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白い手紙

作者:

 小学生の時、うちのクラスには天然記念物がいた。休み時間必ずベランダに出て、地べたに座り込み読書をする同級生だ。クラスの誰かが「本ばかり読む奴はそういない。お前は天然記念物だな」と馬鹿にしたのが始まり。その天然記念物に興味を持った訳ではなく、単に退屈していたという理由だけで私はそいつに話かけた。


「いつも何読んでんの?」


天然記念物は顔を上げ、読んでいた本の表紙を見せてきた。読んでた本はとあるホラー作家のホラー小説。それなりに読書が好きな私は知らない作家の初めて見る作品に惹かれた。「読み終わったらで良いから」という条件付で本の貸し出し交渉をすると天然記念物はあっさりと「これ、もう何度も読んでるから良いよ。はい。」と本を差し出してくる。一瞬固まり、何故こいつは同じ作品を何度も読んでるだ、と思いを巡らせたが喜んで受け取った。


私がホラー小説に興味を示したのも、小説家志望になったのも、冷めた人間になったのもこれがきっかけだ。


天然記念物から借りた本の帯には「人の心の奥に潜む、憎しみ、妬み、恨み」と書かれてあった。正直、当時は何を言ってるのかチンプンカンプン。だが、読み進めていくうちに人には汚い部分があるということを知った。それからは人の裏を読むような可愛げのない子供になってしまった。


中学校に入り、愛読する本は「人の心」とか「幸せになる方法」といったスピリチュアルな類のものになった。そんな類の本ばかり読んでいたから周りと違う価値観を持つようになったのかな、と最近になって思う。



 中学生になった私は学校に行かないようになっていた。理由はクラスに居辛いから。別に社会問題になって教育委員会を困らせてる苛めとかじゃない。私の場合は担任との関係。



 周りと合い染まらぬ意見を持つようになった私は一匹狼を気取っていた。友達はそれなりにいたが、それは本当に仲の良いメンバーで興味がない人とは本当に関わりを持とうとしなかった。そんな私を心配に感じた担任は私に近寄ってきたが、これまた意見が合わずに反目し合う仲になったのだ。


担任は何かにつけて私に言いがかりを言ってきた。「お前の顔を見ると苛々するから教室に入ってくるな」とさえ言われた。負けず嫌いな私はそれでも学校へ行き続けた。だが、次第にストレスが溜まっていき私はコンビにでカッターを購入した。購入はしたものの、そのカッターをどうこうしようなど思っていなかった。


ある日、ピアノ教室から帰ってくると自室の様子が何だかおかしかった。机やベットはいつも通りなのに、部屋の空気がどこか異質を含んでいる。

慌てて机の引き出しを開け、中を確認すると…ない。私がこれまで捨てずに溜めてきた血の付着したティッシュがない。血と言っても他人のものじゃない。自分の、私自身のもの。怪我をした時に止血する為に使ったティッシュ。思えば、この頃から既におかしくなり始めていたのかもしれない。


母の寝室へ行き、寝ている母に「引き出しの中のティッシュを知らないか」と聞くが首を横に振られる。ゴミ箱を漁ってもティッシュは出てこない。もう駄目だと思った。私が自身の血が付いたティッシュを保存していたのは自らの存在証明書のつもりだったのだから。その証明書が無くなったということは、私は今まで生きてはいなくて、今までの記憶がなくて。

気が付くとお風呂場で服を着たまま手首を切っていた。血と涙が共に排水溝に吸い込まれていくのを眺めながら何度も同じ行為をしていた。すすり泣く声はシャワーの音がかき消してくれる。

初めてリストカットをしたが痛みはない。これは今思えば心が麻痺していたんだと思う。痛いと感じることよりも自分の生きてきた証が消えた苦しみを感じることを心が優先した。


それからはリスカ無しでは日々を過ごせなくなってきた。学校へ行くまでは平気だが、校内へ足を踏み入れると頭痛がする。昇降口から教室へ行く途中に担任と出くわしたらどうしよう、とそればかり考えている。

親に担任のことを相談しようとは思わなかった。親に心配をかけると攻め立てられ、言いたくないことまで言わされるからだ。反抗期も重なり、親には頼りたくなかったのだろう。そんな面倒なことは避けたかった。だから、学校を休みたくても理由が言えないので休めない。それでも教室で授業を受けるには限界があった。親には内緒で週に1時間は保健室で休むようにした。


毎日、生きている心地がしなかった。どれだけ血を流しても生きている実感はない。寧ろ逆に空しくなるだけだ。学校へ行ったとしても担任の影響で男性恐怖症になり、男性教師とは話すことすらままならない。担任が自分を見て気分を害するのだから、他の人をきっとそうなのだろう、という意識が脳を支配して離れない。そのうち、街中を歩いてる知らない人たちも自分を蔑む目で見ていると意識するようになった。人目が気になり、1人で外を歩くことが出来なくなった。塾ではマスクで、車内では身を低くして顔を隠した。


事情を知っていたピアノ教室の先生は他の生徒が大勢来る前に1人で来る私に優しくしてくれた。人ごみにいることが苦痛になった私に気を遣い、他の生徒が来る前に「今日は休んでも良いぞ?」と言ってくれることもあった。




 リスカをし始めて数ヶ月経った頃、親がやっと異変に気付いた。手首を見せなさいと言われ素直に見せると怒られた。面倒くさい。理由も知らずにすぐ否定から入る人間は大嫌いだ。

でも、親にリスカがバレてから理由を言わずとも学校を休めるようになった。これは良いことだ。


学校に行かなくなった後もピアノ教室へは通い続けた。私と先生以外の生徒が居ないとき、私が徐にピアノ教室の外へ行き大道路へ足を踏み出そうとしたことがあった。慌てた先生に腕を掴まれ我に返ると「阿呆か!」と凄い怒鳴られた記憶がある。先生に怒鳴られ、一気に緊張が解け、泣き出した。





それから数年。一人暮らしを始めた私の元に1通の手紙が届いた。


「元気にしていますか。生きていれば幸いです(笑)。

あの頃の君は担任の先生に受け入れてもらえなかったという事実で苦しんでいましたね。今もまだトラウマから抜け出せてはいないでしょう。そこで、こんな手紙を書いてみました。


君の中にどんな闇があって君がどんな光を求めているのか私にはまだまだ分からないし、何らかの手助けが出来るのかどうかも分からないけど、もしも君を失うことがあったりしたら堪えられません。今の君の現状は

私には想像も出来ないくらい辛くて今すぐにでも変わらなければと焦っているのかもしれないけれど今の自分を受け入れる作業から始めてみてはどうでしょうか。


やっぱり君は素直なんだと思います。素直過ぎて力みすぎているんじゃないかな。普通の人なら気づかない振りをしてしまう様な沸いて来る1つ1つの小さな感情にまでも素直に、丁寧に反応し過ぎているのでは。


膝下くらいの水位ですら人は溺れることがあるっていうでしょ?冷静さを失った人間っていうのはきっと些細な糸のほつれにすら足をとられてしまうものなのかも。




そして、君は一生懸命生きているよ。一生懸命生きているから死を考えるんだよ。不幸になるなんて簡単なこと。その為にできることなんて今すぐにみつかるさ。でも、やらないでしょ?不幸になんてなりたくないんだよ。


自分がしたいことが思いつかなかった時はシンプルだけど楽しかった時、嬉しかった時のことを思い出してごらん。研究するんだよ。自分の幸福センサーを。


1人でいた時?誰といた時?何を話した時?何て言われた時?何をした時?


浮かんできたものは否定出来ない事実だと思います。それをもう一度体験するために出来ることを考えたら良い。君の自由に生きなさい。」



先生とはもうほとんど連絡を取り合っていない。私は正直今も生き続けようなど思っていないけれど、少しだけ、ほんの少しだけ前を見て進んで行こうかな、と思っている。

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