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神様のミサンガ  作者: よしふ
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3

 太陽が西に傾き、ようやく昼の明るさに陰りが見え始めた街並みの中を、二人は涼しく気持ちの良い風に当てられながら駅前のスーパーへと向かった。明久の濡れていた髪の毛も、通り過ぎていく風が少しずつ湿気を取り去って乾いていく。二人はそんな風の中を、ゆっくりと並列しながら歩いた。

明久たちの今向かっているスーパーは、事件の起こった場所のものよりも少し距離は離れている。しかし、店内には日用品売り場や百均、本屋、さらには服や眼鏡売り場まで設けられており、通常のスーパーマーケットと比べてもなかなか規模のでかい場所であった。駅前という事もあり、割と客入りの良い店でもある。明久は、昨日の一件での気まずさやそんな品揃えの豊富さからこの店を訪れることに決めた。いや、それ以上に、最近こちらで買い物をしていないという興味心の方がでかかったのかもしれない。明久はそのスーパーへと向かう途中、そんな興味心に少し気持ちを弾ませながら、横に並んで歩いていたユキにちょっとした疑問を投げ掛けた。

「そういえばお前、神様の不思議な能力が使えるって言ってたよな。それって、こっちの世界では使えないのか」

明久がユキに顔を向けると、ユキは困ったように首を傾げる。ユキの髪は風に吹かれるたびにふわりとなびき、髪の一本一本の柔らかさまで映えて見えた。

「うーん、それが、こっちの世界だとどうも力が上手く使えないみたいなの。一応体の中には力の感じは残ってはいるんだけど、それを使おうとすると体の表面で()き止められちゃう感じ。やっぱり、ミサンガみたいなものを通してじゃないと使えないみたいなんだ」

ユキが答えると、明久は静かに頷いて、空に浮かぶ一筋の飛行機雲を眺めた。飛行機雲は少しずつ風に煽られながら横にずれていき、飛行機から最も離れた部分から空の青に消えていく。

「でも、能力そのものは使えないけど、私と契約した明久は私の力の影響を受けると思うよ」

「影響?」

 明久は空の飛行機雲から顔を戻すと、横を歩いている自分の胸ほどの身長もないユキに視線を落とした。

「うん。私、疫病神だからね。それと契約した明久はミサンガ付けてるし、不幸な事でも起きるんじゃないかな」

「え」

 明久はユキの言葉に、変に上擦った素っ頓狂な声を漏らした。そして、今日一日の出来事を思い返す。確かに、馬鹿みたいな内容ばかりではあるが、普段の生活の中からすれば不幸とも言えるような出来事が多い。もちろん、不幸と言うにはあまりにも情けない内容ではあるのだが。

「まあ、身の回りにある、ほんとに些細(ささい)な事ばかりだからね。いきなり訳もなしに殴られたり、食べるはずのご飯床に落としちゃったり、そんな事が起こるかも」

その瞬間、明久は激しい衝撃と共に、一気に猛烈な憂鬱に襲われた。

 あれ、お前が原因だったのかああ―――!

明久はあんぐりと口を開けたまま、口の中から自分の生気を漏らしていく。

もし、あれが本当にユキの言う影響であるならば、明久はこれから先、常にあんな嫌がらせみたいな地味な不幸を耐え続けなければならないということだ。いくらあんな小さな不幸だったとしても、積み重なれば相当のストレスだ。明久は、これからまだまだ続く事を考えると、気持ちだけで負けてしまいそうになった。

「で、でも、極端にひどいような不幸は起こらないし、明久の身の周りにいる人たちには影響はないよ」

 ユキは口からどんどん生気の抜けていく明久を見ると、慌てたように明久に弁解した。しかし、そんな声にもまったく応じることなく、明久は放心した間の抜けた表情で明後日の方向を見つめる。

「あぁぁぁぁ」

 明久は言葉とも思えない声を発しながら、もう一度空に浮かぶ飛行機雲を眺めた。青く澄み渡った空と白い飛行機雲が何とも綺麗だ。できればこのまま空に溶けて消えてしまいたい。

 しかし、明久のそんな思いとは全く別に、気の抜けた顔をする明久を見たユキは、ますますあたふたと混乱した。明久を見ては左横を向き、右横を向いては明久を見るをひっきりなしに繰り返しては、どのように明久に声を掛けたらいいのかと模索する。そして、もはや答えの見つからなかったユキは、困り果てたように悲しい顔をして下へと俯いた。

 それに気付くと、明久はあんぐりと開けていた口を閉じて、俯いているユキを見つめた。

「・・・まあ、そんなに気落ちしなくても大丈夫だよな。一つ一つは本当にどうでもいいような些細なことだしさ、気にしようとしてる方がなんだか情けないもんな。それに、お前だってわざとやってるわけじゃないだろ」

淡々(たんたん)とした口調に、弱々しい声。しかし、その声には確かに明久なりの優しさが()もっていた。ユキは俯かせていた頭を持ち上げると、人形のような瞳をパチクリさせる。意外な反応が返ってきた事に、頭が追い付いていないといったようなキョトンとした目だった。それを見ると、明久は視線を逸らして、道の向こう側へと顔を向ける。そして、明久は照れた表情を隠すように、うなじの部分を意味もなく()いた。

「それよりお前、お願い事決まったか? 一応時間的には今日余裕あっただろ」

 すると、ユキは一時停止された動画が再び動き始めたときのように、また顔に表情を見せ始めた。

「えっと、それなんだけどね。私、明久が作ってくれたお昼ご飯食べてるとき、やっぱり美味しいって思ったの。この世界の食べ物は見たこともないし、私の知ってるようなものでもないんだけどさ、食べてみるとすっごく美味しいの。こんなに美味しいものがあったんだって。だからさ、私、もっともっとこれからもたくさん美味しいものが食べたい」

「美味しいものが食べたい?」

「うん」

 その、自分の想像とは全くかけ離れた要求に、明久は思わず吹き出してしまった。

「そんなんでいいのか?」

 明久が笑いながらユキに訊くと、ユキは笑顔で首を縦に振って白い歯を見せる。ユキの笑顔からは、偽りや後ろ暗さは全く感じられない。きっと、この願いは彼女の本心から来る願いなのだろう。そしておそらく、ユキはいつもこんな風に自分の心に正直に、純粋に生きてきたのだ。だからこそ、この少女が原因で自分が不幸になっていくと聞いた時も、明久はこの少女をどこか憎む事ができなかっただと、明久は何となく彼女の笑顔を見て理解した。

「分かったよ。それがお前の望みっていうなら、お前の望み叶えてみせるよ。お金の面とかあるから、俺のできる限りにはなるだろうけどさ」

 明久が笑みを浮かべながら答えると、ユキは「うん」と、大きく頷いてみせる。それを見て、明久は歩いたまま優しく拳を握りしめて、ユキの目の前にゆっくり持って行った。ユキの視線の先まで拳を突き出すと、明久はユキにも拳を出すように視線を送る。それを()み取ったユキは、自分も同じように小さな拳を作って、明久の拳の前に持ち上げた。

「これでやっと、本当の形で契約成立だな」

 そう言って、ユキと明久はボクシングの挨拶のように、お互いの拳を優しくぶつけ合った。拳と拳がコツンと静かにぶつかり合うと、二人はお互いに笑みを浮かべて笑い合った。

ほんの少しの間の動作に、ほんのわずかのふれあい。そこにあるのは、物体の運動という(がん)(ぜん)とした事実だけだが、それが人と人の心が通じ合ったものであるとき、ほんのわずかだが意味合いは変化する。お互いの拳は再び明久たちのもとに戻されるが、触れ合ったところはわずかな感触を残した。

日は少しずつ西の空へと落ちていき、空の色を朱色に染め始める。温かかったアスファルトの地面も、少しずつその熱を冷ましていく。先ほどまで見ていた飛行機雲も、今は空の風に吹かれてその姿を消し、空は青と朱色、二つの色が織り交ざって下の街並みを染めていた。少しずつ、少しずつ、夜に近付いていく景色。不思議と、(ほが)らかになっていく気持ち。すべてが明久たち二人を包み込んでいく。

明久たちは目的のスーパーへと辿り着くと、店の入り口まで近付いて、自動ドアを立ち止まることもなくその先へと入っていった。店内へと入ると、明久は近くにあった買い物カゴを手にとって奥へと進む。中は暖房の暖かな空気で満ちており、外とはまた異なった音が溢れている。明久たちは食料品コーナーへと向かい、陳列(ちんれつ)された様々な食材を二人で選びながら取っていった。最初は何を作るかなど全く決めていなかったが、店内の商品を眺めたりユキと会話したりするうちに、今夜はカレーを食べようということになった。しばらくの間、あてもなく店内をさまようと、人参、ジャガイモ、豚肉、カレー粉、その他諸々(もろもろ)を二人はカゴの中に入れた。その後、他にも必要なものがないかを店内をうろうろしながら考えると、明久は心を決めたように首を縦に振って、隣にいたユキに声を掛けた。

「よし、だいたいは買い終わったし、特に今必要なものはないな。それじゃあ、お前の好きなもの一つだけ買ってきていいぞ」

「ホントに!?」

明久が頷くと、ユキは待ちかねていたかのようにお菓子コーナーへと走りながら向かって行った。ユキは陳列棚の前に立つと、ずらりと並ぶお菓子に目を輝かせながら眺める

「明久、全部食べちゃダメかな?!」

「お金が足りねーよ」

 明久が答えると、ユキは顔を戻して悩んだようにお菓子たちと睨めっこした。その顔は真剣そのもので、決して他の者に立ち入らせる隙などない。

「こりゃ少し時間がかかるかな」

 明久は苦笑いしながらその様子を見つめると、「俺、その辺の商品見てるから、決まったら教えてくれ」と、お菓子を選んでいるユキに言った。ユキは相変わらず真剣な表情をしたまま、返事すら忘れてお菓子を眺めている。明久はそれを放っておいて別の陳列棚に視線を向けると、特に当てもなく並べられている商品をゆっくり歩きながら眺めていった。保存のきく缶詰商品が大量に並べられているところ、しょうゆ、みりんなどの調味料が置いてあるところを通って行くと、少しずつ要冷蔵食品売り場へと向かっていく。そして、死角になっていた陳列棚の先に視線を向けたとき、一人の、見覚えのある少女を見つけた。

 白く透き通った肌に、うなじが隠れる程度のショートカット。落ち着いた雰囲気の中に、どこか冷たさの感じられる表情。そして、右手首にミサンガ。

会話こそした事はないが、今朝、校門付近で見かけた秋月三郷という名の少女が、確かにその食品売り場の中にいた。

 彼女も夕飯の支度でもしに来たのだろうか。

 明久は、制服姿のまま陳列されている商品の前に立っている秋月の姿を見てそう思った。この時間帯に来るのは、夕飯の支度をしに来た主婦や、仕事の帰宅ついでに立ち寄っている客が多い。明久自身、夕飯の支度のためにここに来ている。だから、彼女もそういった理由でここに来ているのだと、明久は考えたのだ。

しかし、買い物をしに来ているには少し様子がおかしい。買い物に来ているのであれば多かれ少なかれ店内の商品を見るはずなのに、さっきから彼女はそんな商品には目もくれずに別の場所を見つめていた。明久はそんな彼女を不審に思いながら、彼女の見つめる先に視線を向けた。

そこには、中学生ぐらいの男の子が陳列棚の前で店の商品を手に取りながら立っていた。その商品の持つ少年の右の手首には、またも明久と同じようにミサンガが括り付けられている。そして、少年はしきりに辺りを見渡しては他の客が見ていないかを確認していた。その動きは、ただの買い物をしに来ているにしてはどうも不自然な動きだった。少し緊張しているのか、後ろにいる明久や秋月の姿に気付いていない。そして、そのままゆっくりと棚の前から離れると、その直後、少年は気付かれないように、そっと商品を手に持っていたバッグの中に入れた。

明久は驚いて、すぐにその少年を引き止めようとした。その場を去っていこうとする少年のもとに駆け寄って、少年に声をかけようとする。しかし、それよりも早く、同じ一部始終を見ていた秋月が去っていこうとする少年の右手首を掴む。そして、いつの間にか取り出していたハサミで、いきなり少年のミサンガを切ろうとした。

「お、おい!」

 俺は突然の彼女の行動に、慌てて彼女のハサミを持つ腕を掴んだ。ミサンガへと一直線に進んでいたハサミは、あと一歩のところで制止する。

「何やってんだよ!」

 明久に手首を掴まれた秋月は睨みを利かせながら振り向いた。

「・・・なに」

 秋月は冷たい視線を明久に向けると、くぐもった声で明久に訊いた。白い肌に、ふわりとなびく髪の毛。一瞬、たじろいでしまいたくなるぐらい、凍りついた目。その姿に少しの間、明久は何も言い返す事が出来ずに、ただ秋月の腕を掴んでいた。その隙に、少年は秋月の手を振り払って逃げていく。途中で盗もうとしていた商品を床に落としていったが、少年がそれを取りに戻ってくる様子はなく、秋月もそれを気にすることなく睨み続けた。

「どうして、急にこんな所でハサミなんか出してんだよ」

「・・・私はただ、あの子のミサンガを切ろうとしただけ」

 秋月は明久の腕を振り払うと、気だるそうに視線を落として手に持っていたハサミを鞄の中にしまった。

「そんなの注意すればいいだけの話だろ。なんでわざわざあの子のミサンガを切る必要があるんだよ」

 明久が訊くと、秋月は少しだけ顔を上げて、明久の右手首にあるミサンガを見つめた。そして小さく吐息を漏らすと、再び顔を戻す。

「・・・そう、あなたも契約者なのね」

 秋月は鞄のファスナーを閉めると、今度はしっかりと顔を向けて明久に言った。

「あの子は犯罪をしようとした。そして、あの少年もおそらく私たちと同じ契約者。それだったら、犯罪をしてしまう前に、同じ契約者である私たちがミサンガを切って上げるべきよ」

「いや、そんなのおかしいだろ。確かにあいつは悪い事をしようとしたけど、ミサンガが切れたらこの世からいなくなるんだぞ。そこまでするような事じゃないだろ」

明久が言うと、秋月は疲れたような表情で嘆息を漏らした。

「あなた、何も知らないのね・・・」

 秋月は冷たい表情を向けたまま、明久にそう言い放った。その言葉は、なぜだか深く明久の胸に突き刺さる。

「私たちと契約するあちらの世界の住民が、皆良い人だとでも思ってるの? 悪意の持った者や、邪悪な存在が契約したら、自分の存在を知らしめるためにわざと契約相手の良心を奪い去って、悪事を働かせようとすることだってあるのよ? さっきの子なんかもそう。今はまだ万引きっていう犯罪ですんでるけど、いつ人殺しや大きな事件を引き起こすかも分からない。そうなったら、事件に巻き込まれた人だけじゃなく、良心を奪われた契約者本人もかわいそうよ。自分はただ生きる事を望んだだけなのに、その体は自分の意思に関係なく悪い事に使われる。そんなの、明らかにおかしいじゃない。だったら、そうなる前に同じ契約者である私たちの手でミサンガを切ってあげるべきでしょ」

 彼女は冷めきった表情のまま、ただ淡々と口を動かした。それは、一種の諦めのようにも、込み上げて来そうな感情を押し殺そうとしているようにも見える。明久は秋月のその言葉に思わず表情を曇らせて、彼女の右手首に付いているミサンガを見た。彼女のミサンガは自分のものよりも薄黒く汚れており、一部には血が乾いて黒くなったような箇所さえある。

この少女は、どれだけの事を経験してきたのだろうか。

 今の明久にはそれを知ることは出来ない。彼女が何を抱えてこんな事を言うのか、見当さえつかない。ただ、やっぱり彼女のやろうとした事が正しいものだとは思えなくて、「・・・だったとしても、このやり方は間違ってるだろ・・・」明久はいつの間にか力の失せた声で、秋月に言った。

「・・・別に、あなたの同意なんて求めてない。私は自分の力を悪用して悪い事をしようとする契約者が嫌いなの。だから、私は悪用しようとする契約者は絶対に許さないし、邪魔するようであったら、その人だって攻撃する」

 秋月は苛立ったように言葉を尖らせた。

「もう邪魔しないで」

 そう言って彼女は後ろへと振り向くと、もう明久に目をくれる事もなくその場を立ち去っていった。彼女のミサンガは右手首にだらしなく付けられ、どこか物憂げに彼女の腕とともに揺れていた。それが明久にとってまた、妙に月日の流れを、寂しさを感じさせた。少年が落としていった商品は、いまだ店の床の上に転がっている。

 事件に巻き込まれてから一日。

この一日で、明久はこの世界の裏で起こっている様々な事を知った。しかし、まだ自分がたくさんの事を知らずにいる。そのことをまた、突きつけられたような気がして、明久の体には無気力感が込み上げてきた。


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