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神様のミサンガ  作者: よしふ
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     *


 真っ暗で区切りのない世界。意識はただただ何もない空間を漂い、その世界に逆らうこともなく身を任せる。

 ここはどこなのか? 

薄れる意識の中で、ぼんやりとした問いが頭の中に思い浮かぶ。しかし、それに答えることはなく、答える気力すらなく、明久の思考はまた少しずつ、何もない真っ暗な世界へと溶け込んでいこうとしていた。

「・・・え。・・・・・ねえ」

消えゆく意識の中で、自分の頭上から幼い女の子の声が聞こえる。

「ねえ、起きてる? ねえって」

その言葉に、明久の意識は徐々に現実に引き戻された。二つの眼を塞いでいた自分の瞼をわずかに開くと、そこには、誰かも分からない女の子がおぼろげな視界の中にいた。

「ねえって!」

その一言に、今度は完全に明久の意識は引き戻される。(うつ)ろになって合っていなかった焦点を合わせると、そこには一人の少女が自分の顔を覗き込んでいた。周りは真っ白の世界が広がっており、その中で自分は仰向けに寝そべっている。

「起きた?」

その声が耳に入るのと同時に、自分の頭上の少女が、可愛らしい笑顔を明久に見せた。それを見ると、明久は横になっていた上半身をむくりと起こして辺りを見渡す。明久の周りには真っ白な地平線が延々と続き、自分の背中には先程の少女がキョトンとした表情で屈んでいた。少女は雑巾(ぞうきん)でも縫い合わせたような継ぎ接ぎだらけの着物を身に纏い、髪の左横には本物なのか精巧なかんざしなのか、緑の美しいカエデの葉を付けていた。そして、少女のさらに数メートル後ろには、巨大な両開きの扉が豪然と立っている。

「何だ、ここ・・・」

明久は、自分の今の状況を理解できずに、困惑によって声を震わせた。さっきまで自分がいた事件現場の光景はもうどこにもなく、見たこともない世界が、突然眼前に映し出されている。それは、明久が動揺するのにはあまりに十分な理由だった。少女は動揺を隠しきれない明久のことを見ると、少し得意そうな表情を浮かべながら明久に言った。

「ここはね、死葬(しそう)空間(くうかん)っていう場所なんだ」

「・・・死葬、空間?」

「そう、この何もない白い空間は、魂を鎮めるためにあって、私の後ろにある扉は、魂を成仏するためにあるんだ。この扉が完全に開いたとき、魂は完全に浄化されてこの世から消えるの」

 それを聞くと、明久の困惑はさらに大きくなった。動揺して震える唇を抑えるように、下唇の内側を優しく噛むと、肺の空気を押し出しながら再び唇を離す。

「ちょっと待てよ・・・。成仏って・・・。それじゃあ、俺はもう死んだっていうことなのか?」

明久がおそるおそる訊くと、少女は端的に、残酷に答えた。

「そうだよ」

 その言葉に、明久は自分の頭を鈍器で殴られたような衝撃を覚えた。少女は身を屈めた状態のまま、さらに続ける。

「この世界は物質の存在することのない世界だから、今のその姿も、実際は魂だけのものなんだ。だから、魂だけで肉体のない存在を生きているとは言えないよ。今、後ろの扉も少しずつ開いてきているしね」

 そう言うと、少女はゆっくりと視線を後ろへとずらし、自分のさらに奥にある扉へと明久の注意を向ける。先ほど確認していたはずの扉は、もうすでに少しずつ開き始めていた。中からはどんよりとした重たい空気が溢れるように流れ出し、扉の奥を見ようとすると、一気にその中に引き込まれてしまいそうな感覚に陥る。明久の体は硬直し、門からの威圧に押し潰されそうになる。それは、もうどうすることもできない、圧倒的な存在感。

「そんな・・・」

明久はそれ以上何も言うことができなかった。普段それほど意識して「死」というものを考えてこなかっただけに、突然間近に姿を現したそれを簡単に理解するなど、明久には到底できることではなかった。明久は、少しずつ着実に開き続ける扉を前に、為す術もなくその場に座り続ける。すると、その様子を見ていた少女は口を一本の直線のように引き締めて、意気揚々と明久の背後から前へと回り込んできた。その動きに合わせて少女の古びた服がなびき、昔、夏休みによく行った祖父母の家のような、懐かしげな匂いをふわりと巻き上げる。少女は明久の目の前で、膝に手を当てて再び屈み込むと、明久の眼をしっかりと見つめた。

「ねえ、生きたい? また、元の世界に戻りたい?」

その表情には、もう先ほどまでの妖艶(ようえん)な笑みはどこにもない。

「私、女神之ユキっていうんだ。もし君が願うなら、私、君を元の世界に返すことができるよ」

明久は、もはや何かを言い返すことすらできずに、呆然とユキと名乗る少女のことを眺めた。少女は細い気管へと空気を吸い上げる。

「私には、他の人なら普通は持っていないような不思議な力があるんだ。自分でもこの能力がどんなものなのかはあまり分からないんだけど、とっても不思議な力なの。それを皆は神様の能力っていうの。だから、もし私と契約すれば、私なら君を元の世界に戻せるかもしれない」

 冷静な口調。恐れなど知らないかのような瞳。混じり気のない高く芯の通った声が、明久の耳を突き抜けていく。しかし、唐突に浴びせかけられた少女の言葉は、明久の困惑をより一層強いものにした。この少女は一体何者なのか。どんどん恐怖が強くなって明久の中を侵食していこうとする。

「お前、何言ってんだよ」

明久は恐怖と困惑に押し潰されないように、自らの声に怒気を(はら)ませた。

「だから、私と契約すれば、君は生き返ることが出来るって―――」

「違う、俺が訊きたいのはそうじゃなくて、お前は誰かって訊いてるんだよ」

 明久の口調はさらに鋭くなる。込み上げてくる恐怖と困惑が胸に一杯になっていたため、感情を殺すことも難しくなっていた。ユキは明久の勇み声にひるむと、語調を弱くして言った。

「君たち人間でいうところの、神様。君たちとは違う世界で生きている、神様だよ」

 その言葉に、どんどん膨れ上がっていた感情が、ついに決壊して荒波のように明久へ押し寄せてきた。明久は、相手が少女であることも忘れて半ば感情的に言い放つ。

「ふっざけんな・・・。お前が神様だと? お前がもう一つの世界の住民だと? そんなぼろい服身につけた年端もいかない奴が神様とか言われてもそんなこと信じられるわけないだろ!」

明久は声を荒らげながらユキに対して眼光を鋭くした。

「でも、今、元の世界に戻るにはこの方法しかないんだよ? このままじゃ、本当に君は死んじゃうかもしれないんだよ?」

「だったとしても、根拠も何も無いような話を簡単に呑み込めるわけないだろ。ふざけんなよお前・・・!!」

 明久が強い口調であたると、ユキは困ったように下に顔を伏せて声を震わせた。

「でも、それじゃ・・・」

 ユキはそこまで言って言葉を濁らせた。下を向いていて見えにくかったが、その表情には悲しみが満ちていて、目元にはうっすらと涙が見え隠れしている。明久はその様子を見て、感情的になっていた自分に気付いて思わず少女から視線を逸らした。突然跳ね上がった明久の感情は、今度はみるみるしぼんで沈静していった。

本当は、このユキという少女に言われなくても、明久もちゃんと分かっていた。あの扉の自分を引き寄せる力が次第に強くなっていることも、この世界に長くは留まれないことも。きっと、この広い地平線の上をどこにどのように逃げようと、結局あの扉の中に引き込まれてしまうだろう。ユキに言われなくても分かる。分かってしまう。分かっていたからこそ、明久はどんどんそれが恐ろしくなって、やり場のない恐怖をユキにぶつけてしまったのだ。

でも、だとしたらこのやり場のない感情はどこに向ければいいのだろうか。この苦しみにも似た切羽詰まった感情は、どうやって消失させればいいというのだろうか。

「このままじゃ、君、本当に死んじゃうよ・・・」

ユキが震える声を堪えながら、再び明久に言う。それを聞いて、明久は自分がどうしてこんなにも苦しんでいるのか分からなくなった。自分の中に溢れてくる恐怖に、どうしようもない感情を少女にぶつけていた愚かさに、明久はいたたまれなくなった。この少女は最初から、自分のことを心配して言ってくれていたのだ。それなのに、それに気付くことすらできなかった自分が、どうしようもなく情けなく感じられた。明久は、高揚していた感情を落ち着けると、もう、この子につらく当たってはいけない、と小さく心に誓いながらもう一度顔を前に戻した。

「悪かった」そう一言、ユキに対して謝ると、明久は小さな声で「・・・お前を、信じるよ」と言った。

それを聞いたユキは、驚いたように顔をあげて、笑みを浮かべる。

「本当・・・!?」

「ああ」

 明久がユキの問いに答えると、ユキは嬉しそうに胸を撫で下ろした。それを見ると、明久の中にあった恐怖や不安の念も自然と消えていく。明久本人も気付かないうちに笑みをこぼしていた。しかし、そんな中でも、扉が明久を引き寄せようとする力は徐々に強まっていく。制服の汗がべったりと皮膚に引っ付き、口の中はカサカサと乾燥する。

ユキは、明久の先にある扉に注意を向けながら「それじゃあ・・・」と言うと、屈んだ体勢のまま右手の小指を立ててゆっくりと明久の前へと持って行った。

「早く契約しないと」

少女は笑みを浮かべながら言った。明久は少女が目の前に出してきたその小指を、驚いた表情で見る。

「契約って指きりのことなのか?」

「うん、そうだよ。」

 ユキに言われると、しばらくの間小指をぽかんと眺めていた明久も、決意を固めて、ゆっくりと右手の小指をユキの前へと差し出した。二人の小指が優しく触れ合うと、お互いに小指を硬く結ぶ。すると、ユキは絡め合った指から明久の方へと視線を向けて、「一緒に」と言った。明久もそれに頷くと、二人は声を合わせてまじないを唱える。

「「ゆーびきーりげーんまん、うーそつーいたーらはーりせーんぼんのーます。ゆびきった」」

 二人は、絡め合った指を上下に揺らすと、ゆっくりと丁寧な口調で唱えた。言い終わって小指を離すと、ユキは嬉しそうに満面の笑みを明久に見せる。

「これで、契約成立だね」

それと同時に後ろにあった扉も完全に開いたのか、辺りは一気に白に霞み始めた。世界はどんどん光の中に包まれ、二人の事も眩しい光が包み込んでいく。二人は、光の中にのまれて、そのまま姿を消していった。


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