2話 はじめてのデートは夏祭り
電車が到着したらしく、たくさんの足音が聞こえてくる。その音で俺は現実へと引き戻された。
多くの観光客が目の前を通り過ぎていく。中には浴衣姿の人たちも結構いて、改めて夏祭りに来たんだなあと実感させられる。
俺はいま、地下鉄観音前駅の改札前にいる。なっちゃんと約束してから約2週間、とうとうこの日を迎えてしまった。そう、迎えてしまったのだ。
あの日以来、俺は悩みに悩んでいた。なっちゃんを恋愛対象として見たことがなかったと言ってしまうと嘘になってしまう。しかし、あのなっちゃんとデートすることになるとは思ってもみなかった。しかも、俺の勘違いでなければ、ほぼ確実に好意を持たれているのだ。
そもそも恋とはどういった感情なのだろうか。ネットや雑誌で情報を集めてみたが、イマイチしっくりこない。学校の図書館で哲学書を探し始めてふと思った。わからないものはわからない。だから、どうしようもないじゃないかと。どうやら俺の精神はまだお子さまのようだ。
再び思考の渦に溺れそうになったところで、次の電車が来たようだ。にわかにホームが騒がしくなる。
そろそろ集合時間の午後4時になろうとしている。なっちゃんがいないかどうかを確認するために、俺は改札のほうに目を向けた。
なっちゃんは背が低いしすぐには見つけられないだろう。そもそもこの電車に乗ってきたかどうかもわからない。そんなことを考えながら探していると、1人の女の子と目があった。
髪の毛をお団子にまとめたその女の子は、下駄をカッカッと鳴らしながら改札を通り、こちらに向かってくる。何を隠そう、本日のデート相手であるなっちゃんだ。
「お待たせしました、先輩」
とっさに返事をすることができなかった。それだけ今日のなっちゃんはいつもと雰囲気が違う。
白地にピンクや紫の菊が咲き誇る浴衣は、なっちゃんのかわいさだけではなく、おしとやかさも醸し出している。もともと、なっちゃんのことはかわいいと思っていたが、服装一つでここまで変わるとは思わなかった。髪型が違うというのも影響しているかもしれない。お団子は浴衣に合わせたピンク色の菊のかんざしでまとめられている。うなじがちらちらと見え隠れして心臓に悪い。
浴衣姿のなっちゃんが放つオーラに戸惑っていると、なっちゃんは何かを求めるようにこちらを見上げてきた。やめろ、その上目遣いは卑怯だぞ……!
「あー、その……。俺も浴衣着てきたほうがよかったかな」
頭をかきながらそんなことを言ってしまう。なっちゃんが言って欲しい言葉はそれじゃないとわかっていながらも、動揺している俺はしどろもどろだ。
今日の俺の格好は、Tシャツに短パンという普段とあまり変わらないスタイルだ。強いて言うならワックスで髪の毛をいじったぐらいか。ファッションに疎い俺が妹のアドバイスを頼りに編み出したコーデは、気合を入れすぎないシンプルなものだった。
「もう、そんなことはどうでもいいんです!」
「ごめんごめん、……えっと、その……。浴衣、よく似合ってると、思います」
「わかればよろしい。というかなんで敬語なんですか。先輩、緊張してます?」
はい、緊張してます。俺の18年間の人生経験の中でこのような事態に陥ったことはなかった。誰か助けて! 女の子とのデートの仕方を教えてください!
「わたしもね、緊張してるんですよ。昨日はなかなか眠れなかったし、今日だって変なところないかなーって何回も鏡でチェックしちゃったんですから」
「俺も昨日は眠れなかった。いや、それどころかここ2週間集中できてなくてほとんど勉強できてない」
「なんのためにうち辞めたんですか! ちゃんと勉強してくださいよ、受験生なんですから」
いかん、緊張しすぎていらないことまで言ってしまった。
「でも、それだけ今日のことを楽しみにしてくれてたってことですよね?」
そこで上目遣いは卑怯だと思います。楽しみにしてたというよりは緊張と混乱で何も手につかなかっただけなんだけど、ここは黙っておこう。
「……ああ、そうだな」
「よーし、気合入ってきましたよー。今日の案内はまかせてください。わたし何回かこの祭来たことがあるので」
「でも、普通こういう場合は男のほうがエスコートするものじゃないか?」
「いいんですよ、そんな細かいことは。さあ早速行きましょう!」
コーディネートと一緒に相談したデートプランはお蔵入りのようだ。でも、いつもどおりの明るさを発揮しているなっちゃんを見ていて、俺も少しずつ調子が戻ってきた。本当に緊張してたのか?
俺は、苦笑しながらなっちゃんを追いかけるのであった。
メインの花火は午後8時からだ。まだまだ時間はあるので、俺たちは屋台を見て回ることにした。
「境内の中にも屋台はあるんですけど、こっちの通りのほうが色々あっていいんですよ」
「へー、さすが経験者。さて、なにか食べようかな」
まだ晩ごはんの時間には早い。やきそばやお好み焼きのような主食系よりも、ここはスイーツ系が食べたいところだ。
「ご飯にはまだ早いですし甘いものが食べたいですね」
「そうだな」
なっちゃんも同じ考えだったらしくキョロキョロとあたりを見回している。
俺も一緒になって探していると、なっちゃんが話しかけてきた。
「先輩、いいこと思いついちゃいました」
「嫌な予感しかしないんだが」
「やだなー、先輩が嫌がるようなことをするわけないじゃないですか」
新しいおもちゃを見つけた子供のように目を輝かせている。正直あまり聞きたくはないが、そのいいことやらを聞いてみよう。
「それで、何を思いついたんだ?」
「スイーツ大好きな先輩のことですから屋台のスイーツも大好きなはずです。わたしが先輩の一番好きな屋台スイーツを当てるので、当たったらそれをおごってください」
「それ俺にメリットが1つもないだろ。外れたときは逆におごってもらうぞ」
「へー、そういうこと言っちゃうんですね。先輩、女の子って視線に敏感なんですよ?」
その一言で俺は冷や汗が止まらなくなった。もしやバレていたというのか!? いや、これはハッタリに違いない。俺の完璧な犯行がバレているはずがないのだ。
「それがどうかしたのか?」
「先輩、わたしのおっぱい、いつも見てますよね?」
「女の子が軽々しく、お、おっぱいとか言っちゃいけません!」
「もう、女の子に夢見すぎですよ。女子校の女の子なんて男子より平気で下ネタ言いますからね」
「嫌だ、そんな話聞きたくなかった!」
うう、心が汚されてしまったよ。知らないほうがいい真実ってあるんだな。
「そんなことよりも、むっつり先輩がわたしを視姦してたこと、口が滑ってお父さんに言っちゃうかもしれないなあ」
「それだけはご勘弁をー!」
「じゃあ、勝負受けてくれますよね?」
「……はい」
完全敗北であった。親父さんは無口ではあるものの普段は優しい人だ。ただし怒ると激変する。生活指導の先生なんかよりよっぽど怖いのだ。溺愛している娘に不埒なことをしていたのがバレたら、ただでは済まない。
「それじゃあ当てちゃいますよー。あ、その前に一番好きなものここにあります? なかったら当てられないんで」
「さっき見たときにあったから問題ない」
「おっけーです。実はさっき見てる間に考えてたんですよね。先輩の好きなスイーツはずばり、…………チョコバナナですね!」
残念ながら違う。しかし、ここで正解と言えばなっちゃんがチョコバナナを食べる姿を見られるのでは? それはなかなかにありな気がするぞ。
「先輩、いまエッチなこと考えてましたよね」
「ソンナワケナイジャナイカ」
バレバレだった。俺の邪な考えはお見通しらしい。
「残念ながら不正解だ」
「もう1回、もう1回チャンスください!」
「はあ、わかったよ。そのかわりこれ以上はなしな」
「やった! 次こそは当てますよ。うーん、…………わかりました! りんご飴です! 間違いありません!」
りんご飴も好きだが、一番というほどではない。この勝負は俺の勝ちのようだ。
「残念、不正解だ。さっきよりは惜しいがな」
「ええー、せっかくおごってもらえるチャンスだったのにー。ちなみになんですけど、正解はなんだったんですか?」
「あれだ」
そう言って俺が指差した屋台には『水あめ』と書かれていた。
「リンゴ飴でも正解じゃないですか!」
「ふっ、違うのだよなっちゃん。この割り箸でびよーんと伸ばすのが楽しいんじゃないか」
「先輩ってたまに子供っぽくなりますよね」
「失礼な、これでも立派な子供だ。まだ18歳だからな」
俺は水飴の屋台へ歩いて行った。
「いらっしゃいませー」
「水飴2つ」
「味はどうしましょう?」
「俺はサイダーで。なっちゃんは?」
「え?」
「別に水飴ぐらいおごってやるよ。それとも水飴嫌いだった?」
「いえいえ、そんなことはありません! じゃあ、……コーラでお願いします。
「はいよー、2つで300円ね」
お金を払うと、プラスチックのカップに入った水あめと割り箸を渡された。
「わたしこれ初めてです」
「最近はあまりないらしいからな。今日はあってラッキーだった」
そう言いながら俺は水飴を割り箸に絡ませる。ぐるぐると割り箸を回しながらたまに水飴をびよーんと伸ばす。この一連の動作が楽しい。昔、父さんに連れて行ってもらった地元の秋祭りのことを思い出す。
「これ、結構楽しいですね」
「だろ? それにおいしいからな」
その後も屋台を冷やかしながら祭を見て回った。
「だいぶ人も増えてきましたね」
「そうだな。おっ、ちょっとトイレ言ってくる。そこらへんで待っててくれ」
「そこの木の下にいますね」
もよおしたところに、ちょうど公衆トイレがあったので行くことにした。
それにしてもすごい人だ。さすがにちょっと疲れてきたし、どこかで休むのもいいかもしれない。
そんなことを考えながら戻ると、そこには3人の男に囲まれたなっちゃんがいた。
「ちょっと俺らと遊びに行こうぜ」
「……その、他の人と来てるんで」
「大丈夫大丈夫、ほんとにちょっとだけだからさ」
「なんならおごっちゃうよー」
普段は天真爛漫で明るいなっちゃんも、知らない男に囲まれて怖がってしまっているようだ。
相手はナンパ男3人。さすがに暴力沙汰にはならないと思うが、もしもということもある。俺は覚悟を決めて、男たちに声をかけた。
次回更新は明日(8/25)の午後8時ごろです