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神様のミサンガ  作者: よしふ
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エピローグ

空が白み、次第に夜の湿っぽくなっていた空気を乾かすように朝が訪れるころ、明久はのっそりと重たい体を起こして、ベッドの枕元に置いてある、目覚まし時計の指し示す時刻を確認した。短針はセットしておいた予定時刻の針に、あと少しで追いつきそうなところまできている。もともとの予定起床時刻の、ちょうど五分前。

明久は、その目覚まし時計のアラーム設定を解除してから、軽く両腕を上へぴんと張って伸びをすると、顎が外れてしまいそうなほどの特大のあくびをお見舞いした。朝から体の調子はすこぶる優れているようで、伸びだけでは足りず、ベッドから腰を起こし簡単な体操を繰り返す。遮光(しゃこう)カーテンの隙間からは、朝の気持ちの良い景色が嬉しそうに顔を覗かせて、外からの光を室内へと差し込ませていた。明久は最後に一度、体を横に(ひね)って区切りのいいところで軽い柔軟を終わらせると、「よし」と小さく息巻いて、部屋を出ていく。部屋を出てドアがばたりと閉じられると、その勢いによって気流が発生して、柔らかな風がふわりと窓辺のカーテンを揺らした。

部屋を出て階段を転がり落ちるように降りると、明久は先ほどまでの勢いを殺して、リビングのドアをゆっくりと開いた。中には二人、春奈とユキがもうすでに起きていたらしく、朝の支度を始めている。ユキはソファーにちょこんと腰かけながらテレビを見ていて、明久が入ってくるのに気付くと「おはよう」と快活な笑顔を見せた。

「おはよう。なんだお前ら、二人とも朝から早いな」

 明久が言うと、「私は部活。朝練あるから今日早いの」と、春奈は食器棚からコップを取り出して、すでに冷蔵庫から出していた牛乳を注いだ。

「これでも私、部活は今まで休まず毎日行ってるんだから」

「忙しそうだな」

「そんなんでもないよ、練習は大変だけどね」

 春奈は牛乳パックを冷蔵庫へと戻すと、テーブルに戻る際に、一口だけコップに注いだ牛乳を飲んだ。母さんがいたら叱りそうな行為ではあるが、今はいないし、誰も咎めるようなことはなかった。以前に自分がした記憶もあるし、わざわざ母さんに(なら)う必要もないだろう。春奈はテーブル椅子に腰掛けると、二口目の牛乳に口をつけた。

「それに今日は、お兄ちゃんだって早い方じゃない。いつもだったら、もう少しぐらい経ってからリビングに来るのに」

「なんだか今日は目覚めが良かったんだ。目覚ましの鳴る前に起きられたしな」

歩きながら答えると、明久は春奈とテーブルをはさんで(はす)向かいに座った。テレビからはニュースキャスターが爽やかな笑みをお茶の間にふりまいて、ご当地取材をしているレポーターに声をかけている。レポーターもその人に負けず劣らず元気そうな笑みを浮かべながら、はっきりとした口調で現地者と名産物を紹介していた。画面に映る特産物が、食欲を掻き立ててなんとも美味しそうである。

「そういえば、ユキも今日は朝から早いんだな」

「うん、なんだか私も今日は早く目が覚めちゃって。眠くもないから一番にここに来ちゃった」

 ユキはソファーの上でもお行儀よく膝の上に両手を置きながら、可愛らしく自分の白い歯を見せた。

「お前はそんなに急ぐ用事もないだろうに」

「そうなんだよね。朝早く起きても、結局テレビ見る以外やることなくて」

 ユキが恥ずかしそうに頭を掻くと、「でも、二度寝するわけにもいかないから」と付け足した。

「そんなに心配する必要はないんだぞ。この家の中だったら、お前は何したって自由なんだし」

「うん、ありがとう。でもね、やっぱりずっと寝ているよりは、こうやって朝ちゃんと起きてる方が私は好きなんだ」

 その言葉に、明久は感心しながら、子の成長を喜ぶ親の気持ちで「そうか」と呟いた。すると、横で牛乳を飲んでいた春奈が話に割って入るように、飲みかけのコップをテーブルに置く。

「なんか、ユキちゃんがこの家にいるっていう光景も、だんだん見慣れたものになってきたね」

「ああ、そういやそうだな、ユキが来てから、もうだいたい三週間程度は経ってるから」

 言って、明久は少し躊躇ったように眉間にしわを寄せた。春奈の今の発言は、やっぱりユキがこの家に居座っていることへの、疑問の言葉なのだろうか。

「やっぱり、お前も、ユキの事情が気になったりするのか?」

「いや、そんなんじゃないよ。単純に家族が一人増えたみたいな感じがして嬉しいだけ。ユキちゃんの来た事情だって、どうせ複雑なものなんだろうし、ちゃんとお母さんに相談することさえ約束してくれれば、私から訊き出すようなことはしないよ」

 春奈は片手をちょいちょいと横に振りながら否定すると、残りの牛乳を全て一気に飲み干す。

「それよりお兄ちゃん。そろそろ朝ご飯作ってもらいたいんだけど」

「え、俺? お前より後に起きてきたのにわざわざ俺が作るのか?」

「だってお兄ちゃん、朝ご飯作る係でしょ」

「そうだったっけ? 最初交代制にしようって話じゃなかったっけ。いつそんなの決まったんだよ」

「自然と?」

「自然とってなんだ!」

 春奈がおどけたように舌を出すと、さらに横からユキが介入してきた。

「ねえ明久。朝ご飯作るんだったら私あれ食べたいな」

 そう言ってユキが指差したのは、先ほどから報道されている特産品の、とれたて牡蠣(かき)だった。

「いや、朝っぱらからあんなもん食えるわけがないだろ。家に用意してないし」

「じゃあその前にやってた、海の幸たっぷり、極上海鮮丼っての食べたい」

「いやだから作れないって! 家に準備してないし朝から食べるものでもないし、お金も馬鹿みたいにかかっちゃうから!」

 ユキは自分の食べたいものを否定されると、不機嫌そうにむすうっと膨れて、「契約・・・」とぼそりと呟いた。明久は思わず発狂して気持ちを吐き散らしたくなったが、なんだかそれも情けなく思えたので、ぐっと堪えて言葉を呑み込んだ。この子は、最初に言った「お金や事情による」という言葉を、もう覚えてはいないようだ。

「同じものとは言えないけど、お小遣いためて今度俺が作ってやるから・・・」

 明久が泣き泣き応じると、ユキはパアッと瞳を輝かせて、嬉しそうに「絶対だよ」と繰り返した。

 そんなこんなで結局、朝のご飯は明久が仕度することになった。母が出張してからというもの、最近は食事の準備をする機会も増えてはいるけれど、早朝から作るというのはやはり気乗りしないもの。不服ながらも簡単なトーストとスクランブルエッグの支度をすると、春奈が朝食を手に付ける前に、夕飯は自分でするように約束させてから、皆で朝食の前で手を合わせた。こんがり表面の焼けた六枚切りトーストは、みな美味しそうにカリッと音を立てる。普段家では米が主食になることが多いから、こうやってパンを食べるのは久々だった。お米も美味しいが、やはりパンも味の面では引けを取らない。いつも美味しい美味しいと食べるユキの存在も、少なからず口に広がるトーストの味に影響しているのかもしれなかった。

 一つのテーブルに三人が席をともにしながら黙々と朝食を口に運ぶと、朝から部活に忙しい春奈は、急いで食事を終わらせて我先にと靴を履いて家を出ていってしまった。明久も春奈に続いて食事を終えると、食べ終わったお皿を台所に片す。そして、皿を洗ってからユキのお昼ご飯の支度も終えると、自分も制服に着替えて家を出る準備をした。

玄関先で靴を履くと、明久は鞄を手に腰を上げる。後ろには、もうご飯の食べ終えていたユキが見送りに来ていた。明久は鞄を肩にかけると、一言ユキに声をかける。

「それじゃ、いってきます」

「うん、いってらっしゃい」

 ユキが手のひらを左右に大きく振ると、明久は玄関のドアを開けて家を出る。少し陽気な風が、頬を伝って流れていった。

 空は昨日の名残でまだ雲を残してはいるものの、空は青く澄み渡っていた。残されていた空を浮く雲も、西風に吹かれて彼方へと飛んでいく。今はまだ肌寒いこの風も、昼には五月の陽気を取り戻すらしい。週間予報では、これまでの冬みたいな季節感を取り戻すがごとく、連日熱い日が続くだろうと話していた。寒暖差も激しいので、体調管理にも気をつけるようにと。

 明久は風に吹かれながら心を弾ませると、軽い足取りのまま学校へと向かった。歩道を歩き交差点を渡ると、住宅街の中を進む。あの時通った、人通りの少ない場所。少し歩調を弱め、横の二階建ての家屋を眺めると、衣類やタオルがベランダの物干し竿にかけられているのを眺めた。衣類らは風になびく様子もなく、静かに日が南へ昇るのを待っている。

あれ以来、登下校路にスーパー前の道は使っていない。ここ最近は、妙に心の落ち着くこの閑静な道を使って学校へ登校することが多くなっていた。これは決してあの最初の事件を引きずっているわけではない。ただ、最近頻繁にこちらのルートを使っていたがために、以前使っていた道順よりも使い慣れてしまっただけの話だ。最初は違和感の塊だったこのルートも、今ではそれが当たり前に感じるぐらい、日常の風景へと化している。

ゆっくりと道の真ん中を歩いていると、明久は後ろから急にドンっと背中を突き押された。

「よっ」

 そう言って横に並んできたのは、綺麗な(こん)の制服を身に纏った、柔らかな表情の瀬々良木だった。一瞬何事かとたじろいだ明久も、すぐさま反撃するように瀬々良木に表情を強める。

「何だよ、お前かよ」

「何だよとはとんだご挨拶ですなあ」

「今まで学校休んでいた奴がよく言うよ」

 ぐいっとつっけんどんな口調で顔を前に戻すと、瀬々良木はむすっとした表情で明久に言い返した。

「うるさいなあ。私だって心の整理ってのが必要だったんだから」

「そうですかい」と、口先を曲げると、「そうなんですよ」と瀬々良木も負けじと応戦した。

そして、彼女は吹き出すのを堪えるようにくすくすと笑い始める。

「どうしたんだよお前」

「いや、なんだか面白くなっちゃってさ」

くつくつと笑いを堪えながら口元に手をあてると、瀬々良木は少し落ち着いた表情でぼんやり前を見据えた。晴れ晴れとしていて、でもどこか落ち着いていて、先日までの表情からは想像できないほどの穏やかな顔。色んなものから解放されたという面持ちだった。

「ごめんね、明久。色々心配かけちゃって。勝手に落ち込んで、勝手に学校休んで、勝手に迷惑かけちゃったのに。私も何だかごちゃごちゃ考えて変に思い悩んで、勝手に自分で塞ぎ込んでいたけどさ、なんか、昨日ので胸の内にずっと引っかかっていたものが全てとれたよ」

彼女の表情を見ると、明久は照れくさそうに顔を逸らして、「そうか、それは良かったな」と、彼女の顔を見ないように言った。こんなに真っ正直に、気持ちを言われるとは思っていなかったから、彼女の顔を真正面から見るのは妙に気恥ずかしかった。

瀬々良木は明久の前へと少し駆けて振り向くと、自分の髪の毛をふわりとひらめかせながら満面の笑みを明久にふるう。

「ありがとう、明久」

偽りのない笑み。全てを一蹴する、眩しいほどの最高の笑み。その笑みに、明久は春風が心に吹きつけたかのようにまた心が躍り始めた。

「ほら、早く学校行こう」

瀬々良木はくるりとまた前へと向き直って小走りすると、明久に手を振る。その姿に、明久はまた頬がほころんで、熱くたぎるものを感じた。昨日感じた、自分の大切な感情。その感情は、未だに明久の中に残って、明久の心を強く突き動かしてくれている。それを知ると、明久は静かに胸に手をあてて、高鳴る鼓動に耳をすませた。

以前、春奈は思春期の錯雑(さくざつ)とした感情の中にいると言ったが、きっと、俺たちもまだその錯雑とした感情の中にいるのだろう。だから、様々なことに直面するたびに、困って、悩んで、分からなくなって、必死にその錯雑とした感情と向き合いながら心を痛めたりするのだ。でも、その度に俺たちは、こうやって立ちあがっては前を向き、成長しながら大人になっていく。その度に俺たちは、大人として一歩前へと歩いていけるのだ。

だから、今はこの錯雑とした感情の中をもがきながらでも、しっかりと前を見つめて大人になっていこう。大変なことも一つずつ乗り越えていきながらでも、しっかり成長していこうと。明久はしっかりと胸元の拳を握り締めて、自分の心に強く誓った。

先ほどまで雲にかかっていた東の空の太陽は、少しずつ切れ間から顔を出して街中を照らしていき、明久たち二人のことも暖かい陽気で包み込んでいく。西から吹く風は明久の体全身を流れていき、明久の思いを優しく応援して去っていった。

一歩、明久は、力強く地面を蹴りだすと、瀬々良木のもとへと走っていく。

気持ちは高揚し、わくわくとした感情が心の底から溢れ出てくる。不思議と胸の熱い、五月上旬の朝。雲は少しずつ地平線の先へとずれていき、空の青を澄ませていた。


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