11話 『アリシアの事情』
昼食の後、クサウサギを追加で十匹ほど狩って、今日の依頼は終了だ。
狩ろうと思えばもっと多くのクサウサギを狩ることはできるのだが、依頼達成の証拠として持っていかなくてはならないのでこれくらいでとどめておく。
冒険者ギルドに依頼達成を報告するには、必ず達成の証拠が必要になるのだ。
討伐系の依頼においては基本的に対象を現物で冒険者ギルドの達成報告窓口に持っていく必要がある。ただ、対象が大きい場合にはその一部で構わない。採集系の依頼もまったく同じだ。こちらは完全現物での報告になるが。また護衛等の依頼の場合には、雇い主に依頼達成の証明書を発行してもらうことになる。
達成報告窓口で手続きをすれば、ギルドカードに結果を記録するために必要な書類を発行してもらえる。その書類を携えて、ギルドカードを最初の窓口に提出すれば晴れて依頼は達成となり、報酬が貰えるというわけだ。
「はい! お疲れ様です! こちらがギルドカードと報酬になります!」
というわけで諸々の手続きを経て、ようやく本日の依頼は終了だ。
貰った報酬は金貨一枚に大銀貨一枚、小銀貨が二枚。合計で17000メルクだ。内訳は、採集したルーヒ草が三百本で15000メルク、クサウサギが十羽で2000メルクだ。
「それにしてもすごいですね、ルーヒ草を三百本も集めるだなんて。これはもしや素人ではありませんね? もしや薬草の専門家さんでは?」
受付嬢がニヤニヤと笑いながら、そんな詮索をしてくる。
残念ながらシュウヤの前世は薬草の専門家などではない。むしろ薬草を消費させる側だった。
「ちょっと運がよかっただけだよ。まあビギナーズラックってやつだ」
とはいえ、別に無関係の人間に自分が持つ鑑識眼の能力のことをペラペラと話すつもりもないので、適当に茶を濁しておく。
軽く会釈して、受け取った報酬を手に近場のテーブルに着く。もちろんアリシアも一緒だ。
「それじゃこれが今日のアリシアの取り分だ」
シュウヤはテーブルに報酬を広げ、そのうちの金貨一枚をアリシアに手渡す。
アリシアは驚いた表情で差し出された金貨とシュウヤの顔を交互に見た。
「え……でも……私大してお役に立ててないのに……」
「俺たちは仲間だ。今日の依頼は俺とアリシア、二人で成し遂げたものだろ? だから報酬も二人で山分けだ」
「で、でも! これだと私は10000メルクでシュウヤさんは7000メルクになってしまいます! それは不公平だと思います!」
「うーん、確かに金額だけ見ればそうだが、俺にはまだ手元にポケットマネーが割と残ってるんだ。でもアリシアはお金なんて一銭も持ってないだろう? だからその金貨はお前が自由に使え。なんならまたあの店で好きな服でも買えばいいよ」
「で、でも……」
「あー面倒くさいなあ……とにかく! 俺がいいって言ってるんだから俺のことは気にするな」
シュウヤは無理やりアリシアの手に金貨を握らせ、さっと立ち上がった。
自分の意見をきちんと言ってくれるのは大変ありがたいのだが、できればもう少し大雑把になってもらいたいところだ。
やはりまだ引け目を感じてしまう部分があるということだろうか。
そんなことを考えながら、冒険者ギルドを出ようとすると、
「あ、あの!」
後ろからアリシアが声をかけてきた。
「ん? どうした?」
「あ、ありがとうございます!」
少し緊張しながらもお礼を言ってくるアリシア。
どうやらちゃんとお礼を言わないと気が済まなかったのだろう。本当に律儀でいい子だ。
「いいって、気にするなよ。そんなことよりもう夕方だ。飯でも食いに行こう」
シュウヤは微笑みながらアリシアを手招く。
こくりと頷いて、ついてくるアリシア。
この調子で距離をもっと縮められればいいのだが。そんなことを考えながらシュウヤは夕食に思いを巡らすのだった。
~~~
今日も昨日と同様に夕食はギルド直営宿屋の酒場で済ますことにした。
新しい店を開拓するという手もあったのだが、一日中森で薬草を集めたり獣を狩っていたりしたので正直面倒だという気持ちが強かった。
メニューも昨日と同じにする。
他のメニューは名前からして少し抵抗がまだある。まあ、他の客が普通に注文して食べているのを見ると食べられないような味ではないのだろうが。
……うん、これについては追々確かめていくことにしよう。
それよりも食事ついでに一つ大きな収穫があった。
昨日は疲れていたので目もくれなかったが、ここは本来は酒場なのだ。酒場にあるものといえば……もちろんお酒だ。
騒々しいこの場で飲む気にはあまりなれないが、ウェイトレスに尋ねてみたところ瓶でも売ってくれるとのこと。
これ幸いとばかりにその場で、葡萄酒を一本頼むことにした。
後で部屋でゆっくり独酌を楽しませてもらおう。アリシアは……見た感じまだお酒が飲める年齢ではなさそうだ。この世界で飲酒についての年齢制限があるのかわからないが。
というわけで、シュウヤは今気分上々で部屋のソファーに腰かけて、葡萄酒の仄かな甘みと酸味を楽しんでいる。
すでに入浴は済ませている。アリシアに風呂を促したところ、「昨日は私が先に入ったので今日はシュウヤさんがお先に入ってください」と順番を譲られたのだ。
なのでお言葉に甘えて、先に軽くシャワーを浴びてこのように晩酌を楽しませてもらっている。
「いや、なかなかこれは美味いじゃないか」
「あの、ただいま上がりました」
我ながらいい買い物をしたと一人で舌鼓を打っていると、アリシアが入浴から帰ってきた。
「ああ、お帰り。アリシアは……飲めないよな」
「お酒はちょっと……苦手かもしれません……あの、でも! よかったらお酌くらいはさせてください!」
「あーいや、そんなに気を使ってくれなくてもいいんだぞ?」
「いえ、その……今日は初めての依頼だったので、記念にと思ったんですけど……駄目ですか?」
「それならありがたくお受けしようか」
まあ人に注がれて悪い気分にはならないので、お願いすることにした。
アリシアがシュウヤの使っていたグラスを手で持ってぎこちない仕草で葡萄酒を注いでくれる。なんだか一生懸命でかわいらしい仕草だ。
「それじゃあ乾杯。今日はお疲れ様」
「は、はい! お疲れさまでした!!」
交わすグラスはないが、心でお互いを労い乾杯をする。
そして、シュウヤはアリシアの注いでくれたお酒を飲み干した。
~~~
既に部屋のランプの灯りは落としてある。
暗く静かな部屋の中でシュウヤはソファーで静かに寝息を立てている。
アリシアはそれを確認して静かに音を立てないように部屋を出た。
どうやら作戦は首尾よく運んだようだ。こんな卑怯な手を命の恩人に使うのは正直に言って気が引けた。シャワーを浴びている最中に何度も思いとどまろうとした。
でもこれしか方法はなかった。
これ以上アリシアがシュウヤのそばにいるわけにはいかないのだ。
(最初は怖かったけど……でも、シュウヤさんはすごくいい人だった……)
自分を奴隷商人から購入した時は自分の運命を改めて呪った。
愛玩用奴隷がどのような末路を辿るのか、それは嫌というほどあの冷酷な奴隷商人の男から聞かされている。
正常な意識が保てなくなるまで全身をいたぶられ、使い物にならなくなれば犬の餌にされる。初めてあの地下牢に押し込められたとき、隣の檻にいた少女は二度とは戻ってこなかった。
だからシュウヤがアリシアを購入したとき、心底恐怖を覚えた。
でも、彼は決してアリシアを手荒には扱おうとしなかった。汚れた身体を洗い流し、綺麗な服もくれて、食事もきちんと食べさせてくれた。それだけならただの良心的な主人でしかなかったのに。
でも、彼は自分の中身を知ろうとしていた。それも無理やりにではなく、あくまでアリシアの心を自発的に開かせるように。その時に、ようやく本心からこの人は悪人ではないと理解できた。
この人の傍にいても、自分はもうかつてのように傷つけられることはないとわかった。
(だから……もうこれ以上この人の傍にいてはいけない……)
自分を取り巻く惨劇に、シュウヤを巻き込むわけにはいかない。
アリシアはそう思ったのだった。
アリシアは部屋を出て、宿の入り口へ向かう。
もう宿泊客はとっくに寝静まり、フロントも酒場も静寂で支配されていた。なるべく音を立てないように、両開きのドアに手をかけ、夜風が吹く外へと抜けだして――――、
「こんな夜更けにお出かけか?」
聞き慣れた声がアリシアの鼓膜に突き刺さった。
~~~
シュウヤは恐る恐る宿から出てきたといった様子のアリシアに声色一つ変えずに、まるで気軽に挨拶でもするかのように声をかける。
宿の扉脇に寄りかかって立っているシュウヤの姿を見たアリシアはまさに驚嘆を隠せないといった風で、一歩後退った。
「……っ」
「どうして? といった顔だな、それは」
壁から背中を離して、シュウヤはアリシアに詰め寄る。
「まあ古典的な方法ではあるよな。酒に睡眠薬を盛る、っていうのは」
アリシアがシュウヤに酒を注いでくれたあの時、彼女はなぜかシュウヤにグラスを持たせるのではなく、率先して自分がグラスを持って酌をした。
まあそれだけならただの作法についての知識不足で済む話だろう。
しかし、アリシアが注いでくれた酒を一口飲んだときにこれまでとは違う味が混じっていたこと、そして飲み干した後に覚えた違和感。
なんらかの薬物が混入していたということは一発で気づくことができた。
おそらくシャワーを浴びにいった際に、酒場でうまく都合をつけて購入してきたのだろう。
「悪いが俺には睡眠薬の類は効かないみたいでね」
おそらく前世で薬物の耐性訓練か何かを施されていたのだろう。
違和感こそ覚えたものの、睡魔に襲われるということはなかった。ただ、平然としていたのではアリシアが何を考えてこのような行動に出たのか確かめることができない。
だから狸寝入りを決め込んだというわけだ。
「人を出し抜くにはまだまだ詰めが甘い。せめて眼球運動を調べて、本当に薬が効いたのかぐらいは確かめるべきだぞ」
シュウヤは更に一歩、アリシアに詰め寄る。
我に返ったのか、アリシアは咄嗟に踵を返して逃げ去ろうとした。
「まあ待てよ」
シュウヤはアリシアの右手を素早く掴んで、引き寄せる。
アリシアは恐怖で顔を強張らせていた。思わずため息が出る。
「……頼むからそんな怖い顔をしないでくれよ。困っているのはこっちなんだ。なんでいきなり出ていこうとしたんだ? それも睡眠薬を盛ってまでだぞ。一体何があった?」
「……かかるから……」
「ん?」
「私がここにいるとシュウヤさんに迷惑がかかるから! こんなに良くしてもらったのに! 私がいると……駄目だから……」
涙を目に湛えて叫んだアリシア。
そのまま力なく、シュウヤの胸にしなだれかかり、すすり泣く。
「……悪いが痴話喧嘩なら他所でやっとくれ」
気づいたら後ろに宿屋の女将が立っていた。
決して痴話喧嘩などというくだらないものではないのだが、赤の他人から見ればそう勘違いしてもおかしくはない状況だ。
「とりあえず部屋に戻ろうか、アリシア。そこで訳を聞かせてくれ」
「……」
力なく頷いたアリシアを連れて、シュウヤはとりあえず部屋へと戻ることにした。
~~~
部屋に戻ったシュウヤはまずアリシアに水を一杯飲ませた。
少しは落ち着いたようで、ぽつぽつと口を開き始めた。
大方シュウヤの予想通りで、睡眠薬は下の酒場で「眠れないから」とか適当な理由をつけて売ってもらったものらしい。
まあそこはさしたる問題ではない。大事なのはその理由だ。
「そろそろ話してくれ。お前の事情を包み隠さずな」
シュウヤが促すと、アリシアは唇を強く噛み締めた。
やはり話しづらい事情があるのだろう。
「事情がわからないと流石に俺もどうすればいいかわからないんだ。だから頼む、話してくれ」
もう一度強く促してみる。
「……私の本当の名前は……ただのアリシアじゃありません」
「そうなのか?」
「私の本名は……アリシア・カトリーヌ・ド・ヴァラメール・ウィンダルシア……私はこのウィンダルシア皇国の皇女でした……」
「……それ本当か?」
思わず呆けた質問を返してしまったシュウヤ。
いや、もちろんアリシアが訳ありだということは最初からわかっていたことだ。なんらかの悲惨な境遇があって、それで奴隷に身を落としていたというのがシュウヤの想像だったのだが。
流石に皇女様というのは想定していなかった。
ただ、頷くアリシアが嘘を吐いているようには思えない。この状況で嘘を吐く理由も見当たらない。
「どうして皇女様が奴隷にされていたんだ?」
率直な質問を投げかける。
「それを説明するにはまず、この国についてお話をしないといけないのですが……シュウヤさんはウィンダルシア皇国についてどのくらいご存知ですか?」
「まあ少しくらいは知っているつもりだが……確か祭政一致で人間至上の宗教国家だと聞いているな」
トーマスや自分に奴隷の購入を教えた受付嬢の話を思い出しながら、シュウヤは答えた。
「そうです。この国では人間だけが正当な国民として認められています。その他の獣人や亜人といった種族はこの国では邪神の加護を受ける種族として厳しく弾圧されています」
「まああの奴隷商館での扱いを見ていれば一目瞭然だな。でもアリシアは人間だろう? しかも皇女様だ。どうしてあんな目に遭わされていたんだ?」
「……この国で弾圧されるのは獣人や亜人といった非人間だけではありません。人間の中にも迫害される人たちがいるんです。彼らは総じて異端と呼ばれる人々です」
そういえば受付嬢がそんな話もしていたような気がする。
しかし、異端というのがどのような人たちなのかまでは聞いていなかった。一般的な定義で考えれば、正統な教義に反する信仰をする人々になるのだろうが。
「ここまでのお話でわかるかもしれませんが、私はその異端です。正確には異端として生まれてきたというほうが正しいんですが……」
「……どういうことか説明してくれるか?」
「結論から言えば、私は”夜叉”と呼ばれる異端の種族なんです」
「人間じゃないってことか?」
「いえ、もちろん生物としては人間なんです。ただ、性質が人間とは少し違います。”夜叉”は穢れた血とも呼ばれ、光無き夜、新月の晩に産まれた赤子がその性質を宿すと言われています。陽の光が当たらぬ刻、つまり夜の間にだけ膨大な魔力を放出するという性質があるので、昔から御伽噺ではよく怪異を引き起こす存在として語られてきました」
「なるほど合点がいった。アリシアの魔力を検査した時に、数値が異様に高く出るのはそういう事情があったんだな」
シュウヤは奴隷商人の言葉を思い出して、アリシアの説明に納得する。
「本来ならば新月の夜に産まれた赤子は間引くのが慣例です。でも、その赤子が皇妃の子だというなら話は別で、私は異端であるということを母や周囲の近しい人たちに隠してもらいながら育てられました。でも……」
アリシアの瞳に暗い影が映る。
ここからはきっと彼女にとっても辛かった記憶の話なのだろう。
「ウィンダルシア皇国は教皇が頂点に立つ教会が大きな権力を握っています。彼らが近ごろ続く飢饉や災害は皇宮内に潜む異端を原因とするものだと主張し始めたんです。その結果、徹底的な異端狩りが始まり、多くの人々が処刑されました。私の母もついに私を庇いきれなくなって……それで……」
アリシアの目から涙が零れだした。
「目が覚めたら……お屋敷が燃えてて……でも、お母さんが私を必死で逃がしてくれて……執事の人に連れられて逃げだしたらっ……追手がやってきて……それではぐれて……森の中を歩いてたら山賊に捕まって……!」
「もういい、アリシア」
シュウヤはアリシアの言葉を遮る。
事情は把握した。これ以上、彼女に辛い記憶を辿らせる必要はどこにもない。
「……追手は私を諦めてはいません……皇国中で私のことを探しているはずです……異端として処刑するために……」
「そうかもな」
「だから……! 私がこれ以上シュウヤさんと一緒にいると迷惑がかかるんです! 私を救ってくれた命の恩人を、私のせいで危険な目に遭わせる訳にはいかないんです!」
事情は理解した。納得もいった。
だから、
「それなら話は早い。お前は俺と離れるべきじゃないだろ」
シュウヤはただ一言言い切ってやることにした。