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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

薬局よもやま話

プライドと傲慢

作者: イトウ モリ
掲載日:2026/01/28


 ちょっと最近、自分が傲慢(ごうまん)になっていることに気がついた。


 あまりいいことではないから、悪化する前に自戒のための記しを残しておこうと思う。




 自分の傲慢を自覚したとき、すぐにこんな言葉を思い出した。



『プライドの上には傲慢があって、謙虚の下には卑屈がある』


 和歌山の学会で聞いた言葉だ。


 その言葉を耳にした時は、『プライドを持ちすぎると傲慢になるのかな? プライドを持つのも程々がいいということなのかも』と思いながら聞いていた。


 その言葉について今回もう少し掘り下げて考えてみたい。




 私はプライドを持って仕事をしている。


 誰かに評価されなくても、自分で自分を恥じることのないレベルを維持したいと思って業務に臨んでいる。


 当たり前のことを淡々とこなす。


 でもその『当たり前』の中には、自分の精一杯を丁寧に詰め合わせにして、相手が心地よく受け取れるようにお渡しすることを心がけている。


 派手ではなく、華美ではなく、これ見よがしでもなく、気づく人が気づいてくれればいい、なんだったら気づかなくてもいい。

 そんな気遣いと思いを持って仕事をしている。



 ここ最近になって偶然いろいろなタイミングが重なり、自分の積み上げていた実績に光が差すようになった。


 評価を受けることについては悪い気はしなかった。それくらいのことをしている自覚があったから別に驚きはしない。


 そもそも評価というものは、やったかやらないかというよりも、影響力のある人の目についたかつかなかったかということなのだと自分は考えている。


 ただ少し、身構えてしまった。


 若い頃は注目されたことで調子に乗ってしまい、使われるだけ使われて、都合のいい道具で終わってしまったことがあった。


 あの頃は職場の人間(特に上層部)に不信感が募り、その後の数年は業務に対してことごとく意欲を失い無気力になった。


 最低限の仕事だけこなし、個別で頼まれる仕事は全て拒否し続けた。

 評価されなくなったけれど、もう自分を犠牲にしたくはなかった。


 たぶん燃え尽き症候群的なやつだったと思う。


 その時のことが少しだけ頭をよぎった。

 さすがにもうあの頃のようなヘマはしないと思うけれど。 


 浮かれて頑張れるほど若くないし、注目を浴びて喜ぶようなピュアな心は遠の昔に死んでしまった。


 今は細心の注意を払って自分の生活を守りたいと思っている。


 謙虚に、目立たず、(おご)らず、慎ましく、それでいて評価という名の賞与は最大限に手に入るように図々しく立ち回れたらいいなと思っている。



 そして本題である傲慢の話に戻る。



 ここ数年、人間関係で苦心していた。


 多様性という言い訳を使うには、あまりにも見苦しい手合いと仕事をする羽目になったからだ。


 本当に驚いた。


 自分の想像を超えるような、驚くべき思考と理屈を持っている人がいるのだなあと、心の底から衝撃を受けた。もちろん当然ながらいい意味ではない。


 感情的になるとこちらが加害者という汚名を着させられ、受けたくもない被害を受けてしまうため、もうこの人は人間ではなくて、きっと人間によく似た二足歩行の動物か何かなのだろうと思うことにして乗り切った。


 相手が自分と同じ人間だと思うと、どうにもこうにも腹が立ってしょうがないからだ。


 人じゃないから話が通じなくても仕方ない。

 人じゃないから仕事ができなくても仕方ない。


 そう思わないとこちらの身が保たなかった。




 幸いにもその人が家庭の事情で自発的にいなくなってくれたおかげで、ようやく心に余裕が持てるようになった。


 でもその人と働いていた時の癖で、つい何かの拍子に相手を低く見積もるような見方をするようになってしまっていた。



 業務を振り分けたところでどうせやらないし、やる気もないだろうし、頼むだけ無駄だろう。

 きっとわけのわからない持論を並べ立てて、仕事をしないことに対しての自分の権利と正当性を貫き通すのだろう。

 自分が一番大変で頑張っているという思い込みに酔いしれて人の言う事など聞く耳持たないのだろう。

 だから、まともに話し合いができる相手ではない。

 話をするだけ無駄だ。



 いつしか周りの人をそういう目で見るようになってしまっていた。

 ……と、いうことに気づいた。



 おいおい、お前はいったい何様だ?


 急に我に返って、自分の思考に愕然とした。



 他者から多少なりの評価を受けたことで承認欲求的なものが満たされたためなのか、自分の思考の悪癖に気づける余裕が生まれたのかもしれない。


 このまま気づかなかったら、また調子に乗って空回りしたあげく、すごく嫌なやつになっていたと思う。


 自分の不健全な思考に我ながら幻滅した。



 プライドの上にある傲慢(ごうまん)

 この傲慢について、自分は解決を試みなければならない。

 そう思ったのだ。



 プライドと傲慢は、何が違うのだろう。


 境界はどこなのだろう。あまり意識したことがなかったから考えてみることにした。




 プライドも傲慢も、英語にするとどちらも"Pride"と訳される。


 まさか同じものなのか?

 雲行きが怪しくなる。


 しかし日本語のニュアンスで解釈を試みると、きちんと意味分けがされているようだ。


 プライドは自分の信念や努力、能力に対して持つ「内面的な誇り」のことで、傲慢は自分が他人よりも優れていると思い込み「他者を低く見る態度」のことらしい。


 分かったような分からんような。




 とりあえず自分が以前に思った、プライドを高めていくとそれが傲慢という第二形態に進化する的なものではなさそうだ。


 そしておそらく今の自分の状態はというと、プライドも傲慢も、両方がそれなりに自己主張をしているらしい。



 そこを踏まえた上で、今後の対策を考えてみたい。


 プライドについては、まだ高めていきたいという気持ちがある。


 ようやく同じ価値観や熱量を持つ仲間に出会えた。

 この人たちとこれから先も仲間としてやっていきたい。そして仲間と思ってもらえるような自分でいたい。

 そんな気持ちがあるから、もっと自分を磨いていきたいと思っている。


 その気持ちは悪いことではないと思う。




 問題は傲慢の方だ。


 上記に、傲慢を感じた時の自分の心の声を記述してみて気がついたことがあった。


 自分が相手に向けて感じた思いは、過去に燃え尽きた自分に対して、人から向けられていたかもしれない言葉ではないだろうか、と。




 もしかしたら前の会社で不当な扱いを受けて、転職先のうちでは、前の会社と同じような働き方がしたくなかったのかもしれない。


 燃え尽きてしまって、業務に捻出するだけの馬力がガス欠なのかもしれない。


 そうやって相手の背景までを思えば、もう少し慈しみの気持ちで接することが可能になり、自分の傲慢さをコントロールできるようになるのかもしれない。



 そんな気づきを心に留めて、毎日の業務に取り組んでいこうと思った。



そうは言っても、向こうの態度があんまりにも悪ければやっぱりムカつきますし、見下したくもなっちゃうのが困りものですよね。

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