マルクスとセロ
朝陽と鳥達の囀りで少女は目を覚ました。
眠たい眼を擦りながら、カーテンを開けると一層眩しさが増し、彼女は目を細めた。
美しい青の長髪を朝陽が更に美しく染める。
彼女は小さな手を握りしめながら祈りを込めて胸の中心で十字を切る。
この朝を迎えられたことへの感謝か、はたまた神に捧ぐ日課の祈りか、あるいはそのどちらもであろうか。
祈りを終えた少女は、呟く
「・・・眠い」
「セシル・・・また遅刻か?」
「ご、ごめんなさいラテス神父・・・どうも朝は弱くて」
タハハ、と少女―セシル・クライン―は語る。
「君は非常に優秀なシスターだよ、教えにも従順に従うし・・・このバーゼル村で最も信仰心があると言っても良いほどに」
勿論私は除くが、と神父ラテスは続ける
縁の薄い眼鏡を掛けた壮年、というには幾分か若い男性で物静かながらも神父と呼ばれるだけの威厳を持ち合わせている
「・・・バーゼル村に私以外にセレスト・カムの信仰者居ないですよね?」
ここはバーゼル村という小さな村でファラーン島と言う島の東端にある小さな村だ。
村、といっても大人たちは殆どいない。戦災孤児たちを集めレルトラ大聖堂―セレスト・カムの本堂―の分堂を治めるラテスと、Nо.2であるセシルの二人で保護しているのだ。
如何な大聖堂の分堂とて人が集まるような場所でも無ければ、わざわざそんなところまで出向きたいという殉教者も少ない。彼、ラテスは非常に稀有な人物と言えるのである。
「人の挙げ足を取るものではないよセシル。それに論点をずらすのも宜しくないよ」
「わ、私朝は弱いんですよね・・・」
「何時に寝たんだい?」
「・・・9時・・・」
「本当は?」
「・・・ずっと聖書読んでて、えっと・・・12時?」
はあ、と呆れと諦めの両方の溜息をつくラテス
「今日も8時から子供達への授教の時間だろう?それは昨日から何度も話しているじゃないか?」
授教というのはセレスト・カムの教えを子供達に絵本や紙芝居などで伝えるというものであり
普段長い話を好まない子供達も夢中になって話を聞いてくれるというものである。
子供によっては次の日には内容を忘れているがそれでも楽しかったという言葉とその時の無邪気な笑顔にセシルもラテスも救われている。内容を覚えたり、続きをせがむ子もいるがまだ神の教えの本質までは理解はしていないだろう。いずれ来る物語の意味を知るその時まで伝えていこうと言うラテスの言葉に、セシルは心から同意をしているのだ。
「いや、まあ、その、そうなんです・・・よねー」
信仰心が強いのは良いことだが、こうまでのめり込んでしまうと悪影響にもなり兼ねないことを神父は知っている。最も怖いのは体に支障をきたすことなのだが16歳の少女には上手く伝わらないことに日々頭を抱えている。
「そんなことよりさー!」
突如少年の声が分堂に響く、少し目線を下げると赤い服を着た少年を中心に三人の少年がいる。
「あ、ロックとリート、それにフィル」
彼等はこのバーゼル村に住む孤児たちである。ここに来た当初はラテスにも、セシルにも全くといっても良いほど懐いてはいなかったが、二年ほど過ごしていると笑顔を見せてくれるようになった。ましてや彼等は最も授教の時間を楽しみにしているといっても過言では無いだろう。そんな彼等の言葉は勿論・・・
「授教してよ!じゅきょーー!」
わいわいと子供達は騒ぎ立てる。確かに本来ならもう授教を行っている時間だがまだ、準備が出来ていないので少しセシルは焦る。
「・・・ロック、シスター・セシルはまだ準備出来ていないのよ・・・あまり焦らせないの。」
「えー?でもよ時間がさ」
「さっきから口論もしているし、そもそもシスターは遅刻してきたのよ。準備出来ていなくてもおかしくはないでしょう?」
(・・・フォローになってないよペルちゃん)
年頃はロックと殆ど変わらない筈の少女ペルがロックを諭す
この年代の女の子は男の子よりも大人びているもの、という話をどこかで聞いたものだと思い返すセシル
(ペルちゃんが・・・12歳だっけ・・・私が12歳の時は・・・)
もっとお転婆だったかもしれない、と思い少しへこむセシル
「でもさでもさ俺楽しみに・・・」
「あまりグズグズ言わないの、この村の中じゃ貴方はお兄ちゃんになるでしょう?」
グイ、と顔を近付けるペルに顔を赤くしながら目を背けるロックは「分かったよ」しか言えなかったようだ。
「・・・それと」
今度はその険しい表情をセシルのほうに向ける
あまりの剣幕にセシルは少しビクッとする
「な、何でしょうか・・・ペルちゃん・・・?」
「早く授教の準備をして欲しいんですけど・・・何時になったら始まるんですか?」
「ちょ、ちょっと待ってね直ぐに準備するからね!」
走りながら小道具を探しに行くセシル。ペルもまたこの授教を楽しみにしている子供の一人であることを走りながら思い出していた。
「遅い」
「いやいや、私結構頑張ったよ!?ペルちゃん!最初どこにあるか分からなかったものとか部屋かき回して見つけたりとか・・・」
「最初から何を何処に置いておけばいいのかを決めておけば良いだけですよね?」
「・・・ごもっともです」
ペルといると自分が何歳だったか、何の仕事をしているのかを忘れてしまいそうになる
しっかり者であることは喜ばしいことなのだがその矛先が自分に向かうと無念な気持ちが生まれてしまうのもまた事実であるのだ。
「そんなことよりさ!早く早くー!」
そう言って無邪気な少年ロックはセシルの手を取る
本当に可愛らしい、とセシルは思う。思えば自分も神父に教えを乞うときはこの少年のように目を輝かせていたものだろう。
「・・・ロック、これ以上時間を延ばさないで」
「わ、悪い・・・」
「・・・別にそこまで謝らなくてもいいけど・・・」
クスッとセシルは笑う。大人びているといってもこうやって割り込む辺りは年相応の女の子なのだ
例えその気が無いとはいえ女性の手を取っている姿は心地よいものでは無いのだろう。
恋をしたことのないセシルではあるがペルの子供らしさ、同時に一人の女性としての感情には共感を覚える。
「そうだね、ペルちゃんの言う通り。そろそろ始めようか!」
「今日は何の話をしてくれるの?」
「今日はねー久しぶりに・・・始まりのお話をしようか?」
「この世界の始まりのお話を」
遥か昔、この世界にまだ二つの種族がいた、古代の話。
世界には純人≪ナチュラル≫と呼ばれる種族と魔人≪ガルバル≫と呼ばれる種族がいた
純人は今の私たちのように、白や黒など多種の肌を持ち互いとの交わりや関わりを持って生活をしていた。
魔人は巨大な体躯を持ち、鋭い爪を持つ者もいれば研ぎ澄まされた牙を持つ者もいた。
魔人は非常に好戦的な種族で純人達に殺戮や略奪の限りを尽くした。
力を持たない純人は魔人の猛威に晒され、怯えながら日々を過ごしていた。
ある日のこと、一人の女性が純人達の集団の前に姿を現す。綺麗に整えられた美しい紫髪の女性で名前を「アリア」と名乗った。
彼女は純人達を導き、呪いのようなもので、火を、雷を起こし少しずつ魔人達を追い払っていく。最初こそ小さな反抗であったが次第に大きな力となり遂には魔人達を追い詰める。
アリアは不思議な力を使い、巨大な空間を時空の歪みの向こう側に創り出す。
反世界≪アンチ・ヴァ―ス≫と呼ばれるその世界に魔人達を追放し永きに渡る種族戦争は終わりを告げた。
魔人の脅威から逃れた純人達は彼等の文化を推進させていく。彼等に対し、アリアは自らの正体を明かす。
彼女はこの世界・・・反世界の出現により新たに存在世界≪ロウ・ヴァ―ス≫と呼ばれるようになった世界の創造神であったという。あまりの魔人達の横暴に耐えかねた彼女は下界に降り、純人達と共に戦うことを決意したというのだ。種族戦争における不思議な力や呪いのようなものは彼女自身の魔力が引き起こしたものであった。その事実を知った純人達の長は更なる感謝と共に、アリアを救世主と崇め「母神フレア」と呼び永劫讃えていくことを誓うのであった。
母神フレアの誕生から数百年が経ち、彼女は自らの死期を悟る。如何な神といえども一つの生命。必ず最期はこの世界の土となるようにこの世界を創り出したのはそもそも母神フレアである。彼女は自らの死を受け入れることにした。しかし、彼女は一つ、純人達のことを案じる。自らが産み出した愛すべき儚き命を。彼等は確かに自分たちの足で歩こうとしているが、支えることの出来た自分が死にゆくとき。導きが無くなるとき。彼等に何を道しるべに生きるべきなのかを教えられる存在はいるのだろうか、と。
母神フレアは自らの身体より二つの生命を産み出す。
全知全能の神より生まれし兄弟。
兄は繁栄と理想を司る神「マルクス」
彼は存在世界の広大な大地を分けて国を創った。国を創り、人々を導くことの出来る者を選出し
国と国の競争心を煽ることで、驚異的なまでの発展を産み出した。
また、更に彼は純人達が独自に創りあげてきた文化を発展させ、技術を産み出した。
技術は鉱石を刃にしたり、石を飛ばす方法を見つけ出したり、自らを守るために必要な武器を産み出させ、民たちに非常に愛されていた。
弟は博愛と真実を司る神「セロ」
彼は民に知恵を授けた。火の起こし方を教え、人々は食材を調理することを覚えた。
また、石を積み重ねることでマルクスの創り出した国を象徴する巨大な城を造らせたり、木を切ることで
今まで雨ざらしであった人々に家の作り方を教えることで、彼等は生活の工夫というものを覚え、人々の生活はみるみるうちに向上していった。また、彼等は隣人を愛すること、人を信頼し共に歩むことを勧めた。人々は今まで以上に互いを想い合い、助け合っていくようになった。セロもまた、マルクスに負けないほど愛されていた。
彼等兄弟は非常に仲が良かった。
母であるフレアの言葉を大切に背負って生きてきたからだ。
「お前たち兄弟は決して争いをしてはならない」
「民が不安になるからだ、崇め、導いてくれるべき存在が互いを憎しみ合えばそれは民達の不安を煽り今まで築いてきたものが崩れ去ってしまうからだ」
「しかし、時には自らの信念を曲げることが出来ず、自らの想いを貫くがあまり退けず、いがみ合わねばならぬ時も必ずやあるだろう」
「だからこそ二人に命ずる」
「13回だ。お前達兄弟が互いを憎みあい、争うことは13回までだ」
「それ以上は許されない」
愛する母の教えを守り、彼等兄弟は争うことなく
むしろ互いに手を取り合い、世界をどうやってより良くしていくかを夜通し考え合う程、仲の良い兄弟神として民を導くことを誓い合っていた。
しかし、ある日のこと
封印され、この存在世界との関わりを断ち切ったはずの反世界から一人の魔人が現れたのだ。
母神フレアが死んだことにより、少しずつ時空の歪みが開き始めたのだ。
その魔人は一つの純人の集落に現れ、集落の老若男女問わず虐殺。あろうことか集落の最も美しき女性をむさぼり食うと言う非道まで行ったと言うのだ。
あまりの暴挙にマルクスは激怒する。
愛する純人達に対するあまりの仕打ち。母フレアは反世界には関わらず存在世界を護ることを託していたが激怒したマルクスにはそんな言葉は意味を成さなかった。
直ぐに武器を持ち、今すぐにでも反世界に乗り込み魔人達を根絶やしにするというのだ。
兄の激怒と無謀、何よりも母の言葉を蔑ろにしているとも言える行動に対し
セロは必死の説得を試みる。母の教えに反すること、次こそは民を護り、もうこのような悲劇を起こさないように対策することこそ先決ではないかと唱えた。
怒り狂ったマルクスは愛する弟の言葉に耳を貸さず反世界特攻を決行してしまう。
ひたすらに時空の歪みを目指し、馬を走らせ軍隊を導くその姿はあの神々しかった神ではなく、復讐の炎に燃える修羅であった。
マルクスは時空の歪みを越え、反世界へと辿り着く。
そこでマルクスが見たものは驚くべきものであった。
強大なる力。鍛え抜かれた肉体。純人のそれとは全く比べ物にならないものではないか。
マルクスは気付いてしまう。
自らは何のために生まれたのか
繁栄と理想だ。理想とは繁栄の先にある。
では繁栄とは何を持って成すのだろうか。
力。圧倒的な。
魔人達に比べ、純人達の何と頼れないことか。
自分が導くべき存在であろうか?
そもそも自分は世界をより良く繁栄する為に生まれたのだ。
マルクスは踵を返す
反世界に来たとき隣に居てくれた精鋭達を亡骸とし
新たに自分の求める者―魔人―を引き連れ
存在世界へと攻め入るのであった。