Mクロの世界
時は29世紀となった西暦2801年。暦を刻むことに大した意味は無いが…、私が研究を続けてきた年数を知るために数え続けている。今から777年前の2024年の夏。一度は沈静化したかに思えたコロナウイルスが変異・凶悪化し再び人類を襲った。人類は最先端の医療機器や、従来のコロナウイルスで得た経験を総動員させ変異ウイルスに抗ったが敗北。2024年度内に7億人もの人間が死んだ。それからは毎年おおよそ3億人ずつの死者を出し続け、わずか30年足らずで人類は駆逐された。
人類は有史以来、知能と利器で持って自身よりも力を持つ巨大生物や毒を持つ生物、数で勝る生物達を制し、種を戯れに絶滅させてきたがその報いなのだろうか。知能の欠片も意志も無い、自活すらできないウイルスというモノに種を食い荒らされたのだ。
私は幼少から貧血をよく起こし、特に朝は体が思うように動かず幼稚園に行くのにえらく時間の要する体質であった。体を動かすお遊戯会や運動会のような活動などは論外で、園の先生が身体活動を話題にするだけでも気が遠くなる程であった。病院にて検査をした際にその原因が判明する。
「赤血球の形状が球になってますね。体積に対して表面積が最小の形状です。これでは酸素の受け渡しの効率が悪い訳です。血管や血漿にもどう作用するのか未知です。今後どのような合併症を起こすかも分かりませんので普通の風邪や怪我などにも注意して下さい。」
そのように医者に警告される。だがその注意のおかげか、幸いな事に人生において命に係わるような大病を患う事は無かった。
自身の体がそのような特異体質であったことでエボラ出血熱やマラリア、天然痘、梅毒と言ったウイルスや細菌、抗体や治療法などに興味を持ち医学や製薬の道を志す。運動する時間は0であったが、その代わりと言っては何だが学生時代には興味・関心のままに勉強に打ち込む事ができた。そして医大に合格した年の暮れ、中国の武漢での変異ウイルス発生の一報を聞くこととなる。
その後はコロナウイルスとして日本国内だけでも数千万人もの罹患者を出した。しかし私は罹患すれば命に係わることが分かっていたので、大学に休学届を出し引きこもりながら独自に医学や薬学、話題のコロナウイルスについての研究を続けていた。そして数年後にようやくおさまってきた2024年から大学に復学。いざこれからという時にコロナウイルスは変異した。従来の飛沫感染・エアロゾル感染から空気感染・接触感染となり、短い2日の潜伏期間の後に発症し致死率は100%。大気中、水中、土中、どの場所でも生き長らえ、犬や猫といった他の哺乳類にも感染。その哺乳類には症状が出ないが人間には容易にうつす。人類にとって考え得る最悪のモノとなる。ウイルスの形状も従来の王冠型から星型と姿を変えステラウイルスと呼ばれるようになった。
人々はなすすべも無く死んでいった。細心の注意を払う。逃げる。隠れる。だが感染経路も分からぬまま大人数が毎日亡くなっていった。人口密度が高い先進国である程にごっそり死んでいく。便利さを捨て人のいない地域、いない場所に移住していくが地方は都会の人間を受け入れる事は無く緊急避難と称した殺人事件も多発する。死神に追いつかれれば命を落とす風刺画が世に沢山出回る。死体であってもウイルスを保菌しており大部分の国と地域で処理できない骸が町中を埋め尽くす地獄のような世界となった。ワクチン開発を担当するような研究職の面々は早々に亡くなった。人種・信条・性別・社会的身分・門地はもちろん年齢や貧富の差、体格も関係なく襲う。差別なく何よりも平等に。人類は絶望した。ワクチン開発の目途がたたず太陽が昇らない事が確定した。一様に思考停止し自ら首をくくる。もしくは神に祈るのみの単細胞に人は変わり果てたのだ。
先進国の人口のわずかではあるがコールドスリープに入った。致死率の高い変異したウイルスの性質的に長続きはしない。近い内に確実に無毒化するだろうという噂を鵜吞みにして。死神が飛び回る現世でなく未来に逃げる事を選択したのだ。
しかし800年近く経った現在。地球上で活動しているのは私1人だ。大森林と化した地球上であってもステラウイルスは生き続けている。私がコールドスリープの解除を誰かに任されているという訳では無い。しかし解除できるとしたら私しかいないという状況がすでに700年も続いている。人類は私を除き絶滅してしまった。
私の加齢が1/10程の速さになっている事もおそらく私自身のステラウイルスへの感染が原因なのだろう。なぜ私は感染しても他人のように死なないのか?長い生の中で研究してみたのだが、結論には至らず。血球の形状との因果関係を疑うがサンプルが何せ1つ、この身しか無いのだから研究や対照実験は非常に困難である。私の寿命はおそらくもうほとんど残されていない。朝に目が覚めるたびに今日も研究を進められると安堵の息を吐く。体が動くまでのしばしの時間をかけてからその一日を研究に費やす。視力や能力そのものも失われつつあるので常に不安は付きまとう。だが遂ぞ長い人生を賭した研究がようやっと形となった。
身体と身に着けた装備を極小化していくフィールドを生成する装置だ。ドラ〇もんで言うところのガリバートンネルやスモールライト。この装置により私の赤血球の特異性や、ステラウイルスのより詳しい形状や傾向を観察し弱点を発見することでいわゆるワクチンにあたるものを作れるかもしれない。いや、すでに一歩手前まで来ているので確実に作れるだろう。
ちょうど777年後という縁起の良い年に完成したのも何かの啓示であろう。コールドスリープされている人物の中には私の知り合いも含まれる。ここまで年月はかかってしまったが私がウイルスを駆逐し、人類を解放して7/4をウイルスからの独立記念日としようじゃないか。777年振りに人とお酒を飲み笑いあおう。そして最期を彼らに看取られたいものだ。
極小の世界に飛び込むその準備として宇宙服のようなものが必要であった。酸素の供給装置や体に密着し強靭な断熱スーツを身にまとう。そうして侵入する対象はステラウイルスに罹った私の血液が事前に輸血してあるマウスだ。
左腕に装着した電源を入れると体が一定のペースで小さくなっていく。およそ丸一日程をかけてナノメートルの世界、極小の世界へ。
8時間程かけて十分体が縮んだことで、血管に刺してある針からマウスの比較的大きい静脈内に到達。
ゴォー―ー―ー―っ!!!!
血液が轟音を立てながら流れている。血流に流されないように血管内に杭を打ち込み固定し耐える。血液が透明になるための薬を播き10分もすると視界がいくらかクリアーになってくる。血管内では比較的大きい抗体が体当たりしてくるが着こんでいるスーツのおかげで問題はない。血液内の赤血球は私が輸血した球状の血球と平らで中央のくぼんだ一般的な血球が両方見られる。目視ではそれらが仕事をしているかどうかは分からない。ただ水族館の鰯の群れのように流れているのが確認できるのみである。更に数時間が経過してより体が小さくなってくると明かりで照らせる範囲がだんだん狭くなり、相対的に血管内が非常に大きな洞窟のように感じられる。しかし、まだウイルスは確認できない。ウイルスの世界はよりもっと極小である。
ミクロ化させる装置の電源を入れてから1日近くが経った。すでにヘッドライトが照らせる範囲は極狭い範囲だけに。ライトの向いていない方向は暗く真っ黒である。血液の流れは上方で音と流れが感じられはするがほぼほぼ気にならない程に。そこまでしてようやくぎりぎり目視が出来る程のステラウイルスが確認できた。目視できるだけでどれだけの数がいるのかは分からない。細胞内を拠点としているステラウイルスであるが血管内であっても見えるだけで数百万は存在しているようだ。
「こんなものに全人類は命を奪われたのか」
暗い中で目の前に浮いていたステラウイルスを戯れに人差し指と親指で潰す。あっけなく形を保てずに崩壊しほろほろと崩れる。
「こんな簡単な事ができずに…」
目を瞑り800年の人生を思い返す。長く研究を続けられた心の要素に復讐が存在していた事を初めて実感した。
そして数十分。体が小さくなり、目を開けてそろそろステラウイルスの形状をしっかり観察しようとしたところある事に気が付く。
「太陽…」
明らかに燃える恒星が確認できた。その周辺も観察してみると太陽の周りに位置する水星、金星、火星、小惑星軍、木星、土星、天王星、海王星が確認できた。これは明らかに太陽系と呼ばれるものである。
極小の世界に飛び込んだはずであるが、どこかで継ぎ目なくそのまま極大の世界に変わっていた。
「原子とその粒子の構造。原子核の周りを電子が幾つか回っている…。恒星の周りを惑星が幾つか回っている…。」
「極小の世界と極大の世界とは構造を超えた同義であったの…か?」
「2の8乗である256を超えて257になると1に戻ってしまうようなものか…?」
「…戯れに指で潰したアレが地球であったのか…」
「私は思わぬ形で人類の解放とウイルスへの復讐を成し遂げていたのだな。」
私は左腕にあるスーツの電源を落とした。
私から生まれたステラウイルスを最期に根絶するために。