10話 『はじめての依頼』
翌朝。異世界生活二日目が幕を開けた。
シュウヤが目を覚ますと、感じ慣れない暖かい感覚が半身に伝わってくる。
目を擦り、その正体に目を向けると、そこにはアリシアがいた。もっと正確に言えば、シュウヤの左腕を抱き枕代わりにしてしがみつきながら心地よさそうに寝息を立てるアリシアだ。
そっと彼女を起こさないように上体を起こし、ベッドから立ち上がる。
抱き枕を失い、身体を捩るアリシアに毛布を掛けなおしてやり、シュウヤは窓を開けてみた。
まだ朝日は昇っていない。随分と早く目が覚めてしまったようだ。
元の世界では随分と規則正しい生活を送っていたようで瞼の重苦しさも頭の鈍痛も何一つ感じない。
「さて、今日はどうするかな」
一応、昨日のうちに今日の予定は大雑把には立てておいたのだが、この世界はまだわからないことだらけ。実際に動いてみないとわからないことも多い。
とりあえず、まずは朝のうちに冒険者ギルドを訪ねて、軽い依頼をいくつか引き受けて街から出てみようと思う。
街の周辺だけでも地理感覚を身に着けられれば、幾分かこれから動きやすくなるだろう。
そうと決まれば準備だ。
用意するほどの荷物はないのだが、一応ポーチの中の自分の荷物を整理し、アリシア用のポーチに昨日購入した装備品を詰め込んで、すぐに宿を出れるように支度を整えることにした。
一通りの準備を終えた後、自分の武器の整備を行うことにした。
朧月夜を鞘から抜き、昨日のゴブリンとの戦闘で傷んでいないかを確認する。黒みがかった銀の刃は刃こぼれ一つなく、鋭い輝きを放っていた。血糊の痕跡さえない。流石は女神の強化済み武器というわけだ。昨日は試射以外使わなかったフェンリス・ヴォルフも問題なく魔弾の装填が行えることを確認し、シュウヤは顔を上げた。
ちょうど朝日が部屋に差し込んできたところだ。
それと同時に、甲高い鐘の音が外から鳴り響いてきた。どうやらこの世界では朝に鐘を鳴らして目覚まし代わりにしているらしい。
「……んんっ……あれ? シュウヤさん?」
鐘の音でちょうどアリシアも起きだしてきた。
まだ寝ぼけているのか、ベッドの上で眠そうに目をこすって欠伸をしている。
「起きたか? 今日も忙しいから顔を洗ってこい。準備ができ次第出発だ」
シュウヤは寝ぼけ眼のアリシアに声をかけ、椅子に腰を下ろした。
アリシアの支度ができるまで、朝の余暇を楽しむことにしよう。
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準備を終えたアリシアを連れて、シュウヤはさっそく宿を出た。
目指すのは冒険者ギルドだ。とりあえずどのような依頼があるのかを確認して、駆け出し中の駆け出し冒険者であるシュウヤとアリシアでもできそうなものを受けていく予定だ。
早朝の冒険者ギルドは思いのほか人で溢れていた。
どうやら朝のうちに自分たち好みの依頼が他の冒険者たちに取られないように早朝から冒険者ギルドに詰めているようだ。また、遠隔地の依頼の場合はこの時間に受けて出立しないと間に合わないという時間的都合もあるらしい。
以上のような事情がギルドを行き交う冒険者たちの会話から聞いて取れた。
「そういえば、アリシアは冒険者についてどれくらい知ってるんだ?」
「えーと……ごめんなさい……あまりわからないです……」
シュウヤはアリシアに興味本位で尋ねてみたが、知識はほとんどないらしい。
奴隷になる前のアリシアの身の上はわからないが、どうやら冒険者とはあまり関わり合いのない暮らしを送っていたのだろう。
とりあえず依頼が貼られている掲示板に向かい、依頼を眺めてみる。
依頼はランクが高いものから順に上から貼られている。当然、シュウヤたちが見るのは下の方に貼られている依頼だ。
そういえば昨日、冒険者登録の際に気づいたのだがシュウヤは自然にこの世界の言語を読み書きすることができるらしい。これもあの女神様とやらの贈り物の一つだろうか。まあまず言語を学ぶ手間が省けたので感謝しておこう。
「うーん、これは悩みものだな」
依頼の種類は大別すると三つ。
まず最もメジャーなものは討伐系依頼だ。名前の通り、指定された魔物等を討伐する種類の依頼だ。期日を設けている場合もあり、頭数の指定があることもある。まさに冒険者の花形と言ってもいい仕事だ。
次に、採集系の依頼。これは指定された物品を期日内にギルドに収めるという類のものだ。これらの依頼は冒険者ギルドが常時貼りだしていることが多い。というのも、街の業者が商品の生産のための原材料の採集を常に必要としているからである。しかし、業者本人が原材料の調達まで行う暇のないことが通常だ。そのため、彼らは冒険者ギルドに依頼を出し、冒険者に原材料の収集を代行してもらうというわけだ。
最後は少し特殊な依頼群だ。討伐系にも採集系にも分類できない依頼としては、例えば昨日トーマスも言っていた行商人の馬車の護衛、荷物の配達、中には家事の代行なんかもある。本当に冒険者ギルドというのは手広く仕事を手掛けているのだということを実感できる。
基本的に討伐系の依頼はランクDからのようだ。しかし、冒険者ランクが高い依頼はランク一つ違いまで受託することができるので、今のシュウヤたちでも受託することは可能だ。
ただやはり初めてだということもあるわけで、アリシアが一緒のことも考えればあまり無理はできない。
「あの……シュウヤさん、これとかはどうですか?」
「ん?」
シュウヤが掲示板の前で唸っていると、アリシアが一枚の依頼を指さす。
依頼名:薬草の採集
ランク:E
依頼者:ジュノー薬師ギルド
依頼内容:外傷薬に用いるルーヒ草の採集
報酬:一本当たり50メルク
詳細:ジュノー薬師ギルドから定期依頼。
外傷薬の調合に必要なルーヒ草の採集をお願いします。
どうやら一般的な採集系の依頼のようだ。
ルーヒ草について鑑識眼で調べてみると、街の周辺の森に生えているごく一般的な野草であるらしい。これなら周辺地理の把握も同時にこなせそうだ。
「いいな、お手柄だぞアリシア」
「あ、ありがとうございます!」
シュウヤがアリシアの頭を撫でながら褒めると、少しくすぐったそうに身をよじらせた。
「ついでにこれも受けてみようか」
シュウヤはもう一枚、依頼の紙を掲示板から引きはがした。
依頼名:害獣の駆除
ランク:E
依頼者:ジュノー農業ギルド
依頼内容:畑を荒らすクサウサギの討伐
報酬:一羽あたり200メルク
詳細:ジュノー農業ギルドからの定期依頼。
畑がクサウサギに食い荒らされてしまうので、駆除をお願いします。
珍しいランクEの討伐系依頼だ。
クサウサギというのは野菜が大好物な小動物のことらしい。かわいらしい見た目に反して食欲旺盛なため、農家にとっては天敵らしい。
これならまったく手ごわい相手でもないだろうし、アリシアが一緒でも危険が及ぶことはないはずだ。
「わ、私は大丈夫です!」
アリシアも問題ないようだ。
さっそく二枚の依頼を受付に持っていき、受付嬢にお願いする。
「それではギルドカードの方をお願いします」
シュウヤとアリシアはギルドカードを差し出す。
受付嬢はギルドカードを冒険者登録の際にも使った装置に差し込むと、別の隙間に依頼の紙を差し込んだ。すると、透明なギルドカードが光を反射したかのような輝きを放つ。
光が収まると、受付嬢はギルドカードを返却してくれた。
「これで依頼が受託されました。完了報告の際はまた受付までよろしくお願いしますね」
シュウヤとアリシアは返却されたギルドカードを受け取る。
いよいよ冒険者としての初仕事だ。
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まだ人通りの少ない大通りを抜けて、シュウヤとアリシアは街を出た。
目指すは西の門から見える森だ。地元の人たちがよくキノコや薬草を採取したり、動物を買ったりする場所で、危険な魔物は生息していないとのことだ。
畑の脇道を通り、森へと入る。
広葉樹林が茂る長閑な森の中は忙しなく飛び回る小鳥たちの声で溢れていた。
「よし、それじゃあさっそく依頼に取り掛かるとするか!」
「は、はい! でもどうやって薬草を見つければいいんでしょうか……?」
辺りを見回しながら困った表情を見せるアリシア。
「知らないものを探す、そういう時に便利な能力があってだな……」
シュウヤはそう言い、周囲の植物に意識を向ける。
すると、やはり意識を向けた植物の情報が頭の中に入ってきた。名前はもちろんのこと、ありがたいことに用途までしっかりと説明がなされている。
やはり鑑識眼の力は偉大だ。この力があれば、知識がなくとも対象物の正確な情報を把握できる。おかげでこの世界を生きていく際に、わざわざ膨大な書物から情報を探る必要はない。
シュウヤが最初に採集系の依頼を受託することに決めたのには、実はこの鑑識眼の力を試すことが副目標としてあった。どこまでの精度で情報を掴めるのか早めに把握しておく必要があったからだ。
結果は御覧の通りで、かなり万能かつ便利な力だということがわかった。
(これがあれば悪徳商人に騙されて粗悪品を売りつけられることもなさそうだな……)
そんな使い道を考えながら、周囲を一通り観察してみると、大樹の陰に鮮やかな緑色の葉が茎に等間隔で並んだ野草が目に入る。
意識を向けると、ルーヒ草であることがわかった。
「アリシア、見つけたぞ。あの木のところに生えてる草だ」
「えっ!? どうしてわかったんですか?」
アリシアが驚く。
これからパーティメンバーとして一緒に行動するわけだからしっかりと能力については話しておかなければならないだろう。
「実はな、俺には鑑識眼っていう力があってだな。まあ見ればそれが何なのか大体わかるって寸法なんだ」
「あ……私、その能力は聞いたことがあります。昔読んだ絵本に出てくる賢者様が使っていましたけど……もしかしてシュウヤさんは賢者様なのですか?」
「あーいや、その絵本の内容は知らないが、俺は間違いなく賢者ではないと思うぞ? この力だって人からの貰い物で、俺自身が血の滲むような修行をして手に入れた力でもないからな」
女神からたまたま貰えた鑑識眼が使えるだけで賢者様扱いされては堪らないので、一応釘を刺しておいてシュウヤは本題に戻る。
「で、こいつがルーヒ草だな。とりあえずこいつを集めまくればいいわけだ。アリシア、手分けしよう」
「は、はい、頑張ります!」
アリシアもルーヒ草をまじまじと見て特徴を覚えようとしているようなので、任せても大丈夫だろう。
シュウヤは鑑識眼を発動させずにルーヒ草を探すことにした。
いくら便利な力と言っても、それに頼りすぎれば自分が成長しない。最悪、力に足元を掬われ、命を落とすことだってあるかもしれないのだ。
そんな教訓がないはずの記憶の片隅にあるような気がした。もしかしたら本能的なものなのかもしれない。
まあ本能というのはわりかしあてになるものなので、大人しく従っておくことにしよう。
幸いなことにルーヒ草は他の野草と判別しやすい形状をしていたので、鑑識眼に頼らずとも簡単に集めることができた。
太陽が頭の上に近づく頃には小山ができるくらいの量が集まった。
それはアリシアも同じなようで、小さな身体にルーヒ草をいっぱい抱えて、戻ってくるシュウヤを待っていた。
「大量だな、アリシア」
「はい、頑張りました!」
集めたルーヒ草をシュウヤのポーチには入りきりそうもないので、全部まとめてアリシアのリュックに詰め込むことにした。そんなに重さはないので、彼女の身体でも大丈夫だろう。
作業が終わったところで、ぐぅぅぅううう、とアリシアのお腹が鳴った。
「……」
恥ずかしそうに俯くアリシア。
シュウヤもちょうど腹が減ったところだった。
「ちょうどいいから二つ目の依頼ついでに昼飯にしようか。アリシア、ナイフを」
指示に従い、瞳に困惑を浮かべながらもナイフを取り出すアリシア。
耳を澄ませば、聴覚は色々な情報を人に提供してくれる。小鳥の囀り、木々の葉擦れ、そしてその中に感じる生物の気配。
シュウヤは静かに朧月夜を引き抜き、音もたてずに近くの草むらに飛び込んだ。そして直感的に突き立てた。
甲高い断末魔が聞こえ、朧月夜に刺さったものを確認する。それは毛並みが緑色のウサギだった。鑑識眼で確認すると、間違いなくクサウサギだ。
息を抜く間もなく、シュウヤが飛び込んだ草むらからもう一匹のクサウサギが飛び出す。
「アリシア、そっちに一匹行ったぞ!」
「えっ……でも……」
ナイフを持ったまま狼狽えるアリシア。
その脇を素早く駆け抜けていこうとするクサウサギ。
決して逃さぬように、シュウヤは片手でナイフを抜いて投擲する。弾丸のような速度で飛来するナイフをはクサウサギの後頭部に勢いよく突き刺さった。クサウサギは一瞬空中で痙攣したかと思うと、力を失い地面に落ちる。
アリシアはその様子を茫然と眺めていた。
脅かさないように静かに近寄り、クサウサギからナイフを引き抜く。
「生物を殺すのは初めてか?」
「……はい」
「なら慣れろ。これからはもっと狂暴な魔物と戦わなくちゃならないときもあるだろう。自分の命が懸かった場面で尻込みしていたら、自分が死ぬことになる」
「……っ、ごめんなさい……」
……少々厳しく言い過ぎただろうか。
アリシアはすっかりしょげてしまっている。
「……まあでも初めて命を奪うときに戸惑うのは当たり前だ。平然と他の生物の命を奪える人間の方が異常だよ。そんなに落ち込む必要も謝る必要もないさ」
アリシアに過度な緊張をかけすぎないよう、頭を撫でながら慰める。
それから殺した二羽のクサウサギを捌いて、焚火を熾して火にかける。調味料の類がないので味気ないだろうが、とりあえずは即席の昼食だ。
自分で言っておいて何なのだが、本当に味気ない。クサウサギは草食だからか肉に臭みがなく、淡泊な味わいなのだが、せめて塩胡椒の味付けくらいは欲しいところだ。これからの生活に調味料は必須、覚えておくことにしよう。