まんまんさん あん
「まんまんさん、あんっ」
肌が焼かれるような八月の日差しの中、線香に火をつけ、墓前に主人の好物だった和菓子を供える。隣では娘が舌足らずのお参りをしていた。まだ五つになっていない恵理は父親の死をどう受け止めているのだろうか。当時は物心がついていなかったから、理解はできていないのかもしれない。
「えらいね。ちゃんと『まんまんさん、あん』できたね」
頭を撫でてそう誉めると、恵理は満面の笑みを浮かべた。喜びからか駆け出そうとした恵理は、敷き詰められた小さな石に足を取られた。
「あぶなっ……」
声と手を出したが間に合わなかった。恵理は手もつかずに顔から小石の海に飛び込んだ。一瞬の間があり、駆け寄った私の顔を見ると火が点いたように泣き出す。
泣き喚く恵理をあやしながら、少し頬を緩め、主人に報告する。「恵理はこんなに元気ですよ」と。
「ようお参りやす」
「暑うてかなんなぁ」
墓参を済ませ、無縁仏の前に水を撒く。そこから駐車場に向かうまでの間、擦れ違う年配の人々は声をかけてくる。まだ顔と名前の一致しない人々とぎこちなく挨拶を交わす。
私がこの町へ嫁いで来たのはもう七年程前だ。関西の山間の小さな町。大都市へも電車や車で一時間もあればすぐに出れるし、田舎といってもさほど気にならなかった。若い人も結構いるし、来た当初は「田舎だ」という主人の言葉との違いに驚いたものだ。
だけどやはり街中とは違う。妙に信心深いし、昔からの言い伝えなどは、さも当然と言わんばかりに皆が守っている。別に不快ではなかったが、そういったものに縁遠かった私には違和感があった。
『お盆には仏前で御詠歌を上げる』
『お盆の間、肉食はしない』
『食べ物はまず仏壇と神棚に供える』
そういった理解できそうなものから、子供への戒めのようなものまである。今日のように、盆会が終わり、「お精霊さん」と呼ばれる先祖の魂がお墓へ戻ってから、墓参するのもそうだ。私はお盆の間に墓参するものと思っていた。それにお精霊さんが実家へ戻る期間も地域によって多少異なるようだった。
主人もそういった事柄を守っていた。彼自身には当たり前すぎて自覚がなかったのだろうが、私には奇妙に映ったものだ。
だけど私も恵理にそういうことを教えている。恵理が大きくなったら、田舎でつまはじきにならないように。そして「お父さんがそういうことを恵理に教えたんだよ」と言うために。
恵理の言う「まんまんさん、あん」もそうだ。初めて聞いた時、私には何のことか理解できなかった。言葉から卑猥な印象すら受けた。子供が神仏にお祈りする際に使う言葉だと知ったのは、恵理が保育園でその言葉を覚えて来て、慌てて保育士さんに訊いてからだ。「まんまんさん」は「南無阿弥陀仏」を、「あん」は合掌して祈る行為を指すらしい。
帰宅すると、義父に墓参の報告を済ませ、お盆で飾り付けを施した仏壇を片付ける。その間、恵理は義父に「まんまんさんあん、してきたぁ」と嬉しそうに語っている。
義母が他界して後、足を悪くした義父は一階で、私と恵理は二階の部屋で暮らしている。そうは言っても都会の二世帯住宅のような壁はない。実家の両親を、そして夫をも亡くした私にとって、恵理と義父だけが家族なのだから。
「じゅうさんっ……じゅうよんっ! あーがったぁ」
すっかり泣き止んで機嫌のよくなった恵理の手を引いて、二階への階段を昇る。関西に来てから、こういうちょっとした言葉に節をつけて、歌うように言う癖がいつの間にか私にもできていた。
翌日、保育園から帰ってきた恵理は階段で遊び出した。
「かいだん いちだん あーがった」
歌うようにそう言って階段の一段目で玩具を散らかす。恵理の一人遊びは珍しくないが、階段でするのは初めてだった。「階段で遊んじゃダメ」とたしなめても、珍しく恵理は言うことを聞かない。
それからも恵理の一人遊びは続いた。
「かいだん にーだん あーがった」
「かいだん さんだん あーがった」
毎日一段ずつ上へ上がっていく恵理の階段遊び。一体何の意味があるのだろう。叱っても相変わらず恵理はそこでの遊びをやめようとはしない。
「ねえ、恵理。階段では遊ぶのやめなさい」
その夜、玩具で階段を埋められ、移動がスムーズにできないこともあって、私は恵理にそう注意した。遊ぶなと言うならまだしも、階段で遊ぶなとしか言ってないのに、恵理が従ってくれないことも私の中で苛立ちに変わりつつあった。
「そんなに言うことを聞かない子はうちの子じゃありません」
冷たく言い放った言葉に、恵理は驚いたような顔をする。それから徐々に目が潤み、眉が下がっていく。私を見つめる視線を無視して目を逸らせたのをきっかけに、恵理の堤防は決壊した。
「いややあ! 遊ぶのぉ!」
夜も遅いというのに、幼い恵理は構うことなく大声で泣き叫び、駄々をこねる。近所迷惑を覚悟で喚く恵理をそのままにしておく。都会と違い、夜が静かで声は響くが、一軒一軒の家の距離は離れている。隣の家も住宅街のように密接しているわけでなく、間に畑があったり、道から随分奥に建てられていたりする。少々恵理が泣いても、隣人が電話で文句をつけてきたり、怒鳴り込んできたり、といったことはない。
散々自分の感情のままに喚き散らした恵理は、泣き疲れたのだろう。いつしか静かな寝息を立てていた。一つ大きく息を吐くと、恵理を抱え、寝床へ連れて行く。
「こういう時、父親がいたら……」
ふと口にした言葉に自分で苦笑した。恵理を可愛がっていた主人のことだ。もし今ここにいても、恵理を甘やかせて「それくらいいいじゃないか」と言うことだろう。
涙の跡を残したまま眠る恵理の頭を優しく撫でると、私もその横で昔を思い出しながら瞳を閉じた。
「なあ、お母さん。おもちゃ使わへんかったらいい?」
翌日、恵理はそんなことを言ってきた。「いいよ」と応じたものの、そこまで恵理が階段で遊ぶことに執着する理由は全くわからない。ついこの前まで、私の手が空かない時は義父に遊んでもらうことも多かったのに。
義父に話しても心当たりは無いし、気にすることはない、と取り合ってもらえなかった。手がかからないのは喜ぶべきことではあるが、母親の言うことも聞かないようになってしまうのは困る。一人で子育てに立ち向かう私にとっては重大な問題でもあった。
だが今日の恵理は大人しく言うことを聞いていた。
「かいだん よんだん あーがった」
いつものように一段遊び場を上げた恵理は、約束通り玩具を持ち出さずに一人で階段に座り、にこにことしている。夕食の支度が整い、呼びに行った時も、恵理は階段の四段目に腰掛け、一人で笑顔を浮かべ、何かを喋っていた。
「ねえ、恵理。今日は何をして遊んでたの?」
夕食のハンバーグを箸で裂きながら、私はそう尋ねた。口元をソースで汚した恵理は、笑顔を崩さない。
「お兄ちゃんとお話してた」
「お兄ちゃんのお友達ができたんか。恵理ちゃん、よかったなあ」
「うん!」
義父はそう喜んだが、私には納得がいかなかった。恵理は今日、保育園から帰ってきて、ずっと階段で一人でいたのだ。子供の他愛のない嘘なのか、それとも恵理の想像の中の友達なのだろうか。
翌日、心配になって保育園に確認をとってみた。もしかして友達ができなくて、架空の友達を作ったのではとも心配したのだ。だが、恵理は友達も多く、元気に遊びまわっているということだった。
しかし家に戻ると恵理はまたあの遊びを始める。
「かいだん ごーだん あーがった」
「かいだん ろくだん あーがった」
もう階段の中程まで昇った恵理は、今日も一人で楽しそうに遊んでいる。その姿は私には微笑ましくは映らない。どこかぞっとするような、寒気を感じるものだった。
「今日はお母さんお出かけするから、おじいちゃんの言うことちゃんと聞きなさいね」
せっかくの休日ではあるが、法事に参列することになっている私は恵理を義父に預けた。恵理もぐずることなく、笑顔で「いってらっしゃあい」と見送ってくれた。足が悪いとは言え、義父がいるので心配は要らないだろう。
「こらっ! お墓で走ったらあかんでぇ」
墓参の際に、誰かが連れてきた男の子が走り回って、母親に怒られていた。恵理とそう齢の変わらない子だ。読経の後の墓参。そんな大人の儀式に暇を持て余したのだろう。
「あんな。お墓でこけたらな、お化けがついてくるねんで。ほんで、一緒に連れて行かれるねん。せやし、走ったらあかんで」
母親が怖い顔を作って子供を諭す。泣きそうな顔を浮かべた男の子に頬を緩めると、母親が私に気付いたようで会釈をしてきた。
「そんな話、あったんですね」
遠い親類であるのは間違いないが、誰だったか思い出せないまま私はそう話しかけた。
「ほんまにうちの子、ごんたで困るわぁ」
豪快に笑いながら母親は私に線香を分けて手渡してくれた。頭を下げて墓前に線香を供える。
会食を終え、家に戻った私を迎えたのは恵理のいつもの歌うような遊びの声だった。
「かいだん きゅーだん あーがった」
私は「ただいま」を言うこともなく、玄関で立ち止まった。確かに今、階段には一人遊びをする恵理がいる。そしていつものように笑顔で何かを喋っている。
でも、聴こえた。私には聴こえた。
「かいだん きゅーだん あーがった」
そう恵理は口にした。だけどその恵理の声に被さって、誰かが同じように、歌うように、そう言ったのだ。
「恵理っ! こっちに来なさい!」
私は嫌がる恵理を無理矢理に階段から引き離すと、喪服が皺になるのを気にせず、膝を折って恵理を抱きしめた。
「お母さん、どないしたん? お兄ちゃんと遊んでただけやで?」
恵理は私の想いを気にすることなく、きょとんとしたままそう口にする。そうだ。さっきの声は……まだ幼い少年の声だった……。
ふと、さっきの母親が男の子をたしなめた言葉が脳裏をよぎる。
――お墓でこけたらな、お化けがついてくるねんで。ほんで、一緒に連れて行かれるねん
恵理を抱き締める腕に力が入る。そんなことがあるはずがないと思っていても、心の中の小波は収まる気配がない。
「お兄ちゃんとはもう遊んじゃダメ」
私が絞るようにそう口に出しても、恵理はきょとんとして「なんで?」と首を傾げるだけだった。
それから私は毎日、恵理に仏壇で「まんまんさん、あん」をさせた。主人が、父親が恵理を守ってくれる。そう信じたかった。
お兄ちゃんはお墓参りの日から家に遊びに来ている、という。毎日、一段ずつ階段を歌うように昇っていくのだ。恵理のあの言葉はお兄ちゃんの真似をして一緒に遊んでいるのだ、という。あの節のついた言葉が私の頭の中から離れない。
そんな馬鹿なことがあるはずがない。
お兄ちゃんなんているはずがない。
恵理の話を聞いても理屈では冷静にそう判断している。でも、身体に起こるこの悪寒と不安とをどう収めていいのかわからない。
恵理には階段の遊びを禁じた。夜眠るのも階下の義父の隣の部屋、仏壇の間に移した。義父は孫と夜遅くまで遊べるので喜んでいたが、私にはそんな余裕はなかった。
「まんまんさん、あんっ」
私の心配はまたも杞憂に終わりそうだった。やはりお兄ちゃんは幼い子特有の架空の遊び相手だったのだろう。五日経っても何も変わった様子はない。お兄ちゃんのことを口にすることもなくなった。
いつになくきつく叱ったからだろうか、恵理も言われた通り階段で遊ぶのを辞めた。仏壇に「あん」するのも守っている。
やはりあれは空耳だったのだ。男の子の声が聴こえたことも、今思い出すと記憶が定かとは言い難い。法事の帰りで疲れていただけだったのだ。それに昼間に見た男の子のことが印象に残っていたからなのだ。
九月も近づき、風に秋の匂いが混ざる。飛び回って眠りを邪魔する蚊も数が減ってきた。私の中の不安や恐れも、そういったものと一緒に拭い去れる気がした。
「今日からまた二階で寝ようか」
夕食の時にそう切り出すと、恵理は「うんっ」と笑顔を見せた。いつもと違う場所で眠るのは子供にとっては楽しいイベントなのかもしれない。だが五日も経てば、いつもの場所に戻りたいというのもまた自然な感情だろう。ただ義父だけが孫と触れ合う時間が減って寂しそうではあった。
「ここ、恵理のとこぉ」
お風呂を上がって布団を敷くと、恵理は懐かしい場所に笑顔で飛び込んだ。その様子を見て私は目尻を下げた。義父には悪いことをした気もするが、恵理はやはりここで眠るのが好きなのだろう。
「じゃあ寝ようか」
私が恵理にそう微笑みかけた時だった。
「あ、お兄ちゃん」
恵理は閉まった襖の向こうを振り返ってそう呟いた。襖の向こうには階段がある。一瞬にして私の幸せな気分は吹き飛び、両腕に鳥肌が立つのがわかった。
明かりが消えた。
不意に光を奪われた目は、暗闇しか映し出さない。
「お母さん……」
恵理が怖がって私に抱きついてきた。お兄ちゃんにではなく、暗闇に怯えているのだろう。頭を振ってきょろきょろしているのが、空気の流れと僅かに触れる髪でわかる。
いつもなら聴こえる虫の音も存在しない。闇と静寂だけが私と恵理を包んでいる。
ただの停電かもしれない。ブレーカーが落ちただけかもしれない。
だが、この身を包む恐怖は何だろう。この凍てつくような悪寒は何だろう。
体中から発した悪寒が脳天に突き抜けた時、それは歌うように、遊ぶように、しかしはっきりと私の耳に届いた。
かいだん ぜぇんぶ あーがった
「恵理! 『まんまんさん、あん』しなさいっ!」
私は叫んだ。
「まんまんさん、あんっ まんまんさん、あんっ」
お兄ちゃんへの恐怖なのか、暗闇への恐怖なのか、それとも私の勢いに押されたのか。恵理も素直に「あん」を繰り返している。
恵理をきつく抱き締めながら、私も心の中で「南無阿弥陀仏」とわかりもしない念仏を繰り返す。男の子の声がした襖の向こうは恐ろしくて確認できない。目を閉じてただ祈る。
――あなた! 恵理を守って!
「まんまんさん、あんっ まんまんさん……」
恵理の声が弱々しくなり、その「あん」の声が途切れた。腕の中で恵理が力なく崩れていく。
――ダメ! 恵理を連れて行かないでっ!
一瞬の静寂があった。
それを崩したのは私のすぐ耳元で響いた男の子の声。
遊ぶような、からかうような、無邪気な声……
まんまんさん あんっ
了