19話 『処刑台での攻防』
大切なことを教えてくれたユリンと別れ、シュウヤは急ぎ足である場所へ向かっていた。
空を見上げれば、まだ太陽は中央にすら来ていない。時間は残っている。処刑を行うにしても、恐らくそれは今日の夕刻だ。
なぜそんなことがわかるのかと言えば、街の中で異端が捕まったという一件は大きな噂となっているからだ。街を歩いているだけである程度の情報は手に入る。
曰く、異端の処理は大抵の場合夕刻、太陽が沈んでから行われるということ。これはこの国の宗教が太陽は神の恵みであるという教義を説いており、異端は太陽に見捨てられたものであるという解釈から、日中に異端を処刑することは神に対する冒涜であると考えられるかららしい。
曰く、処刑の場所は街から少し離れた古城であるということ。これは昔に同じようにこの街で罪人が捕縛されたときに、その古城で処刑が執り行われたという慣例があり、他にこの街の中や周辺で処刑が執り行えそうな場所は存在しないという話だ。
歩きながら、シュウヤは計画を煮詰めていく。
この救出作戦は一人では無理だ。もう一人、協力者が必要不可欠なのである。
そしてその当てが、シュウヤにはあった。
「確か地図ではここだったはずだが……」
シュウヤは大通りを一本裏手に入ったところにひっそりと佇む一軒の倉庫の前に立っていた。
扉を開けて、シュウヤは中に踏み込んだ。
お目当ての人物はすぐ目の前の椅子に座っている気の良さそうな男だ。
「おお!! 旦那じゃねえか!! 嬉しいねえ、また会えるなんてよ!」
「ああ、俺も同感だ」
その人物とは、シュウヤにとっての第一異世界人こと、行商人のトーマスである。
初めて会ったときと変わらない気さくな笑みを浮かべたトーマスはシュウヤを歓迎してくれるようだった。
しかし、シュウヤの顔に笑みは浮かんでいない。友人との再会は喜ぶべきことだが、残念ながら今はそれどころではない。
シュウヤの様子にトーマスも何かを察したのか笑顔を引っ込めて、神妙な面持ちになる。
「……なんだか気楽な様子じゃねえな。なんかあったのか、旦那」
「……トーマス、あの時に言っていたな。俺の力になってくれると……その言葉は信用しても大丈夫か?」
「ん? ああ、もちろん俺にできることあったら喜んで協力するけどよ。とりあえず座れよ、旦那。話を聞こうじゃねえか」
トーマスがもう一脚椅子を出してきて、座るように促してくる。
シュウヤが椅子に座ると、トーマスは水を一杯出してくれた。それを一気に飲み干して、シュウヤはやっと一息吐く。
「じゃあ話を聞こうじゃねえか」
シュウヤはこれまでの状況を掻い摘んでトーマスに語った。
あの後、奴隷商館にいたアリシアを購入して仲間にしたこと、アリシアが実は異端であり皇女様でもあり皇宮と教会からその命を狙われていること、そして昨晩の一幕を。
加えて、最後にもっとも重要なことも伝える。
それはシュウヤの正直な気持ちだ。どんな状況であっても、アリシアを助けたいということ。
そしてその手伝いをトーマスにしてほしいということ。
「……ただ事じゃねえとは思ってたけどよ、とんでもねえ話だな。それって要はこの国と教会に全力で真っ向から喧嘩を売ろうってわけだよな?」
「ああ、無理は承知だ。もちろんトーマスが厳しいなら断ってくれても構わない」
トーマスは行商人だ。自分の生活がある。もしこの犯罪行為の片棒を担ぐのが無理だというなら強制はしない。一人でもやり遂げて見せるだけだ。
「おいおい旦那、それじゃあまるで俺が口だけの薄情者みたいじゃねえか。確かに難しい話だ。でも、旦那にはこの状況を変える考えがある。そうなんだろ?」
「ああ、考えてある。だからこそトーマスの力が必要なんだ」
シュウヤは先ほど思いついた計画をトーマスに順序立てて話す。
全てを聞いたトーマスは目を丸くして驚いていた。
「……確かにめちゃくちゃな計画だなあ……でもそれ、十分に可能だと思うぜ」
「本当か? それじゃあ……」
「ああ、一度は乗りかかった船だし、俺も男だ。いいじゃねえか、喧嘩売ってやろうぜ、この国に」
「……本当に助かる。この礼は必ずいつか」
「いやいや、こいつは俺からのお返しさ。俺は旦那に命を救ってもらったんだ。だから今回は俺の命を旦那とそのアリシアちゃんのために賭けてやる。これで貸し借りはなし、俺らはやっと本当のダチってわけだ」
トーマスの心強い言葉に、シュウヤは思わず心が熱く滾るのを感じる。
「それで? 俺は何をすればいいんだ?」
「とりあえずシャルレーゼの香水を全部俺にくれ。それから俺の全財産をお前に預けるから空き瓶と油と布を買って、こいつを作ってほしい」
シュウヤは昨日の残りの火炎瓶を取り出して、トーマスに見せた。
それから二人で計画の細部を詰めていく。
街でできる下準備はトーマスに任せ、シュウヤは街の外でするべき下準備を行う。
打合せを終えて、シュウヤは倉庫を後にした。
青空を見上げる。朝に見たのとは全くおなじそれは、全く違う印象をシュウヤに与えた。
活路は開けている。
シュウヤはアリシアの顔を思い浮かべ、拳を握りしめた。
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古城に轟く亜人達の咆哮、騎士たちの怒号。
辺りに散らばった炎は古城全体を明るく照らしていた。
そんな地獄絵図のような状況の中で、シュウヤは腕の中で暴れるアリシアに囁いた。
アリシアはシュウヤの声に一瞬、動きを止めて振り向く。今のシュウヤは異端審問部隊の制服の上に甲冑を着こんでいるから顔はわからないだろう。
それでもアリシアは、シュウヤの声を聞いて動きを止めてくれた。気づいてくれた。
「シュウヤ……さん……?」
「……ああ、少し動くなよ」
シュウヤは手持ちの剣、この甲冑の持ち主の剣を抜き放ち、両隣の騎士の頸部を切り裂く。
「があっ!?」
突然の奇襲に対応できるはずもなく、血飛沫を上げて倒れる。
「貴様、血迷ったか!?」
残る二人の騎士が武器を構え、シュウヤに向かって突進してくる。
手持ちの剣を逆手に持ち、振り下ろされた剣をバックステップで躱して鎧の隙間に突き刺す。間髪入れずに突き出されるもう一人の槍。軌道を見切り、柄を掴みそのまま引き寄せ、ナイフを首に突き立てる。
瞬く間に四人の騎士を始末したシュウヤは改めて、真の敵に向き直る。
ロベールは突如仲間であるはずの騎士たちを殺害したシュウヤ扮する騎士を険しい表情で睨んでいる。
「貴様……」
「そういえば自己紹介をしていなかったな」
シュウヤは身に着けていた冑を剥ぎ取り、重々しい鎧を脱ぎ去る。全ての偽装を取り払ったシュウヤの姿はいつも通りの黒いジャケットにワイシャツにベストの恰好だ。
「俺はアリサカ・シュウヤ。アリシアのパーティメンバーだ」
「シュウヤさん!!」
アリシアが腰に抱き着いてきた。
涙をまるで子供のように零しながら泣きじゃくるアリシアをしっかりと抱き締め返す。
「なんで……どうして来たんですか!? こんな……無茶ですよ!!」
「悪いな、無茶をしなくちゃいけない道理ってのがあったんだ」
泣き止まないアリシアの頭を撫でながら、シュウヤはもう片方の手で朧月夜を抜き放った。それこそいつものように。
「一体……」
「まあまずはそこからだな。お前たちは俺を上手く諦めさせた、とでも思い込んでいたようだが、どうやら俺はお前たちの予想以上に頑固で物分かりの悪い人間だったらしい。だから考えた。アリシアを取り戻す方法を。亜人を呼び寄せるのは思いのほか簡単だったよ。シャルレーゼの香水、あいつには亜人の鼻を刺激する副効果があるらしいな。ちょうど運のいいことに、俺はあの香水を大量に手に入れる伝手があった。だからお前たちがここでせっせとアリシアを殺す準備をしている間に、この辺りにばらまかせてもらったよ。この炎は火炎瓶といって、俺のお手製の武器だ。後は仕込みを終えた後に、呑気にくつろいでいるあんたの部下を気絶させて入れ替わったというわけだ。ああ、あの城壁の上の人影はただの案山子だ。畑にあるごく普通のつまらないただの案山子だよ。これで満足かな?」
ロベールの疑問に懇切丁寧に答え合わせしてやる。
あの宿屋で彼がしたように、さも当たり前のように。
この作戦にはトーマスの協力に随分と助けられている。シュウヤが古城での仕込みを行っている間に、火炎瓶を大量生産してくれたのも彼だし、シュウヤが騎士に扮して潜入している間に火炎瓶を古城の中に隠れて投げ込んだのも彼だ。
「なぜだ……わからない……本当にわからない……貴様がなぜそこまで彼女に尽くすのか……」
「別にお前に理解してもらわなくても結構だ。おっと、そうだ。こいつは返そう」
シュウヤはロベールに布袋を投げる。
ロベールの目の前に転がった布袋からは金色に輝く硬貨が何枚も零れ落ちた。
「悪いが俺にとってアリシアは50万メルクで叩き売りできるような安物じゃない。だから交渉の答えは否だ。そいつは返金する。安心しろ、一銭も使っちゃいない。今回の仕込みは全部俺の自腹だ」
実はトーマス所有の商品や資産を使っているので、全部が自腹というわけではないのだが、そんな内輪の事情はこの場で開陳する必要性もないので黙っておく。
対するロベールは放り投げられた金貨に一瞥だけ投げると、シュウヤを向いた。その目に宿屋で映していたような余裕はない。その瞳は間違いなく戦士の瞳だ。
無言で剣が抜かれた。他の騎士とは違う、鋭く磨かれた業物だということは見ればわかる。
「……アリシア、下がっていろ。ここからは殺し合いだ」
シュウヤはアリシアを背中の方に下がらせると、朧月夜を構えた。
「もうお互い名乗りは済んだんだ。いつでも来い」
「――――言われずとも」
ロベールが大きく踏み出す。それでいて隙のない中段からの一振り。
シュウヤはそれと同時に、腰からフェンリス・ヴォルフを引き抜いた。見たことのない武器に、ロベールの足が止まる。
もう遅い。
シュウヤは躊躇いなく引き金を引いた。轟音とともい射出された魔弾はロベールの胸に吸い込まれていく。
しかしロベールとて熟練の騎士。人並外れた動体視力と経験で、魔弾の軌道に剣を振るった。
激しい着弾音の後に、後ろに揺らぐロベール。
(……驚いた)
まさかフェンリス・ヴォルフの一撃を姿勢を崩しただけで防ぐとは思わなかった。やはり彼は強い。シュウヤの中でのロベールに対する評価が一段階上乗せされた。
だからこそ、手加減などはしない。
その隙を突いて、シュウヤは地面を蹴り間合いを詰める。懐に入り込んだところで甲冑に朧月夜を突き立てた。
「このっ!?」
崩れた姿勢のままでなんとロベールは朧月夜の軌道を己の剣で弾くことによって防御した。
更にそのまま返す刀で、シュウヤの胴体を両断しようとする。咄嗟にバックステップで回避するシュウヤ。
「私を舐めるな。教会の聖術で身体能力は何倍にも強化してある。普通の人間を相手にしているなどと思うな」
「そうか、なら俺も本気を出そう」
シュウヤは満を持して、人狼の呪いを発動させた。
どす黒いオーラが全身から吹き出し、シュウヤの身体能力を大幅に向上させる。
「……やはり貴様、異端の類であったか!!」
ロベールが再び剣を中断に構え、迫る。その動きは先ほどよりも速度を増していた。
ロベールの一撃を敢えて受け、その勢いを利用してシュウヤは宙に跳ね上がる。
「もらった!!」
宙では足場がないため、避けることができない。その瞬間を見破ったロベールが止めと言わんばかりに剣を突き出した。
確かにこの状況では避けることなどできない。そしてそれを知っているロベールがこのタイミングで攻撃を浴びせてくることはわかっていた。
シュウヤは空中でフェンリス・ヴォルフを再び構え、ロベールに向かって放つ。
「くっ!?」
しかし、ロベールは剣の軌道を再び銃弾へと合わせてきた。
なんとか防ぐも、剣を握る手もまた大きく外側に弾かれる。これで胴体はがら空きだ。シュウヤは続けて引き金を引く。
合計五発。
ロベールは篭手を顔の前に重ね、その全てを受け切った。
シュウヤが再び地上に降り立ったとき、ロベールは膝を突いて血を吐きだした。
驚くべき防御力だ。あの甲冑には何らかの防御術式が刻まれているに違いない。結局、シュウヤの放った魔弾は一発も彼の鎧を貫くことはできなかった。
しかし、彼の身体に与えたダメージは甚大だ。貫通は防げても、鎧を通じて伝わった衝撃までは殺せない。
「そろそろ仕舞いにしようか」
シュウヤは朧月夜を構えなおす。今度は両手でしっかりと固く。
「……そのようだな……そろそろ終わりにしよう……」
ロベールは静かに立ち上がった。
そして同じように両手で剣を構える。瞳から戦意は衰えていない。
「はあああああああ!!」
先に仕掛けたのはロベール。
見せたのは上段の構え、恐らくこの一撃で決める気だ。
シュウヤはそれを見切り、中段の構えで迎え撃つ。
互いの距離が縮まり、剣先が触れようかというその刹那、叫び声が聞こえた。
(何が……)
シュウヤが見切ったはずのロベールの剣先が陽炎のように揺らいだ。
違う、この太刀筋は本物ではない。そうシュウヤが悟った瞬間に、脇腹に強く衝突したものがあった……否、人がいた。
「アリシア!?」
アリシアだ。
アリシアがシュウヤの身体に体当たりをし、無理やりに横合いに突き飛ばしたのだ。
そこにロベールの剣が、いやロベールの剣から湧き出る何かが通り抜けた。
柔らかい音。肉が断ち切られる音。
気づけば、アリシアがまるで壊れたおもちゃのように手足を投げだしたまま吹き飛んでいた。
磔台に激突し、そのまま地面へと転がり落ちていくアリシアの身体。
その背中にははっきりとした創傷があった。
姿勢を立て直したシュウヤはロベールに向き合う。
「何を……した……いや、何故間合いが変わった……?」
そして何故アリシアはそれに気付いたのか。
その答えは寂しそうな笑みを浮かべるロベールの口から語られた。
「今のはな……私の得意な剣技だ……魔力を刃に込め……もう一つの不可視の刃を生み出す……昔よく得意になって見せたものだったよ……アリシア様にな……これで遠くからリンゴを斬ってやると……それはもう嬉しそうに燥いだものだったよ……まだ……覚えていてくださったんだな……くふふ……あははあははははは……!!」
その笑い声は悲しく、そして虚しかった。
そして脱力したように、地面に伏した。力を使い果たしてしまったようだ。
シュウヤは静かにそんなロベールに歩み寄り、見下ろした。
「お前は……もしかしてアリシアの……」
「くふふ、よしたまえよ……もう語ることなどなにもない……私の、負けだよ……」
諦めたように目を閉じるロベール。
ミシリと音を立て、磔台が根元から折れる。恐らく先程の火炎瓶の一撃で、だいぶ根元が傷んでいたのだろう。
折れた柱は重力のままに、ロベールの身体を押し潰した。
下敷きになった彼はもうピクリとも動かない。
「……アリシアがいなかったら俺もあの一撃はただでは済まなかった……あんたは間違いなく立派な騎士だよ。強い、俺が保証する」
シュウヤはかつてはアリシアの騎士を務め、そしてアリシアを殺す騎士を務め、今は物言わぬ骸となった隊長にそれだけを伝え、処刑台を降りた。
そしてアリシアを抱き起す。
大丈夫だ。あの男は、ロベールはアリシアが飛び込んできた時点で咄嗟に魔力を弱めたに違いない。表皮こそ裂傷を負っているものの、骨までは届いていない傷だ。
命に別状はなくとも、意識を失っているアリシアを抱き締めて、シュウヤは戦いの終わりを痛感する。
アリシアを救う戦いは、今ようやく終わりを告げたのだった。
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