4-06:トラツァルーチェ
トラツァルーチェの街は海に面しているため、潮の香りが漂ってくる。どうでもいいけど、潮の香りは世界が違っても同じような感じなんだな。俺たちの日本での故郷は海の無い県だったから、年に何回も嗅ぐ機会があったわけでもないんだが、潮の香りがどこか郷愁を呼びおこすのは、海に囲まれた国家たる日本人のアイデンティティなんだろうか。
「それでは、明日の朝、1の鐘が鳴る頃に、街の西門で」
「わかりました。では、また明日」
そんな益体もないことを考えながら街の門をくぐったところで、荷馬車の商品をさばきに行くアロイさんたちとはいったん別れ、俺たちは捕縛した盗賊団を連れて騎士団の詰め所へと向かう。
「うん? 冒険者か、騎士団に何か用かな?」
「ああ、王都からの道中で盗賊団に襲われた。返り討ちにして生け捕りにしたから引き取ってくれ」
俺たちに完膚なきまでに叩きのめされて戦意を失っている以上、逃げ出すことはないだろうが、念のため俺とアンナで盗賊団の前後を固めつつ、門の衛兵に聞いた通りに歩いて騎士団の詰め所へやってくると、ややヒマそうにしていた門番の騎士が俺たちに気づいて用件を訊ねてきた。
「なに、盗賊団? その揃いの外套、まさか灰空か? ……ちょっと待ってろ」
門番の騎士のうちの1人が詰め所の中へ走っていった。
「ようこそ、騎士団トラツァルーチェ支部へ。私がここの支部長を務めているグロリアーナ=グレッグだ。シトア支部からの紹介状は読ませてもらった。シトアの支部長を務めているギルバートとは同期でね、主席争いで互いに切磋琢磨したものだよ。女が騎士になるなど、と小馬鹿にしてきた者も多かったが、ギルバートは同期の中でただ1人、私を馬鹿にしなかったばかりか、自分たちより弱い者が彼女を馬鹿にするな、とまで言ってくれてな……っと、それはそうと、盗賊団の捕縛の件だったな。ふむ、8人か。盗賊団“灰空”は10人ほどで構成された集団だと聞いているが……?」
程なく戻ってきた門番の騎士に促され、盗賊団の連中は騎士の見張り付きで中庭に、俺たちは詰め所の一室に通された。そこには支部長だという女性騎士が待っており、自己紹介代わりにギルドカードを見せつつ、以前シトアのギルバートさんから受け取った紹介状を手渡した。ふーん、支部長のグロリアーナさんはシトアのギルバートさんとは同期なのか。おや、ギルバートさんの話をするグロリアーナさん、ちょっと顔が赤いな。と、脱線しかけた話をグロリアーナさん自身で軌道修正してきたか。表情も元のキリッとした騎士のものに戻ってる。
「ええ、襲撃された際には10人いましたが、戦闘により、彼らのリーダーを含む2人が死亡、生き残ったあの8人も一部は瀕死の重傷でしたが、最低限の治療を施して、ここまで連れてきました。後は騎士団に任せますので、よろしくお願いします」
「わかった、引き受けよう。とはいえ、盗賊団は死罪、ということが王国の法で決まっているがな。なぜ、その場で全員殺さなかった? 相手が盗賊団である以上、殺しても何も問題は無かったはずだ。それを、けが人を治療してまでわざわざここまで連行して騎士団に引き渡す、その意味はどこにある?」
グロリアーナさんは盗賊団の処遇を快く引き受けてくれた。まあ、死罪になるのはわかってた。けど、俺は、いや俺たちは人殺しを禁忌とする平和な国の出身だからな。異世界に飛ばされたとはいえ、できるなら自らの手で人殺しなんてやりたくない。もっとも、こんな理由、グロリアーナさんに限らずこっちの世界の人間には言えないから別の理由をでっちあげるけど。
「たとえ死罪になることが決まっているとしても、自らの行いを悔いる時間くらいは与えてもいいのではないですか? 実際に彼らが盗賊団として取った行動を、ここまでの道中で悔いたかどうかはわかりませんが、その機会は与えるべきと考え、私は彼らに最低限の治療を施し、ここまで連れてきたのです」
「ふむ、まあ一理あるか。ところで、ギルバートからの手紙には、トーマ殿は騎士団の騎士に勝るとも劣らない剣の技能を有しているとも書かれているんだが、この後もし時間があれば、私にもその技能の一端を見せてはもらえまいか」
俺の適当にでっちあげた理由でも、ひとまずグロリアーナさんを納得させることはできたようだ。すると、彼女は話をガラリと変えてそんなことを言ってきた。ギルバートさん、そんなことまで手紙に書いてたのかよ……まあ、明日の朝イチで王都に戻るから、今日のところは時間あるし、別にいいけど。
「はぁっ!」
「ぐっ!?」
騎士団支部の建物内にある訓練場にて、俺はグロリアーナさんが直々に指名した騎士アントニー氏と木剣を交えていた。だが、シトアで同じように木剣を交えたジェームズさんよりは弱いな。レベルはジェームズさんより2つ上の21だが、剣術スキルのレベルが2にとどまっている。対する今の俺はレベル26、剣術スキルはジェームズさんとやり合った時と変わらず4だが、それでも十分すぎるほどの差がついてしまっていた。最初こそ様子見で軽めに合わせていたが、アントニー氏がジェームズさんより強くないと気づいたところで、一気にギアを上げて木剣を弾き飛ばした。剣速も当たりの強さも急激に上げたので、アントニー氏はまるで反応できず、コォン! という音とともにアントニー氏の木剣が手からすっぽ抜け、訓練場の床に転がった。真剣なら床にザクッと刺さるところなんだろうが、刃のない木剣だからな。
「そこまでっ! 勝者、トーマ殿!」
審判役を務めてくれていた、副支部長のラッセル氏が手を挙げて俺の勝利を宣言すると、観戦していた騎士たちからどよめきが起こる。どうやらアントニー氏はトラツァルーチェ支部に所属する騎士では支部長のグロリアーナさん、副支部長のラッセル氏に次ぐ第3位の実力の持ち主だったとかで、その彼が軽くあしらわれたことが信じられない、ということらしい。そんなこと言われても、模擬戦を申し込んできたのは騎士団側で、対戦相手を選んだのは支部長のグロリアーナさんだ。
さて、そうなると、もしかすると支部長自ら出陣、ってこともありうるか? いや、さすがにそれは無いか?
「うむ、見事だ。私も、ひとりの騎士としてトーマ殿と手合わせ願いたいところではあるが、支部長という立場ではそうするわけにもいかん。また、トーマ殿に騎士団に入ってもらい、一般騎士たちの稽古相手になってもらいたい、という思いもあるが、ギルバートがすでに勧誘して断られているようだからな。トーマ殿もやはりその気はないのだろう?」
グロリアーナさんは一騎士としての本音を支部長という立場の建前で隠して我慢したのか。って、ギルバートさんに託された手紙、ずいぶん分厚い気がしていたけど、そんなことまで書いてたのかよ。シトアで騎士団と絡んでからの出来事全部書いてあるんじゃなかろうな……?
「ええ、自由気ままな冒険者稼業を気に入ってますからね、騎士のようなかっちりしたものは私の性に合いませんよ。それに、トラツァルーチェに来たのは商隊の護衛で、こちらに立ち寄ったのは道中で生け捕りにした盗賊団の処遇を預けるため、ですからね。明日の朝にはこの街を離れて王都イェスラに戻ります」
ギルバートさんにも似たようなことを言った気がするが、何度だって言おう。これが俺の紛れもない本音だ。
「そうか。まあ無理強いするのもよくないからな。ヴィクター元公爵の件も王家から貴族と各街の騎士団宛てに書状で経緯を知らされていたから、トーマ殿が拒絶するならそれ以上しつこく勧誘するようなことはしない、と決めていた。だが、またトラツァルーチェに来ることがあれば、ぜひこの詰め所にも顔を見せてほしい。トーマ殿たちならいつでも歓迎だ」
グロリアーナさんがずいぶん物わかりのいい人だと思っていたら、例の件の経緯が通達されていたのか。確かに、貴族家のトップに立っていた家が没落した大失敗を知らされれば、しつこく勧誘する気にはなれんわな。
「ええ、この街はいいところですからね。今度は冒険者の仕事ではなく、のんびりと訪れたいですね。それでは、私たちはこれで」
もともと捕らえた盗賊団を引き渡すために騎士団の詰め所に来ただけなのに、なぜか騎士と模擬戦やる羽目になるとか、何やってるんだかな。いやまあノリノリで応じたのは俺なんだけどさ。話もひと段落したところで、そろそろお暇しようか。
「それでは、帰りの道中もよろしくお願いしますね」
翌日早朝、1の鐘の時刻にアロイさんたち商隊の面々と再合流して、俺たちは王都に帰るべく、トラツァルーチェを後にした。今度はもう盗賊団とかも出ないと思われるので、俺も含めて荷馬車の中でのんびりしている。バサきちとボアたんは往路と同様に荷馬車の後方を少し離れて追随させている。いくら調教して味方になっていると言っても、すぐ近くを魔物が並走していては荷馬車を牽く馬が驚いてしまうからな。
結果として、俺たちは荷馬車の前方から襲ってくる魔物にだけ警戒するだけで良かった。後方――俺たちが通り過ぎた後でバックアタックを仕掛けようとするような小賢しい魔物はバサきちとボアたんに睨まれて撤退するか、実際に蹴散らされるかのどちらかだった。今のレベルの俺たちに前方から正面切って襲い掛かってくるような魔物はそれほど多くなく、夜遅くに王都に到着したが、帰り道での戦闘回数は片手で足りるほどしかなく、しかも3人全員で戦う必要はないような魔物しかいなかったので、数が少ない場合は誰か1人、3体以上いっぺんに来たら2人で出ることにしてローテーション制で片づけていき、無事に、とは言っても余裕こきすぎてかすり傷程度はあったが、王都に帰還して初めての護衛依頼を終えることができたのだった。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
次回……4-07:王都への帰還(仮題)
4-07のサブタイトルはややしっくり来ていないので変更する可能性もあります。