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なつにうたうもの

作者: 宵千 紅夜

 一瞬吹き抜けた風は濃い潮の香りだった。穏やかにうねる波が岩にぶつかり、小さな水滴に変わる。岩の陰からは取り残された海水がちろちろと海に帰っていく。岩の上に立ち、私はうっとりと目を閉じた。

 広い漁港はうねうねと人口的な曲がり道を作って海にせり出しているが、プールサイドのような直角の波打ち際では、時折見える小魚の群れくらいしか楽しめるものがない。ガチャガチャと並べられたテトラポットの山を抜け、岩を伝って下まで来て初めて波打ち際と言える。砂浜ではないが、波に洗われ丸くなった小石と貝殻のしゃりしゃりと鳴る音が心地よかった。

 岩の上で穏やかな風を受けていると、ざばっと波が岩にぶつかり、岩を一瞬取り囲んで帰る。

 私は今、海の上に立っている。紺碧の海の上に一人で立っている。大きく息を吸い込み、海に足を投げ出すように腰を下ろした。ごつごつとしていて決して座り心地はよくなかったが、居心地は最高だった。

 空は快晴、波は穏やか。こんな日には決まって海が恋しくなる。まるで丘に住むクジラのように、海に呼吸をしに来る。海面に出て息を吸いまた深く深く潜るように、海面を見て息をたっぷり吸い、何かエネルギーのようなものを補給するのだ。横になって、一面に見える空に息をすべて吐きだした。

 ふと、投げ出した手に何か乾燥した軽いものが触れた。貝かと思って見ると、それは白い骨だった。体を起してよく見ると、絵に描いたような骨で半分に割れて手に収まるような大きさだった。しかし、鳥や犬猫のものと言うには少し大きく、人かそれ以上の大きさの生き物の骨だろうと思われた。波で洗われ岩の上で日光に干され白く乾き、髄が入っていた中は綺麗な空洞だった。しゃがみ込み骨を手にとった。軽くすべすべとした骨。

 遠くから細く長く呼ぶような叫ぶような嬉しいような物悲しいような、胸に響く歌が聞こえた気がした。海を揺さぶるようなクジラの歌。

 この歌は海の中ならもっと美しく響くはずだ。私は海に飛び込みたい衝動に駆られた。しかし、水着でなければタオルも着替えもない。私は骨をぎゅっと胸に抱いた。

「えいっ――!」

 ああ、どうせ人が来ないところなんだから、Tシャツくらい脱ぐべきだったかも。遅かった。夏とはいえ冷たい水に驚き一瞬だけ戸惑ったが、頭まで水につかり重力から解放されると、またクジラの歌が聞こえた。骨がするりと手の中から浮かび、私が浮いているのとは別の強い流れに乗って見えなくなった。自由に強く歌う声が体中に響き渡り、目をつぶった。

 不規則に揺れる波に揺られながらしばらく潜っていたが、足にさわさわとまとわりつく

海藻がいい加減に気持悪く、浅瀬に上がった。水から上がると身体が重いものだと気付く。べちゃべちゃのシャツやズボンもそれを助長していた。

 気持ちいいけれど気持悪い。楽しいけど悲しい。私は苦笑いしてしまった。

「うわっ、なにお前! どうしたの」

 岩場の蔭からひょっこりと見なれた顔が現れた。

「ありゃ、来れないんじゃなかったの?」

「来ましたよー」

 彼は困ったのもを見る顔で私を眺めている。

「つい出来心で飛び込んじゃった。着替えもタオルもないけど」

 弁明にならない弁明を言いながら笑う私に、呆れたような笑いで応えた。

「風邪ひくから、帰るよ。ほら」

「じゃあTシャツ貸してよ」

「嫌だよ」

 笑いながら先を歩く彼の後を、べちゃべちゃのサンダルで追った。

 最後にテトラポットに上からもう一度海を見た。あの骨クジラはきっと今頃、沖に出て自由に泳いでいるに違いない。私を巻き込んで海に飛び込んだんだ、沈んでなんかいたら許さない。

「なーにニヤニヤしてるんだ、ほらキリキリ歩けー」

「サンダルが気持ち悪いんだもーん」

 テトラポットから降りると、マイペースで彼を追いかける。風が私を追い抜いて行き、潮の香をさせて過ぎて行った。


   〔了〕


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