18話 『処刑の刻』
夕暮れの空を漆黒が塗り替えようとしていた。
ジュノーの街、領主の館には大きな鐘が備え付けられている。この鐘は朝と昼、そして夜にその訪れを街に知らせるため、領主に使える従僕が鳴らしている。
その鐘の音はジュノーから数キロほど離れた小高い丘に佇む打ち捨てられた古城にも響いてきていた。
「頃合いだね」
ロベールはその鐘の音を聞いて、大きく息を吐きだした。
「用意を急げ! 整い次第、異端アリシア・カトリーヌ・ド・ヴァラメール・ウィンダルシアの処刑を始める!」
今、普段は人気のない古城に数百人以上の騎士が詰め寄せていた。
夜になれば闇が蔓延る古城を照らすために、城壁にはかがり火が等間隔で焚かれていた。楼閣を目の前に控えた古城の中庭には、木製の巨大な台座が拵えられている。台座に聳え立つのは高さ五、六メートルはあろうかという磔台だ。
その武骨な構えが、これからこの場所で何が執り行われるのかを物語っていた。
「私は異端を連行してこよう。私が戻るまでに支度を終えておけ」
ロベールは部下の騎士に託け、処刑台を降りる。
アリシアは今、古城の中の地下牢に閉じ込められている。かつては軍規違反を犯した罪人を閉じ込めていた牢獄だという。
苔むして黴臭い階段を降りると、古ぼけた格子が並ぶ地下牢が見えてくる。
ロベールが階段を下りきると、監視の任に就く部下の話声が聞こえてきた。
「なあ、いつまでこんな辛気臭いところにいなきゃならねえんだ?」
「文句言うなよ……それとも上で重労働がお望みか?」
アリシアの監視を申し付けた部下の騎士はどうも暇を持て余しているようだ。
「……それにしてもこの娘、かわいい顔してるよな。これで異端って言うんだからもったいねえよなあ」
「まあ仮にも元皇女様だからな。つーかお前、何考えてるんだ?」
「いやさ、元皇女様だとしたらあれじゃん? 処女なわけじゃん? 男を知らないまま死ぬなんてもったいなくね?」
「お前なあ……」
下卑た笑みを浮かべた騎士は、鎖に繋がれて項垂れるアリシアの服に手を伸ばす。
その感触に気付いたのか、アリシアは目を開いて抵抗する。
「いや!? 何をするんですか!? やめて……! そんなところ触らないで……!」
「暴れんじゃねえよ! 俺が最後の思い出を作ってやるって言ってんだぜ? ありがたく思えよな!」
騎士はアリシアを押し倒して組み伏せる。
もう一人の騎士は呆れたような表情を浮かべて、見て見ぬふりを決め込む。
……頃合いだろう。
ロベールは二人の不届きな騎士の下へ歩みを進める。
「何をしている、二人とも」
「えっ!? 隊長!?」
予想外の人物の登場に、二人の騎士は動揺する。
アリシアを襲っていた騎士は慌てて姿勢を正し、自分に向き直ってくる。
「いえ、これはですね……その……」
「異端と交わればその者もまた異端になるぞ。私は自分の部下から異端を出すつもりはない」
「はっ」
ロベールは二人の騎士の脇を通り抜け、アリシアの前に立つ。
騎士に狼藉を働きかけられて、アリシアは床に仰向けに倒れたまますすり泣いていた。
「……処刑の用意はもう整う。ここは私が受け持とう。お前たちは上を手伝え」
「はっ」
二人の騎士は逃げるようにそそくさと階段を昇っていった。
今、この地下牢にいるのはロベールとアリシアの二人だけ。この場に誰の気配もないことを確認し、ロベールはアリシアを助け起こした。
それから片膝をついて、恭しく語り掛ける。
「お久しぶりです。アリシア姫殿下。最後にお会いしたのは、貴方の七つの誕生日の祝祭の日でしたね」
随分と成長し、すっかり幼子から少女になったアリシアはきっと将来、母親であるカトリーヌ妃に似た美人になるだろう。そう思わせるような面影が彼女にはあった。
ロベールはこの職責を負うまでは、皇宮でカトリーヌ妃の護衛の任に就いていた。
昔はよく将来の皇女様の戯れに付き合わされたものだ。蛙を捕まえるといって池に入らされたこともあったし、騎士のとっての魂である剣をどこかに隠されてしまったこともあった。
当時、ロベールは若くして貰った美しい妻を流行り病で失っており、二人の間には子供はいなかった。心に空いた溝を埋めるように、ロベールは職務に邁進する毎日だった。
そんなロベールの悲しい境遇をカトリーヌ妃も測り知っていていたのか、護衛の騎士としての職務以上にアリシアと触れ合うことを良しとしてくださっていた。
きっとあの方なりの自分に対する気遣いであったのだろう。
本来ならばあり得るはずでもなく、べきでもない一人の若い騎士と将来の皇女と関わりは、ロベールがその実直な人柄と顕著な功績を買われてウィンダルシア聖堂騎士団の幹部として迎え入れられるまで続いた。
いつかまたあの心優しい妃とお転婆な皇女にお会いしようと思っていた。ロベールの人生でもっとも辛く孤独だったあの時代を支えてくれた二人にお礼を捧げようと、ずっとそう思っていた。
それがまさかこのような形で実現するとは思いもしなかったが。
「あなたは……もしかしてロベール様ですか……?」
ロベールの言葉で過去の記憶を思い出したのか、アリシアが自分の名を口にする。
「ええ、懐かしいですね。あの皇宮の……ラトナの庭園での記憶は私にとって忘れがたいものでした。あの方……カトリーヌ様とアリシア様には感謝してもしきれません」
「ならどうして……なんて質問はきっと意味がないものなんですね……」
「……私とアリシア様、そしてカトリーヌ様の運命がこのような形になってしまったのは酷く悲劇的なものだと思います。しかし、今の私はウィンダルシア聖堂騎士団、異端審問部隊の頭です。私は、職責を果たさねばなりません……ご理解くだされ」
ロベールがどれだけ悔やんでも恨んでも、失われた時間を取り戻すことはできない。
今のロベールはあくまでも異端審問部隊の隊長である。優先すべきは私情ではなく、使命なのだ。
「本来ならば異端には、磔で苦痛を与えたあとに治癒魔法をかけ、そのうえで火炙りにするのが通例です。しかし、アリシア様には磔にした際に最初の一撃で息の根をお止めいたします。せめて苦痛がないように、処刑の方を執り行わせていただくつもりです。これが……私が最期にできる恩返しでございます」
アリシアからの返答はない。
「アリシア様の御身の汚れが清められ、楽園で苦痛なき永遠の魂が与えられんことを。そして身勝手ながら、カトリーヌ様に私からの礼をお伝えください。あの時、私の心は救われたのですから」
ロベールは再度、深く一礼する。
「おさらばです、アリシア様」
立ち上がり、心を切り替える。
二人に仕えた護衛の騎士ではなく、異端審問部隊の隊長として心に。
「立て、異端。これからお前の処刑を執り行う」
ロベールはアリシアの腕を掴んで引きずり起こし、連行する。
古城の中から外に出ると、空はすっかり黒く染まっていた。
中庭では処刑の用意が整えられている。処刑台の前には周囲を警戒する任を負った者以外の全て隊員が立ち並び、今か今かと異端の処刑を待ち望んでいる。
ロベールはアリシアを引き連れ、処刑台の階段を登る。
台には儀礼を執り行う司教が一人、そして五人の処刑の補助を務める騎士たちが並んでいた。
彼らはロベールとアリシアの姿を確認するや否や、最後の準備に取り掛かる。
一人がアリシアの腕を掴んで、柱の下へと連れていく。それから残る四人が柱を傾け、アリシアの両腕を左右の板に鎖で縛り付け、続いて足を縛り付ける。仕上げに、柱からずり落ちないように胴体を鎖で巻き付ければ処刑の用意は整う。
ロベールは司教に目線で合図を送る。
「聞け! この者は神に仇なす血を受け継ぎながらも、それを隠して神聖なる皇国を穢れた祈りで汚した! 異端には磔刑の上、火炙りの刑に処し、神に懺悔を請わせなければならない! 諸君、今こそ穢れた異端に怒りの鉄槌を!!」
「鉄槌を!!」
司教の威勢のいい言葉に、中庭に整列した騎士たちが一斉に怒声を張り上げる。
その声を聞いて、ロベールは奥歯を噛みしめた。補助の騎士から槍を受け取り、柱に磔にされたアリシアを見上げた。
アリシアは諦めたように目を閉じる。
ロベールがひと思い終わらせようと、槍を構えた時だった。
甲高い鐘の音が古城に鳴り響いた。
警備の騎士が鳴らした、非常事態を告げる鐘の音だ。
集まった騎士たちに動揺が広がっていく。ロベールは一度構えた槍を下ろし、叫んだ。
「何事だ!!」
その声に呼応したかのように、古城の門を守っていた騎士の一人が処刑台の前に転がるように飛び出してきた。
「隊長!! 大変です!!」
「一体、何があったんだ!?」
「ゴブリンとオークの群れが……っ!! 大群をなしてこちらに向かってきます!!」
「なんだと……? なぜ亜人どもがここに集まる!?」
「わ、わかりません!! でも……」
その時、轟音が古城に轟いた。
門が破られたのだ。元々、とっくに昔に捨てられた城だ。門にがたが来ていてもおかしくはない。
城門を破り、城内に侵入してきた亜人は大勢の人間が群れているのを見つけると涎を垂らし、全速力で向かってくる。
「総員、戦闘態勢!! 亜人どもを迎え撃て!!」
奇襲とは言え、異端審問部隊は精鋭だ。亜人どもが束になってかかってきたところで所詮は知能のない有象無象。
そう考え、剣を抜き放ったロベールの頭上を何かが舞った。
(何が……)
確認する暇もなく、その物体は狼狽えていた司教の頭に激突し、火炎を散らした。
「ぎゃあああああああ!? 熱い助けてくれええええ!!」
司教が炎に包まれ、悲愴な叫び声をあげながら処刑台から転げ落ちる。
続いて間断なく飛来する同じ物体。それらは古城の中庭の至る所に落下し、炎を巻き上げた。
亜人どもの奇襲に加え、突如として騎士たちを襲った炎。混乱は頂点に達している。
「一体なにが……!?」
逸る頭で状況を確認しようとするロベール。
しかし、そんな彼の後ろでまた破砕音が響いた。
振り返ると、飛来した物体の一つが磔台の下で炸裂したところだった。
磔台の下には、火炙り用の藁が置いてある。炎はすぐにそれを飲み込み広がっていく。
「いやっ、熱い!!」
アリシアが熱で身をよじる。
「まずいぞ!! 火を消せ!! 一度彼女を下ろすんだ!!」
指示に即応し、騎士たちが火炙りの後始末用に用意しておいた水を藁にかけ鎮火させる。火の勢いが弱まったところで、柱からアリシアを下ろして羽交い絞めにして後退した。
とりあえず窮地を脱したところで、ロベールは亜人どもと戦う部下の様子を見る。戦況は五分五分といったところだ。このような状況でも最低限立て直せたのは日頃の訓練の賜物だろう。
「隊長!! あれを!!」
騎士の一人が叫んで城壁の端を指さす。
ロベールがそちらに視線を移すと、城壁の上の人影が目に入った。
黒い外套を纏ったその人影。それがこの攻撃を行った狼藉者の正体だということか。
「……シュウヤさん!? どうしてそんな……!?」
我に返ったように、アリシアが城壁の人影を見て叫ぶ。
ロベールはアリシアが叫んだシュウヤという男のことは知らない。しかし、確認せずともわかる。この状況でこんなことをしてのける男など一人しか思いつかない。
「石弓隊前へ! あの不届き者を殺せ!!」
ロベールの号令に合わせて、亜人どもと戦っていた騎士たちの後方で援護していた石弓隊が処刑台を取り囲むように集結する。
「放て!!」
騎士たちの構えた石弓から矢が次々と放たれる。
城壁の上に佇む人影に向かって真っすぐに矢が殺到し、突き刺す。人影はバランスを崩したかと思うと、ゆっくりと城壁の向こう側に倒れ落ちていく。
「いやあああああああ!! シュウヤさん!! シュウヤさん……っ!!」
アリシアの今までに聞いたことのないような絶叫が響いた。
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運命に逆らうつもりはなかった。
自分が異端として処刑されるのはもはや決定したことなのだ。
だからロベールが、子供の頃に世話になった人物と再会できたこともきっと最後に神様がくれた贈り物なのだと。
全てを諦めて、心を殺して、死を受け入れるつもりだった。
でもなぜかあの人は、アリシアを救ってくれたあの人は諦めていなかった。
こうして勝ち目のない場所にまで出向いてきて……そして殺された。
騎士たちが放った矢がシュウヤの身体を貫いたとき、アリシアは絶叫していた。
自分が死ぬのはいい。それは運命だ。
でもあの人は違う。あの人はここで死ぬべきではない。
そう思ったら、勝手に身体が動いていた。あの人のところに走り寄ろうと動いていた。
「暴れるな! 大人しくしろ!!」
アリシアを羽交い絞めにする騎士たちがもがくアリシアを制止する。
「いや!! だってあの人は!! 何も悪いことなんてしてないのに!! 私を……助けてくれたのに……っ!!」
なんとか制止を振りほどこうと、騎士の腕の中でもがく。
そんなアリシアの耳元で、今までとは打って変わった静かな声で、聞き慣れた声で、騎士は囁いた。
「落ち着け、アリシア。もう大丈夫だ」
それは紛れもなく、あのアリサカ・シュウヤの声だった。
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