3-10:魔法書探し
「リーフィアさん。魔法書って、どこに行けば手に入りますかね?」
トーマとアンナが工房に行った一方、ユズキが魔法を習得するために魔法書を探すことにしたユズキとリーフィアだったが、その魔法書をどうすれば入手できるかで早速行き詰っていた。
「やはり貴重な書物ですから、いくら王都と言えども一般的なお店には置いてないでしょう。ギルドに行って聞いてみましょうか?」
魔法書ではない、ただの書物であればこの世界でもある程度流通しており、王都やシトアのような大きめの街なら少なくとも1軒は取り扱っている店があるものだが、こと魔法書となるとそうはいかない。そもそも魔法書というモノは、魔法の素養を有する者が実際に魔法系のスキルを習得するためのきっかけのひとつであり、ただ書かれている文字を写本して複製する、ということができないため、とかく現存数が少ない書物である。魔法書を複製するためには熟練した魔法使いが、よく魔力を馴染ませた羽ペンとインクを使って写本をしなくてはならないので、とても手間のかかる作業なのだ。
貴重な魔法書のありかに関しては全く情報がないので、王都の冒険者ギルドへ行って何か情報が得られないか聞くため、リーフィアとユズキは連れ立って屋敷を出て、屋敷と同じ第三区の南側に位置するギルドへ向かった。
「おや、ユズキさんとリーフィアさん、こんにちは。今日はアンナさんやトーマさんはいらっしゃらないんですか? お2人だけとは珍しい組み合わせですね。それで、本日はどうかされましたか?」
ギルドへ入ると、すっかり顔なじみになった受付スタッフのジミーが依頼掲示板に新しく受理したものと思われる依頼票をペタペタと貼りつけているところに出くわした。彼はユズキたちに気づくと、トーマやアンナが一緒にいないことを珍しく思って声をかけてきた。
「んもー! ジミーさん、聞いてくださいよ! お兄ちゃんってば、王都の外に出る予定が無いからって、か弱いあたしをほったらかしにしてアンナさんとお買い物に行っちゃったんですよー! ヒドいと思いません!?」
珍しいパーティ構成に言及されたことでユズキのスイッチが入ったようで、まくし立てるようにジミーにグチをこぼし始めた。
「僕はまだトーマさんとそれほど会話を重ねてきたわけではないので、ユズキさんのおっしゃることを肯定も否定もする権利がありませんね」
しかしジミーは依頼票を貼りつける作業の手を止めることのないまま、冷静に中立を宣言する。ギルド職員は入会した冒険者同士の諍いごとには関与しない。それは同じパーティの中でのことにも適用される。特に当事者の片方と言えるトーマはまだ王都にやってきて日が浅いので、オーガを3体も撃破した<オーガ殺し>の二つ名を持っている、ランクCとしては破格の強さを有する冒険者、ということくらいしかトーマのことを知っておらず、当事者同士の話し合いを仲介するならともかく、片方しかいない状況であれこれと言及することはジミーにはできなかった。
「それよりも、ユズキ。ちょうどいいから、ジミーさんに聞いてみたら?」
付き合いが長く、ギルド職員の中で一番仲のいいジミーだからきっと味方をしてくれる、と信じていたユズキが頬を膨らましかけるが、そこでリーフィアが話の軌道修正に入った。
「そうですね。ちょうどいい具合にジミーさんに会えたことだし」
「どうしました? 僕で答えられるようなことであれば、何なりとお聞きください」
ユズキとリーフィアの様子から、何かしらの質問があることを察したジミーは先を促す。
「えっと、あたしが魔法を使えるようになるために、魔法書を探しているんですけど、どこにあるか、知りませんか?」
端的に用件を話したユズキに、ジミーは一瞬きょとんとした表情になった。
「へ? 魔法書ですか? 失礼ですけど、ユズキさんは魔法使いの素養があったんですか? 今までそのような素振りを全く見られていなかったので、驚いてしまいました」
「はい、故郷を出る際に素養はあることだけはわかってたんですが、村には魔法書が無かったので、いずれ身につけられればいい、と思っていたら余裕を失ったまま、時間が経ってしまっていたんですよ。アンナさんと再会し、そしてお兄ちゃんと再会した今なら、これまでと比べて余裕もありますし、さらに凄腕の魔法使いのリーフィアさんもいます。魔法書で素養を開花させて、あたしはもっと強くなりたいんです。それで、どこかにありますか? 情報だけでもあれば教えていただきたいんですけど」
ユズキなりに考えた、王都で冒険者になる前の出自にまつわるストーリーをでっちあげ、再度ジミーに訊ねる。
「そうですか。魔法書でしたら、このギルドにも1冊だけありますよ。ただ、ご存知だと思いますが、魔法書はなにぶん貴重な品なので、ギルドマスターの許可が無いと閲覧することすらできません。持ち出しなんてもってのほか。閲覧の許可が下りたとしても、保管してあるギルドマスターの執務室の隣にある小さな書斎で、職員の立ち合いの元での閲覧になります。それでもよろしければ、僕からギルドマスターにかけ合いますよ?」
なんと、探していた魔法書はギルドが1冊所有していた。貴重なものなので譲ってもらえるようなものではないのは当然だが、ただ閲覧するだけでも割と煩雑な手続きが必要らしい。
「見られるのならば、ぜひお願いします」
「わかりました。……よし、確か今日のこの時間帯はギルドマスターの来客は無かったな。待っててくださいね、確認してきますから」
ユズキはとにかく魔法書を閲覧してみないことには先に進まないので、煩雑な手続きを経てでも閲覧できるのならば、退く理由は無かった。ジミーはユズキの返答を見ると、ギルドマスターに問い合わせを行うために、執務室への来客状況を思い返し、予定がないことを確かめると急いで羊皮紙に必要事項を記入し、階段を駆け上がってギルドマスターの執務室へと向かった。
「ギルドマスター、ジミーですがちょっとよろしいでしょうか」
2階の奥の方にあるギルドマスターの執務室。ジミーはその前に立つと扉をノックして中に呼びかける。
「…………」
しかし、待てど暮らせど返答はない。幾度かノックして呼びかけて、を繰り返したにもかかわらず。普通なら、何らかの理由で部屋を空けているのだろうが、ジミーはそう思わなかった。
「失礼します、ギルドマスター。入りますよ!」
ジミーはすでにギルド職員として働いて5年以上が経っており、ここのギルド職員の中でも古株になってきているため、ギルドマスターとの付き合いも長い。今日のように来客の予定が無い日に、何をしているかなどもうはっきりわかっていた。それでも一縷の望みに賭けて通常通りにノックして呼びかけてはみたが、返答が無いのは予測の範疇。ゆえに、ジミーはやや声を荒げて扉を押し開けた。――果たして、そこでジミーが見た物はというと。
「ZZZ……」
自らの執務机に突っ伏して眠る、冒険者ギルド王都支部のトップを務めている女性・シャロン=ナイトリーの姿だった。仕事しながら居眠りしてしまっているのだろう、頭の下には書類と思しき羊皮紙が重ねられている。程よい高さに積まれた書類が枕のようになり、さらに開け放たれた窓からはこの時期にしては心地よい日差しと風が入り、見事にシャロンを眠りの淵に誘ったようだ。なお、ゆったりした服を着ているにもかかわらず机に突っ伏しているため、豊かに実った双丘が見えてしまっているが、ジミーが動揺することはない。なぜなら、ジミーにとってはすでに見慣れた光景だから。
「やっぱりな。ほーら、ギルドマスター、寝てないでちゃんと仕事してください、よっ!」
ジミーは呆れたようにつぶやくと、書類によだれを垂らしてすやすや居眠りしているシャロンの頭部を勢いよく引っぱたいた。すぱぁん! という小気味いい音がして、シャロンが目を覚ました。
「ふにゅぅ……? ジミー君……? 何か用かしらぁ……?」
相当長く眠っていたのだろうか、シャロンの目は虚ろで、まだ完全に覚醒できていないような声音をしていた。
(そういえば、朝出勤した時に行われてるギルドマスターの訓示以降、今日は見ていなかったな。それと、積まれている書類の量から考えると、2の鐘と3の鐘の間にはもう寝てたな、これ)
いつもにも増して酷い有様のシャロンの寝ぼけ声に、ジミーは内心ため息をつきながらシャロンを最後に見たのはいつだったかを思い返し、寝落ちした時間帯を推測する。
「ええ、ギルドマスターの承認が必要な案件が発生しました。――ああ、深刻な問題ではありませんので安心していいですが、まずはしっかり目を覚ましてください」
ジミーがシャロンの承認が必要と告げた瞬間に彼女はハッとした表情をしたが、それも一瞬だけでまたすぐ眠そうな表情に戻ってしまう。
「それでぇ? わたくしの承認が必要だけどぉ、深刻ではない案件とは何かしらぁ?」
シャロンは桶に水魔法で水を出して顔を洗い、目を覚ますとジミーに訊ねる。目が覚めてもぽやんとしたしゃべり方なのは、これがシャロンの素だからである。
「はい。当ギルドで所有し、保管している魔法書の閲覧希望です。希望者はEランク冒険者のユズキ=サンフィールド。――ええ、世にも珍しい、魔物を手駒とする技を有する少女です」
ジミーは用件を伝えて先ほど急ぎで作った簡易的な書類を差し出し、シャロンの返答を待つ。ユズキという名前を聞いて何か気づいたシャロンに、ジミーは頷く。
「わかったわぁ。閲覧希望を承認しまぁす。立ち合いのぉ、担当職員はジミー君、キミに任せますぅ」
するとシャロンはあっさりと承認印を押した。さらに書類に立ち合い担当者の名前としてジミーの名をさらりと記す。
「わかりました、って僕が立ち合いを担当するんですか!? 今まで一度も魔法書の閲覧立ち合いなんてしたことないんですけど!?」
あまりにもさらりと立ち合い職員の指名を受けたことでうっかり流しそうになってしまったが、寸でのところで我に返って大慌てで未経験であることを告げる。
「知ってるわぁ。年に何回もぉ、あるようなことじゃないんだからぁ。別にぃ、立ち合いが未経験でもぉ、慌てる必要はないのよぉ? 閲覧希望者がぁ、アイテムバッグとかに入れて魔法書を持ち去らないようにだけぇ、気を配っていればいいのだからぁ。ジミー君から見てぇ、閲覧希望を出したユズキっていう冒険者はぁ、そういうことをしそうな子なのぉ?」
だがシャロンはそんなジミーにつられることなく冷静さを保ち、立ち合い業務について説明してやる。
「う、そ、そんなことはない……です」
「ならぁ、何も問題ないわねぇ。わたくしはぁ、書斎に行って魔法書を出してくるからぁ、ジミー君はぁ、閲覧希望者をこちらにご案内してきてねぇ」
完全に論破されたジミーはすごすごと書類を持って執務室を出てロビーで待つユズキたちのもとへ戻る。
「ユズキさん、リーフィアさん、お待たせいたしました。閲覧希望は承認されましたので、僕についてきてください」
階段を下りる間に気持ちを切り替えたジミーは、普段カウンターで冒険者と接するいつもの表情を取り戻し、ユズキに希望が承認されたことを伝える。そのまま3人で階段を上り、ギルドマスターの執務室へと向かう。魔法書が保管してある書斎には、廊下に面した扉はついておらず、執務室からでないと入室できないのだ。
「待っていたわぁ。その子が閲覧希望者のユズキさんねぇ。じゃあ、ジミー君。これが魔法書よぉ。ここからはキミに任せるわぁ。わたくしは仕事に戻りますぅ」
執務室を経由し、書斎に通じる扉をノックして開けると、シャロンはすでに1冊の書物を抱えて待っていた。彼女はそれをジミーに預けると、手をひらひらと振りながら執務室へと戻っていく。
「仕事って言って、また寝ないでくださいよ! 閲覧を終えて退室する際にまた寝てたらたたき起こしますからね!」
手をひらひらと振る仕草に少しイラッとしたジミーはイヤミを込めてシャロンの背中に投げかける。しかしすぐに扉は閉まり、何らの反応も得られなかった。
「ジミーさん、それが魔法書!? 見てもいいんですよね!?」
あれでいて仕事自体は有能だからタチが悪い、と悪態をつきかけたジミーを止めたのは、ユズキだった。彼の手に抱えられた魔法書を早く見たい、とせがんだのだ。
「ええ、立ち会う職員は僕です。あそこに椅子と机がありますから、ゆっくりしてもらって構いませんよ。今回の閲覧申請は3日間取ってありますので、今日の5の鐘までの時間だけで終わらなければ、明日、明後日までは再申請の必要はありません」
ジミーは魔法書をユズキに手渡すと、書斎の奥の方にある椅子と机を指差してそこで読むように促す。
「わかりました。じゃ、お借りしますね」
ユズキはややはしゃぎながらも、大事そうに魔法書を受け取り、指し示された椅子に向かう。ジミーはそれを見つつ、書斎の唯一の出入り口である扉に背中を預けて寄りかかる。
「…………」
ユズキは机に魔法書を置き、椅子に腰かけると、一心不乱に文字を追い始める。その集中力はすさまじく、書斎の出入り口でジミーが「へっくしょん!」とクシャミをしてしまったが、ユズキは文句を言うどころか、振り返ることすらしなかった。
ユズキは現在15歳、日本では中学3年生だった。関東地方の中堅都市にある普通の市立中学に通っていたが、成績優秀で、試験は常に160人ほどの学年でトップ争いをしていた。本人も勉強が大好きで、高校は私立のトップクラスで、国立、私立を問わず名の知れた大学に多数の合格者を輩出している超名門校を単願で受験し、主席合格してみせるという、通っていた中学校史上初の快挙を成し遂げ、街では天才少女と持て囃されていた。
そんな少女が意欲を持って取り組めば、素養があっても読み解くのに時間がかかるとされる魔法書でも1日で全て読み解くことができる。日が暮れはじめ、5の鐘の時刻が近づいてきたことをジミーがユズキに伝えに行こうとすると、不意にユズキが立ち上がり、両腕を天井に向けて突き上げるように背伸びをした。
「あ、ジミーさん。終わりましたんで、お返ししますね」
背伸びを終えてユズキが振り返ると、ちょうどジミーが近づいてきたので、読んでいた魔法書を机から持ち上げて手渡す。
「あっ、はい。今日はもうそろそろ時間になるので、ってことを伝えに来たんですよ。明日はまた2の鐘の時刻から利用できますので、受付カウンターの僕のところまで――」
「あ、明日以降はキャンセルにしてください。今日だけで全部読み解けましたので。火水風土の基礎魔法と、回復魔法の基礎を覚えたんですが、実際に魔法として使うためには実践が必要らしいので、明日は草原に出て実践に当てようかと思ってるんですよ」
ジミーはまだ終わるわけがないと思い込み、あくまで今日の許可時間が終了する、という認識。対するユズキは全て終わったので帰って実践の準備をする、という認識。2人の認識の差により、一瞬会話に齟齬が生まれる。
「へっ? この厚い本を、もう全部読み終えたんですか……?」
思ってもいなかったユズキの申し出にジミーは戸惑いを隠せない。
「ええ、このくらいの厚さであれば問題なかったですね。確かに内容は少し難しかったですけど、あくまで素養を基礎レベルに引き上げるだけの内容ですので、どうってことはないです。それじゃ、ありがとうございましたー!」
「それでは、また」
勉強モードのユズキは普段とは違い、とても物静かな女の子になるのだが、魔法書を返却し、勉強モードが終了したとたんにいつもの元気娘が顔を覗かせつつ、リーフィアとともにギルドの建物を出ていった。
「さすがは<オーガ殺し>のトーマさんの妹、か。今後はあのパーティに関してのみ今までの常識を捨てるべきかもしれないなあ」
ジミーは返却された魔法書を腕に抱えながら、ポツリとつぶやくと、魔法書を元の場所に戻すべく、シャロンのもとへ向かう。収納場所はカギがかけられた箱で、ギルドマスターのみがその箱のカギを持つからだ。書斎からシャロンの執務室に入室したジミーは、
「ZZZ……」
案の定、仕事の書類を枕にして居眠りをしているシャロンを目の当たりにした。
直後、シャロンの執務室に再びすぱぁん! という乾いた音が響き渡ったのだった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回…3-11:離脱
3章最終話であり、同時にストックが全て尽きます。
打ち切りとなる最終4章の展開は細部が固まっていないため、書き出せておりません。
なので明日の3-11更新後はしばらく休載となります。ご了承ください。