後編
本家に向かう電車に揺られながら、まだ俺は踏ん切りがつかずにいる。
心から祝福できない理由なんて、はっきりしてる。俺が紅葉を好きだからだ。
6年前の、強烈に情けない初体験失敗のせいで気まずくて連絡も取らなかった俺が悪い。
そんなことはわかってる。
だからって、紅葉の結婚を祝福なんてできるわけないだろう。
いっそ映画かなんかみたいに、紅葉を攫って逃げられたらいいのに。
…できるわけないよな。なにしろ紅葉は好きで照山って奴と結婚するんだから。
駅に着くと、礼服姿の楓が車で迎えに来ていた。
「おう、秋、久しぶりだな。
…なんだ、シケた面して」
「いや、別に」
「とりあえずうちに荷物置いたら着替えろ。
紅葉に会うのは6年ぶりか? 驚くぞぉ、すっかり美人になったからな」
「…そうか」
元々可愛かったよ、紅葉は。
「楓は結婚しないのか? 妹に先越されて」
紅葉の話をされても辛いだけなので、話題を変えてみた。少し露骨だったかもしれないが、別にいいだろう。
「俺は来年だ。まぁ、田舎で本家の嫁に来るなんて奇特なのは、なかなか捕まらなかったんでな。紅葉に先に結婚していいからって言った後で、俺も決まった」
そうか、本家だもんな。でも20代で結婚できるなら大したもんじゃないか。
楓が結婚すると、俺が独身最年長になるのか。さすがに、失恋したばっかで結婚をせっつかれるのは辛いな。
「お前のことぶん殴ってやろうと思ったのも一度や二度じゃなかったが、その顔見たら少し気が晴れたよ。
なんで連絡よこさなかった? いや、今言うことじゃなかったな」
そうか。楓は俺の気持ちに気付いてたのか。
本家に寄って荷物を降ろし、手早く着替える。祝儀の入った袱紗をポケットに入れて部屋を出ると、楓がどこかに電話していた。
「ああ、予定どおりだ。お、着替え終わったみたいだ。じゃあ、これから出るから」
どうやら、俺の到着を伯父さんにでも伝えているらしい。
楓に促されるまま、また助手席に乗って式場に向かう。
「あれ、ここでいいのか?」
着いた式場には、花輪も出ていない。
結婚式なら、こう、花輪とか、「照山家山崎家結婚式場」って案内板とか、出てるもんなんじゃないのか? 廊下を歩きながら楓に尋ねると
「まぁ、身内だけの小さい式だからな。おっと、つまんねえこと口にしたら、今度こそぶん殴るぞ」
“デキ婚か?”と言う前に、釘を刺された。
そうだよな。結婚するんだ、とっくにそういうことしてるよな。
6年前に一度だけ見た紅葉の裸が頭に浮かぶ。
あれからさらに成長してるであろうあの体を好きにしてる奴がいるんだと思うと、奥歯がギリ、と鳴った。
「ほれ、着いたぞ」
言われて視線を上げると、「新婦様控室」と貼紙された部屋の前だった。え? 先に紅葉に会うのか?
「おい、親族控室に行くんじゃ…」
「身内だけっつってんだろが。親族しかいねえよ。
みんな会場だ。
おら、さっさと言うこと言ってこい」
楓がドアを開けたものの、部屋に入るのを躊躇っていたら、背中を突き飛ばされて。
たたらを踏んで部屋に入ると、背後でドアの閉まる音がして、ウエディングドレス姿の紅葉と目が合った。
「あ…、えっと、お、おめでとう…。すごく、綺麗だ…」
ちくしょう、これから誰かのものになるために、こんなに綺麗に着飾ってんのか。
「婿さんは幸せだな…。その、こんな綺麗な花嫁で…」
「どうして来てくれなかったの?」
「俺は…」
「ずっと待ってたんだよ」
「ごめん。ほんと、情けないよな」
「ここから攫って逃げてくれる? 秋ちゃん」
そうできたら、どんなにいいか。
「私は、ずっと、秋ちゃんのこと好きだったんだよ」
「お、俺も…でも…」
「約束したじゃない。
お嫁さんにしてくれないの? 秋ちゃん」
「紅葉!」
思わず紅葉を抱き締めてしまった。
「ごめん、今更言うことじゃないけど、俺もずっと好きだった。
あんな失敗して、恥ずかしくて逃げてたんだ。ごめん、本当にごめん」
情けなさ過ぎて泣けてきた。
涙声になった俺を、紅葉が抱き返してくれる。
「幸せにしてくれる? 秋ちゃん」
「うん、うん」
「じゃあ、お嫁さんにしてね」
「うん…え!?」
驚いて、紅葉を引き剥がして顔を覗き込むと、紅葉はにっこり笑い、手にしたハンカチで涙を拭ってくれた。
「行こう、秋ちゃん」
状況が飲み込めない俺の腕に手を絡め、引っ張るようにして、紅葉は奥のドアを開けた。
すると。
パァーン! パァーン!
クラッカーの音と共に、紙吹雪が飛んでくる。
見ると、そこにいたのは、俺の両親と紅葉の家族だけだった。
「は!? なに!? どういうこと!?」
事態が飲み込めない俺に、楓が笑って言った。
「やっと言うこと言ったみたいだな。
お前の気持ちなんてわかってんだよ。ったく、ウダウダ悩みやがって。紅葉が嫁き遅れたらどうしてくれんだ。
今日は、お前と紅葉の結婚式だ。身内だけでな」
呆然とする俺をよそに、親父もお袋も伯父夫婦も盛り上がっている。
俺は、さっき紅葉がいた部屋に連れて行かれ、レンタルしてあった新郎の衣装に着替えさせられた。
その後は、みんなで記念写真を撮ったり、俺と紅葉のツーショットで記念写真を撮ったりして、1時間くらいバカ騒ぎは続いた。
どうやらここは写真撮影用の広間で、さっきの控室はそのためのものだったらしい。この2部屋を借りて、記念写真を撮るのが目的だったみたいだ。どうりで花輪も案内板もなかったわけだ。
散々からかわれた後、婚姻届に署名した。ハンコも用意してあって、帰り際に市役所に提出。親父達、手際が良すぎだろう!
本家に戻った時には、もう夕暮れだった。
ふと、昔遊んだ公園の夕焼けを思い出して山の方を見てみると、やっぱり綺麗な夕焼け空が広がっていた。
「秋ちゃんって、夕焼けが好きだよね」
いつの間にか紅葉が隣に立っていた。
「夕焼けっていうと、ここの空を思い出すんだ」
「子供できたら、連れてきたげようね」
子供? と思って紅葉を見ると、なんだか優しい目をしていた。
夕日に染まる紅葉の顔は、今まで見たことがないくらい幸せそうだった。
伯母さんと紅葉が作ったご馳走を食っていると、少しばかり酔っぱらった伯父さんに絡まれた。
「自分で申し込みにも来ない根性なしに、紅葉をやりたくはねえんだがなあ。紅葉がどうしてもお前じゃなきゃ嫌だってごねるもんだからしかたねえ。やるから大事にしろよ。
今度つまらんことで泣かせたら、承知しねえからな」
まぁ、絡まれたっていうか、怒られたっていうか。
それから
「今日は初夜ってことで、紅葉と2人、客間で寝ろ。
誰も覗きになんぞ行かんから、ゆっくりな。焦って、またできんかったとか言うなよ。
ああ、あと、紅葉は未通女なんだから、明日に響かん程度にな」
とも。
6年前のことは、すっかりバレてるらしい。
俺がそれを引きずってイジイジしてたことも。
その上で、俺を引っ張り出すために一芝居打ったってわけか。
あれ? じゃあ、招待状は?
「あんなもん、今時パソコンで簡単に作れるだろ。照山紅葉のシャレにも気付かんくらい動揺してたのは笑えたぞ。
だいたい、平日に結婚式なんてやるわけないだろうが」
あー、そうかい! 気が付かないくらい動揺したよ!
ちくしょう、ハメられた。…まぁ、お陰で紅葉と結婚できたんだけど。
で、今、俺と紅葉は、客間の布団の上に座っている。
嫌でも6年前のことを思い出すシチュエーションだけど、ここまでお膳立てしてもらって何もできないってわけにはいかないよな。紅葉の気持ちのこともあるし。
「紅葉、その、ごめんな。ずっと待たせて」
「ほんとだよ。ずっと待ってたんだからね、迎えに来てくれるの。あんまり遅いから、お兄ちゃんがこの計画を立ててくれたの」
「楓の仕業か。ったく、あの野郎。
…でも、そのお陰でこうしてられるんだもんな。
紅葉が結婚するって聞いて、すっげえ焦った。
もっと早くなんとかしときゃよかったって」
「そうしたら、こんな恥ずかしいことにならなかったのにね」
そう言って笑った紅葉は、真面目な顔をして三つ指をついて
「ふつつか者ですが、末永くお願いします」
と言って頭を下げた。
突然堅苦しいことを言われて驚いていると、顔を上げてペロッと舌を出した紅葉は
「初夜にこうするの、夢だったんだぁ」
と言って笑った。
「俺の方こそ、よろしくお願いします」
と返したら、また笑って抱きついてきた。
「夢が叶ったよ。秋ちゃん、大好き」
「俺も好きだ、紅葉」
そして、ようやく俺達はひとつになった。
翌日、祖父ちゃんの遺影に、紅葉との結婚を報告した。
籍は入れたけど、狭いアパートに2人で住むのは難しいから、当面は別居生活だ。
半年足らずで本社に戻れる予定だから、同居するのはその後になる。
「半年以上待たせたら、狭くてもなんでも押しかけるからね」
紅葉は、そう言って笑った。
大丈夫。今度は約束守るから。
これからは、夕日を見て思い出すのは、昨日の紅葉の笑顔だろう。
これにて完結です。
「コミュ障の俺が婚約!? 無理だってば!」「夏の涼」と、企画参加作品が立て続けにミスリードを狙った作品だったので、今回はちょっと毛色を変えて、主人公が騙される話にしてみました。
主人公の名前に秋、ヒロインに紅の字を使ってますが、「紅(葉)の秋(桜)」を狙ったわけではありません(^^;) 狙いはもっと別のところに(^^)
ちなみに、擬装の結婚相手「照山玲人」、名前は「れいと」と読みます。本編では出せませんでしたが、秋桜のお母さんの名は千代子。千代子玲人秋桜で、チョコレートコスモスという楓のネタでした。「へへっ、泡食って、こんなネタにも気付かねえだろ」という悪戯です。
お兄ちゃん、妹を傷つけた根性なしにかなり怒ってる分、細かい意地悪をしてます。そう思って本文を読むと、楓の台詞は結構意味深です(^^)