日記 2022/1/11
私の余命は残り一ヶ月らしい。
電話で無機質に機械音声がそれを宣告したときは、流石に少しショックを受けてしまったけれど。慣れてしまう。一ヶ月という無駄に長い時間が良くなかったかもしれない。
自分でも嫌だなあと思う。でもそんなものだ。
私は会社の直属の上司とごく僅かな友人にのみそれを伝え、それ以外は特に変わりなく、日常を送っている。
死ぬと決まったら、速攻で会社辞めて借りられるだけ金を借りて豪遊して、最期はヘロインやってバンジージャンプしてやる・・・などと、豪語していたけれど。いざその時になってみて良くわかった、私は酷い意気地無しだ。
辞めます、の一言が喉奥で痞える。
私が借りるだけ借りた金を返す人のことを考えれば、体が縮こまる。
バンジージャンプの飛び込み台から一歩踏み出す勇気など、最初から私は持ち合わせていなかった、というわけだ。全く、情けない話である。
あと一ヶ月で死ぬというのに、私は今日もスーツを着て、満員電車へ一歩踏み込む。
いつ終わりが来てもいいように、生きているつもりだった。
いや、そう言って自分を騙していただけだ、自分は善い人間だと。
私はただ1人、布団の上で寝そべっている。もうすぐ時計は正午を指す。
あと時計がもう一周して、日付が変わったら、私はまたスーツを着て、満員電車に乗るのだ。
今日は曇り。薄暗い部屋は夜を錯覚させ、私を怠惰な眠りへ誘う。
横尾忠則の画集を読んだ。
亡くなった愛猫への想いを綴った絵画91点。そしてそれに添えられた文章。
画集の最後は、横尾が想像した「天国のタマからのメッセージ」で締め括られる。
愛犬を亡くした時、涙を流しながらこれを読んだことを思い出す。
いざ自分が愛犬の元へ旅立つことになって、考えること。
自分は、誰かにこれほど想ってもらえるほど、何かを残せただろうか、と。
「なぜそうやって普通どおりの生活を送っているように振舞っているんだ。時計を止めろ。バスターが死んだんだぞ。」
などと。
自分を想って、世界に怒ってくれる人など、私には、誰も。
あれほど、何かを成さなくてはならない、後悔なく生きねばならないと、半ば強迫のように生きてきた私が、最期に思ったことは、あまりに見当違いで、情けない、陳腐な感情だったことなど。
最期まで隠し通さねばならない。