親友が死んだ日、少女は美しい涙を流す愛されヒロインになった〜四人の王子様に守られた少女の、親友殺しの罪を暴きます〜
第一章 世界で一番美しい涙
エミリア・ベルネットが死んだ日、リリアン・ローゼンベルクは世界で一番美しい少女になった。
「どうして……どうして、エミリア……!」
聖ローゼリア学園の中庭に、悲痛な声が響いた。
リリアンは膝から崩れ落ち、両手で顔を覆った。
白い頬を伝う涙。震える細い肩。風に乱れる淡い金髪。いつも優しく微笑んでいた少女が、親友の突然の死によって打ちひしがれる姿は、見る者すべての胸を締めつけた。
「リリアン!」
真っ先に駆け寄ったのは、生徒会長のアルベルト・フォン・クラウゼンだった。
王家に連なる公爵家の嫡男。端正な顔立ちと穏やかな物腰から、学園では『白薔薇の王子』と呼ばれている。
「立てるかい?」
「アルベルト様……わたし、わたし……!」
「何も言わなくていい」
彼はリリアンを抱きしめた。
「君は悪くない。絶対に」
その言葉を聞いた瞬間、リリアンは声を上げて泣いた。
周囲の生徒たちも涙ぐんだ。
なんと美しい友情だろう。
なんと痛ましい悲劇だろう。
だが、それだけでは終わらなかった。
「アルベルト、保健室へ運ぼう。彼女は顔色が悪すぎる」
眼鏡をかけた銀髪の青年、ユリウス・ヴァレンタインが進み出る。国内最高の医師を父に持つ秀才で、常に冷静沈着な彼も、今ばかりは眉間に深い皺を刻んでいた。
「歩かせるな。俺が運ぶ」
騎士家の跡取りであるカイル・グランツが、リリアンを軽々と抱き上げる。
「おい、誰か水を持ってこい!」
「声を荒らげるな、カイル。余計に怯える」
最後に声をかけたのは、第二王子のレオンハルトだった。
美しい黒髪と紫の瞳を持つ、学園随一の貴公子。
彼はリリアンの手を取ると、そっと指先に口づけた。
「リリアン。君には僕たちがいる」
四人の青年に囲まれ、リリアンは再び泣き崩れた。
こうして、一人の少女の死によって始まった悲劇は、やがて四人の青年に愛される少女の、美しい再生の物語へと変わっていく。
学園中が彼女を見守った。
食事を取れない日には、厨房の料理人が特別な菓子を焼いた。
授業中に泣き出せば、教師は優しく退室を許した。
廊下で立ち止まれば、誰かが必ず声をかけた。
リリアンが三日ぶりに微笑んだ日には、学園中が祝福した。
それほどまでに、彼女は愛されていた。
そして。
エミリア・ベルネットの葬儀には、四人の青年のうち誰一人として参列しなかった。
*
「ねえ、エミリア」
私は墓石の前にしゃがみ込んだ。
「あなた、知っていた?」
雨が降っていた。
晩秋の冷たい雨だった。
墓石には、エミリアの名前と、生年月日と、死亡した日付が刻まれている。
享年十七歳。
ひどく短い人生だった。
「あなたが死んだおかげで、リリアン様は今、学園中の人気者よ」
返事はない。
「四人の王子様に愛されて、毎日慰められて、とっても幸せそう」
墓石を拭った。
水滴が指を伝い、袖口を濡らす。
「昨日なんてね、レオンハルト殿下から宝石の首飾りを贈られたの。『悲しみを乗り越えようとする君に』ですって」
私は笑った。
「すごいでしょう? あなた、死んでからも親友のために働いているのよ」
墓石に額を寄せた。
冷たかった。
「ねえ、エミリア」
ずっと言えなかったことがある。
生きているうちに言えばよかったことがある。
「私、あなたが嫌いだった」
雨の音が強くなった。
「お節介で、頑固で、余計なことばかりして。私が一人で本を読んでいたいのに、毎日毎日話しかけてきて」
声が震えた。
「嫌いだったのに」
続きを言おうとしたが、喉が詰まった。
代わりに、鞄から一冊の古い手帳を取り出した。
赤い革表紙。角が擦り切れて、留め具が壊れている。
エミリアの手帳だった。
最後のページには、こう書かれている。
『クラリスへ。もし私が帰ってこなかったら、お願いがあるの』
その先は、水に濡れて読めなくなっていた。
私は手帳を閉じた。
「安心して」
立ち上がる。
「あなたを殺した女は、今、とても幸せよ」
雨の向こうに、灰色の空が広がっている。
「だから、もう少し待っていてね」
私は微笑んだ。
「いちばん幸せな日に、全部終わらせてあげるから」
第二章 死んだ少女の本当の親友
私の名前はクラリス・モートン。
伯爵家の三女である。
家柄は悪くないが、裕福でもない。美人でもないし、社交的でもない。成績だけはそこそこ優秀で、図書委員を務めている。
聖ローゼリア学園において、私は背景の一部だった。
いてもいなくても構わない人間。
だからこそ、都合がよかった。
「クラリスさん!」
廊下で名前を呼ばれた。
振り返ると、リリアンが小走りに近づいてきた。
淡い桃色のドレスを着ている。
喪中の人間には少々華やかすぎる装いだったが、彼女の場合、それすら『悲しみから立ち直ろうとする健気な努力』と受け取られる。
「ごきげんよう、リリアン様」
「もう、様なんてつけないで。わたしたち、同級生でしょう?」
彼女は親しげに私の手を握った。
柔らかく、温かい手だった。
「ねえ、お願いがあるの」
「何でしょう?」
「エミリアのこと、教えてほしいの」
私は目を瞬いた。
「エミリアの?」
「ええ。あなた、図書委員でしょう? エミリアも図書室によく通っていたから、少しはお話ししたことがあるんじゃないかと思って」
少し。
私は心の中でその言葉を繰り返した。
エミリアとは七年間の付き合いだった。
十歳のときに出会い、同じ家庭教師に学び、同じ菓子を分け合い、喧嘩をして、仲直りをして、一緒に学園へ入学した。
彼女が熱を出せば私が看病し、私が父に叱られて泣けば彼女が慰めた。
私の十七年間の人生の、半分近くに彼女がいた。
それを、リリアンは知らない。
知らないまま、エミリアの『親友』を名乗っている。
「ええ。少しは」
私は答えた。
「よかった!」
リリアンが明るく笑った。
そして、はっとしたように口元を押さえる。
「あ……ごめんなさい。エミリアが亡くなったばかりなのに、わたしったら……」
目尻に涙が浮かんだ。
実に見事な早業だった。
「いいえ。笑えるようになられて、何よりです」
「ありがとう。あなたって優しいのね」
彼女は再び私の手を握った。
「実は、エミリアの思い出を集めているの。彼女がどんな本を読んで、どんなことを考えていたのか……少しでも知りたくて」
「そうですか」
「だから、もし彼女の日記や手紙を見つけたら、わたしに教えてくれない?」
なるほど。
私はようやく理解した。
この女は、探しているのだ。
自分が見落とした証拠を。
「もちろんです」
私は微笑んだ。
「私にできることがあれば、何でも」
「本当? 嬉しい!」
リリアンは私を抱きしめた。
甘い香水の匂いがした。
エミリアはこの香りが嫌いだった。
『甘すぎるのよ。頭が痛くなるわ』
そう言って、よく鼻をつまんでいた。
「ねえ、クラリスさん」
リリアンが耳元で囁いた。
「わたしたちも、お友達になれたら嬉しいわ」
私は彼女の背中に手を回した。
「ええ。ぜひ」
この瞬間、私は決めた。
復讐は、彼女の親友として行おう。
*
エミリアがリリアンと親しくなったのは、二年生の春だった。
当時、リリアンは学園で孤立しかけていた。
理由は単純だ。
彼女が、あまりにも多くの男子生徒と親密にしていたからである。
婚約者のいる男子にも甘え、恋人のいる男子にも相談を持ちかける。
断られれば泣き、受け入れられれば微笑んだ。
その結果、いくつもの婚約関係がぎくしゃくし、女子生徒たちの間で不満が高まっていた。
『でも、悪い子じゃないと思うの』
エミリアは言った。
『ただ、誰かに愛されていないと不安なのよ』
『だからって、他人の婚約者に抱きついていい理由にはならないわ』
『そうだけど……』
エミリアは困ったように笑った。
『一人ぼっちって、寂しいでしょう?』
馬鹿な女だった。
困っている人間を見ると、放っておけない。
泣いている人間を見ると、理由も聞かずに手を差し伸べる。
その癖、助けた相手に感謝されるのが苦手だった。
『別に、お礼がほしくてやったんじゃないもの』
彼女は本当に、そういう人間だった。
だからリリアンを助けた。
女子生徒たちとの仲を取り持ち、誤解を解き、周囲との関係を改善しようと奔走した。
だが、リリアンは違った。
エミリアを『親友』と呼びながら、彼女の持ち物を欲しがった。
エミリアの成績がよければ、試験前に答案を見せてほしいと言った。
エミリアが教師に褒められれば、自分が手伝ったのだと吹聴した。
エミリアが男子生徒に親切にされれば、その男子に近づいた。
私は何度も忠告した。
『あの女から離れなさい』
『リリアンは悪い子じゃないわ』
『悪い子よ』
『クラリス』
『あなたは人を見る目がないの』
するとエミリアは、少し怒った顔をした。
『じゃあ、あなたが見張っていてよ。私が騙されそうになったら、助けて』
それが、最後まで守れなかった約束だった。
第三章 親友の値段
「クラリスさん、今日も一緒にお昼を食べましょう!」
リリアンが私を昼食に誘うようになって、二週間が経った。
彼女の食卓には、いつも四人の青年がいた。
正確には、四人が揃うことは少ない。
互いに牽制し合っているからだ。
しかし、誰か一人は必ずリリアンのそばにいた。
「クラリス嬢、だったね」
アルベルトが優雅に微笑んだ。
「リリアンから聞いているよ。君が彼女を励ましてくれているそうだね」
「恐れ入ります」
「エミリア嬢のことは、我々も残念に思っている」
私は紅茶のカップを置いた。
「そうでしたか」
「ああ。あのような悲劇が二度と起こらないよう、生徒会でも対策を検討している」
「どのような対策でしょう?」
「生徒の精神状態を早期に把握する仕組みだ。悩みを抱えた者が相談できる窓口を設ける」
「素晴らしいですね」
私は微笑んだ。
「ところで、エミリアが亡くなる前に相談した内容は、ご存じですか?」
アルベルトの手が止まった。
「……何のことかな」
「エミリアは亡くなる三日前、生徒会に相談の申し込みをしています」
リリアンが小さく息を呑んだ。
「クラリスさん……」
「ご存じありませんでした?」
私は首を傾げた。
「生徒会の受付簿に記録が残っています。『人間関係に関する重大な相談』と」
「それは……」
アルベルトは言葉を探した。
「確かに申し込みはあった。しかし、彼女は後日取り下げている」
「取り下げたのですか?」
「ああ」
「誰が?」
「……何?」
「取り下げの連絡をしたのは、エミリア本人でしょうか?」
沈黙が落ちた。
リリアンが口を開いた。
「クラリスさん、そんなことを聞いたら、アルベルト様がお困りになるわ」
「ごめんなさい。私、気になってしまって」
「エミリアは……もう、いないのよ?」
彼女の声が震えた。
「今さら、そんなことを調べても……」
「そうですね」
私は素直に頷いた。
「死んだ人間は、もう何も言えませんものね」
リリアンの瞳が揺れた。
私はカップを持ち上げた。
「だから、生きている私たちが、代わりに調べてあげる必要があるのでしょう?」
アルベルトは何も言わなかった。
その日の午後、私は図書室で一通の手紙を受け取った。
差出人はアルベルト。
『本日の件について、二人で話したい。放課後、生徒会室へ』
予想より早かった。
私は少しだけ嬉しくなった。
*
「君は何を知っている?」
生徒会室に入るなり、アルベルトは尋ねた。
午前中の柔らかな微笑みは消えていた。
「何のことでしょう?」
「エミリア嬢の相談についてだ」
「受付簿に記録が残っている、と申し上げました」
「それだけか?」
「ええ」
嘘だった。
私はエミリアから、相談内容を聞いていた。
リリアンが彼女の研究論文を盗み、ユリウスに自分の成果として提出したこと。
エミリアの名前で偽の手紙を送り、カイルとの間に不適切な関係があるように見せかけたこと。
そして、レオンハルトにエミリアが王家の機密資料を持ち出していると密告したこと。
エミリアはそれらを証明するため、証拠を集めていた。
だが、生徒会に相談した直後、彼女に対する嫌がらせは一層激しくなった。
『誰かがリリアンに知らせたの』
エミリアは言った。
『私が告発しようとしているって』
そのとき、私は思った。
生徒会の中に、リリアンの味方がいる。
そして今、目の前にいる青年は、その筆頭だった。
「アルベルト様」
私は尋ねた。
「リリアン様を愛していらっしゃるのですか?」
彼は眉をひそめた。
「君には関係のないことだ」
「そうですか」
「ただ、彼女は傷ついている。これ以上、過去を掘り返して苦しめることは許さない」
私は笑いそうになった。
傷ついている。
苦しめる。
なんと便利な言葉だろう。
「では、一つだけ」
私は鞄から封筒を取り出した。
「これを、ご覧ください」
中には、エミリアが生徒会へ提出した相談申込書の写しが入っていた。
アルベルトは目を通し、顔色を変えた。
「これは……」
「取り下げの連絡は、エミリア本人からではありません」
用紙の下部には、受付担当者の署名があった。
リリアン・ローゼンベルク。
「エミリアの代わりに、リリアン様が相談を取り下げています」
「……彼女は、エミリア嬢に頼まれたのだろう」
「そうかもしれません」
私は頷いた。
「ですが、エミリアはその翌日、私にこう言いました」
『生徒会長に相談したいのに、なぜか何度申し込んでも会えないの』
アルベルトの顔から血の気が引いた。
「私は、あなたを責めているわけではありません」
静かに言った。
「ただ、知っていただきたいだけです」
「何を……」
「あなたが救えたかもしれない少女が、一人いたということを」
彼は机に置いた申込書を見つめた。
その手がわずかに震えていた。
私は深く一礼した。
「では、失礼いたします」
扉を閉める直前、彼が呟くのが聞こえた。
「リリアンが、そんなことをするはずが……」
私は廊下に出た。
一人目。
まずは、小さな亀裂が入った。
第四章 聖女様のお茶会
リリアンには、奇妙な習慣があった。
自分より不幸な人間を、そばに置きたがるのである。
貧しい令嬢。
失恋した少女。
家庭に問題を抱える生徒。
そうした者たちに手を差し伸べ、優しく慰め、親しくなる。
そして必ず、周囲にその話をした。
『あの子、最近とても辛いことがあったの。でも、わたしがそばにいるから大丈夫』
『あの子には、わたししかいないの』
『わたしが支えてあげなくちゃ』
いつしかリリアンは、学園の聖女と呼ばれるようになった。
エミリアが亡くなった後は、なおさらだった。
親友を失った悲しみを抱えながら、それでも他人に優しくできる少女。
誰もが称賛した。
私は、その習慣を利用することにした。
「リリアン様。お願いがあるのです」
ある日の午後、私は彼女を訪ねた。
「どうしたの、クラリスさん?」
「エミリアのために、小さなお茶会を開きたいのです」
リリアンは目を丸くした。
「お茶会?」
「ええ。彼女を知っている人たちを集めて、思い出を語り合うのです」
「まあ……!」
リリアンは胸の前で両手を組んだ。
「なんて素敵なの!」
予想どおりだった。
「ぜひ、わたしにも手伝わせて!」
「もちろんです。むしろ、リリアン様に主催していただきたいのです」
「わたしが?」
「エミリアの一番の親友は、リリアン様ですから」
彼女は嬉しそうに頬を染めた。
「そんな……でも、ありがとう」
そして、少し考えてから言った。
「だったら、アルベルト様たちもお招きしましょう!」
私は内心で笑った。
四人とも集める手間が省けた。
*
お茶会は、一週間後に開かれた。
学園の温室を借り、白い花を飾った。
参加者は二十名ほど。
エミリアの同級生や教師、それに四人の青年たち。
リリアンは白いドレスを着ていた。
胸元には、エミリアの遺品だという真珠のブローチが光っている。
私はそれを見て、目を細めた。
あのブローチは、エミリアのものではない。
リリアンが彼女に貸したものだ。
そして返却を求めたエミリアに、こう言った。
『そんなに欲しいなら、あげるわ。あなたって、本当に物に執着するのね』
エミリアは怒って、返した。
『いらないわよ!』
それを、今では遺品として身につけている。
実に感心なことだった。
「皆様、本日はお集まりいただき、ありがとうございます」
リリアンが立ち上がった。
「エミリアは、わたしの大切な親友でした」
静かな声。
伏せられた瞳。
「彼女がいなくなって、わたしは……」
声が詰まる。
アルベルトがそっと彼女の背に手を添えた。
「無理をしなくていい」
「いいえ。今日は、ちゃんとお話ししたいの」
リリアンは涙を拭った。
「エミリアが生きていた証を、皆様と分かち合いたいんです」
拍手が起こった。
私はその音が収まるのを待ってから、立ち上がった。
「それでは、最初にこちらをご覧ください」
壁に大きな絵を掲げた。
エミリアが描いた、学園の風景画だった。
春の中庭。
花壇に座る少女。
少し離れた場所で、本を読んでいる別の少女。
「エミリアが二年前に描いた絵です」
私は説明した。
「彼女は絵が得意でした。ご存じでしたか?」
リリアンが微笑んだ。
「ええ、もちろん。よく一緒に描いたわ」
「そうですか」
私は次の絵を出した。
今度は、冬の図書室。
窓際で眠る少女の横顔だった。
「これは、エミリアが一年前に描いたものです」
「まあ、綺麗……!」
「描かれている少女が誰か、ご存じですか?」
リリアンは絵を眺めた。
「……わたし、かしら?」
私は首を横に振った。
「いいえ。私です」
会場が少しざわめいた。
リリアンは目を瞬いた。
「あなた……?」
「ええ」
私は微笑んだ。
「エミリアとは、七年来の親友でした」
沈黙。
リリアンの顔から笑みが消えた。
「そんな……」
「彼女は私の絵を、何十枚も描いてくれました。どれも下手で、私の鼻が大きすぎるんですけれど」
何人かが笑った。
「それから、手紙もたくさん」
私は束ねた手紙を取り出した。
「エミリアは、毎週のように私に手紙を書いてくれました」
リリアンが口を開いた。
「クラリスさん……そんなに親しかったなんて、知らなかったわ」
「ええ」
私は彼女を見た。
「あなたは、エミリアのことを何も知りませんでしたから」
笑い声が止まった。
私はすぐに頭を下げた。
「あら、ごめんなさい。言い方が悪かったですね」
リリアンの瞳に涙が浮かぶ。
「わたし……」
「気になさらないでください」
私は優しく言った。
「友人のすべてを知っている必要なんて、ありませんもの」
そして、次の絵を取り出した。
そこには、四人の青年が描かれていた。
ただし、似顔絵ではない。
四人の男が、一人の少女を取り囲んでいる。
少女は地面に座り込み、泣いていた。
男たちは、誰一人として彼女を見ていない。
全員が、画面の外にいる誰かに微笑みかけていた。
「これは……」
ユリウスが身を乗り出した。
「エミリアが亡くなる一週間前に描いた絵です」
私は説明した。
「題名は『見えない人』」
リリアンが震える声で言った。
「こんなの……エミリアらしくないわ」
「そうでしょうか?」
「だって、エミリアはいつも明るくて、優しくて……!」
「ええ」
私は頷いた。
「だから、誰も気づかなかったのでしょうね」
会場を見渡した。
「彼女が何に苦しんでいたのか」
誰も何も言わなかった。
お茶会は、そのまま静かに終わった。
リリアンは最後まで笑顔を保った。
私は心から感心した。
彼女は本当に、強い女だった。
第五章 四人の王子様
翌日、ユリウスが図書室を訪ねてきた。
「クラリス嬢」
「ごきげんよう」
「少し話がある」
彼は私の向かいに座った。
銀色の髪が、午後の日差しに光っている。
彼は一枚の紙を差し出した。
「これは、エミリア嬢の研究論文だね?」
「ええ」
「内容を確認したい」
「構いませんよ」
ユリウスは紙を見つめた。
その手が、かすかに震えていた。
「……私は、リリアンから同じ論文を受け取った」
「存じています」
「彼女は、自分が書いたと言っていた」
「そうでしょうね」
「君は、最初から知っていたのか?」
「ええ」
私は淡々と答えた。
「エミリアは三か月かけて、その論文を書きました。私も資料集めを手伝いました」
ユリウスは目を閉じた。
「なぜ、黙っていた?」
「申し上げましたよ」
「いつ?」
「論文が発表された日の翌日です」
私は古い手紙を差し出した。
『ユリウス様へ。先日の論文について、確認していただきたいことがあります』
彼は顔色を変えた。
「……覚えている」
「お返事はいただけませんでした」
「リリアンが、君は嫉妬しているのだと……」
「そうですか」
私は笑った。
「では、私が嘘をついている可能性もありますね」
「いや……」
「確認なさってください。研究室には、エミリアの実験記録が残っています」
ユリウスは唇を噛んだ。
「私は……研究者として、最もしてはならないことをした」
「そうでしょうか」
私は首を傾げた。
「あなたがしたことは、それだけではありませんよ」
彼が顔を上げた。
「エミリアは、亡くなる五日前に保健室を訪れています」
私は別の紙を出した。
「不眠、食欲不振、動悸。診察担当は、あなたでしたね」
「……ああ」
「診断は?」
「精神的な疲労だと判断した」
「薬は?」
「軽い鎮静薬を……」
「その際、何か相談されませんでしたか?」
ユリウスの顔が青ざめた。
『誰かに監視されている気がするんです』
『私の手紙が勝手に開封されていて……』
『信じてもらえないかもしれませんが、リリアンが……』
「……私は、彼女に休養を勧めた」
「それだけですか?」
「……」
「リリアン様を疑うのは、被害妄想だと仰いましたね」
彼は両手で顔を覆った。
私はその姿を眺めた。
泣きたいのだろう。
後悔しているのだろう。
だが、それはエミリアには関係のないことだった。
「ユリウス様」
私は静かに言った。
「あなたが今、どれほど苦しんでも、エミリアは戻ってきません」
彼は顔を上げなかった。
「ですから、どうぞお仕事をなさってください」
「……仕事?」
「彼女の研究論文の、本当の著者を証明してください」
私は立ち上がった。
「あなたには、それができます」
*
二人目のカイルは、もっと単純だった。
私は彼に、エミリアから届いた手紙を見せた。
『カイル様へ。先日の件は誤解です。私はあなたに恋愛感情を抱いておりません』
カイルは手紙を読んで、顔を赤くした。
「……なんだ、これは」
「エミリアがあなたに送ろうとしていた手紙です」
「俺は、あいつから告白されたんだぞ!」
「ええ。リリアン様が届けた手紙ですね」
私はもう一通を出した。
そちらには、エミリアの署名を真似た告白文が書かれている。
カイルは二通を見比べた。
「……字が違う」
「そうですね」
「こんなもの、どうして今まで……!」
「エミリアが直接説明しようとした際、あなたは何と仰いました?」
彼は黙った。
私は知っていた。
エミリアは、私の目の前で彼に拒絶されたのだ。
『もういい! リリアンが全部話してくれた!』
『違うの、カイル様!』
『あんなに優しいリリアンを泣かせて、まだ言い訳するのか!』
彼は、エミリアの肩を突き飛ばした。
エミリアは転んだ。
その場にいた生徒たちは、誰も助けなかった。
私はその日、授業を欠席していた。
戻ってきたエミリアは、膝を擦りむいていた。
『大丈夫よ』
そう言って笑った。
『ちょっと転んだだけ』
私は彼女を医務室へ連れていった。
あのとき、もっと問い詰めればよかった。
何があったのか。
誰に傷つけられたのか。
どうして、あんなに震えていたのか。
「カイル様」
私は尋ねた。
「あなたは、エミリアに謝りたいですか?」
「……ああ」
「では、墓前にいらしてください」
彼は顔を上げた。
「案内してくれるのか?」
「ええ」
私は微笑んだ。
「ただし、あなたの謝罪を聞く人は、もういませんけれど」
*
三人目のレオンハルトは、私を呼び出した。
場所は王宮の別邸。
学園から馬車で三十分ほどの距離にある、静かな屋敷だった。
「君は何を企んでいる?」
挨拶もなく、彼は尋ねた。
私は紅茶に砂糖を入れた。
「何のことでしょう?」
「最近、学園で妙な噂が広まっている」
「噂?」
「エミリア・ベルネットの死には、リリアンが関わっているという噂だ」
「まあ」
私は驚いてみせた。
「恐ろしい噂ですね」
「君が流しているのではないか?」
「証拠はございますか?」
レオンハルトは目を細めた。
「……君は、なかなか面白い女だね」
「ありがとうございます」
「褒めていない」
「存じています」
彼は笑った。
「エミリアの死について、何を知っている?」
「殿下は、何をご存じなのですか?」
沈黙。
私はカップを置いた。
「エミリアは亡くなる前日、王宮の書庫へ立ち入ろうとしました」
レオンハルトの表情が変わった。
「……なぜ、それを?」
「彼女から聞きました」
「機密資料を盗もうとしていたのだろう」
「そう聞かされたのですね」
「何?」
「彼女が探していたのは、別の資料です」
私は一枚の紙を差し出した。
「学園への寄付金の記録です」
レオンハルトは紙を見た。
「これは……」
「ローゼンベルク家から学園へ、毎年多額の寄付が行われています」
「それがどうした?」
「寄付金の一部は、特待生の生活支援に使われることになっていました」
私は彼を見た。
「ところが、エミリアには一度も支給されていません」
「……」
「代わりに、別の用途へ流用されていました」
レオンハルトは黙っていた。
「寄付金の管理責任者は、学園理事の一人。そして、その人物はローゼンベルク家の親族です」
彼の指が、紙の端を押さえた。
「……つまり、君は何が言いたい?」
「エミリアは、学園の不正を調べていたのです」
私は答えた。
「彼女が死んだのは、その直後でした」
レオンハルトはしばらく黙っていた。
やがて、低い声で言った。
「……君は、リリアンを疑っているのだね」
「疑っている?」
私は笑った。
「いいえ、殿下」
彼の目を見つめた。
「私は、確信しています」
第六章 死んだ少女の遺書
エミリアの遺書には、不可解な点があった。
『もう、疲れました』
たった一文。
それだけが、彼女の最後の言葉として公表された。
だが、エミリアは手紙を書くのが好きな少女だった。
何かを伝えるときは、必ず長々と書く。
誕生日の祝いですら三枚。
喧嘩したあとの謝罪なら五枚。
私が風邪をひいたときなど、七枚もの手紙を寄越した。
内容の半分は説教だった。
『ちゃんと寝なさい』
『ご飯を食べなさい』
『無理をしないで』
そんな少女が、死ぬ前にたった一文しか残さない。
私はどうしても納得できなかった。
だが、もっと奇妙なことがあった。
遺書の文字である。
エミリアの筆跡によく似ていた。
しかし、最後の「た」の払い方が違う。
エミリアは必ず、右下へ大きく払う癖があった。
遺書の文字は、そうなっていない。
私は筆跡鑑定を依頼した。
結果は、断定不能。
短すぎる文章では、判断できないという。
それならば。
私は別の方法を考えた。
*
「リリアン様」
ある日、私は彼女の部屋を訪ねた。
「少しお願いがあります」
「何かしら?」
「エミリアの遺書を、もう一度見せていただけませんか?」
彼女は顔色を変えた。
「どうして……?」
「筆跡を確認したいのです」
「筆跡?」
「ええ。どうしても、気になることがあって」
リリアンはしばらく黙った。
それから、悲しそうに微笑んだ。
「クラリスさん……あなた、まだエミリアの死を受け入れられないのね」
「そうかもしれません」
「でも、もうやめましょう?」
彼女は私の手を握った。
「エミリアは、きっと静かに眠りたいと思っているわ」
「そうでしょうか」
「ええ。わたしにはわかるの」
彼女は目を伏せた。
「だって、わたしたちは親友だったもの」
私は彼女を見つめた。
「では、エミリアが死んだ日のことを、教えていただけますか?」
リリアンの手が止まった。
「……何を?」
「あなたは、あの日、彼女と会いましたか?」
「いいえ」
即答だった。
「そうですか」
「ええ。あの日は体調が悪くて、保健室で休んでいたの」
「なるほど」
私は頷いた。
「では、屋上には?」
「行っていないわ」
「そうですか」
私は微笑んだ。
「安心しました」
リリアンの肩から力が抜けた。
「……何が?」
「実は、気になるものを見つけたのです」
私は鞄から、小さな銀色の飾りを取り出した。
薔薇の形をした、靴の留め具。
「エミリアが亡くなった日、屋上で見つかったものです」
リリアンの顔が凍った。
「……それは」
「珍しい形ですね」
私は飾りを指先で回した。
「ローゼンベルク家の紋章に似ています」
「そんなもの、どこにでも売っているわ!」
声が大きくなった。
私は目を瞬いた。
「そうなのですか?」
リリアンは、はっとしたように口を押さえた。
「ご、ごめんなさい……」
「いいえ」
私は飾りをしまった。
「ただ、エミリアが最後に会った人を知りたくて」
リリアンは目を伏せた。
「……わたしじゃないわ」
「ええ」
私は微笑んだ。
「信じています」
もちろん、嘘だった。
銀の飾りも偽物だ。
私は、彼女の反応を見たかっただけだった。
だが、その日の夜。
リリアンは自室の靴箱を、すべて調べていた。
それを、彼女の侍女が私に報告してくれた。
第七章 幸福の絶頂
冬が終わり、春が近づいていた。
エミリアが死んでから、半年。
学園は卒業記念舞踏会の準備に沸いていた。
そして、リリアンは幸福の絶頂にいた。
四人の青年が、彼女に求婚したのである。
アルベルトは公爵家の夫人として迎えたいと告げた。
ユリウスは研究者としての将来を捨てても、彼女と一緒にいたいと言った。
カイルは騎士の誓いを立て、命をかけて守ると約束した。
レオンハルトは、王家の反対を押し切ってでも結婚すると宣言した。
学園中が騒然となった。
四人の王子様に愛される少女。
悲劇を乗り越えたヒロイン。
誰もが羨んだ。
そして、リリアンは私に相談した。
「ねえ、クラリスさん。どうしたらいいと思う?」
彼女は頬を染めていた。
「みんな、とても優しいの。誰か一人なんて、選べなくて……」
私は微笑んだ。
「幸せなお悩みですね」
「もう、からかわないで」
彼女は笑った。
美しい笑顔だった。
「でもね、わたし、怖いの」
「何がでしょう?」
「幸せになっていいのかなって」
リリアンは窓の外を見た。
「エミリアが死んだのに、わたしだけ幸せになって……」
私は黙っていた。
「時々、思うの。あの子が生きていたら、こんなことにはならなかったんじゃないかって」
私は彼女を見た。
「そうでしょうね」
リリアンは振り返った。
「え?」
「エミリアが生きていたら、あなたは今ほど愛されていなかったかもしれません」
沈黙。
リリアンの笑顔が消えた。
私は続けた。
「彼女の死が、あなたを美しいヒロインにしたのですから」
「……クラリスさん」
「何でしょう?」
「それ、どういう意味?」
私は首を傾げた。
「おかしなことを申し上げました?」
リリアンの唇が震えた。
「あなた、最近……変よ」
「そうですか?」
「エミリアの話ばかりするし、昔のことを調べるし……」
彼女は立ち上がった。
「わたしを責めているの?」
私はゆっくり瞬きをした。
「責める?」
「そうよ!」
リリアンの声が高くなった。
「みんな、わたしが悪いって言いたいんでしょう!」
私は何も言わなかった。
すると彼女は、突然泣き出した。
「わたしだって、辛かったのに……!」
涙が頬を伝う。
「エミリアが死んで、どれほど苦しかったか……!」
「そうでしょうね」
「あなたにはわからないわ!」
私は彼女を見つめた。
しばらくして、静かに言った。
「ええ」
そして微笑んだ。
「私には、あなたの気持ちはわかりません」
リリアンは息を呑んだ。
「だって私は、親友が死んだおかげで幸せになったことがありませんもの」
彼女は私を平手打ちした。
乾いた音が響いた。
私は頬を押さえなかった。
リリアンは自分の手を見つめ、青ざめた。
「あ……」
私は微笑んだ。
「大丈夫ですよ」
「クラリスさん、わたし……」
「ええ。わかっています」
私は優しく言った。
「あなたは、何も悪くありません」
リリアンの瞳から、新しい涙がこぼれた。
「……そうよね?」
「ええ」
私は頷いた。
「今は、そう思っていてください」
第八章 王子様たちの告白
舞踏会の三日前。
私は四人の青年を、図書室に呼び出した。
全員が揃ったのは、これが初めてだった。
「何の用だ?」
カイルが苛立った声で言った。
「リリアンのことなら、もう十分だろう」
「今日は、エミリアの話です」
私は答えた。
四人の表情が変わった。
「……また、その話か」
アルベルトが疲れたように言った。
「君の気持ちは理解している。しかし、これ以上……」
「理解していらっしゃる?」
私は笑った。
「では、お聞きします」
机に四枚の紙を並べた。
「エミリアが亡くなる前、皆様は彼女に何をなさいましたか?」
沈黙。
私は一枚目を取った。
「アルベルト様。あなたは、彼女の相談を握りつぶしました」
アルベルトは目を伏せた。
「……ああ」
「ユリウス様。あなたは、彼女の研究成果をリリアン様のものとして発表し、彼女の訴えを妄想として扱いました」
「……そうだ」
「カイル様。あなたは、彼女を嘘つきと罵り、突き飛ばしました」
カイルの拳が震えた。
「……ああ」
「レオンハルト殿下。あなたは、彼女を機密漏洩の疑いで調査し、学園内での立場を失わせました」
レオンハルトは黙っていた。
私は四人を見渡した。
「皆様は、エミリアを殺したのです」
誰も反論しなかった。
「もちろん、直接手を下したわけではありません」
私は続けた。
「ですが、彼女が助けを求めたとき、皆様は耳を貸さなかった。彼女の言葉を疑い、リリアン様の涙だけを信じた」
アルベルトが低い声で言った。
「……君は、我々に何を望む?」
「真実です」
「真実?」
「ええ」
私は一冊の手帳を取り出した。
赤い革表紙。
エミリアの手帳だった。
「これは、彼女が亡くなる前に私へ預けたものです」
ページを開く。
そこには、日付と出来事が細かく記されていた。
『五月十二日。リリアンに研究資料を貸す』
『五月十五日。資料が返ってこない』
『五月十八日。ユリウス様がリリアンの論文を褒める』
『六月三日。カイル様に偽の手紙が届く』
『六月五日。カイル様に突き飛ばされる』
『六月十九日。王宮資料の持ち出しを疑われる』
『六月二十二日。生徒会への相談を申し込む』
『六月二十三日。相談が取り下げられていた』
『六月二十四日。リリアンから屋上に呼び出される』
最後の記録を見た瞬間、アルベルトが顔を上げた。
「……屋上?」
「ええ」
私は頷いた。
「彼女は、亡くなる前夜、リリアン様から屋上に呼び出されています」
レオンハルトが眉をひそめた。
「証拠は?」
私は一通の手紙を出した。
『明日の放課後、屋上で話しましょう。誰にも言わないで。二人だけの秘密にしたいの』
差出人は、リリアン。
四人は手紙を見つめた。
「……これだけでは、殺した証拠にはならない」
レオンハルトが言った。
「そのとおりです」
私は頷いた。
「だから、証拠を集めました」
次に出したのは、学園の警備記録だった。
エミリアが亡くなった日の、屋上への出入りの記録。
午後四時十二分、エミリア。
午後四時十七分、リリアン。
午後四時三十九分、リリアン。
そして、午後四時四十二分。
エミリアが中庭で発見された。
「……これは」
アルベルトが息を呑んだ。
「リリアン様は、屋上に行っていないと仰いました」
私は静かに言った。
「ですが、実際には行っています」
カイルが立ち上がった。
「そんな……!」
「さらに、屋上の扉には、当日修理された錠前がありました」
私は最後の紙を出した。
「修理を依頼したのは、リリアン様です」
レオンハルトが低い声で尋ねた。
「……なぜ?」
「屋上の扉を、内側から施錠できるようにするためです」
沈黙が落ちた。
私は手帳を閉じた。
「皆様」
四人を見渡した。
「エミリアは、自殺したのではありません」
誰も息をしなかった。
「彼女は、殺されたのです」
第九章 美しい少女の正体
卒業記念舞踏会の夜。
リリアンは、誰よりも美しかった。
純白のドレス。
銀糸で刺繍された薔薇。
胸元には、レオンハルトから贈られた宝石。
髪には、アルベルトから贈られた髪飾り。
手首には、ユリウスから贈られた腕輪。
足元には、カイルが選んだ靴。
四人の青年に愛される少女は、まるで物語の姫君だった。
「リリアン様」
私は彼女に近づいた。
「あら、クラリスさん!」
彼女は微笑んだ。
あの日、私を平手打ちしたことなど、すっかり忘れた顔だった。
「素敵な夜ね!」
「ええ」
私は頷いた。
「本当に」
リリアンは少し照れたように笑った。
「ねえ、聞いて。レオンハルト殿下が、今夜、大切なお話をしてくださるの」
「まあ」
「きっと、婚約のお話だと思うの」
彼女は幸せそうに胸元の宝石を撫でた。
「わたし、夢みたい」
私は微笑んだ。
「夢ではありませんよ」
「え?」
「今夜は、あなたの人生で最も大切な夜になります」
リリアンは嬉しそうに笑った。
「ありがとう、クラリスさん!」
私は彼女の手を取った。
「ところで、一つお願いがあります」
「何かしら?」
「エミリアのために、少しだけお時間をいただけませんか?」
リリアンの笑顔が止まった。
「……エミリア?」
「ええ」
私は彼女を見つめた。
「今夜、彼女の最後の願いを叶えたいのです」
*
舞踏会の中央に、四人の青年が立っていた。
アルベルト。
ユリウス。
カイル。
レオンハルト。
彼らは、リリアンを待っていた。
「リリアン」
レオンハルトが進み出た。
彼女は頬を染めた。
「殿下……」
「今夜、君に伝えたいことがある」
「はい……!」
会場が静まり返った。
誰もが、王子の求婚を期待していた。
だが、レオンハルトが口にしたのは、別の言葉だった。
「エミリア・ベルネットの死について、正式な調査が開始された」
リリアンの顔から、血の気が引いた。
「……え?」
「君には、事情を説明してもらいたい」
会場がざわめいた。
アルベルトが一歩前に出た。
「リリアン。君は、エミリア嬢の相談を取り下げたね?」
「そ、それは……!」
ユリウスが続けた。
「彼女の研究論文を、自分のものとして発表したことも確認した」
「違うわ……!」
カイルが拳を握った。
「俺に届いた偽の手紙も、お前が書いたんだな」
「違う! 違うわ!」
リリアンは後ずさった。
そのとき、私は彼女の背後から声をかけた。
「リリアン様」
彼女が振り返る。
私は微笑んだ。
「今夜は、あなたのために、特別な贈り物を用意しました」
合図をすると、会場の扉が開いた。
入ってきたのは、エミリアの両親だった。
父親は、白髪が増えていた。
母親は、痩せ細っていた。
二人とも、半年前より十歳は老けて見えた。
「……エミリアの……」
リリアンが呟いた。
母親が彼女を見つめた。
「リリアンさん」
静かな声だった。
「娘が、あなたに何をしたというの?」
リリアンは首を振った。
「わ、わたし……何も……!」
私は一歩前に出た。
「いいえ」
そして、彼女の目を見つめた。
「あなたは、何もされていません」
リリアンが息を呑んだ。
「エミリアは、あなたを助けただけです」
私は続けた。
「孤立していたあなたに声をかけ、友人を紹介し、困ったときには手を差し伸べた」
リリアンの唇が震えた。
「それなのに、あなたは彼女から何もかも奪おうとした」
「違う……!」
「成績も、名誉も、友人も」
私は一歩近づいた。
「そして最後には、命まで」
「違う!」
リリアンが叫んだ。
「わたしは殺してない!」
会場が静まり返った。
私は微笑んだ。
「では、なぜ屋上にいたことを隠したのですか?」
リリアンの顔が歪んだ。
「……それは」
「なぜ、彼女の相談を取り下げたのですか?」
「……」
「なぜ、彼女の研究を盗んだのですか?」
「……!」
「なぜ、彼女に嘘の手紙を送ったのですか?」
「やめて!」
リリアンが耳を塞いだ。
「やめてよ!」
私は黙った。
リリアンは泣き崩れた。
「わたし……悪くない……!」
涙が床に落ちた。
「エミリアが……エミリアが悪いの……!」
その言葉に、私は目を細めた。
「どうして?」
リリアンは顔を上げた。
「だって……!」
声が震えた。
「あの子、いつもわたしを見下してた……!」
会場がざわめいた。
「わたしが何かしても、笑って許して……! 何でもできて、みんなに好かれて……!」
彼女は歯を食いしばった。
「わたしがどれだけ頑張っても、あの子には敵わなかった!」
私は静かに聞いていた。
「だから……だから、少し困らせてやろうと思っただけなの!」
リリアンは泣き叫んだ。
「みんながわたしを好きになれば、あの子だって悔しがると思ったの!」
彼女は両手で顔を覆った。
「でも、あの子……全然悔しがらないんだもの……!」
私は尋ねた。
「それで?」
リリアンは顔を上げた。
「……え?」
「それで、屋上に呼び出したのですね」
彼女は凍りついた。
「エミリアは、あなたの不正を暴こうとしていた」
私は続けた。
「あなたは、それを止めたかった」
「違う……!」
「だから、屋上で話をした」
リリアンは首を振った。
「違う、違う……!」
「そして、彼女は落ちた」
私は彼女を見つめた。
「何があったのですか?」
リリアンは口を開いた。
だが、声が出なかった。
そのときだった。
「……押したの」
彼女が、呟いた。
会場が凍りついた。
「……え?」
アルベルトが聞き返した。
リリアンは、ぽろぽろと涙を流した。
「だって……あの子、わたしのこと、許さないって……」
私は息を止めた。
「わたしが悪いことをしたって、みんなに話すって……!」
彼女は泣き叫んだ。
「だから、ちょっと押しただけなの!」
誰も動かなかった。
「落ちるなんて、思わなかったの!」
リリアンは叫んだ。
「わたしだって怖かったのよ!」
私は彼女を見つめた。
そして、ゆっくり息を吐いた。
ようやく。
ようやく、聞けた。
エミリアが、どうして死んだのか。
私は目を閉じた。
七年前の夏。
初めて会った日のことを思い出した。
『ねえ、あなた。どうして一人でいるの?』
『本を読んでいるからよ』
『じゃあ、隣で読んでもいい?』
『好きにすれば』
『ありがとう!』
あのときの笑顔を、私は忘れない。
私は目を開けた。
「リリアン様」
彼女は怯えたように私を見た。
「何……?」
私は微笑んだ。
「ありがとうございます」
彼女の瞳が揺れた。
「……何が?」
「本当のことを、話してくださって」
第十章 親友殺しの罪を暴きます
リリアンは、その場で拘束された。
王宮警備隊が会場へ入り、彼女の両腕を取った。
「いや……!」
リリアンは暴れた。
「離して! 離してよ!」
四人の青年を見た。
「アルベルト様!」
アルベルトは動かなかった。
「ユリウス様!」
ユリウスは目を伏せた。
「カイル!」
カイルは拳を握りしめたまま、顔を上げなかった。
「レオンハルト殿下!」
最後の希望を込めて、リリアンは叫んだ。
「助けて……!」
レオンハルトは、彼女を見つめた。
長い沈黙のあと、静かに言った。
「……すまない」
リリアンの顔が歪んだ。
「嘘……」
彼女は首を振った。
「嘘よ……!」
そして、私を見た。
「クラリス!」
初めて、敬称をつけずに呼ばれた。
「あなたが……あなたが全部仕組んだんでしょう!」
私は頷いた。
「ええ」
会場がざわめいた。
私は微笑んだ。
「そのとおりです」
リリアンは息を呑んだ。
「……どうして」
「どうして?」
私は首を傾げた。
「あなたが、エミリアを殺したからですよ」
彼女は震えた。
「でも……でも、あなた、わたしの友達だって……!」
「ええ」
私は頷いた。
「友達でしたね」
「わたし、あなたを信じてたのに……!」
その言葉に、私は笑ってしまった。
とうとう、笑ってしまった。
「信じていた?」
私は彼女に近づいた。
「あなた、エミリアにも同じことを言ったのでしょうね」
リリアンの瞳が揺れた。
「『友達でしょう?』」
一歩。
「『わたしを信じて』」
もう一歩。
「『わたしたち、親友だもの』」
彼女は後ずさった。
「やめて……」
「そして、彼女はあなたを信じた」
私は微笑んだ。
「最後まで」
リリアンの顔が歪んだ。
「あなたは……!」
彼女は叫んだ。
「あなたは、悪魔よ!」
私は頷いた。
「そうかもしれません」
そして、静かに言った。
「ですが、あなたほどではありません」
警備隊が彼女を連れていった。
リリアンは最後まで泣いていた。
誰も、彼女を慰めなかった。
*
舞踏会が終わったあと、私は一人で温室へ向かった。
夜の空気は冷たかった。
花々は静かに眠っていた。
私は椅子に腰を下ろした。
そして、ようやく泣いた。
声を上げずに。
ただ、涙を流した。
「……エミリア」
胸が痛かった。
息ができなかった。
今まで、泣いてはいけないと思っていた。
泣けば、復讐を続けられなくなる気がした。
怒りが薄れてしまう気がした。
だから、ずっと我慢していた。
「……終わったよ」
私は呟いた。
「全部、終わった」
返事はない。
当たり前だった。
エミリアは死んだのだ。
どれほど復讐しても、戻ってこない。
その事実だけは、どうしても変えられなかった。
私は顔を覆った。
「……馬鹿」
涙が止まらなかった。
「本当に、馬鹿なんだから……」
あのとき、もっと強く止めればよかった。
リリアンから離れろと、もっと怒ればよかった。
彼女が泣いているとき、無理やりにでも話を聞けばよかった。
あの日、授業を休まなければよかった。
何度も、何度も考えた。
だが、どれも取り返しのつかないことだった。
そのとき。
「クラリス嬢」
声がした。
振り返ると、アルベルトが立っていた。
「……ここにいたのか」
私は涙を拭った。
「何かご用でしょうか」
彼はしばらく黙っていた。
それから、深く頭を下げた。
「すまなかった」
私は何も言わなかった。
「エミリア嬢にも、君にも……」
彼の声が震えた。
「私は、取り返しのつかないことをした」
「そうですね」
私は答えた。
「……許してくれとは言わない」
「ええ」
私は立ち上がった。
「許しませんから」
アルベルトは顔を上げた。
私は微笑んだ。
「あなた方は、リリアン様の涙を信じた」
静かに言った。
「そして、エミリアの涙を見なかった」
彼は何も言わなかった。
「その罪は、これから一生、忘れないでください」
私は彼の横を通り過ぎた。
「それが、あなたにできる唯一の償いです」
終章 世界で一番幸せな少女
リリアン・ローゼンベルクの事件は、王国中を騒がせた。
四人の貴公子に愛された美少女が、親友殺しの罪で裁かれたのである。
新聞は連日、事件を報じた。
かつて彼女を聖女と呼んだ人々は、今度は悪女と呼んだ。
彼女を讃えていた教師たちは、口を揃えて言った。
『以前から、少しおかしいと思っていました』
彼女と親しかった令嬢たちは、顔をしかめた。
『本当は、あの子のことが怖かったんです』
誰もが、最初から知っていたような顔をした。
私は、その様子を眺めていた。
そして、思った。
なんと便利な世界だろう。
誰かが愛されている間は、誰も疑わない。
誰かが悪人だとわかった途端、誰もが被害者になる。
リリアンを愛した四人の青年たちも、相応の代償を払った。
アルベルトは生徒会長を辞任した。
ユリウスは研究論文の不正を認め、学園から処分を受けた。
カイルは騎士団への推薦を取り消された。
レオンハルトは王位継承権を巡る立場を失い、しばらくの間、公務から遠ざけられた。
彼らは、もう二度と以前のようには笑えないだろう。
だが、それでよかった。
私は彼らを許すつもりなど、最初からなかったのだから。
*
春。
私はエミリアの墓を訪れた。
墓石の周りには、小さな花が咲いていた。
私はしゃがみ込み、花束を置いた。
「こんにちは、エミリア」
風が吹いた。
「今日は、報告があるの」
私は鞄から新聞を取り出した。
そこには、大きな見出しが載っていた。
『ローゼンベルク令嬢、親友殺害の罪で有罪』
私は新聞を墓石の前に広げた。
「見て」
微笑んだ。
「あなたを殺した女は、もう誰にも愛されていないわ」
しばらく、黙っていた。
そして、小さく笑った。
「……なんてね」
新聞を畳んだ。
「あなたなら、きっと怒るんでしょうね」
『クラリス、そんなことしても、誰も幸せにならないわよ』
そんな声が聞こえた気がした。
私は空を見上げた。
「そうね」
静かに答えた。
「誰も幸せにならない」
リリアンは罪人になった。
四人の青年は、名誉を失った。
エミリアの両親は、娘を失ったまま。
そして私は。
私は、親友を取り戻せなかった。
何も変わらなかった。
ただ一つ。
エミリアの死が、自殺ではなかったこと。
彼女が、最後まで生きようとしていたこと。
それだけが、証明された。
私は墓石に触れた。
「ねえ、エミリア」
目を閉じた。
「あなた、最後に何を考えていたの?」
返事はない。
けれど。
私は、あの赤い手帳の最後のページを思い出していた。
『クラリスへ。もし私が帰ってこなかったら、お願いがあるの』
水に濡れて読めなかった、その先。
私は、ずっと気になっていた。
エミリアは何を頼もうとしたのだろう。
復讐してほしかったのか。
真実を暴いてほしかったのか。
それとも。
私は手帳を開いた。
最後のページを、もう一度見つめた。
滲んだ文字。
消えかけたインク。
だが、よく見ると、紙の裏側にうっすらと筆圧の跡が残っていた。
私は指先でなぞった。
そして、息を止めた。
そこには、こう書かれていた。
『お願いがあるの。どうか、私の代わりに幸せになって』
私は、しばらく動けなかった。
なんてことだろう。
あの馬鹿は。
あの、どうしようもないお人好しは。
死ぬかもしれないと思った最後の瞬間まで、私の幸せを願っていたのだ。
「……馬鹿」
涙がこぼれた。
「大馬鹿者……!」
私は手帳を胸に抱いた。
「そんなこと、言われなくたって……!」
声が震えた。
「幸せになるに決まってるじゃない……!」
風が吹いた。
花びらが舞った。
私は泣きながら笑った。
「見てなさいよ、エミリア」
墓石を見つめた。
「あなたが羨ましくなるくらい、幸せになってやるんだから」
私は立ち上がった。
春の空は、眩しいほど青かった。
これから、どう生きよう。
何をしよう。
誰と出会い、誰を愛し、どんな人生を歩もう。
わからないことばかりだった。
けれど、一つだけ決めていた。
もう二度と、誰かの物語の脇役にはならない。
誰かを美しいヒロインにするために、他人が犠牲になる物語など、二度と許さない。
私は私の人生を生きる。
エミリアの分まで。
そして、いつか。
本当に幸せになったとき。
また、ここへ来よう。
そのときは、復讐の報告ではなく。
私の幸せな話を、たくさん聞かせてあげよう。
私は墓石に背を向けた。
振り返らずに歩き出した。
春の風が、背中を押した。
まるで、あの日のエミリアのように。
――おしまい。
タイトルのつけかた難しい。すっと理解できなかった人多そう。




