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神様のミサンガ  作者: よしふ
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ついていった先は、公園の隣にある、この街一番の大きさを誇る神社だった。名は御樹(おんじゅ)(みこと)(なり)神社(じんじゃ)。日本に神教が伝来してきた初期のころからあるという、国内でも有数の神社である。地元でも割と人気な場所で、初詣(はつもうで)などになると毎年のようにぎわうような神社だった。しかし神社側の方針だとかで、その外装は他の神社と比べても、決して(きら)びやかなものではない。どうやら質素を重んじ、豪奢(ごうしゃ)をよしとしない風習のようだ。おかげで地元には名の知れた神社であるにも関わらず、全国的な知名度はそれほど高くなかった。それでも、一度この神社に立ち寄った人間は、必ずこの神社の素晴らしさに虜になる。それはこの神社の、風情ある佇まいにみな心を惹かれてしまうからだろう。

かくいう明久も、この神社は昔から大好きな場所の一つだった。昔よく遊び場所としてこの神社に遊びに来ては、その度にいたずらをしてここの神主さんに怒られていた。今ではあまり来ることはなくなってきたが、やはりここの風情ある雰囲気はいつ見ても心が洗われた。

 明久たちは神社入り口手前の石段を登っていくと、最上段にある鳥居をくぐって、中の神社の景色を眺めた。中は前方に拝殿(はいでん)が豪然と立ちかまえており、左斜め前方には絵馬掛けとおみくじ引き場、右斜め前方にはこの神社の御神木が植えられている。この御神木は高さが約十七メートル、胴回りが十一メートル程度あり、日常で良く見かけるマンションと比較すれば、大体、六階相当の高さがある。しかもこれはあくまで木の幹を基準にした高さで、途中から上に伸びている他の枝々を基準にすれば、さらに高さは二メートル近く上回った。

というのも、この御神木の太い幹は上空十七メートルを区切りにして突然切り落とされたように生えておらず、それこそ切り株みたいに真っ平らになっているからである。いつどうしてこのようになったのかも、あまり良くは分かっておらず、時折この木の調査のために、地方から専門家が飛んでくることもあった。地元の人々からは「切り株大樹」なんて呼ばれて親しまれている。話によれば、この木は平安時代後期のころからあるものらしい。樹齢からすれば、およそ九百年弱。それだけこの神社にとっても、神聖化される大きな所以(ゆえん)になっているのだ。

明久は御神木に一瞥くれながら歩いていると、人知れず静かに心を懐かしませた。昔から全く変わらず、優しく街の人々を見守り続ける御神木。その姿はどんなに疲れた人間であっても寛大に包み込み、心を優しく癒してくれる。明久の心も、雄大なその姿に優しく包まれて、少しずつ痛め疲れた心を癒していった。前を歩く価野は、横にある御神木を明久と同じように眺めながら、後ろを歩く明久たちに話す。

「さっきの公園あるだろ。この神社の隣にある、さっき君が少年と戦っていた公園。あれ、本来はもともと、この神社の敷地だったんだ。この神社の所有地。それをここの昔の神主が、子供がいっぱい遊べるようにって、神社と公園に分けたらしいんだ。それが俺のひいおじいちゃんのときの話。実は俺さ、明久君に前このミサンガのこと教えたときも言ったと思うけど、この神社の跡取りとして生まれた人間なんだ。だから大学出た後はこの神社を正式に神主として継ぐことになってる。俺の親父も、もう年で体にがたが来始めているからさ」

 その声は濁りがなく、発している本人でも驚くぐらいにゆったりとした口調だった。おそらく明久たちの戦闘の反動で、未だに価野の気持ちに尾を引いていたからだろう。余韻として残っていた重たい空気も、価野の口調に少なからず表れていた。明久は前を歩く価野の背中に視線をやると、その先にある粛々(しゅくしゅく)とした雰囲気の拝殿へと視線を送った。近付いていくことで明瞭になっていく拝殿の姿は、明久の幼少期の思い出をより鮮明に思い起こさせていく。

 そうか、あの時、いたずらする度に俺のことを叱ってくれたあの神主さんも、今はもうそんな年になってしまったのか。明久の心は少しの寂寥(せきりょう)を覚えながらも、懐かしさで嬉しさが込み上げた。あの時のあの神主さんの息子が、今目の前にいる孝平さんだという事実は、明久にとって嬉しい方面で因縁めいたものを感じた。もしまたあの神主さんに会えることなら、もう一度あの時のように会ってみたいものだ。

明久はゆっくり歩きながら、前の価野孝平を見た。価野の手には先ほどの少年のミサンガが握られており、ゆらゆらと綺麗な三色を主張することなく垂れさがっている。ポケットに入れることなくずっと手に持ったままなのは、少年のミサンガへの配慮を込めたものなのだろう。価野の目的の場所へ向かう間も、ポケットの中にミサンガを入れようとすることはなかった。

そのままミサンガを手に、神社の中央を突っ切っていくと、拝殿を横切って、その裏にある本殿へと足を進めていく。もともと煌びやかに外装されていない神社は、奥に入るとことさら風景が(わび)しくなり、森の奥地のように雰囲気ある情景を醸し出していた。それこそ静かで、木々の生え茂った神聖な場所。ずっとこの中に居続ければ、本当に神や精霊にだって会えるような気がした。

明久たちは開けた場所に出て、拝殿の裏にひっそりと隠れている本殿に辿り着くと、ゆっくりとその横にある正方形の、縦、横と交互に積み上げられている木片に視線を送った。開けた場所のちょうど中央辺りにあるその木片の山には、間々(あいだあいだ)に細い木の枝が入れられており、その棒に括り付けるかたちでたくさんのミサンガが垂れ下がっていた。ぱっと見ただけでも六十個近くあるのが分かる。

価野についてきた明久たちはみな、思ってもみなかった光景に、食い入るように積み上げられた木片を見た。なぜこんなものがここにあるのか、訊くことも出来ずに、ただただ息を呑む。価野はゆっくりとその場へと近付くと、手に持っていたミサンガを、他のミサンガと同じように括り付けた。

「俺さ、契約してから結構な年月を過ごしてきたんだけど、そのあいだ、色んな人がこのミサンガを残して死んでいくのを見てきたんだ。本当にたくさんの、契約者たちの笑顔や、泣き顔や、最後の姿を、嫌と言うほど、何度も。俺、その度にこうやって残されていったミサンガをここに括りつけてさ、その人の魂が報われるようにって、お祈りしてきたんだ。その人があの世で、幸せに暮らしていますようにって。その人が供養して、転生したときでも、また幸せな人生が送れますようにって。まあ、結局お寺や神社でやってる、供養(くよう)の真似ごとにすぎないのかもしれないけどさ。それでも今まで止めることなく、ずっと、ずっと、同じことを続けてきたんだ」

 価野はミサンガを括り終わると、ぼんやりと括りつけられたミサンガの数々を眺めた。ミサンガは一つ一つ不揃いに木の枝に付けられて、みな元気なく(こうべ)を垂れている。

「なかには、このミサンガをあなたの手で供養して下さいって頼んできた人もいたよ。誰よりも親しい間柄にいたその人が、きっと向こうの世界でも、幸せに生きてくれるようにって。俺、その願いを訊く度に気が引き締まる思いがしてさ、自分自身も、こういう風に契約した身だからっていうのもあるんだろうけど、すごく、その人の気持ちに応えたいって思ったんだ。自分に、そういう力が何一つなかったとしてもさ、絶対にその思いには応えてやるって。だからかもしれない、俺が今、こうやって自分自身のミサンガを切らないように、切られないようにしているのは」

 価野は、近くの本殿そばにあるこじんまりとした物置小屋に歩いていくと、扉を開けて、中から新聞紙とライターを取り出した。中に入っていた新聞紙は、物置でしばらくの間放置されていたみたいで、一枚一枚がばさばさになっていてまとまりがない。安物のライターの方も、物置内部にまで入りこんでいた土埃(つちぼこり)や塵にさらされて、手に持って拭きとられた部分とそうでない部分がくっきりと線になって見えた。価野はその二つを手に持ちながら、再び括りつけられたミサンガのもとへと戻っていくと、手に持った古新聞を乱雑に丸くくるんで、手の中へと収めた。手の中の古新聞は、くしゃりと音を立てると、みすぼらしく身をすぼめる。価野はそれを少し上に持ち上げると、ライターの火をつけて、くるんだ新聞に燃え移らせた。新聞は黒くなって少しずつ(すす)を地面に落としていくと、段々と火を強くして、価野の手元へと近付いていく。価野はそれを手元まで来る前に積み上げられた木片のもとへと押しやると、木片の端に火を移した。火は少しずつ燃え広がり、炎となって次第に勢いを強くしていく。

 段々と、段々と、威力を増す炎。少しずつ、ミサンガへと近付いて、包み込んでいく炎。パチッ、パチッ、と音を立てて、全体を侵食していく、(だいだい)色。その姿は、薄黒い空の色と対照を為して、より自身の色合いを強くする。

勢いの増していく炎は、少年のミサンガのもとまで揺らめきながら近付いていくと、ついに少年のミサンガの端に燃え移って全体へと広がっていった。ミサンガを為している一本一本の糸たちは、少しずつ炎によって変色していくと、最後には黒く染まって火の粉とともに空に消える。何とも心に突き刺さる、幻想的な光景。その光景を、明久たちは横に並びながら、ただぼんやりと眺めた。炎は上空へと立ち昇ってなんとか天へと近付こうとするも、願いは叶うことなく虚空へと飛んでいく。それでも必死に天へとのびていく炎の柱は、火の粉を散らしながら灰色の煙を立たせていた。それは、この世界にある、情と無情の入り混じった光景。

明久は、自分よりも身長が高くなった炎に顔を上向かせると、横に立っていた瀬々良木に、ふと、静かに消え入るような口調で言った。

「・・・瀬々良木。お前さ、この前、俺に話してくれた話あっただろ。ずっと自分の中に押し隠していたっていう、自分の正直な気持ちを」

 明久の話に、横で炎を見ていた瀬々良木は、わずかに顔を横にずらして明久へと向いた。目の前の炎はもうすでに全てのミサンガに燃え広がっており、もう行き場のない炎は、ことさら天へと昇りたそうに炎を巻き上げた。

「・・・あれさ、実は俺も、時々良く分からなくなるときがあるんだ。お前がこの話をしてくれてからは、特に毎日のように考えちゃってさ。何で、俺はこの世界に生きているんだろうって、なんのためにこの世界に生まれてきたんだろうなんて、自分でも時々思ったりしてさ」

 明久は前の炎をぼんやりと見つめると、再び呼吸を入り混じらせる。それは、明久の心の底から出てきた、本心からの気持ち。瀬々良木は何も言い返すことなく、明久の言葉に耳を傾けた。炎は轟々(ごうごう)と音を立てながら上へと舞いあがってはゆらゆらと揺らめき、空の灰色さえも橙色に染めようとする。辺りの暗さはより一層炎の美しさを際立たせ、明久たちの視界に写る炎の力強さを見せつけた。この後に残るものなんて、結局黒ずんだ灰だけだというのに。

 瀬々良木は明久の姿を、見守るように眺めた。横で燃える炎に照った瞳が何とも綺麗だ。

「良く、こんな話聞くだろ。宇宙はとてつもなく広くて、それと比べたら人間なんて、なんてちっぽけな存在なんだろうって。俺もさ、そんなこと時々考えることがあって、途方もなく自分が無力な存在な気がするときがあってさ、その度に、言葉にできないような不安感や、恐怖感が襲ってくることがあるんだ。自分が、この世には必要のない存在なんじゃないかって。生きている意味なんてないんじゃないかってな」

 自分の素直な気持ち。時々襲いかかってくる、意味もない不安感。それは、思春期特有のもの。思春期だからこそ、経験するべき大人への階段。いや、もしかしたら、そんな思いなど経験する必要もなく、そんな時期を過ごしてきた人間もいるかもしれない。むしろ、そういう人生の送り方の方が幸せだろう。

それでも、明久たちはその感情を放っておくことなど出来なかった。自分たちの中に生じた問題を、自分たちで解決して見せたかった。たとえそれが、自分たちにとって苦しくつらいものであったとしても。

そして、契約したことによって死というものを突き付けられたことは、明久たちにとってなおさら気持ちを揺るがした。もしかしたら、明日にはミサンガが切れていなくなってしまうかもしれない日常。そんな日常の中で、明久たちはどこにあるかも分からない答えを探して生き続けているのだ。一生懸命、自分なりの答えを探してもがき続けているのだ。

「俺さ、それでも確かに、契約するときに、心の底から生きたいって思ったのは事実でさ、今もその思いは嘘偽りなく心の中に残ってるんだ。今は正直、その思いがどこから来るのかは分からない。それが、俺の中にもともと備わっている本能なのかもしれないし、自分の中の、何か別の感情が働いたのかも知れないからさ。でも、俺、確かにそれを思ったことは真実で、今も変えることのできない気持ちとして、俺の中に確かにあるんだよ」

 明久は拳の握りを強めた。瀬々良木は答えない。答えなくても、心は反応している。表情も、ちゃんと反応している。明久は顔だけでなく、体も少しだけ彼女の方へとずらした。明久の顔には、寂しげな思いとともに、固い決心が込もっている。

「お前も、今こうやって自分のミサンガを切らずにいるのは、そういう思いがあるからなんだろ? それが、お前の中にあるから、ちゃんと今も、生きようと、自分と向き合っているんじゃないのか? ・・・だったらさ、今はお互い、その思いを信じて生きていかないか。その思いを信じて、このミサンガが切れないように、切られないように、精一杯、生きていかないか。俺はこのままでなんて、絶対死にたくないからさ」

 明久は、瀬々良木に不器用に笑って見せた。感情に反した笑顔は、どこかぎこちなく引きつっている。でも、その笑顔の裏には、明久の強い決心が隠れ潜んでいた。生きたい。絶対に、今死ぬようなことになってはいけない。そんな感情が、明久の内面にふつふつと燃え上がっていた。

 瀬々良木は沈黙して、何も答えずに明久のことを見ていた。彼女の瞳には、明久のぎこちない笑顔が写っている。何者にも負けない思いを胸に抱いた少年が写っている。彼はこんなにも強い人間だったのか。思って、瀬々良木はすぐに思い直した。

違う、そうじゃない。目の前にいる彼も、自分と同じく弱い人間なのだ。自分と同じ弱い人間だからこそ、こんなにも笑顔がひしゃげてしまっているのだ。でも彼は、そんな弱い自分に打ち勝とうとしている。弱い自分を変えようと、本気で思っている。だから、彼の見せる表情は、こんなにもぎこちないのに、私の心をどうしようもなく突き動かすのだ。

それに対して、私はなんと惨めなものなのか。何一つ行動なんてしようとせずに、ただ憂鬱に打ちひしがれて心を悩ませていた。何もしていない。何も動こうとしていない。ただ自分の弱い内面を明久にぶつけて、独りよがりを他人に押し付けていただけだ。

そんなんじゃ、ずっと弱いままだよ。

彼女の中にいた、もう一つの内なる自分が、自分に対して(ささや)きかけてきた。自分の中のもう一人の自分。それはことさら彼女の胸を突き動かし、彼女の気持ちを強くする。

違う、そうじゃないはずだ。私の望んでいた私は、こんなに弱々しい自分じゃない。もっと強く生きる自分を望んでいたはずだ。昔、自分が思い描いていた自分は、もっと前を向いていて、どんな困難も、必死にすがりついて乗り越えていくような人間だったんだ。難しいことなど一切考えずに、純粋に楽しいことは楽しいと、悲しいことは悲しいと、言えるような人間だったんだ。それが、あの愛犬の件以来どこか(ねじ)れ曲がってしまって、変に感情を取り繕ったり、自分の本心とは全く違った表情をするようになってしまったのだ。

もっと、前を見て生きないと。もっと、自分に正直に生きないと。私だって、生きることを望んで、あの時死葬空間という真っ白な世界で契約を交わしたのだ。私だって、生きることを望んでいるから、今もまだ、このミサンガを切らずにこの世界を生きているのだ。だったら、こんなことでくよくよしている場合じゃない。もっと、この世界をしっかりと見つめて生きていかないと。もっと、自分の人生に、悔いのないように生きないと。こんな不甲斐ない気持ちだけで、人生終わらせるだなんて、絶対に嫌だ。

 人知れず揺れる瀬々良木の心は、次第に大きくなって彼女の中を満たしていった。彼女の心は明久たちの前で燃える炎に反応するように、不安定に、しかし力強く揺らめく。この気持ちを何と呼ぶのだろうか。何と呼べばよいのだろうか。普段自分が感じている喜怒哀楽とは少し違った感情。それは彼女の中で生まれ満たされていくと、自身の胸を熱くさせていった。彼女はまだ、この感情を何と呼ぶが相応(ふさわ)しいのかを知りはしない。

「瀬々良木」

 明久は、少し声を強くして瀬々良木に呼びかけた。炎は横から熱気を飛ばしてほんのりと暖かい。横に立つ瀬々良木の姿も、そんな炎に照らされて、ほんのり色づいていた。

「俺と、約束しないか」

「・・・約束?」

「ああ、約束だ。これから先、きっと色んなことがあると思うけど、それでもミサンガを切られないように、この世界を生き抜いて見せようって。どんなにつらいことがあっても、苦しいことがあっても、この世界をちゃんと胸張って生きていけるようにしようってさ。約束、しないか」

 明久は自身の右腕を持ち上げると、瀬々良木の前にゆっくりと小指を立てた。明久の眉根は固く引き締められていて、その表情には優しさと強い決意が込もっていた。その姿に、瀬々良木はどうしようもなく心臓が高鳴り、胸が熱くなった。彼女の中にあった感情はどんどん強くなり、体の中から溢れ出ていこうとする。

 この気持ちを何と呼べばいいのかは分からない。どういう風に表せばいいのかも分からない。自分の中でただ大きくなっていくこの感情を、どのように扱えば良いのかも分からない。でも、確かにこの感情は自分の中に溢れていて、自分と同じように、それは明久の中でも湧き起こっているのだ。

だとしたら、今はこの感情を信じてみてもいいんじゃないのか。この感情に委ねて、行動してもいいんじゃないのか。

しばらく腰の脇におろしているだけだった自分の腕を、明久と同じように前へと持ち上げると、小指を立ててゆっくりと明久の前へと持っていった。二人の右腕が前へと持ち上げられると、炎の光に、二人のミサンガが優しく赤に照らされる。もともと三色の美しかったミサンガは、哀愁に満ちた炎の光によってより自身の姿を美しくした。そのままお互いの小指が触れ合うと、二人はしっかりと小指を結び合った。小指は体温が伝い、ほんのりと温かみを帯びる。それは今、二人がこの世界を生きている証。この世界に存在している証。

きっと、この世界は、自分たちの感情とは裏腹に、無情に、非情にできているのだろう。この、わずかに感じる体温でさえ、何事もないかのように世界は進んでいってしまうのだろう。自分たちの腕についているミサンガも、そんな無情な世界を代弁して創りだされたものなのかもしれない。

でも、それだったとしても、自分たちはこの世界を精一杯生きていきたい。

無情な、非情な世界だからこそ、自分は、この持って生まれた情というものを大事にして生きていきたいのだ。

 明久は強い思いを胸に、静かに肺の中の空気を吐き出すと、ゆっくりと、丁寧に、指きりを交わした。少し痛いぐらいに結ばれた小指は、それでも構わず固くお互いの小指を離さない。さっきまで心の中で揺らめいていた感情は、自然と形を為していくと、次第に端から崩れて体の外へと飛散していく。彼らの心を占領していたものは、確かにあったものとして形を残しながらも、少しずつ彼女たちの中から消えて()くなろうとしていた。

今燃えているこの炎が燃え尽きるころには、その感情も、きっと消えて失くなっていることだろう。明日には、何事もなかったかのように、いつもの日常を変わらずに過ごしているだろう。この感情は、おそらく長続きするものではない。ひとときの間、自分たちの心を強く支配していたとしても、そのひとときが終わってしまえば、またいつものような喜びや悲しみ、怒りといった感情に呑み込まれて、素知らぬ顔で自分たちの中から消えていってしまうもの。そんな、花火のような、一瞬だけの、儚い感情であった。人間が本来持ち備えた感情であり、しかしなかなか感じることの少ないものである、純粋な〝生きたい〟という感情なのだから。

でも、もしも。もしも、叶うのであれば、この感情を忘れずに、これからの人生も歩んでいきたい。

明日からの日常も、この思いを胸に、抱きながら生きていきたい、と。

明久たちは、ゆっくりと小指を離して、前にある勢いよく燃える炎に視線を移した。

明久たちの瞳に写る赤と橙色に揺らめく炎は、先ほどより一層空に煙を空に()き上がらせて自分の存在を大きくしていた。原形の失いかけている木片の山は、炎に炭素を奪われながら段々と色を黒くしていく。もはや、どれがミサンガで、どれが木片だったのかも判別することが難しい。どんどん燃焼し、空へと舞い上がっていく炎。暗くたちこめた灰色の雲空に、弱い風に煽られながら、強くも頼りない光をゆらゆらと放つ。

その様子を、熱気にあてられて、明久たちは燃える炎を真っ直ぐ、迷いのない面持ちで見つめた。

「生きよう」

 その言葉が口から発せられると同時に、炎の中からパチッと、木片かミサンガか、もはや識別することさえ叶わなくなった火の粉が舞い上がった。言葉とともに灰色の空へと舞い上がったその火の粉は、ゆらゆらとあてもなく上へ上へと飛んでいく。そして、熱を奪われ赤を失っていった火の粉は、少しずつ黒へと変色しながら、言葉とともにどこか虚空へと消えていった。


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