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四時間目の授業が終わり、昼食の時間へと移り変わると、周りの生徒は各々仲の良い友達等と席を移したりして、自由な形で昼食を食べ始めた。先生が退席して辺りが騒がしくなると、俺も鞄の中から朝用意しておいた弁当を取り出した。すると、それを待ちかねていたかのように瀬々良木が俺の所へと歩み寄って、「あの終わってなかった宿題、結局怒られたね」と笑みを浮かべながら言った。俺はその瀬々良木の一言により、脳裏に数十分前の悪夢が詳らかに甦ってくる。自分の思い出の中にまた一つ、頭を抱えたくなるような黒歴史を刻み込んだ気分になった。
「まあ、あんな急に出された宿題を、明久以外誰一人として忘れていなかったっていうのも意外だったけどね」
瀬々良木は俺の事を慰めるように付け加えると、俺の座っていた前の席へと腰を下ろす。確かに、春休みがあけ、長期休暇分の宿題が終わった直後に、また間も置かずに宿題を配布するのは少し無理があるようにも感じた。そのうえ、それを俺一人除いた全員が完璧に終わらせているというのは、単純に自分の運が無かっただけのようにも思えなくはない。
まあ、総合的に見ても、結局自分が宿題をやっていなかったことがいけなかったのだが、やはりどこか自分のつきの無さを思い知ると、俺は弁当の小包を開きながら溜め息をついた。すると、トイレから戻ってきた杉村が、まるで動物園で貴重な瞬間を目撃した客のように、「お前らが一緒にいるなんて珍しいな。ひょっとして付き合い始めたのか?」と言った。
それは違う。俺らはたまたま今朝登校する際に会って、その時の会話が今に繋がっただけだ。今までろくに会話もしたことが無かった奴らが、いきなり恋愛関係に発展していたら、猿だってびっくりするだろうよ。俺は杉村の質問に呆れを感じながら箸を手に取ると、顔を真っ赤にさせながら必要以上に否定する瀬々良木をよそに、弁当箱からミートボールを一つ、口の中へ放り込んだ。
「それより、お前の部活の件はどうなったんだ? あの後、涼川に追いかけられてたろ」
俺が杉村に問い掛けると、杉村は瞬時に顔を硬直させて頭を抱え込む。
「ああ、やめてくれ。そのことは訊かないでくれ」
「なんだよ、そんなこと言われたら余計に気になるだろ。あの後なんかあったのか?」
すると、杉村は辺りを気にしながらそっと頷いた。
「実はな、あの後結局涼川に捕まってミーティングに参加することになってよ、色々と他の部員に言葉責めにされた挙句、マネージャーの一人が俺の監視役につくことになったんだよ。しかも、その監視役に選ばれたのが、あのゴリラ女涼川ときた。ただでさえ監視されて自由がきかないってのに、なんであんな女に監視されながら生活しなきゃいけないのかね?」
杉村はガクンと肩を落とすと、この世の終わりだとでも言うかのように自身を嘆いた。それを見ると、俺は苦笑いしながら箸で卵焼きをつまむ。黄色く半熟気味の卵焼きを口元まで運ぶと、杉村の背後からすっと、両の目を輝かせた女が現れた。
「ほぅ~? ゴリラ女ですって・・? 監視するこっちの身にもなりなさいよ?」
その言葉に、その場にいた三人全員がビクッと背筋を凍らせる。もちろん、その女の正体が何なのかは百も承知なのだが、俺と瀬々良木はその顔をまともに直視することが出来なかった。
「あんたのおかげで被害こうむってんのはこっちなのよ? な~に、自分が被害受けてるみたいな事言ってんのよ」
涼川は額に癇癪筋を浮かせながら杉村を睨むと、杉村も負けじと応戦した。
「実際そうなんだから仕方ないだろ。お前みたいなのがマネージャーにいなかったら俺だって毎日のように部活行くわ」
「なんですって? 私がいなかったって結局部活行かないような奴がよく言うわよ。あんたなんて部活に所属しているってだけでテニス部の恥なのよ、恥」
「ん、だと~!?」
杉村も涼川と同じように額に癇癪筋を浮かせると、二人は火花を散らさんばかりにお互いを睨み合った。すると、そこへ学食に行っていた雪平健太が戻ってくる。
「あれ? お二人さんまたやってんの?」
健太が間の抜けた顔で聞くと、明久は口元に手をかざして小さな声で言った。
「涼川が杉村を部活に来させるための監視役になって、そのことを二人が言い争ってんだよ」
すると、健太は「なんだ、やっぱりいつものやつか」と言った。
「喧嘩をするほど仲がいいって言うし、二人は相当いいんだろうね」
しかし、健太の言葉に涼川と杉村は間髪をいれずに返す。
「「うるさい!!!!」」
その威圧に、たまらず健太は仰け反って表情を歪めた。それと同時に、二人は堰を切ったように言い争いを始める。
「だいたい、あんたはいっつもそうなのよ! 私が右って言ったら左、左って言ったら右って感じで全然私の言うことを取り入れようとしないじゃない!!」
「それはお前がいっつも強い口調で言ってくるからだろ!! 俺だってもっと優しい人に優しく言われたらちゃんと言うこと聞いてやるわ!!」
「ねえ二人とも、何で僕、今そんなに強く言われたの? ねえ?」
二人の間に、健太も泣き眼のまま加わった。
「だいたいお前だって素直じゃねえじゃねえか!! 俺がわざわざプレゼントを渡したときだって、お前すっげー嫌そうな顔して喜ぼうとすらしなかったじゃねえか!!」
「それはあんたが毎回わけわかんないようなもの渡してくるからでしょ!! この前なんて誕生日プレゼントに生きたカブトムシ渡してきたじゃない!! カブトムシよ、カブトムシ!! カブトムシって何よ!!!」
「ねえ、僕そんな悪いこと言ったかなあ? ねえ? 二人とも~」
「お前には分かんないのかよ!? カブトムシのかっこよさ!!」
「知らないわよ!!」
「ねえってば~~!!」
ああ、駄目だ。健太が加わったせいで余計ややこしくなった。
俺は持っていた箸を机の上に置くと、二人の間に入って言い争いを止めに入った。
「なあ、お前ら、いい加減に・・・」
しかし、言い切るよりも前に杉村と涼川の息ぴったりの声が教室全体に鳴り響いた。
「「ちょっと黙ってて!!」」
二人は鬼の形相でこちらに振り向くと、有無も言わさずに明久の顔面を殴りつけた。明久は後ろへと仰け反り、空中に鼻血を飛ばすと、そのまま流れに逆らうことなく地面に倒れる。目の前はお星様が円を描きながら飛びまわり、視界もチカチカと光る。しかし、二人はなおも言い争いをやめる事はなく、お互いに罵詈雑言を浴びせ合った。明久はそんな二人をチカチカする視界の中で見つめながら、
あーあ、駄目だこりゃ
心で呟きながら、ぐったりと地面に倒れ込んだ。