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神様のミサンガ  作者: よしふ
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第4章

それから、夕暮れ時の一件があってからというもの、瀬々良木の様子に少しずつ変化が見え始めた。何事もなく友人と会話していた休み時間でも、授業が始まり友人が自分の席へと離れていくと、誰かに気付かせることもなく表情を暗くした。以前見せていた明るい笑顔も、今では少し影を落とすようになっていた。授業中になると、頬杖をついて柔らかな髪の毛に表情を隠し、一人授業とは違う方向を見つめている。

しかし、彼女自身の周囲の反応が変わったわけでもなく、友人が来れば普段と同じように笑顔を見せ、時には自分から率先して会話の話題を振っていた。何かが変わっているかのようで、何一つ変わりのない日常。友人といる時には、彼女はいつも決まって笑顔を見せた。

なぜ、友人といるときといないときでは、こう表情が変わって見えるのか。明久は少し不思議に思いながらも、瀬々良木にこれを直接聞くようなことはなかった。明久にも、本当に表情が変わっているのか、いささか疑問ではあったからだ。彼女の笑みは以前と変わることなく周りの人に振り向けられ、彼女自身もいつもと同じように楽しそうに一日を過ごす。この光景には、何一つ疑うべき点は見当たらず、以前とは変わりがなかったのだ。周りに集まってくる友人たちも、その変化には気付いていないようで、いつもと同じように、休み時間になっては彼女のもとに来るのを繰り返していく。数日たった今日でも、その光景は変化を見せることはなかった。

それでは、この違和感は一体何なのだろうか。

明久は、授業中に視線を瀬々良木にちらりと向けて考えた。彼女は黒板に並べられていく言葉には目もくれず、綺麗な長い髪の毛を横に垂らしながら、どこか別のところを眺めている。彼女の普段の振る舞いからは、彼女の真意を読み取ることが出来ない。かといって、彼女の表情から何かを読み取ろうとしても、彼女の顔の外側には、上塗りされた別の表情があるみたいで、その内側にある真実の表情を読み取ることは難しそうだった。まるで普段見せている笑顔が、マスクの上に書かれたものでもあるかのように。

明久は、顔を黒板へと戻して瀬々良木と同じように頬杖をつく。彼女は隠れた髪の奥で、一体どんな表情をして、何を見つめているのか。分からぬまま、移ろっていく時間に身を委ねて、明久はぼんやりと前を見つめる。黒板に書かれた白いチョークの文字は、少しずつ量を増やしては黒板消しに消され、黒板に白い跡として残っていく。それは、明久の心を更新していくように上塗りされ、新しい文字が上に書かれていった。

少しずつ天気を崩していった空は、落ちて来そうなほど厚く黒い雲で覆われて、下の街並みを暗く写していた。昼になっても空は晴れることなく雲が連々(れんれん)続いており、明けることのない空の太陽は、今か今かと雲の切れ間を待っている。そんな空のもと、街にいる人間たちはいつもと変わることなく仕事のために会社に行っては仕事に(いそ)しんだり、学校に行っては学業に勤しんだりと、普段と変わりのない日常を過ごしていた。授業が終わった明久たちも、そのような人たちと同じように何気なく集まっては、他愛もない話を話す。 

時間は三時過ぎ。帰宅時間になった人たちはみな友人たちと帰宅を始めたり、掃除当番の人は教室に残って掃除用具を手に取ったりしていた。生徒たちの机と椅子は教室の前に不揃いに集められ、後ろは、白い布などで擦ったら黒くなるような、光沢の失った床が(あら)わになっていた。廊下が騒がしいのは、帰宅の際に友人と会話をしている生徒たちの声だろう。明久は掃除ロッカーからほうきを取り出すと、無気力に教室の床を眺めながら、落ちていたほこりをかき集める。外からは、学校から解放されて完全に気分が浮ついたしゃべり声が、自転車に乗って横へと流れていく。自分たちと同じ班にいたクラスメートも、何気なく廊下の外で待たせている友人と話しながら教室を掃除していた。その中に、自分たちとは違う班の人間が一人。明久はその人のもとに近付くと、掃き掃除をしながら訊いた。

「涼川、お前、俺らとは違う班だよな。何でお前が掃除してんだ?」

「ああ、高城君。いや、あなたの班の(つつ)(はら)さんに、どうしても別の用があって出られそうにないから頼まれちゃってね。それで代わりに私が掃除しているの。彼女急いでいたようだったし」

 彼女は俺が掃き終わったのを見ると、前にあった机を、後ろを確認しながらさげていった。

「それより高城君。あなた、いっつも一緒にいるあのへのへのあほんだら、どうにかできないの?」

「へのへのあほんだら?」

 明久は涼川が言った言葉を繰り返すと、すぐにそれが杉村のことを指したものであることを理解した。俺は笑いながら「ああ、杉村のことか」と答えて、調度もみあげの生えたところを人差し指で掻いた。

「あいつ、いっつも人に喧嘩売るような態度取ってきてすっごい腹立つのよ。人のこと考えて行動する割に、そのことを人に相談しないからかえって人に迷惑かけてるし。今、あいつが部活の練習サボるようになっているのも、通ってるスポーツジムで本格的なトレーニングを受けているからだって、知ってた?」

 その言葉に、明久は驚いた。明久も杉村がスポーツジムに通っていたことは知っていたし、毎日のようにその練習内容のきつさを聞いていたが、杉村がその為に学校の部活動まで休んでいると聞いたのは初耳だった。彼はいつも部活動のある日はジムの予定を入れていなかったし、ジムの大会よりは学校の大会を重んじる人間だったからだ。

「なんでも今、海外から現役の一流テニスプレーヤーが来ていて、その人からコーチを受けるまたとないチャンスなんだって。それで、今まで優先させていた学校の部内練習をサボってまで、その人のコーチを受けていたらしいの。自分の能力を、もっともっと磨くためにって」

 あいつらしい選択。普段の彼を思えば、全く不思議のない行動だった。なぜならあいつの口癖は、いつも決まって「強くなりたい」だったのだから。彼は、いつも上を目指しては彼なりの目標を(かか)げていた。練習も熱心だったし、授業中も、テニスのことを考えているようだった。でも、この高校は彼の実力には見合わない。大会も、大体が地区大会で止まってしまうレベルで、県大会まで行ったのはここ数年一度もない。全般を通して言えることだが、本来、スポーツというものは、周りに上手い人がいなければ上達の速度は(いちじる)しく低下する。お互いに鼓舞し合い、励ます仲間がいてこそ人は上達していくのだ。一対一の対人戦であればなおのことその環境が求められる。だからこそ、杉村は自分をより追い込むために、その選択を選んだのだろう。あいつと一年以上付き合えば嫌でも分かる。きっと彼女も、そのことはしっかりと理解しているだろう。

「そんなの、私だって分かるわよ。あいつがそういう人間だっていうことぐらいは。そうじゃないの。私が怒ってんのは、それをテニス部員の誰一人にも相談しなかったってこと。あいつ、下手なりに頑張ってる部員たちのこともちゃんと理解しているくせに、ジムで練習するってことを一人として伝えてないの。それがなんだか部員のことを信用していないかのようで、なんか腹立つの」

 涼川は運んでいた机から手を離すと、口を尖らせる。彼女の言い分ももっともなものだ。本来なら、こんな大事なこと、顧問だけでなく同じ仲間である部員にも伝えるべきことだし、部員のことを思ってのことでも、とりあえず誰かしらに相談することが筋と言うものなのだ。それをしなかったのは、彼なりの、部活ではなくスポーツジムを優先するという罪悪感からなのかもしれない。彼には彼なりの思うところがあったのだろう。それだったとしても、彼は正直にそのことを部員に伝えておくべきだったのだ。彼が部活に入ってからというもの、この高校の部活動は活気が再び蘇り、部員全員がいきいきとして見えた。誰もが、彼のことを信頼していたのだ。だったら、彼もそれに応えて、しっかり真摯(しんし)に対応するべきだったのだ。

「まあ、あいつは器用なようで、実は一つのことにしか頭が働かないような奴だからな」

俺が笑いながら言うと、涼川は何も答えずに前へと行き、別の列の机をさげていく。

「ほんと。・・・まあ、これからも知らなかったふりしてあいつのこと追い掛けまわしてやるけどね。あいつのむかつく顔、歪ませるの面白いから」

 涼川が悪い顔を浮かべながらほくそ笑むと、明久は若干引き気味になりながら苦笑いした。彼女のこの笑みはいつ見ても恐ろしかった。この標的にされる杉村に同情してしまうぐらいに。ああ、恐ろしや、なんまんだ。

「ところで明久、今日掃除当番以外にも呼び出しあったでしょ。そっちの方は大丈夫なの?」

 それを聞くと、明久の気分は一気に憂鬱になる。先日行なわれた学期明けテストの結果がようやく今日返されたのだが、その中でも俺の結果は群を抜いてひどかったらしく、そのことについて呼び出しを受けてしまったのだ。呼び出しを受ける際も、湖声先生から『お前、大丈夫か』と真面目に心配されてしまった。

「ああ、大丈夫だよ。・・・多分」

明久は手に持っていたほうきの()の先端に顎をのせると、顎元に圧迫されてつっかえた嘆息をつく。

「その様子じゃ、大丈夫じゃなさそうね。だったら、掃除早く終わらせて、そっちの用事も早く終わらせないと」

 そう言って、涼川は気張ったように机を持ち上げて、急いだようにとことこと教室の後ろへと持っていった。明久もその様子を見て、掃除の作業を続ける。

教室の外から聞こえていた騒音も少しだけ落ち着きを見せると、少しだけ放課後の静けさが漂い始める。廊下にいる生徒たちも、徐々にその静けさに呑みこまれるように姿を消していった。その中、ようやく明久たちは掃除を終わらせると、みな散り散りになって教室から出ていった。明久も鞄を肩にかけて教室から出ていくと、呼び出しのあった職員室へと向かう。廊下にはまだ数人がグループを作っていて、もう残る用もないだろう会話を、帰ることも忘れて飽きることなく続けていた。


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