祖母
「あっ、おばあちゃん」
「あら」
電車に乗って隣町に来た彼。ふらりと立ち寄った食品雑貨屋で祖母と出会う。祖母はこの町から電車で駅四つ離れた町で暮らしている。多分、買い物に来たんだろうと彼は思う。が……
「あら、誰かしら」
「いや、孫だよ孫」
眉を顰める祖母に対し、彼は少々不安を感じる。
「知らないわぁ。知らない! 孫じゃなーい! でーす!」
「いや、孫だよ。あ、孫です! 孫なんです!」
店内で大声で孫じゃないと連呼する祖母に対し、彼は周りに弁明するようにそう声を張り上げる。
が、周りの様子はやや同情的か。そのことがむしろ彼の不安感を高めている。
店の者に迷惑がられているのは明白なので彼は祖母の手を引き、一先ず店を出て、歩幅を合わせ一緒に歩く。
「何か食べに行く?」
「いや、急な話」
ケロッとした祖母に対し、彼はほっとしつつも、しかし先程のアレが冗談ではないことはわかっているため、やはり不安は拭えない。祖母は冗談は言うが常識人であった。店の中で叫ぶことなどしない。孫を孫じゃないとも言わない。
「で、おばあちゃん、今日は買い物か何か? って急な真顔。怖っ」
スンとした表情の祖母に彼は怯えた。が、すぐまた笑顔になる祖母。
彼は母親に祖母の異常を告げねばならないと考える。そして助けを求めねば、と。しかし、充電切れか、ポケットから取り出した携帯電話の画面は真っ暗。
「ねえ、おばあちゃん。携帯貸して。母さんの番号登録してあるよね」
「うーん」
渋る祖母。そして、ニヤニヤしながら言う。
「あなた、本当に孫ぉ?」
「いや、その警戒心は大事にして欲しいけど結果、無防備だと白状したものだよ……」
「貸して」「貸さなーい」と何度か繰り返しやり取りしたのち、祖母から携帯電話を渡された彼は祖母と二人、並んで歩きながら母親に電話をかける。
が、繋がらない。三回かけ直して繋がったのは留守番電話メッセージ。オリジナル。おちゃらけた母の声。
彼は仕方なく、諦める。どうしたものか、とりあえず改札を通して祖母をちゃんと送り出さねばと、おれは思う。と、ここで、彼はおれになる。
そう、おれだ。そしてこれは夢だ。
先程からの違和感が消えるも、おれが彼になることで、二つの異なる色の液体が混ざるように濃く、黒く、彼が抱えていた不安感をおれも味わう。
とにかく駅へ。そう思い、駅へ続く陸橋、その階段を祖母と二人で上る。ふと、エレベーターの方がよかったのではと思うが祖母は軽快な足取りで、少しほっとする。
駅前に着く。先程、お昼頃だった気がするが、もう夜に。しかし、そこは夢。だからさほど気にならない。それよりも行き交う人々に気さくに話しかけようとする祖母を止め、改札口へ向かう。
「元気してる?」
「ちゃんと食べてるの?」
「お友達はいる?」
話しかけてくる祖母に相槌しつつ、おれは、むしろこちらが訊きたいと思う。
元気にしているの?
変わってしまった祖母に会うことを躊躇い、おれが祖母が居る老人ホームにやっと行ったときには、祖母はほとんど寝たきりで会話もできなかった。
ちゃんと食べている?
肉を減らし脳を減らし痩せ細り、萎れた風船のような様。固形物は食えない状態だった。
友達はいる?
それはいるだろうな。はて、なぜおれはそう思ったんだろうか。
まあ、友達は多い人のようだった。妹とも仲が良かった。
やや毒舌な部分もあったがちゃんと冗談になってた。
トランプで良い手が来た時、その手札で顔を隠して笑う人だった。
可愛い笑い方をする人だった。
ワインを飲むとすぐ顔が真っ赤になる人だった。
二人、切符を買い、改札口で祖母を見送る。本来なら家まで送り届けるところだが、これは夢。
名残惜しいが、おれは別の線。やがて歩きだす。
何かいい別れの言葉があってもいいところだが、それもまた夢。都合よくはいかない。
改札口を通り、階段を下りるとそこは線路の前。電車に乗るつもりが、はて、なぜだろうか。戻ろうか。いや、一度駅から出てしまったし、なぜか切符は拉げている。
では仕方ない。家路を歩いて行こうか。そこは見覚えのない場所で当然、道も知らないが、おれはなんとなくどう行けばいいかわかる。
――祖母は迷わず行けたのだろうか。
ふとそう思う。大丈夫だ。ちゃんと改札を通ったんだから。
不安感は消えた。が、完全にではない。
これは多分、自分の行く先のこと。
歩いていると、十匹ほどの蛙が向かい合わせで並び鳴いているのを目にする。
これも何かの暗喩か。でも、おれにはわからない。