裸足の悪役令嬢は悪魔と踊る
奪えるはずだった。
王太子妃候補と噂されていたあの人、公爵令嬢カロリーナから、未来の王妃の座を奪えるはずだったのだ。カロリーナが劇場の花形男優に夢中になっている間に、王太子殿下に近づいた私が。
この大事な舞踏会にも、カロリーナは男優に引き留められて遅れてくる。
その前に、大臣が私を王太子殿下と引き合わせ、幼い頃の出会いーー運命的かどうかはどうでも良いーーを巧みな話術で語って、王太子殿下を虜に……
そのはずだったのに。
舞踏会の会場である大庭園に降りようとしていた私は、ドン、と後ろから突き飛ばされた。
数段の階段を踏み外し、倒れこむ。顔はどうにか庇ったものの、むき出しの腕全体に痛みが走った。
身体を起こした私は、サッと背後を見回した。取り巻きの令嬢たちが駆け寄ってくる。
「アニーシア様! お怪我は!?」
「大丈夫ですか、アニーシア様!?」
見知った顔ばかりだ。突き飛ばしたのは誰? 次々と階段を下りてくる人たちがいてわからない。
「……靴は」
「はい?」
「私の靴はどこなの」
転んだ拍子に脱げた靴が、片方見つからない。
取り巻きたちがあわてて探したけれど、それは出てこなかった。
誰かが、持ち去った?
「ないわ。靴がない。何してるの、早く使用人を呼んで、代わりの靴を持ってこさせて!」
命じると、一人の令嬢があわてて走っていく。
はっ、と庭園に向き直ると、奥の一段高くなったところに王太子殿下が立っていて、そこに一人の令嬢が近づいていくところだった。
そこだけが、妙に明るく見える。まるで、舞台の上の男優と女優のように。
ここにいないはずのカロリーナが、王太子殿下に話しかけていたのだ。
……終わったわね。
頭の中のどこかで、張りつめていた糸が切れる音がした。
いいえ、それは、仕掛けていた罠を彼女が突破した音だったのかもしれない。私を突き飛ばして時間を稼いだのも、彼女の取り巻きの誰かだろう。
「……もういいわ」
私は無造作に、もう片方の靴を脱ぎ捨てた。靴下をとめていた膝上のリボンもほどいて脱ぎ捨てると、取り巻きを置き去りにして裸足でスタスタと庭園に入る。芝生がちくちくと足に刺さる
古代の様式で建てられた美しい柱が壁のように並ぶところまで行き、そこに置かれていた長椅子に腰かけた。
ドレスの裾を蹴り上げるようにして、片足をふわりと上げ、もう片方の足の上に乗せる。周囲にいた数人がぎょっとしたように、私から離れていった。
高々と組んだ裸足の両足を眺めていると、白い足の向こうに、着飾った美しい男女たちが見える。
音楽が、始まった。
……所詮、私は女主人公の邪魔をする悪役どまりだったのだわ。最後には負けて、意に添わない男のところに嫁ぐのよ。
「眼福だな」
低い声がした。
振り向くと、柱の間からひっそりと、男が現れた。黒く艶やかな癖毛、浅黒い肌、金色の瞳。濃い緑の略式礼装が似合っている。
その目は無遠慮に、膝下までむき出しの私の足を眺め回している。
「靴はどうした?」
聞かれて、私は投げ出すように答えた。
「突き飛ばされて、脱げた。どこかの令嬢が嫌がらせに持ち去ったようよ」
「困ったことだな」
「ええ、本当に。仕方がないから、ここで壁の花になっているの。ああ、でもーー」
どうにでもなれという気分で、私は見せつけるように足を組み替えながら、適当な言葉を続ける。
「もしも誰かが、この状況をなんとかしてくれるなら、その方と踊ることにしようかしら」
すると、男はクックッと笑い出した。
「何を笑ってるのよ」
「面白い女だ、と思ったまでだ。名前は?」
「アニーシア。それで、失礼なあなたは、どこの誰?」
「誰でもいいのだろう? この状況をなんとかできる男なら」
彼はひょい、と身を屈めると、片足を上げて自分の靴を脱いでしまった。続いて、もう片方も。靴下も脱ぎ始める。
「俺も裸足になろう。靴など窮屈なばかりだったからちょうどいい」
「はぁ? 何それ、靴が嫌いなの?」
「ああ、嫌いだね」
「どうして?」
思わず尋ねると、男は少しの間、視線を上に向けた。そして、ニヤリと笑う。
「悪魔だから、かな。神話にあるだろう、悪魔は獣の足を持っていると。靴など履かない」
そして、彼は左手を胸に当て、右手を緩やかに回してから私に差し出した。
「さて、これで一応、女だけに恥をかかせない装いになったと思うが。裸足の悪魔同士、共に踊るか?」
私は唖然として、男の顔をしばらく見ていたけれどーー
気がついたら、勝手に顔がほころんでいた。
この男もきっと、窮屈な人生から逃れるために、誰かを陥れようとしているのだ。私と同じ、悪役。
お似合いだわ。
この人となら何でもできる、と思うと、胸が高鳴った。
男の手に、自分の右手をのせる。
「いいわ。踊ってあげる」
男の目が、きらりと光った。
ぐいっと強く手を引かれ、腰を抱かれる。
私たちは二人、大きな舞台へと上がったのだ。
「で、お前はなんで俺と結婚する気になったんだ?」
「あなたが私を面白いと言ったのと、同じ理由……かしらね」
現在、他の投稿サイトで別の長編を連載中なんですが、なろうさんに何も投稿しないのもそれはそれで寂しくなり、Twitterをきっかけに一気に書き上げました。




