に残しておくはずもなく、魔王を連れてバルコニーまで避難していた。
「大丈夫かい?」
秘書が聞くと、回復した魔王が半身を起こしつつ答えた。
「風呂に入って下着を替えられれば完璧です」
魔王のタイトスカート内からは不随意運動による健康的な香りが漂ってきている。
秘書は何も嗅がなかった風に装い、魔王を立ち上がらせた。
戦闘ドローンがいるからだ。
大臣は総辞職し増援は落ち着いてきているものの、まだ絶えてはいない。
そして魔王も秘書もジォガヘュほどの攻撃能力は無いので、処理速度は先程までと比べようもなく落ちている。
「いやあ困ったねえ」
「困りましたねえ」
お茶っ葉切れを忘れていた熟年夫婦のように…いや『ように』ではなく実際80年近く連れ立ってはいるのだが、とにかく呑気に魔王夫妻は困った。
その様子にクガはまた怒りを燃やした。
「困ったってなんなんだよ!?
勝てるから…安全だから余裕ぶってたんじゃねーのかよ!?」
「しましたか?そんな話」
「いや?」
夫妻が顔を見合わせた。
ドローンが迫る。
ジォガヘュにも余裕が無くなったのか、バリアーはとっくに消えている。
ならぬ忍耐を重ねてきたクガの精神はいよいよ限界を迎えた。
「うわあああああああもういやだぁあああああああ!!」
走る。
階下のバルコニーに飛び降りるつもりだった。
反応したドローンの銃口が向く。
「危ないっ!!」
イヴァナカカがクガを抱き寄せる。
コンマ何秒かの後、クガの立っていた位置から走っていこうとした線上を機銃掃射が通っていった。
「バカ!離れるな!
我の側にいれば…少しはましだから。
我が守ってやるから…」
高所恐怖症の自分を置いて行かないでほしい、とは言いにくかったので、図らずも上司らしい発言になった。
頭ほどもある乳に頭を挟まれているクガは色々感動した。
「ぶぶばば〜…!」
「くすぐったっ!
乳に口あてて喋るな!
…わああそしてこっちに走れ!」
魔王と秘書が応戦しているが手が足りず、イヴァナカカとクガはフリーのドローンに狙われていた。
ドローンは機械らしい情け容赦のなさで逃げ一辺倒の弱者2名を撃ちまくる。
しかしイヴァナカカは走り、転び、這いずりまわり、奇声あげつつ前衛ダンスを踊り、クガをどうにかこうにか体のどこかには抱き寄せ、とても器用に不格好に生き延びていた。
「あ〜なんだここめっちゃ気持ちいい。
ここで死ねるなら悔い無しっス」
「我の尻に落ち着くな!
んっ…おいぃ、尻に挟まりながら息を荒くするなあ…!
動きにくいだろ…!」
残念ながらあまりに不格好が過ぎた。
走って踊って転んで座って互いの五体を何度も絡ませて…という変則的動作がイヴァナカカの平衡感覚を失わせていく。
奇跡的な逃げは動きが鈍る一方であった。
「うわあヤバいっ!」
イヴァナカカがクガを胸に抱き寄せ、叫びながら転ぶ。
素人目にはさっきまでと何が違うのかさっぱりわからないが、何かの失敗のようである。
やはり容赦なく銃口を向けるドローン。
その中心部に黒剣が深々刺さった。
「本能か?
結構」
黒剣の主が絡まる男女に感想を述べた。
述べつつ腰から伸びるワイヤーを引っ張る。
ワイヤーの先は黒剣と繋がっており、柄が見えなくなるほど埋まった黒い刀身はズバッと力任せに抜き取られた。
主は力任せに引いた勢いそのまま飛んでくる刃物の柄を一瞥もくれず掴み、またすぐ投げる。
今度は魔王が蹴りで地道にダメージを与えているドローンの中心部に刺さり、一撃で機能停止させた。
「へたくそ。
死ぬ所を狙え」
見本を見せて説教する黒剣の主。
魔王は素直に教えに従い、別のドローンを一撃で倒した。
「なるほど…色々ありがとうございますムバジャー。
下の状況は?」
「ネモヤの指示でサンシンとモムビマが地下を制圧しに行った。
ムバは暇でここ」
「魔獣は?」
問われると、ムバジャーは双剣の片割れに刺さる巨大ウェルダンステーキをかじって答えた。
「うーん羊肉」
ムバジャーの加勢で勝負はほぼ決まりきった。
ドローンはついに尽き、攻撃対象に設定されてなかったカイフシア脳も生きている。
イヴァナカカもクガも汚れまくっているだけで銃創は無し。
そしてクヴォジは…
「ぜっ…!ぜっ…!」
呼吸ひとつにも難儀している。
槍は軽量が売りだが、金棒に打ち払われれば結局その打の勢いを殺して構え直すのに莫大なエネルギーを必要とするせいだ。
もちろん根本は老齢による衰えが最大の要因である。
一方、莫大なエネルギーで打を放っているはずのジォガヘュはまだまだフル稼働していた。
「面倒な…!」
少しでも休もうと遠く飛び退るクヴォジ。
その背が壁にぶち当たった。
「なっ!?」
部屋の中央付近だ。
それも広大な玉座の間の。
何より老いと疲れがあるとはいえ壁までの距離を違えるほどではない。
ジォガヘュと距離をとったクヴォジが当たったのは、近くに張れないバリアーだった。
直後、バリアーを張ると同時に突進していたジォガヘュの上段蹴り上げがクヴォジにめり込んだ。
「ごぼはぁっ」
クヴォジは血反吐を吐き、力なく地に落ちる。
その着飾った肉の音に落ちた槍の豪勢な金属音が混ざった。
クヴォジはとうとう槍を手離すほど消耗していた。
見下ろして尋ねるジォガヘュ。
「魔技は使わんのか」
激しく咳き込むクヴォジはゆっくり呼吸を整えながら体を起こし、拾い直した槍を杖代わりに立つ。
突きの構えをとった瞬間倒れそうだ。
「…へへ…そんなもの…とっくに忘れた。
使い方なんて…覚えてない」
「嘘をつくな!!」
「本当なんだ!
本当に覚えてねえんだよ!
ジォガヘュ…俺らいくつになったと思う?
800超えだぜ?
天然記念物の死にぞこないだ…そうやって嘲笑ってた歳に自分でなっちまった。
もうろくに覚えてられねえんだよ…会談だって、1か月後に組まれてたら何の事だと怒鳴って追い返したろう。
だからお前が嫌なんだ。
わけのわからねえ、本当かどうかさっぱりわからねえ思い出話を、昨日の事みたくべらべら喋りやがる。
俺にはもう、ほとんど残っちゃいねえってのによ…」
「それで…自分の事しか考えなくなったのか?
思い出すわけにはいかないのか…?」
「お前の知る俺は、どんな奴だった?」
「みんなが笑って暮らせる世の中にしたいと…死んでそれができるなら悪くないと、おれに言ったじゃないか」
「フハハハハハッ!!
アハッ!!
ハハハハハハッ!!
ハァー…我ながら…なんて能天気な…」
「クヴォジ…今からでも…」
「お前にはわからねえよ!!
みんな死んでいなくなって、俺はこのザマなのに、自分だけピンピンしてるお前が適当な事言うんじゃねえよ!!
…誰なんだよみんなって…くそっ…くそっ!!」
「………………」
「ヘヘっ…へへへへへっ。
ジォガヘュ、俺は何度でもやるぜ。
命続く限り自分だけのために生きる。
気持ちよく長生きする!!
俺にはそれしか無いんだからな。
同じような連中かき集めてよ、次こそお前ら全員脳味噌にしてやるさ!!
フハハハハハッ!!
フハハハハ」
ボンッ
最長老の魔侯は粉々になった。
一瞬の介錯だった。
死にぞこないへの。
「葉が散るから木が生き残る。
花が朽ちるから新たな芽が吹く。
年寄りは死ぬのが仕事だ…」
新芽より数段強靱な老花の言葉。
説得力は無い。
しかし元より誰かを説得するためではなく、剪定した自分を慰めるための言葉だった。
「彼は賢将と呼ばれるほど知力で身を立てた悪魔のはず…。
どうしてこうなってしまったのでしょう?」
魔王の質問。
本気で不思議そうだった。
「力は道具に過ぎん。
奴は道具を己のためだけに使うようになった。
力で理を捻じ曲げ、力で世を壊した。
どうしてかは…奴が語った通りなのだろうな」
答えつつ、ジォガヘュが飛び散った破片の中から義足を拾い上げる。
「変わらなかったのはこれぐらいか。
墓にでも入れてやるかね」
そう言ったきり動かない。
ただ義足を見つめている。
周囲が黙って待っていると、思い出したように呼びかけた。
「わしは弔辞の文言を考えなければならん。
先に帰っていてくれ」
魔王がネモヤに確認すると、地下の制圧が完了し、城内のシステムも掌握できたとの事だった。
一行はジォガヘュを残し、罠が機能停止されたエレベーターで降り、外へ出る。
目を真っ赤に腫らしたジォガヘュが降りてきたのは30分後だった。