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神様のミサンガ  作者: よしふ
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明久が受けた話の内容は緩慢なものだった。学期明けテストの点数のことから始まり、日頃の私生活に関した話、真面目に頑張ろうとする姿勢の話へと移ろうと、最終的には哲学の話や、明久には関係なさそうな社会的秩序に関する話にまで発展した。最初は真面目に聞いていた明久も、途中から徐々に脱線していく話題に「あれ、おかしいな」と心で思いながら、杉山先生の話に合わせて適当に頷いていた。そもそも、明久が話をすると思っていた湖声先生は、出張で留守にしており、代わりに現代文の杉山先生が話をすることになっていた。これならまだ、湖声先生の説教を聞いていた方がまだ良かったかもしれない。

明久が上の空でただ適当に頷いているだけだと気付くと、杉山先生は「ちゃんと聞いているのか?」と訊いて、さらに長々しい話をくどくどと続ける。どうして、こんなにも大人という生き物は自分の考え至った理論を、こんなにもひけらかそうとするのだろうか。明久はつくづく嫌気がさしながら心の中で嘆いた。しかし、そういう考えは同じ人間である以上、自分に対してもはね返ってくる。思いを心の中にうずめかせながら、自分にもそういった部分があるのではないかと考えると、明久はその考えをそのまま心のうずめきの中に呑ませて、淘汰(とうた)させていく。

気付くと、話が終わったのは説教が始まってから三十分以上経ってからのことで、杉山先生は満足げに机に顔を向けて、明久は少しやつれた表情をしながら教室をあとにした。もうほとんどの生徒がすでに廊下には残っておらず、先程廊下でグループを作っていた集団も、今は一人残らず姿を消していた。廊下は静かで、いつか見たあの夕陽に染まった光景を思い出す。何もなく、遠くから聞こえてくる音響。どこかで聞こえる、人のしゃべり声。

明久は、突然、妙な胸騒ぎとともにあの覇田切斗のことを思い返した。あれ以来、明久は彼と会ってはいないが、彼もこの高校を通う生徒である以上、この校舎内で出会う可能性は十分にありうる。その時には、彼は本気でミサンガを切りかかってくるかもしれないのだ。そもそも、瀬々良木はどうなのだろうか? 彼女も自分と同じ契約者ではあるが、彼女に対してもあのような行為をするのだろうか。それとも、彼女に対してはあのような行為はしないのだろうか。そのような確証は、あるのだろうか。

明久の頭の中は目まぐるしく動き回って、意味もなく恐怖と疑念が湧き起こった。ずっと、頭の中に潜んでいた考えが、急に思い出したかのように一斉に頭の中に浮かんでくる。どうすればいい? 俺は何をすればいい。今、起きていたら? 今、瀬々良木が彼に襲われていたら? もし、自分と同じように教室に呼び出されていたら? 考えは逆行し、流れを堰き止め、心の中を掻き乱す。明久の足は、自然と下足箱から方向を変えて、自分の教室へと向かっていった。自分に何ができるのだろうか。そんな思いが頭によぎりながらも、明久の足は教室へと向かい、止まることはなかった。ちゃんと、自分の目で確認してから、この思いを(ぬぐ)い去りたかった。何も起きていなかったとしても、せめて、そのことを把握したうえで明日を迎えたい。

明久は自分の教室へと辿り着くと、おそるおそる、教室の中を覗き込んだ。教室は、明かりが点いておらず薄暗い。窓から入ってくる外の景色も、一様に雲が分厚く続くだけで、光はなかった。その薄暗い教室の中に、見慣れた少女が一人。窓際の席に腰掛けながら、外のどんよりとした景色を眺めている。知った髪の長さ、知った体の輪郭(りんかく)。自分の予想と全く同じ姿かたち。それは、紛れもなく瀬々良木夏芽だった。

彼女は外を眺めながら、どこか別の場所を見つめているような寂しげな表情を浮かべていた。 

明久は棒立ちしながらその姿を眺めていると、それに気付いた瀬々良木が、明久に視線を向けて言った。

「あれ、明久じゃん。どうしたの? 忘れ物?」

 笑顔へと変わる表情。違和感を覚えるほど、普段通りの声。明久はその言葉に、少し反応が遅れながらも返した。

「あ、ああ、ちょっとな。お前もどうしたんだ? こんな時間に」

「いや、なんかたまには、こういう一人の教室もいいかなあって、ちょっとね」

 瀬々良木は寄り掛かっていた机から手を離すと、腰に手をあてる。その表情からは、彼女の真意は全く読み取れなかった。明久は少し息を呑みながらも、目の前にいる彼女に訊く。

「誰かから手紙受け取って、待っていたりとか、・・・してないか?」

 明久がおそるおそる言葉にすると、瀬々良木はあっけらかんとした態度で答えた。

「待ってるって、・・・何を?」

 その様子からは、自分と同じように呼び出しを受けているようには思えない。明久は緊張した表情を少しだけほぐすと、もう一度、瀬々良木に同じ質問を投げ掛けた。

「どうしてこんな所にいるんだ? ちょっと焦ったじゃないか」

「焦ったって何を? 別に放課後にこのクラスに残ってたっていいじゃない」

 瀬々良木は笑いながら返すと、明久の顔を覗き見るように窺った。その様子は、いつもの彼女と同じようで、少し違う。明久はしどろもどろになりながら「いや、それは・・・」と言うと、諦めたように肩を落とした。

「まあいいや。・・・それよりお前、大丈夫か? なんか、最近様子が変だぞ」

その言葉に、瀬々良木の表情が凍る。しかしすぐにまた表情を戻すと、違和感の残す笑みを浮かべた。

「そう? 私はいつも通りのつもりだけど」

 笑顔は、また瀬々良木の顔に貼り付けられて、なかなか顔面から離れようとはしない。少しほころびの見せかけた表情も、またなかったかのようにかき消された。でも、明久はその笑顔にも、くじけることなく彼女に訊いた。

「いや、やっぱおかしいよ。なんかお前の笑顔、最近ずっと同じようなものばっかなんだよ。前はもっと、笑顔だって表情豊かだったのに、今は全部同じに見える。全部、無理やり作ったような笑みに見えるんだ」

 明久は瀬々良木に言うと、瀬々良木は答えることなく口を閉ざした。顔からは笑みがついに姿を消すと、瀬々良木は表情を見せないように下へと(うつむ)く。しばらくの間、二人の間に沈黙が続くと、瀬々良木は窓の方へと視線を向けて、明久に言った。

「もう明久も用事とかはないんでしょ? だったら帰ろう?」

 驚くほど抑揚(よくよう)の欠いた言葉。瀬々良木は窓から視線を離すと、そのまま明久に表情を見せないように教室を出ていく。少し、ひんやりと灰色に染まった教室から人がいなくなると、異様な静けさが辺りを包む。明久はその教室を眺めると、瀬々良木の後を追いかけるようにその場を立ち去っていった。


曇天。重たく、呼吸さえも息苦しく感じてしまう空模様。午後四時頃の、帰宅途中。明久と瀬々良木は、それぞれ会話をすることもなく足を単調に前に出して歩いていった。瀬々良木は明久の数歩前を歩き続け、明久も、その間隔を守りながらついていく。横の車道を走る車もどこか閑散としていて、走り去って行くたびにエンジンの音を残す。ずっと前の方を歩いていた手を繋いだ親子の姿も、自分たちとは違う進路方向へと曲がると姿を消した。その様子を明久が眺めていると、前を歩いていた瀬々良木は、振り向くこともなく声をかけた。

「ねえ、明久はさ、どうしてもう一つの世界の住民と、契約することになったの?」

 唐突な瀬々良木の質問に明久は少し驚きながらも、下手な詮索(せんさく)はせずに、静かに下の舗装されたアスファルトを眺めながら答えた。

「前に、連続通り魔事件あっただろ? その事件に、たまたま巻き込まれてさ。その時、契約したんだよ」

 外気によって冷えたアスファルトが、明久たちの靴底を擦らせてくぐもった弱々しい音を響かせる。五月にしては空気が妙に肌寒かった。明久はぼんやりと前方の地面を見据えると、肩に掛けたバッグの持ち手を少しだけ首元へと寄せる。瀬々良木は少し言葉に間を置いて、再び明久に訊いた。

「それは、スーパー前で現れたっていうニュースが出た時の?」

「ああ」

 瀬々良木は相変わらず前を向いたままで、後ろの自分には一度たりとも視線をくれることはない。少し冷たい風が二人の間を吹き抜けていく。なぜ、彼女はこんな質問をしてくるのか。明久は疑問に思いながら、彼女の少し後ろで足を進めた。歩道のそばにある蕎麦処は、閉店中の文字が書いてある看板を扉にさげ、外の空気を隔てながら静かに手前の歩道を見守っている。その横を通り、ちょうど赤信号に変わった交差点に立ち止まると、瀬々良木は静寂な空気を守るように「ここ」と呟いた。

 その言葉に、明久は思わず「え?」と声を漏らすと、前に立っていた瀬々良木の背中に視線を向けた。彼女の背中は、周りの閑散とした空気に呑まれているのか、温かみのない道端の石ころのように無機質で冷たく見えた。明久の反応を聞くと、瀬々良木はかすかに右手の指先を動かした。

「ここなの。私が、事故に遭ったっていう場所。ここが、私の契約するきっかけになった場所なの」

 瀬々良木は声を強めると、後ろに立っている明久に言った。明久は視線を下にずらすと、瀬々良木の立つ足元へと視線を向ける。そこには、生々しく血の跡が残っており、アスファルトの地面を薄黒く染め上げている。血の量はおびただしく、人体から出たら明らかに致死量なのは、素人目にも分かった。その跡も、薄暗い空の弱い光に照らされて冷たく見える。外気にさらされて、確実に色が禿げてきているはずのそれは、それでもなお、二人の立つ空間を支配するように自分の存在を示していた。明久が、その地面にある血に視線を向けていると、瀬々良木は静かに言葉を続ける。

「ここで事故に遭ったとき、私さ、あまりにも突然なことで、なにが起こったのかあまりよく理解できてなかったんだ。なんだか夢みたいなのを見た気がして、起きてみたら腕にミサンガが括りつけられててさ、事故に遭って血も流れてるのに、私には傷一つなくて。よく分からないけど、とりあえず私は助かったんだって、事故に遭ったけどそこから奇跡的に生還したんだって、そう思ったんだよ。馬鹿だよね、今考えてみれば。こんなに血を流したら、誰だって致死量だって一目でわかることなのにさ」

 瀬々良木は自嘲気味に声の調子を上げると、わずかに喉の奥を震わせた。明久はそれに反応することもなく彼女の背中を見つめる。辺りはまるで二人の会話を見守るようにしんと静まりかえっていて、隣で信号を待つ車のエンジンも、極力音を出さないように待っているようだった。全てが、寂寞(せきばく)と沈黙を保った世界。瀬々良木は、その世界の静けさを壊さないように、ゆっくりと明久に話を始めた。

「私ね、まだ幼くて小さかったときに犬を飼っていたことがあるの。小学校、二、三年の頃まで。その犬は、馬鹿がつくぐらい凄く元気な子でね、人懐っこくて、学校帰りなんかは毎日のように私を出迎えてくれてたの。いつも楽しそうに、尻尾なんか振ってさ、遊ぼう、遊ぼう、てね。そんなあの子が私は何よりも大好きで。いつもその子と遊んでは、こんな毎日が続けばいい、いつまでも続いてくれればいい、そんな風に心の中で思ってたんだ。でもね、そんなある日、その子の体調が急に優れなくなってしまった事があったの。どこの病院に連れて行っても原因は不明で、どんなに休ませても状態は良くならなくて、目に見えて日に日に衰弱していくの。あんなに、前まで元気だったあの子が。私、それが凄く心配でね、毎日のようにその子の側にいて、具合が良くなるように看病していたの。少しでも元気になって、また一緒に遊べるようにって。また、学校帰りを出迎えてくれるようにって。でも、駄目だった。叶わなかった。私が寄り添うようにそのまま寝ちゃって、夜が明けて目が覚めたときには、もうその子の体は凄く冷たくなっててね、目なんかも白濁していて、一切動かなくなっていたの。

私はその時、あまりの衝撃に泣くことさえ忘れてしまってたわ。生きている間は、あんなにふわふわで可愛らしかった姿が、今は見る影もない姿になり果てていて。どれだけ揺すっても、どれだけ起こそうとしても、もうあの頃のように元気に尻尾を振ってくれることは二度となくて。その姿に、私は初めて生き物の死というものを知ったの。生き物が命を落とすということは、どういう事なのか。それに残された者の気持ちは、どのようなものなのかを」

瀬々良木は溜め息をこぼすように、口から息を吐き捨てる。後ろからでも、肩や背中の動きは見えて、彼女の呼吸を何となく捉えることができた。

「でもね、私、それと同時に分からなくなっちゃったんだ。自分が、この世界にいる意味は何なのか。生き物がこの世界に生まれて、この世界を生きていくのはなぜなのかが。ずっと前まであんなに元気に生きてたあの子ですら、死んだだけで、今までやってきた事全てが無にかえってしまった。どんなに生きていてほしいと、その子に願い続けていても、私の思いは結局届く事はなかった。それが、あまりにも無情なことのように思えてね、息をしていない、ただそれだけのことが、全てを失うことのように思えてしまって。どんなに頑張っても、辛いことを乗り越えて生きていたとしても、命が尽きてしまえば、それでおしまいなんだなって。どんなに一生懸命生きて、幸せな人生を送ったとしても、死んでしまえば、それは少しずつ忘れ去られて風化していってしまうんだなって。そういう風に、感じたんだ」

いつの間にか、小刻みに震えていた瀬々良木のか細い声は、込み上げてくる感情を抑えきれずに、次第に調子を強くしていた。

「それでもさ、明るく何気ない生活を送っていれば、あの時感じた辛い思いもいつか気にすることもなくなるって。皆と馬鹿みたいな話でもして、楽しく笑いあえば、あんな感情いつか忘れられるって、今までずっと見ないふりしてきたのにさ。この道を通って、この血の跡を見る度に現実を突き付けられるんだ。ああ、自分もあの時あの事故で、本当は死んでいたはずの存在なんだなって。あの時のあの子のように、もうここにいるはずの存在じゃなかったんだなって」

瀬々良木は小刻みに震える声を噛み締めると、寂しそうにこちらに振り向いた。その表情は、あまりにも辛そうで、普段の彼女からは想像できないぐらい悲痛に満ちていて、自分の、心の奥深くにまで突き刺さる。

「それじゃあ、今ここにいる私達って、何で生きてるのかな」

―――答えられなかった。答えることが出来なかった。

安易に答えようとすれば、それはただの無責任になる気がして、上手い言葉で取り繕うとすれば、彼女の心には何も届かない気がして。何一つ、瀬々良木に言葉を返す事が出来なかった。目の前の赤を示していた信号機は、再び青を示し、人や車の流れを促し始める。それと共に、瀬々良木も横断歩道を渡り始め、何も出来ずにいた俺のことを振り向く事もなく進んでいった。その背中には、彼女がずっと悩み続けていた寂しさや(うれ)い、切なさが見て取れる。俺はその歩みゆく背中に何も出来ずにいる自分に気付くと、急いで彼女を呼び止めようとした。しかし、その時にはもう彼女の姿はそこにはなく。流れゆく風景の中、自分一人だけがその場に取り残された。


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